ルンルン洋酒館 幻の店
関根さんのスナップ
私が表の家を作り始めた頃、何度もこのルンルンに立ち寄った。松戸の地域史を調べる上で、古老などからの聴き取りが必要になる。実はそのキーとなる方々がこのお店に来ていた。このルンルンのご主人は、私のこの気持ちを知っているので、ありがたい事にキーとなる方々と繋いでくれた。何故か怒鳴られる事も多かったけれど、感謝しています。
古き良き時代に思いを馳せれば
傾けたグラスの向こうに
あなたの顔が見え隠れ
これはこのルンルン洋酒館のコンセプトである。関根さんのお気持ちが伝わってくるフレーズだと思う。然し、勝太郎さんはもう居ない。お店も無い。自分や皆さんのルンルンへの記憶が風化する前に私は記録として残したいと思う。
「ルンルン」沿革
八百屋時代
新松戸は「青空市場」、松戸は「桔梗屋」
関根勝太郎さんは外資系の会社や建設会社等への勤務を経て、脱サラし、1975(昭和50)年以降に新松戸と松戸に八百屋を開店。新松戸は「青空市場」、松戸は「桔梗屋」という店名にしていた。松戸の八百屋「桔梗屋」は何回か場所が移り、一番長かったのはダイエー松戸西口店の前。ダイエーは ダイエー→Dマート→ダイエーと変遷したが、あえてダイエーの前としておく。
さて、ダイエー松戸西口店前に開業した「桔梗屋」では大乱売だった様だ。詳しく聞くと、新松戸の「青空市場」で充分採算のとれる商売をし、その利益をもって、松戸駅西口のダイエーで破格の値段で売ったらしい。関根さん曰く「よくもまあ大企業のダイエーのお膝元で、あんな薄利多売を続けられたものだ」と懐かしそうな表情で話した。
かなりの安売りだったためダイエーとゴタゴタもあったが結局和解。「あの当時はダイエーの中内功社長を向こうに回してよくやったもんだなあ!若かったらから!」と関根さんは回顧していた。
大栄ビルジング
ダイエーと聞くと私はポールルドルフ事務所による大栄ビルジングを思い出す。
10+1 website|Photo Archives158 あいち建築
これは松戸とは関連が無い話なので、建築に興味がある方だけ上のリンクをご覧ください。
ゲームセンター時代
その後、商売替えが必要になり「ルンルン」という名前のゲームセンターを始めた。広さは50坪くらい。ゲームセンター「ルンルン」には当初、タイトーの機械を置いていたようだ。ただ、タイトーと「ルンルン」との営業方針が合わずいくつかのやりとりの末、ナムコのゲームを中心としてデータイースト、アイデム等のゲームを置くことになった。
小岩のゲーム機の問屋
当時は小岩にゲーム機の問屋があってそこを通して取引があったそうだ。
松戸駅西口前の日発ビル2階の”ゲームセンターインベーダー”の店主も小岩の問屋の話をしていた。小岩と言えばタヤ商事で、メクマンの親会社でもあった。多分同じ場所ではないかとみている。タヤ商事について知りたい方は下記リンク参照。
オモロン・ゲームinメクマン 松戸
メダルゲームが大好きで、主に通ったのはSigma社直営のゲームファンタジア。Sigma社のメダル機械は魅力があり、その機械が置いてある店にもよく通った、一つは松戸駅西口のゲームセンターインベーダー、もう一つはオモロン・ゲームinメクマン松戸
ルンルンの商売替え
ダ鳥獣ギ画 https://chojugiga.com/
より
テーブル型のゲーム機が多く置いてあった。同時に、バイクのロードレースゲーム「ハングオン」やジェット機のコックピットゲームの「ミッドナイトラン」等大型のゲームもあった。ゲームセンターは作れば儲かる時代が続いたが、次第にその将来性に陰りが見え始める。商売替えの必要性を感じ始め、その頃からカラオケ業を模索調査し始めた。
- 1985(昭和60)年頃:パイオニアにインタビューした事があった。
- 1986(昭和61)年頃:ついにゲームセンターを止めた。
カラオケ・ショットバー時代
1997年ゼンリン住宅地図より
高砂通りのスナック「シャラント」とハワイ松戸店が入っていた場所に新しい店舗を構える事になった。私の記憶だと、シャラントがあった頃は高砂道路との間に若干の引き込みスペースがあった記憶があるので、多分建物は建替えたのだと思う。また、京成から買ったような話をされていた。京成不動産かな?
