昭和の松戸を歩く

竹ヶ花&根本の商店(竹ケ花踏切以西、市場まで)

旧水戸街道沿い昭和の松戸を歩く
旧水戸街道沿い
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旧水戸街道は活気のある商店街だった

複々線化による影響

根本・竹ヶ花はそもそも旧水戸街道筋であり、昭和30-40年代は小さな商店がたくさんありとても活気のある賑やかな街だった。大繁盛とはいかないまでも堅い商売が出来た場所だったはずだ。そんな商店街に変化があったのは国鉄の複々線工事以降かもしれない。千代田線からの乗り入れの為、それまでの複線にもう一つ複線が出来た。

この結果、効率性の麺から踏切が閉鎖、跨線橋又は地下連絡路に取って代わった。根本-岩瀬の開かずの踏切にも、それに替わり跨線橋が出来た。竹ヶ花の踏切は閉鎖された後、歩行者用に歩道橋が出来た。自動車用は分けられ、別に跨線橋が出来てヤマザキパンの工場の所で大きく迂回する形になった。これらの変化によって随分と人の動きが変わったと思う。

生活スタイルの変化

勿論変化は複々線化だけではなかった。商売のあり方にも変化があったはずだ。私が産まれた頃松戸の人口約7万人、現在は約四十九万人。圧倒的に人口が増えた。工場も誘致した。東京の衛星都市化を推進し、人口を増やし工場を誘致するのは松戸市の政策の一つだった。実際その通りになった。その政策の大きな理由は人が増え金が回ることによって商店に活気がみなぎり松戸市全体が発展する為だったはずだ。そのとおりになったのだろうか?

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竹ケ花&根本の商店(竹ケ花踏切から市場まで)

では、どんな商店があったのか見てみよう。広いエリアを対象にすると大変なので、竹ケ花の踏切から根本の市場までを対象に調べてみた。

下記は1960年代から70年代にあった商店・飲食店のプロット。グーグルマイマップに落とし込んでみた。赤いアイコンは現存しているお店、黒はすでに無いお店。街道筋の踏切から市場あたりまで調べてみただけでこんなに商店があった事になる。現状のこの界隈の状況を考えると不思議な感じがするが、私が小中学生くらいまではいかに地域と個人商店が密接ににつながっていたのかわかるのではないかと思う。

竹ケ花踏切から市場までの間にあった店舗

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竹ケ花踏切から市場まで(竹ケ花側)店舗リスト

  1. 助六
  2. 貸本屋
  3. ラーメンえぞふじ
  4. 神田餃子屋
  5. 原商店
  6. テーラーキワ
  7. 小久保電気商会
  8. 山長(蕎麦屋)
  9. 山長(和菓子)
  10. 都鳥そば
  11. 大塚商店
  12. 金子屋種苗店

1.助六

助六

助六 元竹ケ花に住んでいたOさん寄贈の写真です。 昭和40年前後。

母がイカフライの揚げ方を教わっていたようだが、私は入ったことが無い。我が敬愛するI女史は北部小学校の帰りに買ったらしい。現存せず。

2.貸本屋

あの界隈には踏切を挟んで其々一つづつ、計二つ有った。この地図は踏切の西側で微かに記憶がある程度で、東側の貸本屋は何度も借りに行った。現存せず。

3.ラーメンえぞふじ

元えぞふじの建物

元えぞふじの建物,白い建物が元神田餃子屋、緑色の建物が建築士事務所
2001年9月30日撮影

写真はラーメン屋廃業後の作業服お店の写真。この作業服のお店もいつしか廃業。現在同地は駐車場になっている。ラーメンえぞふじには1985-87年の間に毎晩の様に通った。そもそも立ち寄るのが深夜0:00頃だったので、すっかり太ってしまった。店主は脚本家を目指していたが果たしてどうなったのか?現存せず。

4.神田餃子屋

中華料理のお店。この店の長女が我が妹の同級生だった為交流があった。飼っていたセキセイインコのヒナをいただいた事があった。長男が中学生当時に家庭教師として数学を教えていた事があった。長男は野球部に入って活発な子で、勘の良い子だったので私が教えたことをどんどん吸収していった。いつしか廃業し、御主人はいつも歩くのが苦になっていて大変そうだった。痛風だったのかなんだったのかは良く覚えていない。現存せず。

