昔日の松戸電車よもやま話

常磐線を走っていた旧車両と近隣の風景

成田線C58 電車よもやま話
成田線C58 竹ケ花にお住まいだった小倉さん撮影提供 昭和38年5月30日撮影
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昭和30-40年代の常磐線について

常磐線が複々線化するまで竹ケ花にお住まいになっていた小倉様が表の家に送って下さった昭和30-40年代に走っていた電車や風景の写真がある。踏切の話題とは少々離れる為、別途このページを造ることにした。小倉様、誠にありがとうございます。ここで使わせていただきます。

D51 昭和38年5月30日撮影

D51 第二浜街道踏切付近から撮影

D51 第二浜街道踏切付近から 元竹ケ花お住まいだった小倉様が昭和38年5月30日撮影

これは竹ケ花踏切(第二浜街道踏切)の西側から竹ケ花方面を見て撮影したD51の勇姿。昔はこういう感じで当たり前のようにここを走っていたっけ・・・栗の木で作られた枕木のフェンスが懐かしい。背景はD51の後ろに隠れているのが初田さん、その先が関口下駄屋さん、さらに先の大きそうな建物が農協。

 

はつかり 昭和28年5月30日撮影

はつかり

はつかり 第二浜街道踏切付近から 元竹ケ花お住まいだった小倉様が昭和38年5月30日撮影

この写真は竹ケ花の踏切(第二浜街道踏切)の職員詰め所付近から金山神社方面を見ている写真。手前の白い路面は踏切。右端の白い建物は多分揚げ物の助六。左の切妻の大きな建物は東葛土木事務所の倉庫或いは楢原建設の事務所、倉庫かもしれない。現在はこの斜面は住宅しか見えないが、この当時は樹林がふさふさとして見えたのが分かる。

クハ79 昭和38年5月30日

クハ79

クハ79 小根本踏切付近を 元竹ケ花お住まいだった小倉様が昭和38年5月30日撮影

クハ79つまり、運転台付きの普通車で、焦げ茶色のかまぼこ型列車。写真は車両フェースに照明が無いので(つまり屋根に照明がついているタイプ)、新製クハ79の家でも1954年以前のタイプじゃないかと思っている。写真左の建物は神輿倉付近にあった建物だろうか?

成田線C58 昭和38年5月30日撮影

成田線C58

成田線C58 小根本踏切付近を 竹ケ花にお住まいだった小倉さん撮影提供 昭和38年5月30日撮影

明治末期はイギリス、ドイツ、アメリカから蒸気機関車を輸入している。車軸配置2Cの8700形・8800形・8850形および、2C1の8900で、その8800型を参考に蒸気機関車の国産化技術を確立する為に作られたのが8600系の8620型や8630型である。この蒸気機関車の写真は細かい案団は出来ないが8600型である。場所は上のクハ79型と同じ小根本の踏切付近である。

EF80 小根本踏切 昭和38年5月30日

EF80 昭和38年5月30日

EF80 昭和38年5月30日撮影 竹ケ花にお住まいだった小倉様より寄贈 小根本踏切から

EF80とは直流・交流両用の電気機関車であり、これも良く見た。一次型と二次型があるが、昭和38年なので、年代的には一次型だが、細かい番号までは分からない。地磁気観測所での観測に影響を与えるために採用された直流・交流両用の電気機関車だ。

401系 昭和38年5月30日撮影

401系

401系 竹ケ花に以前お住まいだった小倉さん寄贈 昭和38年5月30日撮影

401系は1961年(昭和36年)6月の常磐線取手 – 勝田間交流電化に採用された電気機関車で、モハ401、モハ400、クハ401などがあるが、どれにあたるのかは私は分からない。詳しい方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。撮影しているのは竹ケ花の踏切(第二浜街道踏切)の常駐小屋付近で、中央に見える白い家は当時ガソリンスタンドやお茶屋をしていた初田さんだと思う。

クモハ73 昭和38年5月撮影

クモハ73

クモハ73 竹ケ花にお住まいだった小倉様撮影、寄贈写真、昭和38年5月

クモハのクとは運転台のある車両、モとはモーターがあり、ハとは普通車という意味。このクモハ73は72系の改造車で良く見かけた列車である。

クハ55 昭和42年2月12日撮影

クハ55

クハ55 昭和42年2月12日撮影 竹ケ花にお住まいだった小倉様撮影寄贈

この昭和42年に松戸で大雪が降った。あんなに降ったのは生まれてはじめてだったと思うが、あんまり雪が降ったので、かまくらを家の前に造ってしまった。そんな日の竹ケ花の踏切(第二浜街道踏切)である。いわゆる国鉄40系電車で、1932年~1942年に製造されたタイプで、つまり戦前派の車両で、貴重な写真だと思っている。

クモハ103 昭和42年12月 103系デビュー初日

クモハ103

クモハ103 昭和42年12月 103系デビュー初日

この写真は小根本の踏切を見ている写真。正面に見える路は踏切で、右に行くと青果市場があった場所。クモハとは先述したように運転台があり、モーターがある普通車の事。103系は101系を基本に、経済性を重視した通勤型電車で1963年から1984年までに製造された。このクモハ103が初デビューの日に撮影された小倉さんはかなりのマニアだったに違いない。

クモハ60 昭和38年9月

クモハ60

クモハ60 昭和38年9月 元竹ケ花にお住まいだった小倉様撮影寄贈

国鉄40系電車のモハ41型の主電動機出力向上型として作られたのがモハ60型である。これが、戦後昭和34年に運転台を持つ電動車に新記号「クモ」が制定された為、モハ60型はクモハ60型に変更された。歴史ある車両なのね・・・

馬橋構内2777 オーバーラン事故 1979(昭和54)年10月

馬橋構内2777

馬橋構内2777 オーバーラン事故 1979(昭和54)年10月

馬橋構内2777

馬橋構内2777 オーバーラン事故 1979(昭和54)年10月

馬橋構内2777

馬橋構内2777 オーバーラン事故 1979(昭和54)年10月

馬橋構内2777

馬橋構内2777 オーバーラン事故 1979(昭和54)年10月

これは時代が10年以上後となるが、馬橋構内で起きたオーバーラン事故だそうだ。こんな事があったのね。以上駆け足だが、小倉様からいただいた貴重な鉄道関連の写真を紹介させていただいた。ありがとうございます。

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