昭和の松戸のプールと水泳
昭和初期
父が幼い頃、松戸での水泳の授業は江戸川だったそうだ。私の小学生の頃は、江戸川での水泳は危険と言われていて、泳ぐことは無かった。特にお盆の間は死者が水中から足を引っ張ると言われ、戒められた。その様子をポスターにしたものが立てかけてあった記憶がある。実際江戸川の樋野口・古ケ崎付近は水の流れが独特だ。
中央表面はゆったりしているのだけれど、少し端に近づくと流れが乱れている箇所があり、多分深さが異なる為、川の下面の流速が早い為ではないかと思われる。その為、油断して入ると脚を取られそうになるし、底面は冷たい水が流れているので足がつる事もある。実際、非常時の船が江戸川を行き来する為に、浚渫をしているらしく、その部分は水の流れが変わっている様だ。
からめきの瀬
柴又と矢切の間は、浅瀬があり、硬い岩盤が底面を守っていたらしい。浅いが為に歩いて対岸に渡れた箇所で、国府台合戦の際には、馬に乗りながら渡れてしまった為、戦のネックになった箇所だと聞く。からめきの瀬について、葛飾区郷土と天文の博物館で展示を見て、調べ始めた人のページを見ると面白い。
この人は手探りで古文書を調べたらしく、参考になる部分も多い。例えば、
- 更級日記にはかがみの瀬という記述があり、からめきの瀬を指しているらしい。
- 関東ローム層の下の硬い岩盤が出ている箇所があり、それがからめきの瀬の場所
- 舟の櫓(ろ)が岩盤にあたり、ガラガラと音がした事からガラめく→からめく→からめきとなったのでは?
今度メールしてみよう。以前、からめきの瀬を歩いて渡るを試した人のブログがあった。途中で浚渫した箇所は渡れなかったそうだが、あのページを再び見てみたい。
江戸川での水泳:現在は不可。危ないからやめてね!
グループを組んでいるようなので、何らかの指導の下に行われていたのだと思われる。大正、昭和初期の絵葉書と考えている。写真右にこんもりとした森が二つ重なって見えるが、奥の森は国府台の公園(里見公園だと思う。その手前のこんもりとした森は和洋女子大学のある所、という事はこの場所は、真間川の河口付近ではなかろうか?
市川倉庫株式会社については分からなかった。大阪に戦後創業のいちかわ倉庫株式会社という会社があるが、関連は不明。江戸川での水泳は現在は不可の筈で、危ないので、やめてくださいね。
昭和40年代以降
上のマップは昭和40年以降に出来たプールです。拡大縮小しながら見てください。
松戸市市営プールの出来た頃
上の記事は広報まつど1967(昭和42)年7月20日号に掲載された市営プールの記事。この翌年に子供用プールもオープンしたらしい。初めて泳いだのは確か、翌年である昭和43年の夏だったと思う。同級生と東口の三角ビル前付近ある長い階段を上がって行った。まだこの当時はイトーヨーカ堂が無い頃で、ヨーカ堂横の階段もヨーカ堂内の階段も無論使えなかったという事になる。
確か、10円か20円くらいの料金で入れたと思う。数年前、相模台に上った時にあの市営プールを探したら無かった。どうやら現在は上本郷の運動公園のプールや和名ヶ谷のプールを使うのかもしれない。この市営プールが出来る前は一中のプールを市営プールとして使い、補助的に千葉大の園芸学部のプールも使用していたようだ。一中に関しては下記の広報まつど昭和34年7月15日の記事を参照。
アルトピア:流れるプール
実は行ったことが無い。ここは松戸市立常盤平中学校の南側のユニディ松戸ときわ平店(ホームセンター)が建っている場所に存在したプールで現存しない。常盤平駅下車となっているが、駅から歩くとそれなりの距離がある。でもこの当時はみんなウキウキ向かうので、距離は関係なかったのかもしれない。ちなみに地図で見ても八柱駅、常盤平駅、五香駅のどの駅からも大して変わらない距離。
下記に新聞記事を張り付ける。松戸よみうり(昭和59年7月14日号)の記事です。
人気!県内初登場の
ジェットスライダー ときわ平・アルトピア
全長百六十メートルの流れるプールに加え、ときわ平・アルトピア(香西義夫社長)に県内では初の”ジェットスライダー”がお目見えし、ちびっ子の人気を集めている。
このジェットスライダーは、高さ十一メートルから二つある半円筒形のスロープ(全長九十メートル、強化プラスチック製)を開店しながら水と一緒にすべる”水のスベリ台”。
スリルとサスペンスあふれる十数秒の感想を子供たちは、「ひっくりかえりそうで怖かった」「終りの方がスピードがついて面白い」などと語り、再度のチャレンジを楽しんでいた。
ちなみに危険度ゼロ。おまけに入場者は無料で利用できるのが、人気の秘密。その他、二十五メートルプールと幼児プールがあり、親子で楽しめる。詳細は、アルトピア電話85-1080まで
