レジャー昭和な遊び

昭和の頃にあった松戸のボウリング場、現存するボウリング場

ボウリング レジャー
Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像
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昭和時代に流行したボウリング

ボウリング

Sharon AngによるPixabayからの画像

小学生の頃、ボーリングがとんでもなく流行した。テレビ中継番組が始まり、何度もプロの投球を見、華麗なフォームに憧れ、自分もプロの道を・・・と考えた人も少なくないと思う。

中山律子選手、須田開代子選手、並木惠美子選手などの女性選手がボウリングブームに火をつけたのは確かだが、五月みどりさんの弟の西城正明選手、矢島純一選手の切れの良いボウル捌きに魅了された人も多かったのではないか?

さわやか、律子さん♪

昭和のブーム 写真特集:時事ドットコム
ボウリング 昭和47年、女子プロボウラー、中山律子のプレー。1970年代に中山律子や須田開代子らの活躍で、ボウリングは国内に一大ブームを巻き起こした

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松戸にあったボウリング場

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上のマップはすでに存在しない或いは現存しているボウリング場を表したものです。

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現存する松戸のボウリング場

ときわ平ボウリングセンター

松戸で私が通ったボウリング場は、自宅からの距離として松戸ボウル或いはサニーランドのボウリング場だった。ただ、後年、ここにも何度か行ったことがある。知り合いで、ここで開催される大会に継続的に出場している方もいる。松戸で残された大切なボウリング場の一つなので、末永く続いてほしい。

松戸市のレジャーを支えて迎えた40周年
大きなブームは去ったとはいえ、今も全国的に広く親しまれているボウリング。トキボウの愛称で親しまれ、常盤平駅前の…
  • ときわ平ボウリングセンター
  • 住所:松戸市常盤平2-8-2
  • 運営母体:石川興業(株)
  • レーン数:28レーン
  • ピンセッター:Brunswick
  • 開業:1973年5月5日

北小金ボウル

松戸方面から国道六号線で、柏方面に向かうと途中で大きなピンが見える。ああ、北小金ボウルだなと存在感を感じる場所。ただ、私には遠くて、来たことが無い。また、ある時期から入り口周りにもう一本のピンが横たわっているのが見えるのだが、あれは何だろうか?

ここは1971年開業なので、松戸市において現在営業しているボウリング場の中では最古という事になる。元々は山安という鴨川市や松戸市でガソリンスタンドチェーンを広げ大きくなった会社で、鴨川には鴨川サーフサイドという分譲マンションの販売をしていた事があった。現在は社名が異なるようだ。

北小金ボウル広告

北小金ボウル広告
某ボウリング系冊子より

  • 北小金ボウル
  • 住所:松戸市根木内249-7
  • 運営母体:(有)クリエイティブワールド
  • レーン数:30レーン
  • ピンセッター等:AMF(American Machine and Foundry)
  • オートスコアリングシステム(AS):AMF(American Machine and Foundry)
  • 開業:1971(昭和46)年4月10日
北小金ボウル -千葉県松戸市のボウリング場・北小金駅から徒歩9分-
北小金ボウルは千葉県松戸市のボウリング場で、プロボウラーをはじめ多くのマイボウラーが集うボウリング場です

 

https://www.facebook.com/北小金ボウル-453894304678291/

 

かつて存在した松戸のボウリング場

松戸ボウル 松戸市根本

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下の写真は松戸ボウルの広告で(某ボウリング系冊子が出所)
うしとらさんから提供、ありがとうございます。どんな建築であったか、この写真で分るかもしれませんね。

松戸ボウル広告

松戸ボウル広告、某ボウリング系冊子より
うしとらさんから提供、ありがとうございます。

松戸ボウル

松戸ボウルの広告
電電公社時代の電話帳に掲載されていた広告1969年頃

この松戸ボウルのあった場所は、私が小学生低学年までは鋏工場の様な場所だった。また、その敷地に沿って塩谷金物店もあった。そこが、ボウリングブームの時期に松戸ボウルになり、次にボウリングの流行が去ると次にはアーバンヒル松戸が出来た場所である。さらにその後にはパークスカイタワー松戸というマンションが出来て今に至る。

マンションが建つ直前には実は日本のホテル御三家の一つのホテルオペレーターが敷地を見に来た事があった。実は私が案内した。ただ、その後、車動線などのスタディを始めたら、国道六号線(バイパス)から当該敷地へのアクセスが非常に難しい事が分かり、ホテル計画は断念した過去がある場所だ。

