昔日の松戸昭和の松戸を歩く

小根本の原風景

小根本公園昔日の松戸
Google Street Viewより
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はじめに

この投稿は2019年7月に発表した内容を元にアップデートした内容にしています。

表の家の掲示板に書いてくださった方の情報を読み、石破茂さんが三井銀行員だった当時、松戸の小根本公園の近くにあった社員寮に住んでいらっしゃった事を知りました。大変興味がありましたのでこれをもう少し調べ、自分自身の記憶と照らし合わせ、小根本の地区の事を中心に書いててみました。

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石破茂さんと松戸

石破茂さんが居た頃の松戸市小根本

 

ホッピーなど - 石破茂(いしばしげる)ブログ
石破 茂 です。 今週月曜日、恒例の日本食糧新聞社主催「食品ヒット大賞授賞式...

石破茂さん住んでいらっしゃった時期は、入行した1979(昭和54)年から1983(昭和58)の4年間だったようです。社員寮の場所は松戸市小根本の小根本公園の崖側に建っていました。石破茂さんのブログにはこの様に書かれています。

「昭和54年から58年まで,「ホッピー」を愛飲していた新入社員時代が、人生で一番楽しかった時だったかも知れません。時は安定成長期、初任給は八万円弱、週休二日など無く、千葉県松戸の社員寮を朝6時半に出て、ほとんど終電で帰る日々でしたが、終電前の一時間ほどほとんど毎晩のように先輩に連れられて神田の「一番鶏」なる焼鳥屋で飲んでおりました。
信じられないような話ですが、日曜日に寮ですることもなくゴロゴロしている時、「早く月曜にならないかな」と思ったのは、仕事よりもこのひとときの飲み会が楽しみであったからのように思います。在勤していた三井銀行本町支店も、「一番鶏」も今はもうありません。時は確実に流れ去っていて、無性に寂しくなります」

石破茂オフィシャルブログ:ホッピーなど(2016年2月26日 (金))を参照。

年代的に私とほぼ同じなので、どこかで袖擦れ合う事もあったかもしれません。石破さんのブログでは松戸の飲み屋の事は書かれていませんが、なにかエピソードがあれば是非お伺いしたいものですね。

石破茂さんが松戸に住んでいた頃を語る

うしとらさんより情報をいただきました。ありがとうございます。早速アップしておきます。石破茂さんが2017年に斉藤健さんの応援演説に来た時の動画です。5:00くらいから見てください。松戸に住んでいた頃の話を少しだけですが、されています。

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松戸市小根本の昔のお話

昭和39年の地形図で見た小根本

1964(昭和39)年の地形図

1964(昭和39)年の地形図に説明を加えた

1964(昭和39)年の地形図に説明を加えましたこの地形図が出来た頃は、修正がまだ追い付いていない様で、すでに整地された水田跡も水田として表現されている様です。地図の古さがどちらかというと、昭和35年くらいじゃないかと思います。上の地形図が私にとっての小根本の原風景に近いものです。

この当時は税務署は無くて、税務署の”署”と書かれた字の辺りに立ち小根本の崖方面を見ますと水田というよりも大きな沼が広がっているような里山的な雰囲気がありました。この景色は強く印象が残っています。税務署の一帯は小山の様になっていて、そこにはお墓がありました。

我が家のお墓も山の上にありました。後にこの山を崩し隣の区画に集め、フレール松戸というマンションが出来ました。

消滅した竹ヶ花古墳とお墓引越しのお話-実はとても大変だった
松戸の衛星都市計画の一環で、松戸の田畑、空き地、雑木林など、次から次へと住宅地になっていった。松戸市竹ケ花の実家付近に古墳時代に作られた「竹ケ花古墳」があったが、新京成電鉄敷設やマンション化の為に消滅してしまった。これを記録として残す。

昭和20-25年頃の空中写真を現在の地図に落とした

フルスクリーン表示

上記の図は小根本の雰囲気をもう少し広範に描いたもので、1945-1950年の空中写真から、山林と水田についてピックアップし、現在の地図に落とし込んだ図です。前節の昭和39年の地形図に比べると昭和20年代はもっと山林が多く、水田も広がっていた雰囲気がわかると思います。