5.原商店

元原商店の建物

ハーモニーホームペーティーズと看板があるのが、かつで原商店だった建物 2001年9月30日撮影

上の写真はすでに原商店ではなく、その後、出来たハーモニーホームパーティーズと書かれたタッパーウエアのお店だが、建物は一緒。あまり記憶が無いが卸問屋的な雰囲気があった。此処は原商店→ハーモニーホームパーティーズ→廃墟→アパートと変遷している。この建物の隣の家屋に住んでいたのが大家で、いまでもよく墓参りに行くとお会いする。

6.テーラーキワ

テーラー

Mystic Art DesignによるPixabayからの画像

新坂川沿いに住んでいたChさんが店主だった。ここ10年ほどお見かけしない。長野輪業に良く遊びに来ていたフルちゃんはテーラーキワの職人だった。現存せず。

7.小久保電機商会

あまり記憶がないが松下電器の小売店だった。現存せず。

8.山長(蕎麦屋)

山長

山長(二軒長屋で左が蕎麦屋で右が和菓子) 2001年9月30日撮影

すでに引退しているが、店主のSさんに、街で会うと声を掛けられる。現存せず。

9.山長(和菓子)

亀戸の山長が本店との事。そこから暖簾分けされたらしい。ご主人、奥様共に顔見知り。奥様は新潟出身とお聞きした。

おかみさんはいつも人懐っこい

最近、山長のおかみさんと松戸駅付近でばったりお会いした。私自身かれこれ40年は山長には行ってないのに私の事を覚えていてくださっていて、しかも実名で声を掛けられた。気さくな方でニコニコしている。勿論私も会釈する。また、ダイエーでも良くお会いする。とても大きな声で話しかけられる。

とにかくここの店主もそうだが、女将さんは愛想が良い。商売というのは不思議なもので普段あまりこないお客でもちょっとした言葉使い如何で、そのお客が「たまには行ってみようか」という気持ちになったり、悲しいかな逆に遠ざけてしまうことがある。あの笑顔に引きずられるようにしてたまには行ってみようかという気持ちにさせられる。

おはぎのサービスをしてくれた

おはぎ

おはぎ フリー素材.comより

私が「赤飯ふたつください」というと懐かしむような憂いのある笑顔で「もう今晩は遅いし終わりだから、おはぎをサービスするわヨ」と言って赤飯の横にガリを置き、さらにその横におはぎを置いた。三十年来変わらないこげ茶のロゴの入った包装紙で包んでくれる。現在、赤飯を買ってガリを入れてくれるのが常識なのか私は知らない。ただ、このとき何とも言えない新鮮さと嬉しさでいっぱいになったと記しておきたい。

蕎麦屋と和菓子の二軒長屋

左側がそば屋で右側が和菓子+軽飲食を営業していた。両店舗は壁一枚で仕切られているだけで、壁の一部に四十五センチ角程度の小さな小窓があって、品物の受け渡しが出来た。松戸ベスト100のミスターTさんはクリームソーダを山長で飲んだ話を書いていた。私は和菓子の山長のメニュー内容はすっかり忘れた。

左のそば屋に居て、あんみつが食べたければ、店主が自動的に例の小窓から隣の和菓子山長に注文する事が出来た。程なくして小窓からアンミツがサービスされてくる。連係プレイになっていたのだ。

初めて山長に入ったのは

haruharuによるPixabayからの画像

昭和三十八年、小学校の入学式の帰りだと思うが、母と山長に行くと同級生のS君とばったり会った。彼もやはり母親に連れられて来ていた。それ以来S君は私の事を「山長君」と呼んでいた。何年前だったか隣のそば屋の親父さんは体が弱くなり廃業した。現在はリフォームして住宅の構えになってしまっている。和菓子山長は現在テーブル席がなく販売のみになっている。

10.都鳥そば

一度も入った事が無い。現存せず。

11.大塚商店

大塚商店

大塚商店 2001年9月30日撮影

20年前にはお店が開いていた。米の看板も見える。色々な雑貨も売っていました。現在はシャッターが閉まったまま。手前の白い建物は陶芸教室です。

竹ケ花踏切から市場まで(根本側)店舗リスト

  1. しぐれ
  2. バーバーセキ
  3. 金物道具工場”Y”
  4. 松北堂吉田書店
  5. 大田原米店
  6. 花沢燃料店
  7. 二葉屋吉川酒店
  8. 石井美容室
  9. 野田屋(荒物屋)
  10. 森栄堂
  11. 燃料店
  12. 林屋洋品店
  13. 根本郵便局
  14. 長野輪業
  15. ヤマザキ松戸店
  16. レストランやまと屋
  17. よし寿司

