つれづれなお話

復刻版:懐いたタガメ

タガメは文字通り田圃のカメムシで、似た生き物のゲンゴロウとは異なる。世の中変わったもので、このタガメを食する人たちもいる。中国、台湾、香港、シンガポールなどで私は色々な食べ物を食べてきたけれども、タガメはどうしても食べられない。蕁麻疹がでる
平潟

松戸市平潟、昭和の頃の家並み

松戸駅最寄りで、旧水戸街道から少し外れにあった平潟歓楽街。戦後、昭和30年頃から司法試験、受験勉強の施設となった。バブル崩壊の頃までは歓楽街の印象が残っている家並みが残っていた。当時の風景をラーメン77さんが撮影していたので、公開したい。
つれづれなお話

復刻版:花火のお話-1

現在花火を買うにはスーパーマーケットに行くのが普通だと思う。我が松戸では、ダイエー、イトーヨーカ堂、マミーマートやジェーソンでも売っている。そんな大型店の無かった昭和の頃、夏が近づくと駄菓子屋、文房具屋で大小様々な花火が売っていた。くじでも買えた。
つれづれなお話

私には”じじっ毛”がある

子供の頃よく聞いた言葉にじじっ毛という言葉がある。曾祖母が使っていた言葉だ。うなじの付近、つまり盆の窪に子供が三才まで毛を残し、残りは髪の毛を剃ってしまう。この残された毛がじじっ毛。子供が転びそうになると神様やご先祖様が摘まんで助けてくれる
つれづれなお話

復刻版:「最近断酒中につきお誘いご遠慮願いします」・・・by ある男 より

一人でフラフラと居酒屋の暖簾をくぐるのが好きだった私、実は色々な要因で、外飲みしなくなってしまった。その為か、当時は松戸の夜の事情が良く耳に入ったけれど、今は全く入らなくなった。この傾向がコロナ禍でさらに加速された。もっとも家飲みも楽しい。
つれづれなお話

フロッピーディスクの話し

1980年代までは記録メディアの種類はそうは多くなかったが、1990年代から色々なメディアが登場し、栄枯盛衰というのか、消えていったものも多い。当初はフロッピーディスクに頼っていたが、HDDがエラーでデータが消えてからはオンラインに頼る様に
つれづれなお話

犬のお話-5 犬の気持ち

昭和の頃、空地を遊んでいるとよく放し飼いの犬に追いかけられた。番犬に吠えられる事も多かった。犬は集団行動の中で生きていく動物なので自分の仲間であるのか否やか真っ先に考えるのであろう。空地も少なくなり人間以外の生物が生きにくい世の中になった。
平潟

松戸市平潟に司法会計研究所のあった頃のお話

松戸市平潟は終戦直後までは有名な歓楽街。ところが、昭和29年以降は、司法試験の勉強をする学生さんの寮になって、多くの人がここで学んでいた。しかも、歓楽街の頃の建物を少し、寮に改造しただけ、そんな平潟の寮に通っていた知人の話を聞取り書いてみた
昔日の松戸

昭和の松戸のプールと水泳

松戸のプールについて、昭和初期の頃、昭和40年代以降に分けて考えてみた。私が小学生の頃は夏は暑いので、ただ水に入りたい一心でプールに入っていた記憶がある。今は、泳法の習得に重点が置かれている様だ。松戸にはどんなプールがあったのか振り返える。
松戸の残像

根本英数塾:松戸駅東口

昭和30-40年代は子供が多かった。小学校を増やしていく時代だった。同時にある人は受験の為、ある人は落ちこぼれない為、塾に通った。私が通ったのは、松戸駅東口から扇屋のあった道を北に歩いた所にあった根本英数塾だった。一中の生徒が多かった。