私にとっての小根本の原風景

小根本の原風景

小根本の原風景

税務署と書かれたところの左に市道がありますが、これは昭和34-35年頃に開通した道路です。私の母はこの市道を歩くと「両側が水田だらけだった」と言っておりました。市道の市役所側は池田弁天様のある場所です。

この界隈には後に(昭和41年頃かな?)公団住宅が建てられ、”ときわ”というショッピングセンターが入居、廃業し、奈良屋が入居、廃業、そして土屋家具センターが入居、廃業と繰り返し、現在は建て替えて新しいマンションになっている場所です。

京葉ガスのビルやスタータクシーも出来ました。

父と歩いた雑木林

昭和30年7月、雑木林前を走る新京成電鉄

昭和30年7月、雑木林前を走る新京成電鉄

又、この地形図の当時、新京成電鉄の線路沿いを歩くと雑木林があり、父と歩いた思い出があります。道沿いにシバグリ(ヤマグリ)の木があって、父がイガを外し私に栗を与え、その場で食べた記憶があります。それがとても美味だった。

栗

Federico MadernoによるPixabayからの画像

あの雑木林も今はありません。あの界隈には後に松戸青色申告会やセキネハイツ、小根本コンドが出来ています。ここには希望的には昭和30年7月に雑木林前を新京成電鉄が走っている写真を掲載を希望しています。著作権の関係がありますので、手書きスケッチを書いて代用してます。出版社に掲載許諾のお問合せしましたが、今の所お返事がありません。

すぐにでもご覧になりたい方は本屋さんで、「新京成電鉄・駅と電車の半世紀 彩流社 2012年刊」を購入しご覧ください。

冬にはアイススケートをした湧水池

湧水池と書かれた場所がありますが、この湧水池は区画整理の後、昭和41-42年頃によく行った場所で夏になるとザリガニ釣り、冬になると氷が張ってアイススケート(と言ってもズックで滑るだけですが)で遊びました。ところが氷の薄いところがあって、私は落ちたことがあります。

Ice Skate

missartemによるPixabayからの画像

三井銀行の社員寮は上の地形図で言いますと、上述しました湧水池と書かれたエリアに後に建てられました。時期はは未調査ですが、多分昭和50-52年くらいの頃じゃないかと思います。つまり私が子供の頃ザリガニ釣りやアイススケートで遊んだ場所に後に石破茂さんが住んだことになります。

この一帯は区画整理組合によって整地は昭和39年頃から昭和42-43年ころにかけて行われた様です

小根本土地区画整理

小根本区画整理前

小根本区画整理前

区画整理前
松戸市土地区画整理組合連合会発行した「未来への遺産」より

小根本区画整理後(換地後)

区画整理後

区画整理後
松戸市土地区画整理組合連合会発行した「未来への遺産」より

換地後、中央に大きな白抜きの区画がありますが、これが小根本公園

小根本公園付近

小根本公園付近の換地前

小根本公園付近

松戸市土地区画整理組合連合会発行した「未来への遺産」より

小根本公園付近の換地後

換地後

松戸市土地区画整理組合連合会発行した「未来への遺産」より

中央右の大きな白抜き区画が小根本公園です。道路を挟んで南側の区画に後の三井銀行社員寮が建設されます。

空中写真による小根本の変化

空中写真で小根本が激変した姿を残しておきます。

市道が出来た後の1963(昭和38)年の空中写真

1963(昭和38)年の空中写真

1963(昭和38)年の空中写真(国土交通省国土地理院より)

この当時はまだ山林が目立って残っています。水田もはっきり見えます。小根本公園の付近が台の上にある谷津を構成している感じがわかるでしょうか?