1.しぐれ

このしぐれは1972(昭和47)年1月27日に開業したので、来年でちょうど50年になるのかな?この店も長く営業を続けているなあ・・・商店がどんどんなくなってしまっているこの界隈において、老舗の一つになってきたようだ。いろいろな人にこの店でお会いした。ボクサーをしていた男性も来ていた。2017年7月にあの吉田類氏が来店、お店の案内をしていたっけ・・・来店した客を見ると知っている人ばかりだったよ。しぐれさんのFacebookもあるようだ。

2.バーバーセキ

床屋

すいすい床屋

私がまだ小学校低学年の頃、竹ヶ花の踏切を西に超え、ほんの二、三軒先に床屋があった(現在のしぐれ辺り)。ご主人のイメージは丸顔で目がくりっとして、おでこが広く髪の毛が癖毛(或いはパンチパーマ?)。石川進さんというタレントを覚えているだろうか?石川進さんはオバキューの主題歌を歌っていた人で、おはよう子供ショーではキューピーちゃんの愛称で呼ばれていた。まるで石川進さん(つまり、キューピーちゃん)が白衣を着て床屋になっちゃったぁ……そんなイメージの人。

 

スーダラ節を歌いながら顔剃りをすると

カットが終わると次は顔剃り。顔に蒸しタオルを被せ、正面の鏡の付近にあった短冊状の馬皮のナイフ研ぎに向かい、端を持ちスイスイと研ぐ。当時植木等のスーダラ節が流行、私は「スーダラ節が大好き」だった。あの歌を聴くと無性に笑いがこみ上げる。それを聞いたご主人「私もスーダラ節が好きだ」と言い、スーダラ節を歌いながら顔剃りを始めた。

 

すいすい床屋
床屋さん

チョイト一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらハシゴ酒、気がつきゃホームのベンチでゴロ寝、これじゃ身体にいいわきゃないよ、分かっちゃいるけどやめられねえ♪

ここまでは良い。次が問題だった。「ア ホレ スイスイ スーララッタ スラスラ スイスイスイ♪」というサビの部分に入ると、このご主人、急に熱が入り顔剃りがリズミカルになった。スイスイに合わせて顔を剃る。

すいすい床屋
床屋さん

スイスイ スーララッタスラスラ スイスイスイスイスイ スーララッタスラスラ スイスイスイスイスイイ♪ スーララッタスーララッタ スイスイ♪

こんなリズムに合わせて顔そりをやられたらたまったもんじゃない。私が笑う-スイスイスイ-笑う-スイスイスイと繰り返す。ご主人もすっかり興に入ってしまいスイスイスイばかりが連続して、いつの間にか歌では無くなる。スイスイの度にご主人の目つきも変わってきて、夢中になっているのが良く分かる。

実に面白、おかしいのだが、ヒッチコックの映画に感じるような一種の恐怖感も伴い、剃られる本人としては複雑な心境で、子供心にも「止めて~!」だった。あのご主人どうしているかなあ・・・(近所にお住まいだったOさんによれば、屋号はバーバーセキで、後に佐倉市に引っ越したそうです)

3:金物道具工場”Y”さん

松北堂書店の横の道を入った所に、金物道具を作っていた人が居た。確かYさんの工場だと思う。Yさんの作ったヤットコは我が家にも1つある。今は普通の住宅になっている。

4:松北堂吉田書店

松北堂

松北堂 近所にお住まいだった小倉様寄贈

竹ヶ花の踏切西に渡り、少し歩いた右側に松北堂書店さんがあった。大田原米店の二軒手前。中学生の頃、私は大のプロレスファンで『ゴング』というプロレス専門誌を松北堂書店さんで購入、松北堂受取りでバックナンバーも注文した事もある。松北堂は良く通った店。ここの店主、顔かたちは柳家小さん師匠似、つぶらなドングリ眼で優しそう、でも頑固で昔気質。

大人が漫画を立ち読みしていると「大人の漫画の立ち読みはお断りだよ」と大声で言うものだから何となく客が寄りつかない。私の母方の新小岩の祖父(三十数年前に他界)を思い出す。ところが後に廃業してしまった。店無き後暫くは週刊誌の自動販売機を置いていたがいつしかそれも消えた。

