昔日の松戸

昭和39年頃の根本の町並みの思い出と算盤塾

松戸駅周辺はさることながら、根本周辺も昭和30年代と比べ相当イメージが変わった。当時は個人商店が多く、人と人との触れ合い、横のつながりがあって、近所は皆知り合いだと言えたものだった。小学生の頃通ったそろばん塾とその周辺の町並みについての思い出
昔日の松戸

大木さんの倉庫

子どもの頃、松戸市竹ヶ花にあった松戸米穀の倉庫にまつわる色々な思い出を書いてみたい。倉庫の中がとても涼しかった事、コクゾウムシが居た事、麻袋を所謂手鉤という道具で担いでいく人たち、コメが良くこぼれていたので、雀のたまり場でもあったことなど。
残像

北部小図工の先生”大隈武夫”画伯形見分けお知らせ

私の北部小時代の恩師であり、図工の先生であった大隈武夫先生の一周忌を迎えるにあたり、胡録台の大畑自治会館で形見分けが行われるそうです。大隈先生のラクダの絵は独特の感性があり素晴らしいものです。
松戸行脚

旧川崎銀行と松戸公産建物研究

すでに取り壊され新しいビルに変ったが、松戸市の旧水戸街道沿いにあった歴史的建造物であった松戸公産ビル(旧川崎銀行、旧三菱銀行ビル)の各歴史的書物における記述を見直し、歴史的価値の再認識、他明治時代の銀行のファサードと共に記録として残したい。
昭和の松戸を歩く

アーバンヒル松戸跡地への妄想

1980年から20年間ほどだが、松久総合開発の開発したアーバンヒル松戸という商業施設が松戸市根本にあった。現在はマンションになっている。ただ、マンションが計画される前は、実はあの場所にホテルの計画もあった。その当時の記憶をメモとして残す
昔日の松戸

水上勉氏と下矢切の旧居

常磐線で松戸に帰ってくる際に、松戸側を眺めると矢切地区の斜面林が見え、ほっとした気持ちになるのは私だけだろうか?そんな矢切に水上勉さんが昭和32年から二年間住んでいた事について、そこでの生活について、分かる範囲でビジュアル化してみようと思う。
昔日の松戸

昭和の松戸駅周辺の風景ー2

昭和30-40年代の松戸駅周辺の風景を撮影してくださっていた方がいた。これは非常にありがたい事で、そのご厚意に甘え、写真を少しずつであるが、公開し嘗ての松戸駅周辺の今回は東口の風景を懐かしみながら、現在と比較し楽しんでみたい。そのパート2。
昔日の松戸

昭和の松戸駅周辺の風景ー1

昭和30-40年代の松戸駅周辺の風景を撮影してくださっていた方がいた。これは非常にありがたい事で、そのご厚意に甘え、写真を少しずつであるが、公開し嘗ての松戸駅周辺の今回は東口の風景を懐かしみながら、現在と比較し楽しんでみたい。そのパート1。
松戸のお宝

昭和30-31年頃の松戸市紹介パンフ

昭和30-31年頃、松戸市の観光協会が発行している松戸市の紹介パンフを見つけた。内容を見ていると今はなき旅館の数々、料理屋さんの名前が書かれている。まだ狭かった頃の松戸駅前通りの写真もあった。当時の観光協会の視点を知る良い資料のため、公開する
松戸の残像

松戸常磐館-松戸本町

小学生の頃、夏休み、冬休みに入ると怪獣映画は輝竜会館、漫j画まつりは常盤館に行った。ところが映画館は時代の需要に合わず、徐々にテレビやその他の娯楽にとって代わった。松戸市最古の映画館であった松戸常盤館について、資料と共に記録を残したい。