メダルゲームの魅力
私の20代、30代の頃はTVゲームよりもメダルゲームにハマった時期。何故か、メダルゲームの好きな友達が出来ていった。その友達の一人がどうやら付近の県にいるらしく、いつかお会いしたいと思っている。それはさておき、私がどんな風にのめり込んでいったのか、時系列的に思い出していきたい。
家族でメダル落としにハマった伊東”ハトヤ”のゲームコーナー
初めてメダルゲームに触れたのはいつの事だったのか・・・正確には覚えていないが、伊東のハトヤに家族でいった時だったと思う。妹が居たので多分中学生の頃かな?所謂プッシャー(メダル落とし)。ゲーム機の中にはたくさんのメダルが置かれ前後に動いている。そこに手持ちのメダルを投入する事によってメダルを押し出すゲーム。家族で遊んで結構楽しかったのを覚えている。
歌舞伎町で

フリー素材.comより 歌舞伎町風景
大学生の頃同級生に誘われて新宿の三峰に行き、その後、歌舞伎町に行った。そして新宿のミラノ座横にあったゲーム・ファンタジアに入った。私は友達がスロットで遊ぶのをただ隣で見ていただけだった。また、そこには大きな競馬ゲームもあった。それはシグマ社の「ザ・ダービーV0」(1975)だった。どでかい機械で、いかにも遊びなれている人達が座ってプレイしていた。
この機種の写真はNazoxさんのブログの”初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム” にあるので、参照されたい。

メダルゲームに嵌った原点、それはゲームファンタジア・ミラノ店
当時シグマ社が経営するゲーム・ファンタジアはメダルの貸し出し料金が高くて、最低購入枚数が300円で10枚だった。心を鷲掴みされるくらいの魅力はあったのだが、自分の懐具合では遊べないので、断念した。ゲームファンタジアの店内インテリアはモダンに作られていて、従業員も赤と黒のチェックの制服を着用、どちらかというとヤングアダルト以上の年齢対象で、高級志向。
どのゲーム機も魅力的に作られ非常に刺激的な印象を受けたのは間違いない。この時はゲームをしなかったが、メダルゲームに嵌った原点を問われれば、この時だったような気がする。抑圧され遊びたくても遊べない気持ちの拠り所を探し、無念さが心の中で無意識な澱として心の中に溜まっていた。「メダルゲームで遊びたい」いつしかその素朴な欲求、気持が火山の様に噴火してしまった。
「ザ・ダービーV0」はBetが終わっていない人を待ってくれた機械
もし、初めてゲームファンタジア・ミラノ店に訪れた時に、いくらかでもプレイしていたとして、遊びたい欲求が収束していったかどうかは、今となっては何とも言えない。その後、新宿に行き一人で「ザ・ダービーV0」を遊んだことがあった。この機種の特徴として、ステーションに座っている各お客さんのベットが済むまで、レースが開始されなかった。
ベットが済んだら白いボタンを押す。全員がボタンを押し終わると、レースが始まる。その為、そのルールがわからない人がいると(私も最初は分からなかったが)常連さんが「ベット終わった?そうしたら、このボタンを押すんだよ」と教えてくれたっけ・・・
松戸サニーランドにあった”任天堂レジャーシステムEVRレース”

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像
又、ある日(大学生の頃)家族で松戸サニーランドに行った時、メダルゲームを家族で遊んだ。プッシャーもあったが、競馬ゲームの機械に惹かれた。記憶をたどると”任天堂レジャーシステムEVRレース”ではなかったか?と思う。この競馬ゲームはレース展開が正面のモニターに表示されるが、予め決められたアニメーションになっていた。
シグマ社の「ザ・ダービーV0」に比べ、”任天堂レジャーシステムEVRレース”は非常に簡素な作りだった。モニターに展開するレース展開には一定のパターンがあり、プレイしている子供達が事前に「あ、2-3だ」とか「これは1-5」と呟いていた。何らかの攻略法があったのか?これはどういう事なのか調べていたら”やましんのメダゲー&パチスロ懐古厨ブログ”に書かれていた。

