つれづれなお話私には”じじっ毛”がある 子供の頃よく聞いた言葉にじじっ毛という言葉がある。曾祖母が使っていた言葉だ。うなじの付近、つまり盆の窪に子供が三才まで毛を残し、残りは髪の毛を剃ってしまう。この残された毛がじじっ毛。子供が転びそうになると神様やご先祖様が摘まんで助けてくれる2023.03.21つれづれなお話消えゆく風習
松戸のお宝昭和11年発行古ちらし:伸び行く松戸(概要編) 1936(昭和11)年12月5日松戸町役場によって発行された”伸び行く松戸”という栞がある。松戸の町並みが鳥瞰式で書かれていて見ていて面白い。東京側ではあるが、江戸川堤桜も描かれている。裏面松戸の解説は情報量も多く何回かに分けて投稿したい。2022.04.162022.10.05昔日の松戸松戸のお宝
松戸のお宝千葉県松戸町鳥瞰図 松井天山図 松井天山の描いた松戸町鳥瞰図には昭和五年と昭和十二年の二種類がある。所有しているのは昭和十二年版であり、これは常磐線の上野-松戸間の電化を記念して作られたものである。今回はこの昭和十二年版について、少々説明を加えながら当時の松戸の姿を考える2022.03.202022.12.25千葉県のお宝松戸のお宝
松戸の古絵葉書古絵葉書:國寶万満寺大修理記念 下総国馬橋駅(駅より二丁) 国宝大修理記念 下総国馬橋駅(駅より二丁) 法王山万満寺 推定年代は1918(大正七)年~1933(昭和八)年 法王山万満寺の仁王様が修理された記念の様だ。年代がよくわからないが、 推定年代は1918(大正七)年~1933(昭和八)年...2022.02.23松戸のお宝松戸の古絵葉書
昔日の松戸小根本の原風景 松戸市小根本は昭和30年代までは台地の上の谷津で、かなり遊んだ場所で、自分の遊び場のテリトリーに入っていた場所です。小根本の山の湧水の池、現在の松戸税務署付近から見た水田の広がった雰囲気、父と一緒に歩いた雑木林のシバグリなど思い出がたくさん2022.01.292022.12.25昔日の松戸昭和の松戸を歩く
松戸のお宝松戸市の昔の案内パンフ:まつど 観光と産業 松戸市観光協会が昭和35年頃作成、発行した”まつど 観光と産業"というパンフについて、公開したい。松戸市企業誘致条例要旨という項目があり、これは多分企業誘致の一貫で、発行されたものだと考えている。昭和35年代の自分が子供の頃の松戸を思い出す2022.01.252022.12.25松戸のお宝
松戸の古絵葉書古絵葉書:国宝 馬橋万満寺繪端書 1256(建長8)年に下総国守護千葉頼胤が万満寺の前身となる真言宗大日寺を創建する。室町時代 千葉満胤が臨済宗の寺院として再興、足利氏満の満にあやかり万満寺と命名。1537(天文6)年高城胤吉よりこの地を寄進された・・という訳でとても古い寺2021.12.052022.02.23松戸の古絵葉書松戸行脚
松戸の古絵葉書古絵葉書:松戸市観光名所 松戸市商工会議所に観光協会があった頃か、当時発行された松戸市の観光名所の絵葉書である。どうやら観光協会が発足して間もない頃に作られた絵葉書らしい。その風景は2021年現在と変わらないものと、変わった池田弁天、五香の善光寺などが挙げられる。2021.11.18松戸の古絵葉書
松戸の古絵葉書松戸風景絵葉書(松戸 福岡書店発行) 古き良き時代、昭和初期の松戸の風景を絵葉書にしたもの。私が小さい頃もこれら写真絵葉書に近い風景が街のあちこちに残っていた。当時、春雨橋付近にあった福岡書店さんが発行した絵葉書。昔のイメージを残す素敵な写真をよくぞ残してくれた。ありがとう2021.11.122022.12.25松戸の古絵葉書
平潟松戸・平潟神社の不思議(方位について) 平潟神社は松戸市立図書館の比較的近い場所にある神社。その平潟神社のある平潟という土地は、ある時期、ある意味で非常に松戸の経済を潤したエリアだったとも言える場所。神社の境内のいくつかの石造建築物が物語る。その中で、社殿の向きについて考えてみた2021.08.292023.05.07平潟松戸行脚