昭和の松戸を歩く

昭和の松戸を歩く 昭和の松戸を歩く
昭和の松戸を歩く

松戸のおもちゃ屋さん、模型屋さんについて

松戸駅付近にはいくつも独立系のおもちゃ屋さんがあった。現在は殆ど無くなっている。覚えているのは、東府屋さん、わらそうだろうか?私にとってはやはり春雨橋沿いにあった東府屋さんがもっとも印象が強い。スーパーボールが流行った頃、何度もお店に行った
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松戸にかつて存在したサニーランド、スターランド、ダイエーレジャーランド等のアイススケート場

松戸にはかつて存在した3つのアイススケート場、サニーランド、新松戸スターランド・アイススケートリンク、ダイエーレジャーランド新松戸アイスアリーナについて思いをはせる。松戸はアイススケート王国だった!松戸レジャーセンターを入れると4つになる。
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拓銀松戸支店のちらし

1971(昭和46)年頃配られた北海道拓殖銀行松戸支店の出店案内の広告を自宅で見つけました。この広告を読み込んでいくとその当時の松戸の町が見えてきます。懐かしいお店もあります。これを2022年3月現在の視点から当時の広告をみていきたいと思う
電車よもやま話

古書:常磐線松戸取手間の電化について

"常磐線松戸ー取手間の電化について"とは昭和23年11月1日発行による交通技術第28号の記事で、記事の著者は伊藤伊好さん、財団法人交通協力会発行、同協力会の石原巖さんが発行した。現在殆どの列車は電化されているが、当時はまだまだ発展途上だった
昔日の松戸

小根本の原風景

松戸市小根本は昭和30年代までは台地の上の谷津で、かなり遊んだ場所で、自分の遊び場のテリトリーに入っていた場所です。小根本の山の湧水の池、現在の松戸税務署付近から見た水田の広がった雰囲気、父と一緒に歩いた雑木林のシバグリなど思い出がたくさん
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松戸旧市役所通りについて

松戸市役所は元々は松戸三丁目にあった。現在のキテミテマツドの駐車場。母が松戸にお嫁に来た頃は三丁目のキテミテマツド用の駐車場ビルの場所に市役所があった。松戸税務署もあり、所謂官庁街だった。昭和の松戸の元官庁街にあった建物について調べてみた。
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かつて竹ケ花踏切以東にあった松戸市竹ケ花商店街(旧水戸街道)

常磐線複々線化によって閉鎖された竹ケ花の踏切以東には松戸市竹ケ花商店街があった。そのお店を一つ一つ思い出していきたい。我が実家はかき氷販売から始まった。かき氷は缶ジュースの出現で衰退したという人が居たが冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した
昭和の松戸を歩く

松戸市道の商店・飲食店・会社

昭和30年代前半に、市役所が根本に本館を建てた事で、竹ケ花には松戸市道が開通する事になった。旧水戸街道から胡録台まで。この松戸市道が出来たことで、市役所に行くことや竹ケ花のお墓にいくことが便利になりましたし、小規模ですが、飲食店や商店が出来た
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昭和時代の松戸市立北部小学校あれこれ

昭和の頃の松戸市立北部小学校やその周辺について、思いだす限り書いています。中には父から聞いた話も書きました。私が小学生だった頃と現在の北部小学校及びその周辺は激変しています。新坂川は水辺に降りられる川でしたが、治水の為に護岸工事されてしまった
昭和の松戸を歩く

戦後の竹ヶ花根本南花島一帯とヤマザキパン工場

昭和30年代とはすっかり変わってしまったヤマザキパン工場周辺、竹ケ花、南花島、根本を中心にして、昭和22年の国土地理院の空中写真を使用しつつ、私が子供の頃(昭和30年代ではあるが)を思い出し、果たしてどんな風に変わったのか、記録として残したい