☆松北堂書店の写真はご近所にお住まいだった小倉様からいただいたものです。
ありがとうございます。2013/03/30更新

5:大田原米店

 

大田原米店

大田原米店 2001年10月7日撮影

向かって一番左が大田原米店、現在の店主は根本保育園の時の先輩。背が高い二枚目で、スポーツが得意な先輩だった記憶がある。今でも時々お見かけする。

6:花澤燃料店

花澤燃料店

花澤商店 2001年10月7日撮影

花澤商店のおじさんとは路上でよくお会いする。声をかけられる時もある。2018年頃だと思うが、お孫さんだかひ孫さんが分からないが、北部小の運動会の為に来ていて、体育館で一緒に食事をしていたのを見かけたっけ・・・花澤商店さんの家作には60年近く前だと思うが、小暮さんという靴修理のおじいちゃんが店を構えていた。その後、北部小学校横の吉岡文具店横で靴修理をしていた。

7:二葉屋吉川酒店

二葉屋吉川商店

二葉屋吉川商店 2001年9月30日撮影

根本の花沢燃料屋さんの先に二葉屋さんがあった。二葉屋は屋号、店名は吉川酒店。店舗は旧水戸街道沿いに相応しい、木造平屋の旧式建築。中に入ると暗い、いかにも昔の酒屋さんだった。当時は量り売りの時代だったらしく、酒だけでなく醤油なども量り売りしていた。ご主人がマッソウさん(マスオさんということかな?)で細身で赤ら顔をしていて実直で真面目な人というイメージ。

二葉屋のおばさんはいつも白い割烹着を着て、目がクリッとして快活で話好き、とても明るい人だった。そもそも子供が酒屋に用事などないのだが、何故か親切にしてもらった記憶がある。

マーちゃん熊は金太郎より強かった

長男はマーちゃん、お父さん似で背が高かった。マーちゃんは私より二歳年上で根本保育園の先輩。根本保育園の学芸会でマーちゃんは熊役だった。熊は金太郎に投げられる脇役である。ところがマーちゃん熊は主役の金太郎を投げてしまった。数十年前に、ご家族は引越してしまった。又、2018年11月にこの建物も解体された。その後、マーちゃんがその跡地を見にいらっしゃっていた。思わず声をかけてしまったよ。

8:石井美容室

石井美容室跡

石井美容室跡 2001年10月7日撮影

石井美容室さんも廃業されてから暫くそのままだったが、2018年頃だったかこの建物も解体されて現存しない。

9:野田屋

所謂荒物屋だったので、子供だった私にはあまり馴染みのない店だった。

10:森栄堂

森栄堂の工場写真

森栄堂の工場写真 2001年10月7日撮影

北部小に給食用のパンをおろしていたお店。店舗売りもあった。裏には工場もあった。上の写真は暫く残っていた裏の工場の写真です。

11.燃料店

東葛石油株式会社

広報まつど広告 東葛石油株式会社

この東葛石油株式会社についてはあまり記憶がない。過去のご意見箱ではこの燃料屋の奥にボーイスカウトの詰め所のようなところがあったらしい。

12.林屋洋品店

林屋洋品店

林屋洋品店 2001年10月7日撮影

写真の建物の右側です。林屋洋品店さんは女性用の服のイメージが強かったが、実は小学校の制服、靴なども扱っていたことが分かると思う。お店はすでに数年前に廃業されてが、ここのご主人は植物が好きで、犬走りにいろいろな植物を植えて楽しんでいらっしゃる。先日も娘と通りかかった時声をかけたら、ニラの苗をいただいたので、私が住んでいる場所の植え込みに植えた。あれは一年前だったのに、いまだに元気で生えている。

13.根本郵便局

根本郵便局

根本郵便局
2021年7月17日撮影

根本郵便局は小学生だった私の記念切手収集を支えてくれた郵便局です。多くは母に行ってもらっていたが、私も何度も買いに行きました。下の長野輪業さんの写真の右側がそうです。切手収集については 118 松戸でも流行”切手収集” という頁でも書いてますので御覧ください。

14.長野輪業

長野輪業

長野輪業 2001年10月7日撮影

長野輪業さんのあった場所

長野輪業さんは数年前柏市にお店を移してしまったが、元々根本郵便局の隣で自転車屋さんを営んでいた。木造平屋のいかにも水戸街道沿いの歴史的建造物といったイメージを残していた。軒先の犬走りにはたくさんの自転車が置かれていて、それは歩道側にもあふれていた。 入り口は木製のガラス引き戸。中も外も土間で、何とも油臭かった。

