つれづれなお話

松戸の黒砂

砂鉄 つれづれなお話
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松戸の黒砂

自然観察

いらすとや
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令和5年11月下旬、自然観察の先輩である護さんから「田中利勝先生による自然観察会があるよ」と連絡があり、参加することにした。高台から江戸川沿いを歩き市川方面まで歩くコースでした。

観察の主対象物は植物でした。ふと江戸川の河岸・水際を見ると波打ち際に砂があり、降り立ってもう一度よく見るとそれは黒砂でした。妙に黒い色をしていた。あの黒砂は一体なんなのだろうか?そう思いながら自然散策会は終了し、後日調べてみることにしました。

黒砂の正体

製鉄

Dirk HoenesによるPixabayからの画像

江戸川の黒い砂について記述しているページ調べてみましたが、残念ながらありませんでした。ただ、特徴などを調べていくと、それはどうやら砂鉄ではなかろうか?と考え始めました。仮に砂鉄だとすれば、磁石で収集出来るのではなかろうか?

しかしながら、疑問もありました。つまりこんな疑問でした。

  • 「砂鉄って鉄でしょ?」
  • 「鉄であれば、水の中でいつまでも黒いままでいられるのだろうか?」
  • 「水と空気に触れれば赤く錆びるんじゃないの?」

このような疑問は持ちつつも、机上で調べても限度がありそうだったので、いくつかの場所で調べてみる事にしました。

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黒い砂の採集

採集

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取り合えず、黒砂を見た地区-1の黒砂と上流の地区-2の黒砂の採集をしてみました。あまりにどっさりあったので、怖くなって具体的な場所について書けなくなってしまいました。ご了承お願いします。

地区-1:令和5年12月22日採集

黒砂

地区-1の河岸
12月22日撮影

あえて、場所は伏せ、地区-1としますが、上の写真の左が黒い砂です。右側はシルト系です。この黒い砂に磁石を近づけたのか下の写真です。

磁石と黒砂

地区-1の河岸の黒砂様子
12月22日撮影

磁力で黒砂が強く反応している様子が見て取れると思います。これは砂鉄でしょうね。

地区-2:令和5年12月10日採集

地区2の土砂

地区-2の土砂
2023年12月10日撮影

地区-2は地区-1よりも2キロほど上流の場所です。地区-2の河岸は思ったほど黒い砂は目立たなかったものの、磁石で水中の砂を揺さぶるとかなり取れました。

地区-2の黒砂

地区-2の黒砂
2023年12月10日撮影

これを乾かしたものが下記の写真です。

乾燥させた黒い砂

地区-2河岸の黒砂
2023年12月10日撮影

そこでこれを磁石を近づけ持ち上げるとこんな感じです。

持ち上がる黒砂

地区-2河岸の黒砂
2023年12月10日採取

これはどうやら砂鉄らしい。しかしながら鉄であるとさびて赤くなるのではないか?と思いがちだが、実はすでに酸化しているらしい。つまり鉄その物ではなく、どうやら酸化鉄の一種らしい。そこで、千葉県で産出される鉄の化合物にどんなものがあるのか調べてみた。

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千葉県産出の鉄化合物

鉄

Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

TrekGEOというページの”千葉県から報告された鉱物および鉱産物”というページを参照する。

千葉県から報告された鉱物

このページで千葉県で産出記録のある鉄の化合物は下記の通り

  • Almandine(鉄ばん柘榴石)
  • Chromite(クロム鉄鉱)
  • Ferrosaponite(鉄サポー石)
  • Goethite(針鉄鉱)
  • Hematite(赤鉄鉱)
  • Ilmenite(チタン鉄鉱)
  • Magnetite(磁鉄鉱)
  • Pyrite(黄鉄鉱)
  • Pyrrhotite(磁硫鉄鉱)
  • Siderite(菱鉄鉱)
  • Limonite(褐鉄鉱)

千葉県ではこれだけ色々な鉄の化合物が産出されてきた過去があるという事が分かる。

砂鉄として産出された化合物

鉄

Angel ChavezによるPixabayからの画像

これだけたくさんある中で、千葉県内で所謂砂鉄として産出された鉄の化合物を調べると:

  • Magnetite(磁鉄鉱) 
  • Hematite(赤鉄鉱)
  • Ilmenite(チタン鉄鉱)

