商店

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昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-竹ヶ花西町編

竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった竹ヶ花地区の商店街について説明したい。
2021.08.01
昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-根本編

竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった根本地区の商店街について説明したい。
2021.08.01
昭和の松戸を歩く

1981年頃の松戸駅東口側商店・飲食店について-旧金ケ作陣屋道

昭和の頃は開かずの踏切と言われた根本の踏切から岩瀬の坂までの道。金ケ作陣屋道周りに色々なお店が軒を並べ商店街が成立していた。今でも頑張って商売をされているお店もある。昭和の頃の商店街を現在のマップに再現させ、知る所、思う所を書き留めておきたい
2021.07.27
表の家の周辺

母方の祖父のお話

母方の祖父は茨城の大農家の長男。文学が好きで小説家をめざし、継ぐ筈の財産を全て次男に譲り、許嫁と共に東京に駆け落ちしてしまった人である。東京で懸命にそして懸命に修行した。自分の作品を徳田秋聲氏に送った。徳田先生はご丁寧にも返事を書いて下さった。
2021.07.25
昭和の松戸を歩く

1988年、松戸駅東口の商店街、飲食店の思い出-東口線路沿い

アジアの様々な国への海外赴任を繰り返す前、私にとっての定番の通勤路は金山神社を通過する松戸駅東口ルートだった。1988年頃の住宅地図を参考に、松戸駅東口商店街の色々なお店について、当時の状況を振り返り思い出しながら、ページとして残したい。
2021.08.01
楽しみ

松戸でも流行”切手収集”

生まれてはじめて入手した切手はグリコのおまけか、駄菓子屋のくじか、家に届いた封筒に貼ってあった10円の桜切手(普通切手)だった。その後、日本郵趣協会や日本郵便切手商共同組合の主催する催しに訪れたり、通販を中心に切手収集の範囲は広がった。
2021.08.01
昭和の松戸を歩く

松戸中通りの商店街の風景、松戸将棋クラブ、太公望、その他

松戸駅近くに中通りという道があり、これは現在のふれあい通りに当たるが、区画整理で幅員拡張され、道路位置もかなり調整された。この中通りには様々な種類の商店が集まっていて、焼鳥の開進、映画館の松竹館、カメラのイマイ、室内釣堀の太公望、モンダ書店
2021.08.01
昔日の松戸

子供の頃の馬橋の原風景について

馬橋駅西口エリア、友人にその住宅街の一角にある日本蕎麦屋さん"そばきり うめ吉"に誘われた。子供の頃、あれだけ馬橋駅東口には行っていたが、何故西口には来たことが無かったんだろうか?考えてみればこの一帯は昭和30年代は見渡す限り田畑だった。
2021.08.01
昭和の松戸を歩く

竹ヶ花&根本の商店(竹ケ花踏切以西、市場まで)

旧水戸街道を松戸駅方面から、竹ケ花方面に向かうと途中に国鉄常磐線の踏切があった。これは一般には竹ケ花の踏切と言っていたが、正式な名称としては陸前浜街道第二踏切と言ったそうだ。今回はこの陸前浜街道第二踏切の西側にあった商店街について書き記す。
2021.08.01
昭和の松戸を歩く

かつて竹ケ花踏切以東にあった商店・飲食店

常磐線複々線化によって閉鎖された竹ケ花の踏切以東には商店、飲食店が色々とあった。そのお店を一つ一つ思い出していきたい。我が実家はかき氷販売から始まった。かき氷は缶ジュースの出現で衰退したという人が居たが冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した
2021.08.01
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