それはともかく、ここは駅から最寄りの場所だったので、私どもが歩いて行けるボウリング場で、非常に便利だった。私が生まれて初めてボウリングをプレイしたのは実はこの松戸ボウルである。小6の頃だったか、中一の頃であったかは忘れた。

 

根本の商店街 アーバンヒル松戸周辺
アーバンヒル松戸が出来た1980年前後の頃、松戸駅に近いこともあって、根本のアーバンヒル松戸の周りの商店・飲食店のいくつかに通った。記憶が消える前に記録していきたい。商店としては、思い出すようだったら、1970年代の商店も書いていく。

松戸サニーランド(第二松戸ボウル)

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施工中のサニーランドの写真

サニーランド施工中

サニーランド施工中
著作 8ヶ崎スタジオ
1969年5月31日撮影

この写真はまだサニーランド建設前の工事中の写真で1969年5月31日の状態です。写真は八ヶ崎の「8ヶ崎フォトスタジオ」様の著作物で、許可を得て掲載させていただいています。ありがとうございます。

さて、中央に完成予想図がありますが、注目したのは中央の完成予想図と記述です。この当時は、ボーリング場の屋上がプールになっているらしき絵であり、又、スカイプールと書かれている。大きなプールの下にはボーリング場がある事が想像される。

http://omoide-1.com/

サニーランド施工中
著作 8ヶ崎スタジオ
1969年5月31日撮影

これは上記の写真の看板だけを拡大した写真で、八ヶ崎の「8ヶ崎フォトスタジオ」様の著作物で、許可を得て掲載させていただいています。

建築設計の視点でこのパースから感じる事として、小学生が入れるプールでも500kg/m2くらいの積載荷重がかかるので、下階がボーリング場だと相性が良くない印象がある。しかしながら、ボーリング場は見通しが悪くなっては困るので、ボーリング場は柱を少なくする設計が求められ、通常であるとかなりの大スパンで設計する事が想像される。

サニーランド航空写真

サニーランド1975年頃空中写真 国土地理院より

この絵の頃はどうやって設計していたのか非常に興味がある。ただし、私が知るサニーランドのプールは円柱型の棟の右側にあったプールで、かまぼこ型の屋根だった(上の写真では黄色く見える大屋根の所がプール)。一期工事、二期工事と分かれていたのかその点は分からない。ただ、過去の航空写真を見ていくと残念ながら屋上にスカイプールがあった写真に巡り合えない。

という事は結局、屋上プールは途中で設計変更になり、敷地右側に建てられたという事なのだろうか?

サニーランド

サニーランド
2001年撮影 by 表の家

個人的には私にとって、もっとも多くボウリングをした場所であり、他のレジャーを楽しんだ場所。ただ、ここでの貸しボウルは管理・維持が今一で、ゲームが終わると手が真黒くなる。この為、同フロアのトイレで手を洗うが、恐ろしくなるほど真黒い泡立ちになった。もう少し、綺麗に出来なかったのだろうか?

ボウリングレーンが減り30レーンになった頃、一階の元ボーリングレーンの場所に行くと、そこはジェーソンになっていた。買い物をしつつ、足元を見ると何故かbowling alleyのspatが見えた。ボウリング場は作にも解体するにもお金がかかる話を聞いたことがある。確か作る時は1千万円/レーンはかかったとおもう。解体はそれほどは掛からないだろうが、色々と面倒なのかもしれない。

ただ、サニーランドが徐々にみすぼらしくなる寂しさはあった。

  • 松戸サニーランド(第二松戸ボウル)
  • 住所:松戸市松戸2289
  • 運営母体:サニーレジャーシステム(株)(当初は大和物産(株)が経営母体)
  • 開発会社:松戸開発株式会社
  • 設計・施工:株式会社中野組
  • レーン数:オープン当時は1,2階で50レーン、その後3階に30レーンを増床し80レーンになったが、末期は3階の30レーンだけ残った。
  • ピンセッター等:Brunswick
  • オートスコアリングシステム(AS):シャープ
  • 開業:1969(昭和44)年7月3日
  • 閉業:2006(平成18)年9月24日
パスワード認証
松戸にかつて存在したサニーランド、スターランド、ダイエーレジャーランド等のアイススケート場
松戸にはかつて存在した3つのアイススケート場、サニーランド、新松戸スターランド・アイススケートリンク、ダイエーレジャーランド新松戸アイスアリーナについて思いをはせる。松戸はアイススケート王国だった!松戸レジャーセンターを入れると4つになる。