柏の人がブログでも書いていて、当時の看板などが映っている。
アルトピアという名前を聞くと、何となく松戸の古くからの資産家のT家をイメージするが、良く分からない。流山にアルトピアという設備の会社があるが、それと関係するのかどうなのかも分からない。今後調べてみたい。
そういえば、中学生の頃だったか、まだ小さかった妹も一緒に豊島園の流れるプールに行ったことがあった。妹が流れるプールの中で突然流され、見えなくなった時はかなり慌てたっけ・・・松戸で流れるプールというと、現在は、和名ヶ谷のプールがあり家族で行った。コロナ禍になる前に何度か行った。大人300円子供100円で手ごろな金額で泳げる。
スポーツスクエア松戸
このスポーツスクエア松戸にセントラルスイミングが水泳スクールを運営していて、鈴木大地がセントラルスイミングクラブで練習しているという事で、多くの子供や大人も習いに行っていたのではないかと思う。私はもう一つ行く気になれなくて、結局隣のコンビニしか行かなかった。ただし、松戸のセントラルスイミングに鈴木大地が来たかどうかは分からない。知らない。
この場所は元々竹ケ花古墳の繋がりのあった高台で、戦前は防空壕もあったと聞く。昭和29-30年頃、新京成電鉄が開通するという事から切通しになり、丘は削られ露頭が見え、暫く建設会社のスペースがあったが、ある時にスポーツスクエア+コンビニ(ワンダーマート)が出来た。現在はオーク(産婦人科病院)となっている場所である。
ENJOY鐡道チャンネルさんによるYoutube画像
上記動画の40:43付近にスポーツスクエア松戸の白い建物が見えます。懐かしいです。改めてご覧ください。
復活・激レアビデオさんによるYouTube画像
上は復活・激レアビデオさんの下記の動画からスクリーンショットしたものです。下記動画を改めてごらんください。スポーツスクエア松戸は45:15付近から右側の緑色防炎ネットの建物です。
サニーランド
サニーランドについてはアイススケートの事で書いた。夏はプールで冬はアイススケートの二毛作で運営していた。ただ、サニーランドへは、松戸駅からだと高台の上で距離もそれなりにあったので、バスでピストン輸送をしていた。それが、イトーヨーカ堂並びの東山観音の付近だったと思う。ただ、私自身は竹ケ花の実家からだと一々駅近くのバス停に行くよりも歩いていく道を選んだ。
6月22日~9月7日となっているので、7月、8月の約二か月強の営業だったのだろう。
スターランド系列
スターランドは二ツ木の某有名な資産家が、作ったプール。中学生の頃友達に誘われ行ったことがあった。ただ、スターランドの開業は1970(昭和45)年で、武蔵野線の新松戸駅が出来たのが1973(昭和48)年だったので、最寄りの駅が新松戸となる前は、馬橋駅か北小金駅から行くしかなかった。その為、私にとってはえらく不便な場所に出来たという印象があった。
確かピストン輸送のバスも出来たと思うのだが、そういう地理的な条件もあって、行ったのは1回か2回程度だったと思う。
ユーカリスイミングクラブ
概要 | |
場所 | 松戸市常盤平1-12 |
運営 | 新松戸室内プール株式会社(松戸市二ツ木3番地 新松戸スターランド内) |
開業 | 1979(昭和54)年7月 |
敷地 | 約1300m2(約400坪) |
設計施工 | 清水建設 |
建設費 | 3億5千万円 |
施設 | 1階:事務室、ボイラー室、トレーニングルーム、ロッカー、シャワー
2階:25mプール7レーン、4*8mのサブプール |
会員管理システム | 沖電気OKITAC システム9 |
場所は常盤平駅北口のオートテニス場の隣にあった。
新松戸スイミングクラブ
場所:新松戸3-300
松戸運動公園・和名ヶ谷のプール
実は運動公園のプールは行ったことが無い。和名ヶ谷のプールはある。流れるプールで面白かった。今後資料が集まり次第、アップロードする。これらは現存するので、いつ行っても見られる。
最後に
昨今、公立学校のプールが減りつつあるのだそうだ。大きな原因は少子高齢化で、生徒が減っている状況の中で、自前のプールは経費が掛かるんだそうだ。また、先生も忙しい所にもってきて、生徒たちの安全を確保しなければいけないというのは負担が大きいのだそうだ。
勿論、一年というミクロの話しになれば、外注の方が高いが、これをロングスパンで考え、プールの修繕、改修などを考慮に入れると外注が良いのではないの?という話になるらしい。世の中変わってきますね!
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