昔日の松戸昭和の松戸を歩く松戸行脚

拓銀松戸支店のちらし

たくぎんマーク 昭和の松戸を歩く
たくぎんマーク 1971年頃の広告
スポンサーリンク
スポンサーリンク

北海道拓殖銀行

この投稿は松戸行脚にて、2006年に投稿した記事を復活、内容をアップデートしたものです。当時、実家で北海道拓殖銀行松戸支店の出店案内の広告を見つけました。この広告は多分昭和46年4月頃と思われます。

たくぎん広告

たくぎん広告
1971年頃の広告

北海道拓殖銀行は1998年に破綻し他銀行に営業譲渡という形で吸収されてしまった。現在は存在しない銀行です。松戸支店が出来たのが多分1971年前後なので松戸では30年弱の命だった事になります。北海道拓殖銀行松戸支店はその後中央信託銀行松戸支店に統合され、中央三井信託銀行松戸東支店→中央三井信託銀行松戸支店と変遷している。

北海道拓殖銀行は明治以降北海道開拓の為の国策銀行として作られ、それは第二次世界大戦終戦まで続いた。

北海道拓殖銀行 - Wikipedia

戦後は普通銀行の仲間入りになった訳です。北海道拓殖銀行に入れることは北海道ではエリートの証の様なもので、とにかく北海道では絶大な力を持っていたという伝説的な話を聞いたことがあります。ただ、バブルの頃の急拡大を進めすぎたのが、仇となって破綻してしまったようです。

北海道拓殖銀行経営破綻とは何だったのか
拓銀破綻は1997年11月17日。この記事を書いている時点で10年目になり ました。あの衝撃は今でも道民にとって忘れられない出来事の一つです。  正式名称は「北海道拓殖銀行(ほっかいどうたくしょくぎんこう)
【北海道拓殖銀行「最後の頭取」84歳】標的となった拓銀と私大手銀行トップとして前例のない1年7ヵ月の刑務所服役金融関係者も知らない事実
1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻したことをご記憶の方も多いだろう。  1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した巨大銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融...

それが破綻してしまったのだから怖い物ですね。何気ない広告の中に興味深い部分がありましたので少しずつ検証をしてみたいと思います。

朝日新聞デジタル:1997年 北海道拓殖銀行が破綻 - 北海道 - 地域
朝日新聞デジタル:記事「1997年 北海道拓殖銀行が破綻」
スポンサーリンク

アクセスマップ

アクセスマップ

アクセスマップ
1971年拓銀広告より

松戸三角ビルの所

この地図には聖徳大学下の東山観音の前にガソリンスタンドとありますが、このガソリンスタンドのあった場所には後の松戸三角ビルが建ちます。2022年3月現在はこの松戸三角ビル一階にはメガネスーパーが入っています。従って、この広告の当時はまだ三角ビルも無くガソリンスタンドがあったという事です。

東山観音

聖ミカエル教会

又、聖ミカエル教会と書かれています。昭和40年代まではここに瀟洒な教会が建っていて、松戸駅東口を降りると正面の斜面林の左側に聖ミカエル教会が見えましたっけ・・・下の写真はその当時の写真です。

聖ミカエル教会・幼稚園

聖ミカエル教会・幼稚園
松戸市勢概覧より

イトーヨーカ堂が建設される時に、聖ミカエル教会はこの場所から立ち退き、現在の位置に移動しました。

聖ミカエル幼稚園

扇屋

又、扇屋が2つありますね。扇屋ホームセンターと扇屋です。一番最初に出来たのは扇屋ホームセンターの土地で、後のデンキランドかな?2022年3月現在はアスタシオビル(加藤ビル)のある所。最初はこちらが扇屋として出来て、店舗面積の問題からでしょうけれど、現在新東京病院横の立体駐車場ビルがありますが、その土地にもう一軒の扇屋が出来ました。

過去に存在したジャスコの店舗 - Wikipedia

それにしても扇屋は昭和44年に初出店してから二年程度で新店舗を造ってしまったのでしょうか?当時の活況を感じるような気がします。

菓子店=森栄堂ビル

又、菓子店という文字が見えますが、これは根本にあった森栄堂の姉さんの持ちビルで、菓子類を売っていた。今のホテル・ゲーツインの隣です。

たくぎんのあった場所

現在マンションが聳えている付近に拓銀はあったらしい。ただ、何故か私はたくぎんの記憶が薄い。

スポンサーリンク

松戸市医院病院マップ

松戸市医院病院マップ

松戸市医院病院マップ
たくぎん昭和44年広告

次は付録の松戸市医院病院マップです。こういう便利帳を付けて広告を捨てさせない様にしていた事が分かります。

松戸ボウル

さて、青文字で13と書かれた左斜め上に松戸ボウルというのが見えます。この松戸ボウル跡にアーバンヒルが後に出来ます。

ダイエー・Dマート

Dマート(当初はダイエー、Dマートに変わった後、再びダイエーに)がありませんね。従って、青13から赤11までは通しの道になってます。現在は途中に公園とDマートがあり通しにはなってません。上の航空写真は国土地理院の空中写真で、1979-1983年の間です。中央にDマートがあり元踏切のところから旧水戸街道まで、斜めにダイエーを跨ぎながら薄っすらと道路のラインが見えます。

