つれづれなお話昭和の松戸を歩く

電気製品への憧れを持っていた昭和の頃

sound つれづれなお話
Gidon PicoによるPixabayからの画像
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貧弱な電化製品だけだったが、満足していたあの頃

レコードプレーヤー

小学生の頃、家にあったのはEPとLP(33回転と45回転)だけしか聞けないレコードプレーヤーだった。当時漫画の付録で付いていたオバQのソノシートを聞いてみたり、親の持っていたEP盤レコードを聞いたりした。

柏に住む叔父さんが独身の頃、買ったSP盤の78回転のレコード(ロック、ジャズなど、プレスリーなどだったと思う)を結婚と同時に我が家に残していったのだが、回転数が合わなかったので、聞くことが出来なかった。後にあのSP盤は叔父さんが持っていったと思う。

おもちゃのテープレコーダーにゲルマニウムラジオ

家にテープレコーダーがあったが、ほぼ玩具に近い品物で、音質がどうのこうの言う品物ではなかった。また、ゲルマニウムラジオを持って、近所の鉄条網をアンテナ代わりにしてラジオを聞いて満足していた。中学校でトランジスタラジオを作る授業があって、私の作ったラジオは音が出なかった。

音が出ない人も一旦回収して、業者が修理してくれ、聞けるようになった。今思えば、熱に弱いトランジスタの取り付けのハンダゴテの取り付け方が悪かっただけだったんじゃないかと思う。


 

ハム、無線、CBに憧れ、アマチュア無線技士の勉強を

無線

いらすとやさんのイラスト

漫画雑誌の広告でハムとか、無線とか、トランスレシーバー、CB(市民無線)の広告に憧れて、アマチュア無線技士の試験を受けようと勉強していたが、ちょうど試験の日が高校の入学式だったか、何だったか忘れたが、行けなくなり、暫く忙しかった事もあり、せっかく勉強したのに試験も受けずに終わってしまった。

高1の頃だったか、テレビで森田健作主演の「俺は男だ」を放映していて、保育園から同窓だった友達が「俺は男だ」のLP盤を持ってきてくれて、我が家の古臭いレコードプレーヤーで聞いたっけ・・・ただ、当時はテレビはモノラルだったし、そもそも良いサウンドを聞く機会も無かったので、生活上全く困らなかった。

ラジオの製作を読んで

 


中3だったか高校の頃だったか、忘れたが、ラジオ製作という雑誌を読むようになって、本に書かれていた基盤情報に従って、秋葉原で部品を買ってきて、風呂の満水感知器だとか光電管セルを使った襖をあけるとアラームが鳴る感知器だとか作って楽しんでいた。

長崎屋にステレオを

stereo

aselajayによるPixabayからの画像

高校に入った頃だったか、多分友達の影響だったと思うが、良いサウンドを聞きたくなり松戸駅西口にあった長崎屋の電器売場でステレオを見に行った。売り場にあった展示品の音はえらく良かった。売り場の店員も4チャンネルがどうとかこうとか、コンポーネントがどうとかこうとか、色々な説明をしていたが、ちっとも頭に入らなかった。

ただ、手頃な値段のステレオがあって、サンヨーのOTTOだった。あれだけ4チャンネルがどうとか、こうとか言っていた店員が、OTTOに気持ちを絞ると、店員は「スピーカーはそんなに要らない。これだけあれば十分楽しめます・・・」と切り替えていっていた。当時は財力も無かったので多分、親にねだって買ったのだと思う。

OTTOのサウンドの良さに驚いたあの頃

Sound

Awassaya SakornbutによるPixabayからの画像

実際家に届いたステレオを初めて聞いた時あまりの音の良さに驚いた。確か、デモのレコードが付いていて、汽車が右から左へ走り抜けている音源だったと思うが、これを聞いたら、本当に汽車が右から左に走り抜けていくように聞こえて、ぶったまげたものだった。それまでモノラルでしか聞いた事のない私にとって音質そのものよりもこの臨場感に驚いた。