1966(昭和41)年の空中写真(国土交通省国土地理院より)

1966(昭和41)年の空中写真

1966(昭和41)年の空中写真(国土交通省国土地理院より)

この昭和41年にはすでに区画としてはかなり進み、道路や小根本公園の区画が見えてきてます。まだ山側に緑が残っています。公団が完成してますね。ここにショッピングセンターときわ→奈良屋→土屋家具センターが入居します。

1970(昭和45)年の空中写真(国土交通省国土地理院より)

1970(昭和45)年の空中写真

1970(昭和45)年の空中写真(国土交通省国土地理院より)

この昭和45年にはほぼ区画としては完成しており、小根本公園の区画がしっかり見えます。又、湧水池の辺りが区画整理されてしまっています。そして、家屋がポチポチと建設されている様子が分かります。税務署らしき建物も見えますし、市役所の新館らしきが見えます。随分と早く新館建設されたんですね。

2013(平成25)年空中写真(国土交通省国土地理院より)

2013(平成25)年空中写真

2013(平成25)年空中写真(国土交通省国土地理院より)

これを見ますと山林だった所が本当に少なくなったことが分かります。

奈良屋について

奈良屋広告

奈良屋 松戸商工会議所冊子より

昭和41-42年頃だったか、住宅公団の建物の地下中一階と中二階に奈良屋が入った。我が尊敬するI女史によれば、実は短期間であるが、ニュートキワショッピングセンターなるお店があったんだそうだが、私は覚えていない。松戸奈良屋は千葉市の奈良屋の支店であったが、総店舗面積が小さくて、デパートというには規模が小さすぎた。

奈良屋の頃、地下には中華料理「松苑」があって、海鮮そばを食べたことがあった。この奈良屋はブルーチップであったか、グリーンスタンプであったか忘れたが、買い物をするとくれるシールがあって、それを集めると景品と交換出来た。このスタンプ制のはじまりのプロモーションとして、レシートを集めれば、相応のスタンプをもらえるとあって、何故か私は落ちているレシートを探しに行ったっけ・・・

その後、奈良屋はなくなり、土屋家具センターになり、その土屋家具センターも倒産して、今同地にはマンションが建っている。

小根本の土地(地盤)の事

小根本の土地(地盤)について、資料をご覧になって元々の状況がお分かりになったかと思います。小根本の殆どの場所は元々水田で沼状になった場所で、地盤が必ずしも良い場所ではないと言えます。技術の向上で現在建設される建物は多分(?)問題を少なめにして施工されていると思いますので、心配しすぎる必要は無いと思います。

メクマンの311後の状態

2011年311後のメクマン

2011年311後のメクマン

ただ、古い建物に関しては難しい部分もあるようで、例えばゲームセンターのメクマンは311の地震で一部が崩落してしまったらしく、移転を余儀なくされました。行き先はみのり台だったと思います。そのみのり台のメクマンも無くなりました。メクマンはレトロなマシーンが多くて、おもしろい場所でしたので、残念ですね!

メクマンについても書いてますので、ご興味のある方は下記からどうぞ!

オモロン・ゲームinメクマン 松戸
メダルゲームが大好きで、主に通ったのはSigma社直営のゲームファンタジア。Sigma社のメダル機械は魅力があり、その機械が置いてある店にもよく通った、一つは松戸駅西口のゲームセンターインベーダー、もう一つはオモロン・ゲームinメクマン松戸

最後に

この投稿は2019年に作成したが、色々と事情があって、しばらく影に隠れていたページでした。2022年1月末、思うことあって、復活させる事にしました。メクマンの壊れた写真を見ていたら、もう少しメクマンの写真や記事があった方がいいかもしれないと思い内容の充実化を図ってみました。最初の出だしは内容が固いのですが、後半はメクマンで柔らかくなったかな?笑

関連ページ

オモロン・ゲームinメクマン 松戸
メダルゲームが大好きで、主に通ったのはSigma社直営のゲームファンタジア。Sigma社のメダル機械は魅力があり、その機械が置いてある店にもよく通った、一つは松戸駅西口のゲームセンターインベーダー、もう一つはオモロン・ゲームinメクマン松戸

コメント

  1. うしとら より:

    石破さんの件、
    下記の動画で一瞬ですけど、小根本に住んでいた時のことをお話されています。
    https://www.youtube.com/watch?v=60qEKzrfnE8&t=340s
    の5:00くらいのところです。

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