の三つである事が分かった。また、この中で自然環境の中で強い磁性を持つものはMagnetite(磁鉄鉱)であり、千葉県内の佐貫鉱山、名洗(銚子市)、飯岡鉱山(旭市 屏風ヶ浦)を始め千葉県内の圧倒的な数の場所で見つかっている砂鉄が磁鉄鉱の様だ。

それぞれの特徴

和名 英名 化合物名 特徴
磁鉄鉱(じてっこう) magnetite 四酸化三鉄 黒色で金属光沢がある。結晶は正八面体。強い磁性を持つ
赤鉄鉱(せきてっこう) hematite 酸化第二鉄 黒から銀灰色、茶色から赤茶色ないし赤色、磁性は弱い
チタン鉄鉱(ちたんてっこう) ilmenite 黒色または灰色の鉱物、磁性は弱い。磁鉄鉱と混在、磁石を用い分離できる

ただし、それぞれが単独にあるとは限らず混ざり合って産出されるらしいが、磁石によって磁鉄鉱の砂鉄を集めることは出来るらしい。

岩石中に少量含まれている造岩鉱物(副成分鉱物)

副成分鉱物

上のページに磁鉄鉱、赤鉄鉱、チタン鉄鉱について書かれているので興味のある方はご参照あれ!

千葉県の砂鉄採取について

植野英夫氏の”明治以降の千葉県における砂鉄採取について”

植野英夫氏の”明治以降の千葉県における砂鉄採取について”を読んでいくと、歴史とからめ千葉県での砂鉄採取の実態に触れており非常に参考になります。

これを読んでいくと下記の事が分かった。

  • 明治以降近代化を急ぐため、製鉄が国家事業として進められた。
  • 製鉄の原料となる鉄鉱石の埋蔵量は全国的に少ないので、砂鉄に目を付けた。
  • 千葉県は海浜で砂鉄の埋蔵量が多く、砂鉄採取が行われた。
  • 千葉県では昭和30年代以降京葉工業地帯の埋め立ての為徐々に採取できる場所が少なくなった。
  • 千葉県での製鉄の為の砂鉄採取は昭和50年を迎える頃には無くなった。
  • 千葉県の海浜での砂鉄採掘跡はサンドポンプで埋め立てた。
  • サンドポンプで埋め立てた場所は液状化・流動化現象が起きた場所がある。

千葉県各地の砂鉄

富津の砂鉄

富津の砂鉄

銚子の砂鉄

事務局ブログ - 銚子ジオパーク
銚子ジオパーク

外川漁港付近の「犬若鉱山」だったようだ

一宮町,一宮海岸(長生郡)の砂鉄

世界の砂と日本の砂 一宮海岸 千葉県長生郡一宮町
スキャナーで撮った美しい砂の画像集です。みなさんから寄贈していただいた砂も画像にして公開しています。

上総アカデミアパーク(上総丘陵)の砂鉄

 

30.かずさアカデミアパークと古代の製鉄・寺院遺跡
    • 8世紀前半、二重山(ふたえやま)遺跡、山下遺跡で製鉄が始められていた。
    • 上では砂鉄を炭で溶かし鉄素材を得る精錬炉、炭窯などが発見。
    • 8世紀中頃には、製鉄遺跡に隣接する上名主ヶ谷(かみなぬしがやつ)窯跡では、硬く焼かれた須恵器や瓦の生産が始められ、古代の先端技術ともいえる製鉄・窯業が矢那川上流に展開。

大網の砂鉄

大網白里市-大網白里市デジタル博物館:大網白里町史

稲毛の黒砂海岸

稲毛海浜公園のリニューアル 白い砂浜への改修について
いなげの浜をリゾート感のあふれる白い砂浜へと改修する養浜工事が完了しましたのでお知らせします。

千葉市稲毛海浜公園の「いなげの浜」には8億円かけてオーストラリア産の白い砂が撒かれ注目を集めたが、完成から6日後に直撃した台風19号により、白い砂は飛散し、白黒混合の砂浜になってしまった。実は稲毛という場所は昭和30年代までは千葉街道(国道14号線)付近まで海岸がせまった場所で、海水浴場としては有名だった。

しかし、高度経済成長の影響で海岸の埋め立てが始まった昭和 30 年代半から昭和50年代まで順次埋め立てが進み、元の海岸線からは2KM前後埋め立てられている。稲毛には黒砂という場所があり、稲毛の黒砂海岸と言われた所以であるけれど、つまり稲毛の海岸の砂は元々、黒砂であった訳で、ここに白い砂を撒いたけれど、うまくいかなかったという残念な話である。

