レジャー昭和な遊び昭和の松戸を歩く

松戸にかつて存在したサニーランド、スターランド、ダイエーレジャーランド等のアイススケート場

アイススケートリンク 昭和の松戸を歩く
Photo by LOGAN WEAVER on Unsplash
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松戸に存在したアイススケート場

かつて松戸にはいくつかのアイススケートリンクが存在しました。そして、大会を目指す若い才能ある人達が切磋琢磨していました。残念ながら今はどれもありませんが、記録として何処に会ったのか、その他の情報を残したいと思います。

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松戸にかつてあったアイススケート場は知っている限りで、四箇所あったがそのどれもすでに現存しない。

  • サニーランド(国道六号線沿い、ニトリ横のヤマダ電機の場所)
  • 新松戸スターランドアイススケートリンク(関さんの森近く)
  • ダイエーレジャーランド新松戸アイスアリーナ(新松戸ダイエー)
  • 松戸レジャーセンター(上本郷の本福寺の比較的近い場所)

OpenStreetMapを使用し、存在した位置をマークアップし、改めて見たら、何故か新松戸付近に2つも存在していたことに気がついた。開発しやすさがあったのだろうか?

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4つのアイススケート場について

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サニーランド

サニーランド

サニーランド 2001年撮影

ジェーソンの看板も見える。

サニーランド広告

サニーランド広告 松戸よみうり昭和61年10月25日掲載より

サニーランドは1969(昭和44)年07月03日に開業、2006(平成18)年9月24日閉業で37年間営業をしていた。サニーランドは遊びの施設がこれでもか……というくらいあったので、それぞれの施設がいつからいつまであったという事はよく覚えていない。スケートリンクも同様。

ボーリングの情報であるが下記の通り

  • 運営会社:サニーレジャーシステム株式会社
  • 開発会社:松戸開発株式会社
  • 設計・施工:株式会社中野組
  • 住所:〒271-0092 千葉県松戸市松戸2289
  • レーン数:オープン当時は1,2階で50レーン、その後30レーン
  • ピンセッター:Brunswick
  • オートスコアリングシステム(AS):シャープ
  • 旧名称:第2松戸ボウル(80レーン)
  • 楽天地松戸店(280台)
  • プールパーク松戸(ビリヤード)40ポケット

esu.738 さんのインスタグラム投稿によるサニーランドの広告

 

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特別機動捜査隊でもロケに選ばれたサニーランド

昭和後期を愛でるブログ(仮)さんのブログで特別機動捜査隊でロケに選ばれた”特別機動捜査隊 第563話 陽のあたる町”を取り上げていらっしゃいます。サニーランドを始め、松戸駅西口が区画整理される前の様子が描かれていて、とても懐かしいです。このビデオを持っている方がいらっしゃいましたら、是非見たいのですが、ご連絡いただけませんか?

 

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サニーランドバッティングセンター

サニーランドのバスがスリランカで?

これは情報をアドバイスしてくださるうしとらさんからの情報で、どうやらスリランカでサニーランドのバスが走っているという記事のあるブログ。下記です。

スリランカを走る日本車たち

このページの後半で、松戸サニーランド(千葉県松戸市)2005年12月コロンボのコッルピティヤKollupitiya, Colomboにての記事なのだが、笑ってしまう。実は私がスリランカのコロンボに住んでいた頃、住んでいたのがColombo 4のBambalapitiya(バンバラピティア)のDavidson Roadだった。

現場があった、Lotus RoadまでGalle Road沿いを通り毎日通っていたが,Bambalapitiyaの次のエリアがKollupitiyaだった。自宅からはすぐ隣の場所である。BambalapitiyaもKollupitiyaも両方とも-pitiyaという語尾がある。これは土地という意味。それでは、Kollupitiyaの意味は分かりますか?これを話し始めると長くなるので、簡単に書きます。

時は1664年、国王だったRajasinghe Ⅱ(ラジャシンハ2世)が悪政だったらしく、臣民が憤慨していたそうです。そこで、三人のキャンディの酋長が国王の交代を計り、12歳の息子を王位に就かせようとした。その内二人は消されてしまいまいしたが、残ったUdanuwara Ambanwela Appuhamy(アバンウェラ・アプハミー)だけは、オランダ人に手渡してお仕置きをしてもらおうと思った。

