つれづれなお話消えゆく風習

私には”じじっ毛”がある

赤ちゃん つれづれなお話
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神様がじじっ毛を摘まんで助けてくれる

転ぶ

いらすとや
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転びそうになると神様やご先祖様が‘じじっ毛‘を摘まんで、転ばぬ様、助けてくれる・・・というお話。

髪置の儀

江戸時代まで髪置の儀という風習があった。

これは生まれて7日目に、良い髪が生えますようにと願い子供の髪の産毛を剃る。全て剃ってしまうのではなく、盆の窪(ぼんのくぼ)と呼ばれる部分(襟足中央の延髄、窪みの部分)は残して剃る。3歳になったら髪置の儀があり、髪の毛を伸ばし始める。男女とも同じ。

盆の窪(ぼんのくぼ)は人間の急所でもあるので、それを守る為という意味があったろうし、又、子供が転んで火鉢などに手を突っ込みそうになった際、神様やご先祖様が盆の窪に生えている毛(即ち‘じじっ毛‘)を摘んで助けてくれる。

曾祖母と私

曾祖母と私
昭和31年頃

曾祖母が私の襟足を触りながら「ご先祖様(背後霊)がいつもじじっ毛をつまんでお前を転ばないようにくれる」と囁きかけた。曾祖母は松戸市大谷口新田の名主、Y家の出。曾祖母の長男であった啓蔵は若くして他界した。その啓蔵の命日がお彼岸の前日だった。そして私の誕生日が同じお彼岸の前日。曽祖母は私を「啓蔵さんの生まれ変わりだ」と喜び、殊更に私を可愛がってくれた。

曾祖母によると、私には何歳になっても‘じじっ毛‘が残っているという。‘じじっ毛‘があれば、簡単に転ばない筈だ。何故なら神様や仏様が助けてくれるからだ。

「お前はよく転んだよ」

Bike

ダ鳥獣ギ画
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ところが母に云わせれば

「お前はよく転んだよ」

実際私はよく転んだ。頭が大きくて、重心が上の方にある為かもしれない。根本保育園に通っている頃本当によく転んだ。その為膝頭が生傷が絶えなかった。そうそう、20代の頃だったが、死にかけた事もある。それはバイクで左折車に巻き込まれた交通事故だ。合計二回。一回目は南花島で相手は同級生。二回目は国道六号線で相手は全くの他人。

幸運にもヘルメットを着用していた。それで死なずに済んだ。しかし、人から忠告された。

「二度ある事は三度ある。三度目は死ぬよ」

法律的な責任は車に及ぶかもしれない。然し、バイクが左折車に巻き込まれるというのは、バイクの前方不注意が主な原因ではなかろうか?少なくとも私の時はそうだった。こんな初歩的ミスで二度もぶつかるというのはバイクを乗る資格が無いという事に違いない。私はすっぱりとバイクをやめ廃車にした。

人間生きているだけで丸儲け

 

幸運

G.C.によるPixabayからの画像

明石家さんま曰く「人間生きているだけで丸儲け」

この文章を書いている令和五年現在私は生きている。バイクの事故以降も良く転んだけれど、死ななかったのは‘ジジッ毛‘のおかげかもしれない。三度目の事故を起こす前にバイクを止めたのはこの‘じじっ毛‘があったからこそだと思う。お守りなのかもしれない。ご先祖様にお礼を言わないといけない。と思いつつ私の盆の窪あたりを触る。

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義経記に書かれた盆の窪

烏帽子 - Wikipedia

義経記巻第六(国民文庫本)忠信最期の事において下記の様に記述されている。

「白き小袖に黄なる大口、直垂の袖を結びて肩に打ち越し、咋日乱したる髪を未だ梳りもせず、取り上げ、一所に結ひ、烏帽子引き立て押し揉うで、盆の窪に引き入れ烏帽子懸を以て額にむずと結ひて、太刀を取り差し、俯きて見れば、未だ仄暗くて、物の具の色は見えず、敵はむらむらに控へたり。中々中を通りて、紛れ行かばやとぞ思ひける」

義経記巻第六(国民文庫本)

佐藤忠信(佐藤四郎兵衛忠信)は源義経に使える忠実な家来、義経四天王の一人と言われた。『義経千本桜』の「狐忠信」こと「源九郎狐」のモデルになった人で、義経の都落ちに同行する。宇治付近で義経と分かれ都に潜伏、中御門東洞院に居る所を襲撃され最終的には自害する。

上記を読んでいただければ分るが、義経記巻第六(国民文庫本)忠信最期の事にも盆の窪という文字が登場する。貴族は立烏帽子をしていたが烏帽子は、激しい動きをすると外れてしまったり、髪の毛が無いと実際は脱げてしまうので、武士は折烏帽子(又は侍烏帽子)を使ったようだ。詳しくは分からないが、烏帽子についてのYoutubeがあるので、最後にご紹介します。

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