やましんさんによると当時はオープンリールによるビデオでレース展開を作っていたらしく、レースごとにビデオテープを巻き戻す。実は巻き戻すときのランプの点き方で、次のレース展開がわかるのだとか・・・うーん!こんな裏技があったとは。ただ、競馬ゲームは動きが単純すぎて、夢中に成るほどの魅力には欠けていたっけ・・・
この”任天堂レジャーシステムEVRレース”は亀有南口のゲームフジ亀有に暫く置いてあったと思う(1983-4年頃)。当時、何故か妹を連れて行ったことがあった。
EVRについて
EVRというのはビデオ方式がVHSになっていく過程で複数あったビデオ形式の一つです。CBS社が開発したElectronic Video Recording(EVR)というビデオ録画システム
下記のリンクは英語のページですが、EVRについて書かれています。任天堂はこの形式を使ってゲーム機を作ったわけです。
マコトママリンには笑った
時間が数年遡るが、1981年にセガから発売されたセガの”New Grand Derby”ゲームに出遭った。これは松戸駅西口の交番前、マクドナルドの上。馬はモニター上でアニメーションのレース展開に過ぎないシステムだったが、毎回パターンが違っていて、”任天堂レジャーシステムEVRレース”に比べてかなり工夫の跡が見られ夢中になった。
ベット終了後にダークホースになると払い戻しが二倍になった。レースが始まるまでのBGMは草競馬でノンビリとしていた。馬名は殆ど忘れてしまったが、一頭だけ覚えていたのがマコトママリン。楳図かずお作のマコトちゃんからもじったらしきこのユニークな馬名に微笑んだ。
メダルのクレジットに苦労
この”New Grand Derby”ゲームは当たりメダルを物理的にクレジットしていく機能が無かったので、次のゲームが始まるまでに次のプレイの為のメダルをいち早く投入しなければならず、考える暇の無い状態になる。また、大当たりで、大量メダルが吐き出されている間、次のレースのベットが出来ない。
大当たりにはツラ目が大切なので、次のレースを何もせず待っているという訳にはいかない。この為、隣のテーブルにメダルを入れて次のレースをする猛者も居た。この話を聞いて、予めたくさん入れておけばいいじゃないか?と思われる方も居るかもしれないが、その考え方は現実的ではない。理由はあるが、それは詳しくは述べない。
ところが簡単に解決出来てしまった
あの欠点の為に訓練され、皮肉にも早くメダルを投入できる様になった人も多いのでは?とほくそ笑む。ところが、これを簡単に解決する方法があった。それは、大当たりがあった際、メダルの吐き出し部を手で抑えて、メダルが出来ない状態にすれば、自動的にクレジットへの加算に切り替わる。そして、それ以降のレースは全て、当たりメダルがクレジット加算される。
先述したように”New Grand Derby”ゲームはセガの商品だったが、人気機種だったらしく、シグマ社の経営するゲームファンタジアの各店にも置いてあった。
あなたはゲームセンターに行くとどういう人に眼を向けるか?

Steve SawuschによるPixabayからの画像
初めてゲームセンターに入ったとする。どこかのメダルゲームで大当たり(JP)を出した人がいるとする。多分普通の人であれば、大当たりを出している人に目を奪われるのは当然の事だと思う。ある意味、羨望の眼差しで見るかもしれない。私もああいう感じで出そうかな!面白そう!と思った。
しかしながら、その人は想像ほど格好良いものではないかもしれない。高額の授業料無くして、あの派手な賭け方に達しない。つまりお金を積めば積むほど、あなたもなんとかあの境地に達するかもしれない。しかし、同時に失うものも大きいかもしれない!だからこそ、面白いのだろうね。
最後に
ある意味私にとっての黒歴史のようなものであるが、一面楽しかったあの頃・・・という思い出でもある。そんな頃の事について書いてみました。





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