つれづれなお話

つれづれなお話つれづれなお話

2003年から始めた表の家において、”つれづれなるままに”は表の家における中心的なコンテンツだった。その後、表の家のスタイルの模索が始まり、紆余曲折があり、過去の投稿は消えた。しかし今読んでみても、ああ・・・と感慨深いものもある。これを抜粋で復活させ、内容をアップデートして再スタートさせたいと思う。

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卵の話し

最近は卵が高くて買いづらくなった。シンガポールでは6個1000円程度売られているらしい。ただ、子供だった昭和の頃を考えると当時も高かった。香港での玉子かけご飯に始まり、玉子かけご飯について書いていたのだが、いつの間にか論点がずれたかも・・・
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復刻版:懐いたタガメ

タガメは文字通り田圃のカメムシで、似た生き物のゲンゴロウとは異なる。世の中変わったもので、このタガメを食する人たちもいる。中国、台湾、香港、シンガポールなどで私は色々な食べ物を食べてきたけれども、タガメはどうしても食べられない。蕁麻疹がでる
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復刻版:花火のお話-1

現在花火を買うにはスーパーマーケットに行くのが普通だと思う。我が松戸では、ダイエー、イトーヨーカ堂、マミーマートやジェーソンでも売っている。そんな大型店の無かった昭和の頃、夏が近づくと駄菓子屋、文房具屋で大小様々な花火が売っていた。くじでも買えた。
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私には”じじっ毛”がある

子供の頃よく聞いた言葉にじじっ毛という言葉がある。曾祖母が使っていた言葉だ。うなじの付近、つまり盆の窪に子供が三才まで毛を残し、残りは髪の毛を剃ってしまう。この残された毛がじじっ毛。子供が転びそうになると神様やご先祖様が摘まんで助けてくれる
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復刻版:「最近断酒中につきお誘いご遠慮願いします」・・・by ある男 より

一人でフラフラと居酒屋の暖簾をくぐるのが好きだった私、実は色々な要因で、外飲みしなくなってしまった。その為か、当時は松戸の夜の事情が良く耳に入ったけれど、今は全く入らなくなった。この傾向がコロナ禍でさらに加速された。もっとも家飲みも楽しい。
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フロッピーディスクの話し

1980年代までは記録メディアの種類はそうは多くなかったが、1990年代から色々なメディアが登場し、栄枯盛衰というのか、消えていったものも多い。当初はフロッピーディスクに頼っていたが、HDDがエラーでデータが消えてからはオンラインに頼る様に
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犬のお話-5 犬の気持ち

昭和の頃、空地を遊んでいるとよく放し飼いの犬に追いかけられた。番犬に吠えられる事も多かった。犬は集団行動の中で生きていく動物なので自分の仲間であるのか否やか真っ先に考えるのであろう。空地も少なくなり人間以外の生物が生きにくい世の中になった。
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私版”私の履歴書” 建築設計(いざ浜松へ)

四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。この話は、就職して浜松に常駐する頃
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人との繋がり:今自分の隣にいる人の正体の話し

知らない人とお話しする楽しみがある人とない人が世の中にいる。一人で初めてのお店に飛び込めるのは私の性格なのかもしれない。或いは自分の好奇心の為だろうか?それはそれで楽しい。何故なら、自分の業界では知りえない話もあるからだ。ある意味独身生活が
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私版”私の履歴書” 建築設計(学生の頃)

四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。お世話になった建築設計へ愛をこめて