松戸グランドボウル 二ツ木

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国道六号線沿いのトイザらス・ベビーザらス 松戸店があるプチモール二ツ木の場所。

  • 松戸グランドボウル
  • 住所:松戸市二ツ木1782
  • 開業:1977(昭和52)年12月1日
  • 運営母体:富士幸産業(株)
  • レーン数:30レーン
  • ピンセッター等:Brunswick

昭和ボウル 上本郷

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国道六号線沿いで、北松戸駅近くのJAオフィスの少し南側にあった。規模などは不明。知人のお父様が、何度か行ったという情報のみ。もし何かご存じの方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いいたします。

京葉ボウル@松戸レジャーセンター 上本郷

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松戸市立上本郷第二小学校の北側方面の高台にあった。本福寺から比較的近い。現在同地は、上本郷第一京葉マンション、第二京葉マンション、第三京葉マンション、川崎近海汽船アパートなどがあるエリア。この場所は現在に同地に行っても、自動車の動線が貧弱で、よく客を呼び込めたなあ・・・と感心する。

松戸にかつて存在したサニーランド、スターランド、ダイエーレジャーランド等のアイススケート場
松戸にはかつて存在した3つのアイススケート場、サニーランド、新松戸スターランド・アイススケートリンク、ダイエーレジャーランド新松戸アイスアリーナについて思いをはせる。松戸はアイススケート王国だった!松戸レジャーセンターを入れると4つになる。

第二上野スターレーン 小金きよし丘(存在確認コメント受領しました)

昭和46年の電話帳に記載されていた名称。住所は松戸市小金きよし丘3-6であり、現存しない。

1974-78年の航空写真(国土地理院)

1974-78年の航空写真(国土地理院)

2019年の航空写真(国土地理院)

2019年の航空写真(国土地理院)

コメントのあった”とすお様”の示す位置としては、星乃珈琲松戸きよしヶ丘店のある場所(国道六号線沿いで元松戸グランドボウルと小金ボウルの中間辺り)でしたので、国土地理院の航空写真をを使い、1974-78年頃の航空写真と2019年の航空写真を比べてみたのが上の写真二枚です。赤いエリアは1974-78年頃にボーリング場の敷地であろうと考えられるエリアを表してみました。

この二つを比較してみますと、元々ボーリング場のあったエリアの一部は現在住宅が開発されて建っているのが分かります。この航空写真を見るまでは、星乃珈琲のエリアだけではボーリング場が出来る広さがあるのだろうか?と考えていましたが、なんとなく納得できた思いです。

昭和46年職業別電話帳

昭和46年職業別電話帳より

昭和46年の電話帳で、住所が記載されています。電話番号も書いてありましたが、一応見えないようにしました。

補足:令和6年1月27日、近所に住んでいらした”とすお様”よりコメントがあり、

松戸市小金きよし丘3-6の第二上野スターレーンですが、私が育った場所の近所だったので両親に聞いてみたらボウリング場は存在したとのことで、両親は行ったこともあると話していました。場所は現在の星乃珈琲があるあたりで、ボウリング場が潰れた後に京樽ができたとのこと。私自身、ボウリング場の存在はしませんでしたが京樽が出来たときは覚えています」との事です。

とすお様、情報誠にありがとうございます。さらに、当時の住宅地図の有無を再度調査してみます。また、下記は現在星乃珈琲店松戸きよしヶ丘店の場所です。

保証ボウル

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松戸市松飛台の保証牛乳付近にあった保証ボウル。場所は、現在のアサヒ飲料の工場地、松戸市松飛台市民センターの西となりという位置。東松戸付近にお住いのY様に教えていただきました。又、下記の写真も高塚新田付近にお住いのY様より掲載許可いただきました。ありがとうございます。

保証ボウル

保証ボウル外観
高塚新田付近にお住いのY様より提供

保証ボウル外観

保証ボウル外観
高塚新田付近にお住いのY様より提供

場所は保証牛乳の工場近くだったようだ。保証牛乳というと私が小学生の頃は配達の牛乳が保証牛乳で良く飲んだものだった。

保証牛乳(保証牛乳グループ)
最盛期は関東地方を中心に10拠点(東京/西多摩/横浜/相模/埼玉/千葉/栃木/沼津/名古屋/大阪)を構え、統一ブランド「保証牛乳」の製造販売を手掛けた広域メーカー。
  • 保証ボウル
  • 住所:松戸市松飛台
  • 開業:1972年2月16日
  • 閉業:1974年5月20日
  • レーン数:50レーン
  • ピンセッター:兼松BOWL-MOR製:BOWL-MOR Z-Ⅱ
保証ボウル