「ああ、これがステレオというものなのか……」と!つまりその程度のレベルだったという事かもしれない。私のサンヨーOTTO購入を知った同級生のN君も全く同じOTTOを買ってしまった。チューナーも付いていたので、FM放送をOTTOで聞いたら、FMはこんなに音声が良いのかと感心したものだ。

上のページは、オーディオの足跡さんのページです。私が買った時は4チャンネル用スピーカーは購入しませんでした。

テープデッキが欲しくなった

Recorder

zacksによるPixabayからの画像

こうなってくると色々なレコードを聞きたくなる。友達から借りてきて聞いたものだ。
こうなってくると録音装置が欲しくなる。何と言っても本格的なオープンリールがほしいと思い意気揚々と長崎屋に行った。売り場の従業員に聞いた

  • 私「オープンリールレコーダーが良いと思っているんですが……」
  • 従業員「お客さん、オープンリールは扱いにくいですし、今はカセットの時代ですよ」

オープンリールかカセットデッキか

カセット

Ratfink1973によるPixabayからの画像

私はオープンリールのテープの太さとカセットのテープの太さを想像し、どう考えてもカセットテープは音質が悪いと思い込んでいた。実際、それまではカセットテープのイメージは会議録音用であって、音楽用として性能向上したのは1970年代以降ではなかったかと思う。

事実私が買おうとした時点では、すでにカセットテープは音楽録音用としても立派に役に立つ存在になっていた。つまり私の認識不足だったのだ。それでも念入りに説明する従業員の熱心さに折れた(しかし従業員の主張は正解だった)。

TEACのカセットデッキを勧められる

Cassette Recorder

Drago GazdikによるPixabayからの画像

そして薦められたのがTEACのカセットデッキ。TEACはテープデッキのメーカーとして私も知るくらい有名で、値段の問題を除けば断る理由は無かった。従業員「展示品ですので○○○○○円です」という言葉につられて購入する事にした。あれだけ音質を気にしていたのにも関わらず、実際カセットデッキを購入すると、メディアにはそれほど拘らなかった自分に気がついた。

カセットテープのステータス

Scotch Tape

長崎屋で購入したScotch Tape

勿論それは、カセットテープの値段も高かったからだと思う。TDKのテープはやはり高価だった。SONYも同じ。一流メーカーのカセットは安くて3本1000円切らなかった。でも、自分の財力では安物しか買えなかったが、3本千円のカセットでも十分満足出来た。そしてさらに安い品物が、長崎屋で販売していたScotch(スコッチ)やサンバードの格安カセットだった。

Scotchはギリギリ我慢できる品質だった。サンバードのカセットテープの値段は4本1000円程度で値段的には魅力があったが、音質が今ひとつだったなあ・・・あれは買わないほうが良かったと思った。「オープンリールの音は良い」などとわめいていた本人がこのありさま。今から思うと空恥ずかしいがそれが事実だった。

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こぼれ話

上野のバッタ屋さんのお話

そういえば、上野の公園口から降りていくと映画館があったが、その付近にバッタ屋のような店が以前存在した。怪しいけど魅力のある店で、TDKのカセットが四本で1000円で売っていたので、買って自宅で見たら、全く異なるものだった。そのカセットテープはTDKのカセットテープと全くデザインで、何と文字だけKDKと書かれていてがっかりしたのを覚えている。音質は「言わずもがな」だった。

拾ってきたテープデッキの話

基盤

2427999によるPixabayからの画像

1970年代の頃、近所の団地の一階にテープデッキが捨ててあった。ああ、勿体ないと思い、もらってきた事があった。家に帰って電源を入れてみた。そうしたら、部品の一つに過電流が流れたらしく、パン!という大きな音と共に壊れた。デッキの中の基盤の部分を覗くと、抵抗が一つ破裂していた。ああ、これか・・・と思った。

秋葉原に行ってこれと同じ抵抗を買ってきて半田付けして、再び電源を入れてみた。そうしたら何と、新たに取り付けた抵抗が再び破裂した。こりゃ、手に負えない・・・と思って、再び同じ場所に置いてきたっけ・・・

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