昔日の松戸

農業と共にあった松戸の市場を考える

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松戸の田園地帯

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古ケ崎の田園風景2021年5月29日撮影

上の写真は古ケ崎の田園風景です。古ケ崎はどちらかというと徐々に田園が埋め立てられ、住宅地に変わっていった印象があります。私が小学校2年生の時、古ケ崎の同級生の家に行くとこんな風景でした。同じ田園地帯でも栄町はかなり大規模に区画された印象がありました。

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旭町方面の田園地帯 2008年9月13日撮影

これは旭町方面の田園地帯です。古ケ崎と同様に下谷の田園地帯で、ここの風景は子供の頃と大きくは変わらない感じがします。ときどきサギが飛んできます。

松戸市の農地・農家は減っている

私が子供の頃は松戸市は農地が非常に多くありました。ただ、戦後の農地改革、衛星都市政策の影響で非常に激減しているようです。これは松戸市都市農業振興計画を参考にさせていただきました。1960年と2000年との比較ですが、其の後さらに減っていると思われます。

経営耕地面積
1960年2,967ha → 2000年783ha
総農家数
1960年3,033戸 → 2000年1,039戸

注:松戸市の農業に関するホームページの内、松戸市都市農業振興計画を参考にさせていただきました。

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農業関連法律との関係

農地の減少を食い止める為いくつかの法改正が行われています。またその中での問題点もあるようです。

生産緑地法(1991年改正)

市街化区域内にある農地が、「宅地化を進める農地」「市街化区域内で保全する農地としての生産緑地」に位置づけられた。この生産緑地法改正によって、生産緑地に指定されれば、30年の営農義務と引き換えに固定資産税の農地並みの固定資産税及び相続税の納税猶予の特典が得られます。ただ、生産緑地に指定されるには「当該土地の面積が500㎡以上あること」という縛りがありますが、これは都市部の農地としては大きいのです。

改正生産緑地法第3条第2項(2017年)

「市町村は、公園、緑地その他の公共空地の整備の状況及び土地利用の状況を勘案して必要があると認めるときは、前項第二号の規定にかかわらず、政令で定める基準に従い、条例で、区域の規模に関する条件を別に定めることができる」

前項第二号の規定である生産緑地指定の500m2しばりを300m2程度まで市町村が緩和できる事を想定しています(ただ、法文には300m2とは書かれていない)。これによって、都市近郊の多くの農地が生産緑地法の恩恵を受けられるように出来るのではないか?農地減少を食い止められるのではないかと考えられています。

改正生産緑地法第8条第2項第二号(2017年)

法文を掲載すると長くなるので、省きますが、要するに
地元の農産物等を用いた商品の製造・加工・販売や、地元の農産物を用いたレストランのための施設を設置することができる
という意味の改正です。ただ、この建物を建てた敷地及びその用途に供する敷地は税制猶予の対象にならないので、あまり広まらない可能性があります。

改正生産緑地法第10条の2(2017年)

これは所謂特定生産緑地制度に関して書かれている条項です。

1991年の生産緑地法改正から、ちょうど30年目にあたるのが2022年であり、買取申し出が可能になり、農地減少が危惧される。これを生産緑地の2022年問題と言います。これをソフトランディングさせ、急速に農地が減少する事にブレーキををかけたのが、特定生産緑地制度です。

この30年の営農制限が過ぎた生産緑地に対して、10年単位の更新で税緩和の対象になる特定生産緑地にしましょう・・・というものです。

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松戸の農産物

子供の頃は樋野口のコカブ、小金のミツバなどがよく聞いた農産物でしたが、現在はそれらは対象になっていないようです。下記は現在の2021年農産物です。

  1. 小金地区:あじさいねぎ、えだまめ、いちご
  2. 明・六和地区:ほうれんそう、えだまめ、米
  3. 矢切地区:矢切ねぎ、キャベツ、米
  4. 常盤平地区:ねぎ、かぶ、えだまめ
  5. 東部地区:梨、ねぎ、かぶ、えだまめ、トマト
  6. 五香・六実地区:梨、ねぎ、いちご、大根