松戸の砂州について

下谷の歴史 干潟のゆくえ 財団法人新松戸郷土資料館

下谷の歴史 干潟のゆくえという本がある。この本はどちらかというと農業という視点から見た新松戸周辺やもっと広い範囲の松戸、風習、習慣、川などについて書かれている興味深い本である。私の曾祖母が大谷口新田の名主の家出身であった事からそのルーツについて調べようと思い、当時ここの館長だった大井弘好さんには一度聞き取りに行ったことがあった。

砂州

フルスクリーン表示

上図は下谷の歴史 干潟のゆくえのP30の砂州と書かれた地図(松戸の江戸川沿いにかつてあった砂州の位置を表している図)。これをデーター化しOpenStreetMapに載せたものである。フルスクリーン表示をクリックすると拡大してみることが出来ます。

松戸の砂州について

この本のP28-30に砂州について書かれている。主なポイントをあげると下記の通り

  • 流山市の番場から下総台地に沿って、九ヶ所の砂州があった
  • 江戸川の洪水によって出来た江戸川沿いの二か所の砂州は砂畑と呼ばれていた
  • 春の端境期に高値を呼んだ二年子大根の産地としてこの砂州が利用された。
  • 黒味をおびた砂州は春の日をよく吸収し地温を高め、また水はけもよいので品質のよい野菜が育った
  • ビニールが普及する昭和30年頃までこの良質の田尾地での生産が続いた
  • 伝兵衛新田の砂州砂出ともいい、江戸川沿いの砂州の中でも粒子の荒い砂で、ここだけはよいサツマイモがとれたといわれていた
  • 下流部の古ヶ崎、樋野口は砂州ではなく粒子の更に細かい粘土質の土で、-中略- 荒木田といい地力がありどんな作物も品質がよく、特にコカブには最適な土といわれていた

ここでいう黒味を帯びた砂州とはつまり磁鉄鉱を含んだ砂の事ではなかろうか?となると昭和30年頃はビニール栽培ではなく、黒い砂(砂鉄が多く含まれる)が熱を吸収しやすい性質を利用して、農作物を育てていたことが分かる。素晴らしい知恵ですね驚きます。

荒木田(あらきだ):東京荒川沿いの荒木田原に産した粘着力の強い茶褐色の土で、土壁、園芸、今戸焼の土、相撲の土俵などに使われる土で、同様の性質をもった土の一般名称としても使われた用語である。

山陽・山陰地方の砂鉄

出雲國たたら風土記 鉄の道文化圏

中国地方の「たたら」の特徴 - 「たたら」とは - 鉄の道文化圏

上記ページを読み従うと、中国地方における製鉄遺跡の概要として、下記の点が言えるらしい。

  • 6世紀後半から11世紀頃まで――製鉄遺跡が吉備国に集中
  • 11世紀から16世紀頃まで――中製鉄遺跡が国山地周辺、石見・出雲に移動
  • 風化した花崗岩が土砂として水路を流れ、最終的に砂鉄になる状況(山砂鉄?)

磁鉄鉱系列の花崗岩に由来した、純度の高い真砂砂鉄という事になるようだ。

砂鉄産地の推定

砂鉄の構成要素で、産地を推定しようというユニークな研究をされている神奈川県立横須賀高等学校の木浪信之教諭の研究が興味深いです。

古代生成鉄の元素分析による原料砂鉄の産地推定

神奈川県立横須賀高等学校 教諭 木浪信之氏

この実験によって、下記の事が分かるとされていた。

  • Ti の含有量やV/Ti 値によって、真砂砂鉄と赤目砂鉄に大きく分ける。
  • 真砂砂鉄はMg,Cr,Ba の指標元素の含有量で区別
  • 赤目砂鉄はNi,Ca,Zr の指標元素の含有量で区別
  • 入間川の赤目砂鉄はNi/Ca 値が非常に大きい
  • 三浦半島の赤目砂鉄はZrが他の地域に比べて少ない

これは近い地域であると同じマグマを基にしている為、似たような元素構成になるのではないか?という考えのようだ。

 

神話

スサノウノミコトを祀る神社との関係

高田知紀、梅津喜美夫、桑子敏雄氏らによる
東日本大震災の津波被害における 神社の祭神とその空間的配置に関する研究

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejsp/68/2/68_I_167/_pdf

出雲国風土記

『出雲国風土記』に見る鐵 - Ⅱ たたら製鉄に見る“本物”の魅力 - 鉄の道文化圏

これは 出雲國たたら風土記 鉄の道文化圏 というページですが、出雲国風土記には鉄に関する記述があったという事を述べ、「スサノオノミコト=韓鍛冶からかぬち」説についても説明しています。これはあくまで説ですので、断定ではありませんが、非常に興味深いものだと考えています。