- 1990(平成2)年:この新しい場所でカラオケ+パーティールーム「ルンルン」を始めた。
- 1997(平成9)年:パーティールームをショットバーに改装しカラオケ&ショットバーという業態に変わった。
パーティールームの頃
party roomの頃の写真 関根さん提供
ショットバーになってから
shotbarになってから
関根さん提供
利根運河で関根さんに会った
いらすとや
https://www.irasutoya.com/
我が同級生Aさんと利根運河まで歩いて行こうという事になった。考えてみればずいぶん遠くまで歩いて行った。Aさんは新しい革靴を新調していたのに、帰宅したら駄目になってしまったそうだ。そういえば、利根運河河口(利根運河の江戸川への河口)付近で、黒い車を運転する人に声を掛けられた。
2016年6月5日撮影
それは関根さんだった。その時、ああ、関根さんはこの界隈に住んでいるという事を知った。そして何故か、バナナを我々にくれたっけ・・・
松戸まつりへの参加
松戸まつりへの参加
松戸まつりの時松戸まつりの時は積極的に参加し、店前に模擬店を出店した。身体障害者の方々のバンドを呼んだり、積極的に松戸の為に頑張った。ところが商工会議所との意見の合わない事もあったらしいけれど。
左のご婦人は関根さんの事を贔屓にして応援してくださっていた。実はご婦人、私にとっても大変懐かしい方です。”富士ラッキーボール”のご主人で優しいおばちゃまでした。確か酔虎さんの二階にお住まいだったと思いますが、ここ十年以上はお会いしていません。
カレーハウスRunRunへ
るんるん試食のカレー
数年前から商売替えを考えていた関根さんは秋葉原に良い土地を見つけカレーハウス開業を考える。私も図面上での相談は受けた。狭い敷地ながら、デザインの内容はかなりモダンで女性受けすると思われた。カレーハウスルンルンのビルは2005年に完成予定だったが、工期が延びに延びて結局2006年9月25日にやっとオープンにこぎ着ける。
しかしながら設備上の問題があり、三日目からは店を閉めてしまった。私は松戸のルンルン洋酒館でこのカシミールカレーを食べた。激辛だったがとても美味しいカレーだった。上の写真は幻のカレーとなってしまったカシミールカレー。新しいメニュー用に私が撮影。
カレーハウスRunRunの関連ページ
http://akibamap.info/archives/50694096.html
https://anachira.blog.shinobi.jp/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%80%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BB%8A%EF%BD%A5%EF%BD%A5%EF%BD%A5%EF%BC%8810%E6%9C%883%E6%97%A5%E7%89%88%EF%BC%89
http://annie-watch.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/runrun_b5fe.html
店舗の位置変遷
新松戸の青空市場の資料が揃わないので、ダイエー松戸西口店前での店舗変遷の動きについて、ざっと書いてみたい。
1983年
1983年ゼンリン住宅地図より
この1983年頃は更地を表していて、多分八百屋の時期だったのではないだろうか?と考えている。ダイエー側にドムドムと書かれているのが懐かしい。ただ、私は小根本の税務署前のドムドムは妹を連れて行ったことがあったが、ダイエーにあった頃のドムドムの記憶は薄い。又、押田医院はこの界隈が区画整理される前からあった医院だった。
↓
1984年
1984年ゼンリン住宅地図より
↓
翌年には、小さくルンルンという店とやきとりのお店が出来ている。この焼き鳥のお店が同時経営であったのかどうかは私は分からない。誰かご存じの方はいらっしゃるだろうか?キャプテンドムドムとある。キャプテンクックはダイエーの食品プライベートブランドでそういう売り場と共にドムドムがあった時期という事なのだろうか?
1987年
1987年ゼンリン住宅地図より
1987年ではルンルンがダイエー前で若干大きな建物に代わっている。この頃、関根氏はビジネスを変える考えを虎視眈々と狙っていたのだろう。その隣のダイエーは、何故かドムドムの文字が消え、キャプテンクックという文字だけになっている。この頃、ドムドムは無くなっていたのだろうか?
1997年
1997年ゼンリン住宅地図より
ルンルン洋酒館の写真
るんるん外観
るんるん外観
-
-
るんるん室内
-
-
るんるん室内
-
-
るんるん室内
-
-
るんるん室内
-
-
るんるん室内
-
-
るんるん室内
るんるん室内
右のセンターにいるのが関根さんで、お店に行くといつもここで読書をしていた。彼は読書家でよく勉強していたっけ・・・
その後
色々な事から心労がたたり、2006年11月初旬帰らぬ人となってしまった。在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。色々と面倒を見て頂き誠にありがとうございました。関根さんの存在によって、現在は松戸について語る貴重な友人をたくさん得ることが出来ました。これもひとえに関根さんの引き合わせであると思ってます。
関根さんが他界されたのは実は同店で働いていた実娘から電話で聞いた。何故なら、秋葉原のカレーハウスは予定通りに開店しないし、かと言って、松戸のルンルン洋酒館は閉まったままで、カレーハウスの開店祝いを懐に認めていた私は非常に困ってしまっていたからだ。そこで、野田の家の電話番号を調べて、電話をした訳だ。
電話を受けた方々の様子が変で、何だろう?何かあったのだろうか?と思いつつも、私の名前と電話番号をお知らせし、一度電話を切った。実娘さんから折り返しの電話があった。その際にお父さんが他界された事を知り、ちょうどお通夜と葬儀の手配中だったらしい。これは非常にショッキングだった。
情報ソース
このページのカレーハウスに関する記述はルンルンで何度もお会いした故高橋一晃様(高橋製粉元会長)からの情報に基づいて書かれている。カレーハウスの一件に関しては、高橋さんと電話でお話した内容である。又、ルンルン洋酒館の売却に当たっては、高橋さんがフォローに入って色々と面倒を見てくれたそうである。
故高橋一晃様とは、その後洋風居酒屋阿比留でもお会いする事になり、松戸まつりの時は、立ち話もした。秘書であったS女史と先日立ち話したら、二年前に高橋さんが他界されていた事を知った。という事は2022年頃という事になるのだろうか?故高橋一晃様とお近づきになれたのは、秘書であったS女史の存在が大きい。S女史とは魚処吉泉との出会いから始まっている。S女史様、ありがとうございます。
古き良き時代に思いを馳せれば
傾けたグラスの向こうに
あなたの顔が見え隠れ
最後に
この「ルンルン洋酒館 幻の店」は松戸行脚2007において作成、2008年10月、暫く閉じていたが、2024年7月19日再び内容を大幅に修正、加筆しリメークした。
コメント