松戸の商店のお寸志
松戸の商店の主に根本を中心としたお店でいただいたものを公開します。あまり多くはありませんが・・・また、いただいておいてお寸志というのは一般的には失礼なのですが、手ぬぐいにこの場で”御厚志”と書くのもまた気になるので、ここでは敢えて”お寸志”と書かせて頂きます。また、これは昭和の松戸を歩くの補助的な情報でもあります。
商店のロケーション
地図の全体を見たい場合はフルスクリーン表示をクリックしてください。根本、小根本、本町に場所が転々としています。あしからず!
松北堂書店 松戸市根本261
日本地図と1983(昭和58)年のカレンダーが一緒になっていたものです。この頃、私は仕事の関係で浜松に常駐していた頃でした。
トラックで隠れて見えませんが、看板はよく見えます。松北堂は昭和の松戸を歩くでも説明していますが、私が子供の頃は松戸の本屋の中でももっとも通った本屋さんです。頑固な感じの親父さんと優しそうな女将さんがいましたね!私はプロレス雑誌のゴングはここで買っていました。松北堂書店については下記のページでも投稿しています。
大田原製麺所 松戸市根本262
太田原さんといえば根本の米屋さんです。わが家は竹ヶ花なので、お米は石井米店さんで買っていたのですが、やきそば用の業務用の麺は大田原さんから仕入れていました。我が母がお店を営んでいた当時の話です。今は作っているのか、無いのかは不明です。太田原さんの現在のご主人は確か私よりも一つか二つ年上で、細身で背が高い美男子系の人。確か同じ根本保育園に通っていたと思いますが、記憶はあいまいです。
魚力さん(魚屋さん)
魚力さんは、根本の商店の中でももっとも活気があって、かなり頑張っていたお店です。また、魚力さんの魚は魚としてのレベルも高く、自慢できるものでした。ただ、大型店の台頭でかなり商売が難しくなってしまった様です。2002-3年頃だったか、「御節料理を作ります」という内容のチラシがわが家の郵便箱に入っていた事がありました。
ただその時は残念ながら、御節料理はすでに注文済みでした。あのチラシを最後に閉店されてしまったという印象があります。でも、とてもいい店だっただけに、我々住民が根本の商店街のあの魚力さんを何故支えられなかったのか、残念でなりません。
松戸ベスト100のミスターTさんと同い年の娘さんがいたとの事。しかしながら同じクラスにはなったことがなかったとミスターTはコメントされていました。
金山神社に魚力さんの手すり柱があった事から、魚力さんも根本の商店街の一人として、金山神社の清水講に積極的に参加していた事が分かる。昭和31年前後なので、多分年代的には先代の頃に手すり柱が寄進されたのだと思う。私の知る、魚力さんのご主人は利夫さんだった。皆からは”としちゃん”、”としおさん”と呼ばれていた。
先代は利吉さん。多分先代の利吉(りきち)さんの”りき”からとって力、魚力となったのではないか?と見ている。いずれ”としおさん”にお会いする事があったら聞いてみたい。魚力さんの外観写真やその他の投稿は下記でも見られます。
野田屋さん(荒物屋)松戸市根本268
店名住所が上下反転してしまっている。野田屋さんは所謂荒物屋さんで、鍋とか金物系を中心に日用品雑貨を売っていた。二葉屋さんの先で森栄堂の手前にあった。
島村俊商店 松戸市松戸2000番地
松戸市松戸2000とは坂川を挟んで、満留賀そばの前付近の元島村商店の工場があったところ。茄子のよいち漬けで有名。元々は根本に工場があったと思う。根本の区画整理の頃、現在の位置に移った。
この当時は道路がぬかるみだらけでしたね・・・車の右側は坂川です。島村俊商店さんについては下記のページも書いています。ご参考まで!
銀寿し:小根本
銀寿司さんは小根本の元栄久そば屋さんの手前、クラブレイの隣付近にあり、以前は寿司の出前は必ずここでお願いしていた。銀寿司がなくなってからは、根本のよし寿司から出前を頼むようになったが、よし寿司もなくなってしまった。今は岩瀬の金太楼ですね。
三菱銀行(松戸公産ビルとなる前は三菱銀行だった)
私が子供の頃、本町の現在の松戸公産は三菱銀行だった。三菱銀行はその後、現在の松戸市民劇場→松戸ビルヂングに移った。現在は、合併統合を繰り返し、三菱UFJ銀行になっていますね。この建物の歴史は古く、下記でまとめていますのでご興味ありましたら、御覧ください。
北部小学校50周年記年
商店ではありませんが、掲載します。我が母校です。50周年とは1977(昭和52)年です。私が在校中に火事になり色々と大変でした。北部小学校の関連投稿は下記です。
最後に
このページは2017年頃に表の家に掲載したものを、表の家のプラットフォームをWordpressに変えたことで、全体的にアップデートし、内容を充実させ再発表するものです。根本の商店は昭和の頃はそれはそれは活気のあるものでした。これらは昭和の松戸を歩くシリーズで色々と述べていますので、詳しくご覧になりたい方はどうぞ!
コメント
訂正あります 魚力 同じ歳の息子ではなく同じ歳の娘です
ミスターTさん、
コメント、アドバイスありがとうございます。早速訂正しておきました。
今後とも宜しくお願いします。