ところが彼はオランダ人と仲良くなり、オランダ人から海沿いの大きな土地を与えられ、ココナッツ・プランテーションを構築したわけです。そのプランテーションは拡大し、文句を言わなかった原住民の土地を奪ってしまった。そこで彼らは農園を「略奪された土地」を意味する Kolla-ke-pitiya(コラケピティヤ)と呼ぶことによって、暗に報復した訳です。

このKolla-ke-pitiyaが訛って、Kollapitiyaとなったようです。その歴史ある土地でサニーランドのバスが走っているなんて、面白い。

新松戸スターランドアイススケートリンク

新松戸スターランド広告

新松戸スターランド広告
月刊まつどNow 1985年12月号(ロン・メディアハウス発行)より

新松戸スターランドアイススケートリンクは大阪万博が開催された昭和四十五年頃の開業。まだ、武蔵野線が開通する前で当然ながら新松戸駅も無かった。武蔵野線開通は昭和四十八年。その為施設名の頭に「新松戸」とは冠されず、単に「スターランド」と呼ばれていた様に思うがどうだろうか?オープン当初竹ヶ花に住んでいる私がスターランドに行く場合、馬橋か北小金駅から歩いていった記憶がある。

スターランド

スターランド 松戸よみうり昭和62年9月26日広告より

送迎バスがあったと思うが覚えていない。昭和四十八年に武蔵野線が開通し新松戸駅が出来たことで、最寄り駅は新松戸駅になったのだと思う。実は北小金駅から歩いても新松戸駅から歩いてもそんなに距離が違うわけではなかったと思う。スターランドと聞くと何となくボーリング場もありそうだが何故かそれは無くて、夏はプール、冬はアイススケート場という営業だったはずだ。

あのスターランドも二代目社長の頃、バブル景気に合わせ多摩地区などの山林買収など積極的な投資をしていたが、1993年に倒産した。現在、同地はライオンズマンション。

上の空中写真は国土地理院より利用していて1978-80年頃の状況です。中央に見える白い建築物がスターランド、左斜め上から下に放物線を描いているラインが武蔵野線、写真上部の森が関さんの森、右の校庭がある場所が市立小金南中学校。

40歳を過ぎてから自然観察に目覚め、何度も関さんの森に通っている。また、同時に松戸の歴史に興味を持ち、主にサブカルな歴史を紐解いてみて初めて、その後あの関さんの森のすぐ近くにこのスターランドがあったと気が付き、今に思えば不思議な感じがする。

補足:植村七之助納札貼り込み帖さんのブログの記事で、”新松戸スターランドとプールとCT110。2008年1月号の24 催主 閑話“に小冊子の写真とともに解説がある。
新松戸スターランドとプールとCT110。2008年1月号の24 催主 閑話 | 植村七之助納札貼り込み帖
新松戸スターランドというのが、松戸市二ツ木にあった。 創立は昭和45(1970年)だ。 今はもう無い。 ライオンズマンションになっている。 ...

ダイエーレジャーランド新松戸アイスアリーナ

新松戸アイスアリーナ

新松戸アイスアリーナ広告、松戸よみうり広告より

新松戸駅は昭和四十八年に完成したが、暫くの間新松戸の区画整理エリアは建物が殆ど無かった。四、五年後、パストラルなどの高層住宅が出来てから徐々に様相が変わってきた。そして、やっと昭和五十六、七年あたりにダイエー新松戸店がオープンした。スケートリンクは最初からあったと思う。新松戸アイスアリーナは従ってかなり後発組だった。

有名プロスケーターも来てデモをやったらしいが、私は行っていないので分からない。平成七年に閉店。上に貼ったスターランドの広告を見るとダイエー新松戸店にスイミングプールがあった様に書かれている。という事は同じ経営者が運営していたという事かな?その点が謎。