 

私たちの柏の歴史~牧から街へ~
千葉大学 環境健康フィールド科学センター

古墳時代から奈良時代にかけて、鉄鉱石を用いた製鉄遺跡が中国山地の山陽側、近畿地方の近江で発見されていますが、平安時代以降は全国的に砂鉄原料に変わりました。古書によれば、出雲・伯耆・備後・備中・美作・播磨などの中国地方を中心に、筑前・筑後・肥前・能登・常陸・上野・越後・武蔵・相模・陸奥など全国にわたって砂鉄の産出が知られていました。

弥生時代末期に伝えられた製鉄技術は「野たたら」といい、山の中程の風通しの良い斜面に炉を作って、砂鉄と薪を積み上げて、自然の風力によって幾日も火を燃やし、わずかな鉄を得ていました。やがて技術の進歩に加えて、風雨の憂いなく操業できる屋内工場となるのが 13 世紀の半ばです。

たたら吹き精錬法の屋内工場は、「高殿」と呼ばれる特殊な建物で、この移行によって、鉄は産業として量的生産が可能になったといえるでしょう。たたら精錬に用いられるのは砂鉄です。砂鉄は採取される場所により、山砂鉄・川砂鉄・浜砂鉄に分けられます。上質なのは風化した母岩から直接採取する山砂鉄で、たたら精錬では山砂鉄を使うのが普通でした。

たたら吹きによる製鉄業は、慶長年間時代を境に勃興し、その後経営の無秩序から、一時衰えましたが、江戸中期になるとふたたび興隆して、野たたらから屋内のたたらへと進化し、その後明治 10 年代に到るまではたたら吹きの全盛時代でした。

しかし、明治政府による近代製鉄の導入や、原材料である木炭生産の制約(「鉄は大量の木材(森林)を食い尽くす」といわれる)によって徐々に衰退に向かいました。たたらの炎を見つめてきた職人・古老達も、生き残っているのは極めて少なくなってきました。

そうした状況でも、江戸中期の製鉄業再興に際して著わされた貴重な製鉄技術書が記録として残されていることが、今日のたたら製鉄法の復元へと通じました。今日でも、ただ1か所島根県鳥上で年に 1 回、昔ながらの「鉄穴流し」が行われ、この方法で山砂鉄から木炭銑に精錬され、安来の日立金属に送られ、高級特殊鋼の原料となっています。

千葉県埋蔵文化財

千葉県埋蔵文化財分布地図 改訂版

ご意見・アドバイス

新松戸の地盤改良に

このページを作成したら、うしとらさんから早速のお便りを受け取りました。それはどうやら新松戸の区画整理の際、その地があまりに地盤が弱いため、サンドドレーン工法を地盤改良の為に採用したらしいという内容でしたが、どうやらその際に砂鉄を使ったらしい。

サンドドレーンとは地盤の弱い所にケーシングパイプを打ち込み、そこに砂を注入押し固める事で、垂直荷重に耐えられる地盤を作るものの様です。どうやらその砂に砂鉄或いは砂鉄の混じった砂を注入したらしいのですが、文献が今のところ見つかりません。あの当時の区画整理組合の記録や大倉邦夫伝が図書館にあるはずなので、一度調べてみようと思っています。

最後に

江戸川で見つけた黒い砂はどうやら砂鉄だった様で、以前金山神社のページを作った際少し触れたが、以前金山神社のページを作った際に元々続いていた市役所側の山から凝塊砂鉄岩を発見し、古代の鋳鉄遺跡と認定したという記録を紹介した。

金山神社と清水講-金山神社を支えた人々
金山神社は大変魅力のある場所で、奥が深く私の大好きな神社の一つです。その神社の魅力について独自の調査を行い、独断と偏見でこのページを作ってみました。もし間違っている部分等、ご意見、ご指摘がありましたらご一報いただけましたらありがたいです。

金山神社の土までは調べていなかったが、そこで凝塊砂鉄岩が確認できたという事は松戸のあちこちに砂鉄が存在しているという事ではなかろうか?いずれ金山神社も調べてみるつもり。もし私よりも先に調べた方がいらっしゃいましたら、ご教授いただけましたら、ありがたいです。

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