モンダ書店

松戸ウオ○ズ(アマチュア映画)より、モンダ書店

松戸ウオ○ズ(アマチュア映画)より、モンダ書店

また、図の左上の青12付近に電報電話とあります。まだNTTになる前です。現在はNTTは無く、ただ建物だけは残ってます。さて、赤61のところに字が消えてますが、モンダ書店があります。ここで付録付きの冒険王を買いに行った思い出があります。また、そのすぐ下に中部小があります。従って移転する前であり、伊勢丹も当然ありません。

公益質屋・色川書店

松戸旧市役所通りについて
松戸市役所は元々は松戸三丁目にあった。現在のキテミテマツドの駐車場。母が松戸にお嫁に来た頃は三丁目のキテミテマツド用の駐車場ビルの場所に市役所があった。松戸税務署もあり、所謂官庁街だった。昭和の松戸の元官庁街にあった建物について調べてみた。

赤19,20のところに色川書店があります。ここは古本屋でして、ここには当時まだ踏切があった時代です。色川書店の右に図書館があります。当時は市民会館の中に図書館がありました。色川書店付近には赤24に隠れてますが、公営質屋というのが見えます。当時はこの辺りにそういうものがあったのですね。

また、松戸駅東口側、青11のところに住吉書店というのが見えます。これは岩瀬の十字路の森谷ストアー付近にあった本屋です。今はありません。

説明

説明

説明
たくぎん広告
1971年

積立定期
ご都合のよいとき、100円以上ならおいくらでもお積立てできます。3ヶ月以上5年以内で満期日もご指定自由。2年以上は複利計算されるのでおトクです。お利息は定期預金と同じで、1年半以上の預入の場合は年6%。

ジャルパック預金
月づきの収入からの天引預金で海外旅行が実現。お預け入れは初回2万円以上、毎月3,000円以上、機関は3ヶ月以上3年以内です。

ヤングパック預金
楽しみながら未来のユメを築く若い人の預金。【たくぎん】の各種ローンのご利用やおトクな情報が得られる特典がいっぱい。お預け入れは初回5,000円以上、毎月3,000円以上。定期の場合は3万円以上、期間1年以上です。

進学積立プラン
【たくぎん】と旺文社の提携で、学資と学力づくりを一度にできる預金。目標額は30万円以上、期間は3年以上です。お利息は、年6%。

 

説明-1

説明-1
たくぎん広告
1971年

ホームプラン積立預金
お預け入れはいくらからでも。6ヶ月以上お積立てになると、ご預金額の3倍までをご融資(30万円~1,000万円まで)。生命保険つきで、ご返済期間は1年~15年の長期です。

【たくぎん】のキャッシュレス・サービス
給料の振込み
サインでお支払いができる故人当座預金小切手(パーソナルチェック)
不足分をご用立てする暮らしのチェックレジット
JCB・HCBカードの自動支払い
学資など毎月一定額の送金に定額自動送金
お近くのポストでお店へのお支払いが済む【たくぎん】ジローサービス

【たくぎん】のおトクなマルユウ制度
マル優制度は、お1人のご預金額100万円までのお利息に税金がかからないおトクな制度です。ぜひ、【たくぎん】のマル優をご利用ください。

 

それにしても、定期預金の利率がとても良いことが分かります。年6%何て今ではありえませんね。ジャルパック預金なんてものがあったのですね!良く子供が行くからジャリパックなどと揶揄されることもありましたね。ヤングパック預金なんてのも響きが良い。`楽しみながら未来のユメを築く若い人の預金`実に良いですね

さて、面白いのが右にある個人小切手についてです。他の銀行では当時どの位普及していたのか分かりませんが、日本で小切手というと普通は企業であって個人は少なかったのではないでしょうか?私は香港滞在中に小切手を持って支払いに使ってましたがとても便利でした。何故日本ではやらないのかと思ったほどです。

マル優というのもありましたね!

最後に

2022年改めてこのたく銀の広告をみて、隔世の感が在るなあ・・・と感じました。考えてみるとあの当時は公害で川も、海も、空気も汚れていましたが、それ以上に未来への期待がいっぱいでした。銀行利率も良かった。こんな願いは無理でしょうけれど、あの頃に戻りたいですね!笑

コメント

タイトルとURLをコピーしました