ただ、廃業時のメッセージが下記のURLにあり、この時点では(株)ダイエーオリンピックスポーツクラブという運営会社が運営していた様だ。これはサロン・ド・YAMYAMさんのページの一部です。

SKATE-SHINMATSUDO ICE ALENA CLOSE

 


松戸レジャーセンター

松戸にあったアイススケート場として上本郷にあった松戸レジャーセンター。当初ボーリング場だけだったと思っていたが、どうやらスケート場があったらしいので加えた。当時の電話帳に書かれていた。下写真は北松戸駅を背に六号線を見ると現在のマルエツ辺りのビルの屋上に松戸レジャーセンターの広告があった。松戸市市勢要覧1971年より

松戸レジャーセンター看板

松戸レジャーセンター看板 松戸市市勢要覧1971年より

何年前だったか、松戸レジャーセンター跡地に行ってみたことがある。しかしながら、スケート場が出来るくらい広い土地があったのかどうかと考えてみたが、どうもそれは疑問。私が中学生くらいの頃の事なので、どうしても思い出せない。

とりあえず、当時の電話帳をアップします。

松戸レジャーセンター昭和46年電話帳

松戸レジャーセンター
昭和46年電話帳

ちなみにこの上本郷2414という住所は現在存在しない。

松戸レジャーセンターにはアーチェリーもあった

あの上本郷にあった松戸レジャーセンターで私は初めて洋弓(アーチェリー)というものを遊んだ。指導員の人が懇切丁寧に教えてくれた。それは弓を引いた時に矢羽の辺りを顎の高さに持ってくるが、矢の先と矢羽、目の位置がちょうど三角形を成すが、自分の目から見た矢の先の方向を若干?よりも少し下に向けないと?には当たらない・・・と教わった。その考えで洋弓を射ってみると不思議に的の中心近くにあたったものだ。

アーチェリー

アーチェリー Photo by Annie Spratt on Unsplash


 

こぼれ話

私は自然のアイススケート場で遊んだ

アイススケート

アイススケート

小学生の頃は小根本公園の近くに大きな池があって、冬になり氷が張るとよく遊びに行った。通学用の運動靴で滑る。それでも十分楽しかった。ただ、自然の池だけに穴があるのに知らずにその上をすべり、冷たい池に落ちたことがある。アイススケートが出来るくらいなので、冷たい。落ちた氷から這い上がろうにも何故かベルトが氷にひっかかって上がれなかった。あの時はどうなるかと思った。

小根本の原風景
松戸市小根本は昭和30年代までは台地の上の谷津で、かなり遊んだ場所で、自分の遊び場のテリトリーに入っていた場所です。小根本の山の湧水の池、現在の松戸税務署付近から見た水田の広がった雰囲気、父と一緒に歩いた雑木林のシバグリなど思い出がたくさん

最後に

この投稿は2017年頃に作成し、2021年に内容をアップデートして再投稿したものです。

コメント

  1. U・M より:

    初めまして
    自分が松戸サニーランドを知ったのは、意外にもプロレスの
    パンフレットででした。
    スタン・ハンセンが初来日した全日本プロレスのパンフの日程表に
    「松戸サニーランド・スケートセンター」と書いてあり、それで
    興味を持って・・・1999年~2001年位でしたか・・・・
    行った事が有りました。
    当初は「もしかして大きな遊園地?」と思っていましたが
    実は船橋ヘルスセンターみたいな一寸した総合娯楽施設だったんですね。

    その4年後に閉鎖され、結構寂しい思いをした事を覚えています。

    • U・Mさん、
      コメントありがとうございます。
      スタン・ハンセンが松戸にも来ていたんですね!
      松戸では運動公園しかないのかと思っていましたが、サニーランドのスケートセンターでもプロレスが行われていたとは!驚きです。
      もうスタン・ハンセンも引退しましたが、再び彼のウエスタンラリアートを見てみたいなあ・・・
      私がプロレスに夢中になったのは、まだ馬場と猪木がタッグを組んでいた日本プロレスの頃でしたっけ・・・ゴングを買っては分解写真の技の写真を集めたっけ・・・
      あと東京スポーツとかね!

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