縁側の様な場所があった

正面奥には座敷への上がり框、色々な来客がきてはその框に座り雑談をしていった。いわば近所の人が集まる縁側の様な場所で、私もその和に混じり雑談に加わった。当時はまだ大学生で時間を持て余していたのだ。夕方になると特に賑やかになった。ラーメン太郎の職人Mさん、金山神社付近に住んでいたEさん、テーラーキワの職人のFちゃんが常連だった。

みなさん多かれ少なかれ訛りがあった。あれは松戸訛りだったと思う。松戸訛りは聞き分けられてもしゃべることは出来ない。夕方閉店時間になると自転車等全て店舗の中にしまう。白いカーテンと共にガラス戸を閉め白い軽トラックをガラス戸ギリギリにとめて終了。

長野輪業さんのオリジナル自転車

長野輪業さんのオリジナル自転車

長野輪業さんのオリジナル自転車

写真は元山長さんの前に置いてあった長野輪業さんの自転車を撮影したものです。これは所謂実用車なんですが、細部を見ていくと興味深いのです。

NH号

NH号

縦に長いシールにはMLW MODEL CYCLE, NH, ・・・・PATENT BY NAGANO SHOTEN・・・と読める。またその下のワッペンには白赤でNHのログが入り、NH CYCLEと読める。その下には四角いロゴ板には長野商店の名前が書かれており、その他タイヤカバーにもNHの押印がされている部材。

自転車のサドル

長野輪業さんの自転車のサドル

サドルにもNHの押印があります。このNHとは創業者長野平八郎さんのイニシャルですね。つまり現Nさんのお父さんです。

路地があった

子供の頃は長野さんと根本郵便局の間には路地があり新坂川まで抜けられた。生け垣と生け垣に囲まれたいかにもヤブ蚊にさされそうな路地だった。路地途中に私の同級生の女の子、西沢ふき子さんが住んでいた。西沢さんは小学校一年生から六年まで同じクラスだった。数年前にこの路地を通ろうとしたら路地も西沢宅も無くなっていて、びっしりと住宅がブロックして新坂川まで抜けられなくなっていた。

いつものメンバーとツーリング

いつものメンバーとツーリング

1980年いつものメンバーとツーリング

店主のNさんを始めお客さん数人で原動機付き自転車でツーリングをした事がある。銚子に初日の出を見に行ったり、大利根温泉に行った。写真は1980年と書かれていた。一番下がEさん、次のサングラスをかけているのが私、その一段右斜上で黒いジャケットに白いヘルメットを持っているのが店主のNさん、そのNさんの斜め左上の白いつなぎの様な服装の人がFさん。一番上の白シャツに黒ズボンの人は知らない人。

長野輪業さんは現在柏へ

マンション建設の為、長野輪業さんが入っていた木造の歴史的建造物は解体された。この後、よし寿司の隣の建物、以前レンタルビデオ屋さんであった所に移った。大きく黄色いテント看板に100円レンタルと書かれた場所。旧長野輪業跡地は現在マンションになっていて、私のお友達も住んでいる。その後、この長野さんが移った先の場所は駐車場になり、長野さんは柏に移っていった。

15&16 ヤマザキ松戸店 & レストランやまと屋

元々はやまと屋として、パン他を売っていたお店です。ある時、アメリカで修行してきたというご子息の方がいて、とても美味しいハンバーグ、ステーキを出す洋食レストランを始めました。よく行ったのは1969年頃だろうか?牛の形をした鉄板でジュウジュウ音のするハンバーグは新鮮で絶品でした。その後、ヤマザキ松戸店はヤマザキパン工場横の敷地でコンビニを始めてましたが、2007年頃だったか廃業され残念です。

17.よし寿司

よし寿司

よし寿司2001年10月1日撮影

我が実家で寿司の出前をお願いしたお店は色々会った。昭和40-50年代は小根本の銀寿し、昭和60年以降平成10年くらいまではこの”よし寿司”、よし寿司が無くなってからは岩瀬の”金太楼寿司”になった。100円レンタルのライブス根本店の黄色い看板が見えますが、後にここに長野輪業さんが暫く入っていました。現在この2つの建物のところは駐車場になっています。

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