松戸市の市場について

松戸市場今昔マップ

「松戸市史」によれば「松戸には昭和三十年代青果市場が本分場合わせて十五あった」と書かれていた。その十五あった市場をマップに入れてみた。マップに北部市場、南部市場も入れたが、これは15の市場からは外れ、其の後建設された市場。ただし、其の後作られた、北部、南部市場の内、北部市場は後にテラスモール松戸というショッピングモールに再開発され、現存している市場は南部市場だけになる。

昭和30年代に存在した市場本分場15のリスト

  1. 丸果市場(根本)nasu
  2. 丸新市場(松戸一丁目)nasu
  3. 丸松市場(小山)nasu
  4. 丸新市場(竹ケ花)nasu
  5. ㈲六実丸共市場nasu
  6. ㈲丸松青果市場(馬橋)nasu
  7. (株)小金青果市場humei
  8. 秋山市場(場所不明)humei
  9. 紙敷市場(場所不明)humei
  10. 高塚新田市場(場所不明)humei
  11. 丸松日暮市場(場所不明)humei
  12. 東印青果市場・五香(場所不明)humei
  13. 東印市場・初富市場(場所不明)humei
  14. 農協馬橋市場(場所不明)humei
  15. 丸松六実市場(場所不明)humei

其の後作られた市場

  1. 北部市場nasu
  2. 南部市場red-nasu

凡例

red-nasu 現存する市場 nasu 現存しない市場  humei 不明な市場

昭和30年頃の中規模以上の丸松、丸果、丸新について

すでに無い市場ではあるが、これらの内、当時中規模以上であった丸松、丸果、丸新について資料があったので、記録として残す

丸新松戸青果株式会社(松戸一丁目、竹ケ花)

開業:昭和24年
株主:8名(昭和43年時点)
資本金:80万円(昭和43年)
年間取引額時点:2億円
扱い比率:野菜80%、果物20%
野菜入荷量の70%は仲買人によって東京市場へ転送、残り30%は地場消費
果物入荷量は少なく、ほぼ100%は地場消費
野菜入荷比率:野菜全体の30%が茨城など地場以外から入荷(白菜、キュウリ、茄子、トマト、ほうれん草、里芋などは茨城から)
昭和43年の需要の特徴:地場の集荷が減っている事から、市場に三台のトラックを稼働させ、市場側が集荷のサービスをしている)
セリ開始時間:午後3時より
生産者と市場との取引:現金取引の為、歩戻しは無し(歩戻しとは生産者が継続取引してくれる買入人に対して、行う割引サービス)
買参人と市場との取引:5日目清算、手数料は売上額の8.5%
産地市場・消費地市場:いまだ産地市場を脱していない

丸松松戸市青果市場(小山、馬橋、日暮、六実))

開業:昭和2年
年間取引額時点:2億9千万円
扱い比率:野菜70%、果物30%
需要の特徴:地場の集荷が減っている事から、市場に三台のトラックを稼働させ、市場側が集荷のサービスをしている)
野菜入荷元:市内の地場野菜が減っている事から埼玉や茨城県境の隣接産地など地場以外から入荷
仲買人は入荷した野菜の約20%(主にネギ、大根、コカブなど)を東京市場特に多摩方面に転送している。
果実入荷:東京市場からも積極的に入荷している
規模:産地直送をするほど大きい規模ではない。
産地市場・消費地市場:消費地市場の性格を帯びつつあるが、いまだ産地市場を脱していない