保証ボウル外観
高塚新田付近にお住いのY様より提供

常磐ボウリングセンター

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松戸市松飛台に存在した常磐ボウリングセンター。位置として松戸市立松飛台第二小学校や松飛台郵便局の北西の位置にあたる。高塚新田付近にお住いのY様に教えていただきました。ありがとうございます。

このボウリング場は常磐重機の2階にあったらしい。常磐重機というと私にとっては、松戸二丁目にあった頃をイメージする。当時は、小根本の奈良屋が入る前、ショッピングセンター常盤が入っていたが、それは常磐重機が運営母体だったらしい。という事はこの常盤ボウリングセンターも常磐重機の経営だった可能性が高い。

常盤重機

常盤重機
昭和37年松戸商店街マップより

  • 常磐ボウリングセンター
  • 住所:松戸市松飛台
  • 開業:1972年
  • 閉業:1974年
  • レーン数:24レーン
  • ピンセッター等:Brunswick

おすすめペー

松戸に限りませんが、ボウリング関連で興味深いホームページです。

昭和レトロなアナログゲーム大図鑑

【パーフェクトボウリング】昭和46年(1971)/エポック社
■当時人気絶頂だったプロボウラー・中山律子をパッケージや広告に起用し、ボウリングゲーム史上最高の売り上げを記録したと思われる名作。■レーン下からピンがせり上がる同社独自のピンセッティング方式を採用、ゲームの流れを遮らず、それでいて適度にオー...

ここは昭和レトロなゲームに魅了された方が作っているページで、上のページではエポック社が販売したパーフェクトボウリングというゲームについて述べている。松戸のきよしヶ丘にあった第二上野スターレーンについて調べていたら、この管理人の方が書いていた鶯谷駅近くにあった上野スターレーンについて記述したページを見つけました。

この管理人様のお父様が連れて行ってくれたのが鶯谷駅近くにあった上野スターレーンで、ボウリングのエキサイティングな雰囲気に飲み込まれたが、ボウリングそのものよりもボウリング場に興奮したと書かれていて、えらく臨場感のある感想だなあ・・・と感心しました。ブログもお持ちなようで、こちらにもたくさんのスポーツ系のゲームが記述されています。是非!

昭和レトロなアナログゲーム大図鑑ブログ
Webサイト「昭和レトロなアナログゲーム大図鑑」更新情報や舞台裏。

 

 

 

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電気式ゲームはゲームセンターやデパートの屋上、宿泊先の遊技場等でしか出来なかった。それが家庭用ゲーム機や発売以降徐々にゲームセンターに行く人が減り、それに伴いゲームセンターも減った。かつて活気のあった頃の松戸のゲームセンターについて、記述する
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昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった

コメント

  1. うしとら より:

    学生時代、施工管理の授業で「現場打ちプレストトレスコンクリートの技術は、ボウリングブームと共に極まり、ボウリングブームと共に廃れた。」という名言を吐いた先生が居ました。
    コンクリート造で30mを超えるスパンを飛ばして、無柱空間を作った昭和の遺産が残存しているボウリング場かもしれません。

  2. うしとら様、コメントありがとうございます。そういえば、プレストレスコンクリートはあまり採用したことがありませんでした。一度だけ、台北の現場の時に使った程度かな・・・ボウリング場の設計にプレストレスコンクリートをつかったのは非常に興味深いです。勉強になります。

  3. とすお より:

    松戸市小金きよし丘3-6の第二上野スターレーンですが、私が育った場所の近所だったので両親に聞いてみたらボウリング場は存在したとのことで、両親は行ったこともあると話していました。

    場所は現在の星乃珈琲があるあたりで、ボウリング場が潰れた後に京樽ができたとのこと。
    私自身、ボウリング場の存在はしませんでしたが京樽が出来たときは覚えています。

    • とすお様、
      コメントありがとうございます。
      存在確認が出来て、とてもありがたいです。もしかして、単なる準備室だけで終わった場所なのかも?と思っていましたが、とすお様のご両親の証言があって良かった。取り合えず修正させていただきました。その部分について追記いたしますね。

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