丸果(東京築地丸果松戸支店):根本、金山神社付近

開設:不明(ただし、松戸支店になったのは昭和23年)
年間取引額時点:3億円
扱い比率:野菜80%、果物20%
果物入荷比率:約45%が産地から、約55%が本社からの転送
野菜入荷元:市内の地場野菜が減っている事から千葉、埼玉などの隣接産地から入荷
産地からの信用度:野菜は銚子からはかんらん、八街からは西瓜、白菜など、果物はりんごみかんなど産地から直送されている。先述した丸松と同規模の取引額でありながら、産地直送が多いのは、東京の支店という事で産地からの信用度が高い為と思われる。
産地市場・消費地市場:消費地市場の性格を強めているが、消費市場としては買参人がこの市場だけで仕入れられる規模、段階までには至っていない。

丸松市場(小山)があった頃の風景 2005年撮影

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marumatsu market 丸松市場(小山)2005年撮影

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marumatsu market 丸松市場(小山)2005年撮影

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marumatsu market 丸松市場(小山)2005年撮影

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marumatsu market 丸松市場(小山)2005年撮影

大正四年発行「松戸案内」で記述されている青物市場

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松戸案内大正四年発行

大正時代の記録となっている松戸案内にはこのように書かれている。多分これは小山の丸松市場の事を指していると思われる。

「青物市場:青物商有志の合資組織で出来ていて、場所は松戸神社の南にある。毎朝地方の商人は未明より群集して青物商人と共に茲(ここ)に市場を開くので、その喧々騒々たる糶買の有様は実に耳を聾する許りである。由来本町附近は野菜蔬菜果物の名産地として有名なもので、東都二百万市民の口にする青物類の大半は本件殊に本町地方より供給するもので、其輸出額も蓋し尠少ではないのである。故にこれら仲買商も甚だ多いので、就中吉野屋、中田屋等の如きは甘藷、らつきやう、切干等を遠く信越東北地方に迄盛に取引されるのである」(松戸案内 松戸案内大正四年より)
注:糶買(ちょうばい、つまりセリの事)、尠少(せんしょう、つまり極めて少ないこと)

市場で使われた言葉、”ゆうす”と”なげし”について

岩瀬にお住まいのMKさんに興味深いお話をお伺いした。MKさんは古く先祖代々岩瀬にお住いで昭和三十年代までは農業を経営、出荷されていた。現在は全く違う職業をされていらっしゃる。

”ゆうす”とは

「(松戸駅近くの)丸新市場には小さい頃、親父の手伝いで何度も行ったものです。夕方に市が立ちます。これを`ゆうす`と言いました。何故夕方の市なのか?と申しますと、丸新は地元の野菜を扱っている小規模の市場でした。農家が朝収穫をして、午前中野菜を洗い、午後にワラ縄をよって野菜を縛るわけです。例えば、ほうれん草の場合、まずワラを引きます。その上にほうれん草を二段に重ねます。ほうれん草の端でワラをひね固定する。正面ではほうれん草が傷んでしまうからです。そしてリヤカーで最寄りの市場に行きます。到着する頃には午後3時頃になる。そして午後3時半くらいから市場が開かれます。これが`ゆうす`です」

“なげし”とは

「神田の青果市場のように大きな市場では全国的に荷物が集まりますのでどうしても翌朝の市場になりますが、そういう理由で丸新のような地元産野菜中心の市場は夕方がメインなわけです。丸新市場(松戸駅近く)に集まる農家は岩瀬、胡録台、古ヶ崎の農家が多かったようです。丸果市場(金山神社近く)に集まる農家は伝兵衛新田などからが多かったのじゃないでしょうか?夏になると日塩道路(日光と塩原を結ぶ道路)の方面から「松貫」という(屋号)の`なげし`が高原野菜などを売りに来ていることもありました。`なげし`というのは農家から直接安く買った野菜をトラックなどで遠方の市場に運び差益を得る人の事です。多分、松戸の市場で買った物を神田青果市場に卸している`なげし`も居たと思います。丸新(松戸駅近く)は案外広く、場内には食堂もありました」

MKさんありがとうございます。

最後に

この「農業と共にあった松戸の市場を考える」は2005年松戸行脚2005において作成、2008年10月リメーク,2021年7月大幅な内容、構成を差し替えて、作り変えたページである。

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