昔日の松戸

松戸市根本に雪印種苗工場があった頃

shubyo 昔日の松戸
Sarah RichterによるPixabayからの画像
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雪印種苗工場があった頃

雪印種苗のあった根本

北部幼稚園と富永商店の間の道を南西に少し進んだ場所に雪印種苗の工場があった。松戸市根本一五三。子供の頃、この付近を歩くと家畜用飼料の何とも言えない香りが辺り一面に漂っていた。松戸商工会議所工業部会の資料によれば……受注加工に応じる設備として配合飼料月産三千トン、種子年間二千トンとなっている。

資本金は四億三二〇〇万円で、これは雪印種苗社全体なのか良く分からない。取引銀行が今は無き北海道拓殖銀行というところが雪印らしいと思う。従業員数三三名と書かれており、これは殆ど機械化された工場だったのだろう。下は「牧草と園芸」雪印種苗㈱発行 という冊子に書かれた松戸飼料工場に関する記事

牧草と園芸 第13巻,第12号
昭和28年5月15日第三種郵便物認可 昭和40年12月1日(毎月1回1日発行 定価30円 送料6円
松戸新飼料工場 稼動開始
新しい理論に基づいて常に新鮮な原料 を使用し衛生的な工場で特に1万分の1以上の精度で各種微量物質が均一に配合されているので雪印の配合飼料は安心してご使用いたたけます。このため可消化養分からみた価格が安く非常に経済的です

牧草と園芸」は雪印種苗株式会社が発行している冊子で、昭和28年から発行されている非常に興味深い冊子で、いろいろなことが書かれているのでご興味の有る方は是非御覧ください。バックナンバーもあります。

例えば、「牧草と園芸」の1962年9月7日号の17ページには松戸工場の写真と共に下記の記事も掲載しています。

会社だより
松戸工場は、昭和31年東京都千住に建設された弊社飼料工場を松戸に移転、同時に種子工場を松戸に併置し、府県における種子及び飼料の基地として活動している工場で、府県の方には直接のつながりがある重要な役割をもっています。優秀な「たね」の取扱い、良質な「配合飼料」の製造と迅速確実な受け渡しを任務として場員一同真剣に日々の作業に取り組んでいます。
種子工場
今年はいつもの年と変った型の雨季を経て、七月半ばから一気に猛暑に見舞われ、千葉県下の一部でも七五年来最高の気温が記録されたようです。こうした外気の水銀柱の上昇をよそに、ここ松戸工場の種子倉庫ででは、温度二○度(摂氏)、湿度五五~六○%を保つ恵まれた環境下に種子が貯蔵されています。これは恒温除湿装置が設備されているからで、このため大切な種子を無事皆様の御手許にとどけることができるわけです。ーーーーー以下略ーーーーー

駐車場はちょっとした休憩場所だった

道を挟んで対岸には空き地又は駐車場のような空き地があった。多分あの空き地も雪印種苗の土地だったと思う。雪印種苗が立ち退く寸前だったと思うが、江戸川花火大会の日に友達数人と車数台で出かけた事がある。江戸川付近には駐車する適当な場所が無いので、この雪印種苗の対岸の空き地に駐車し、そこからみんなで花火を見た記憶がある。

昭和三〇年代の頃は畦道があり、昆虫、メダカ、フナを捕まえるポイントもあちこちにあった。延々と続く北部小の北側の田畑にはコサギもやって来ていた。それが昭和四十年代前半から、付近一帯は造成されてかなり住宅等が建っていたが、北部幼稚園、グリーンコーポ、北部小学校の付近にはところどころ田畑が残っていた。自然環境といった意味では現在は見る影も無い。

24年間ほどあの工場があった事になる。

sharman corpo

シャルマンコーポ松戸外環
2021年5月26日撮影

雪印種苗は1956(昭和三一)年、この根本の地に操業開始したが、ほぼ1980年代前半に移転。暫くの間、飛島建設の作業場になっていた。そして1986(昭和六一)年三月この跡地に東レ建設による開発、建設によるマンション「シャルマンコーポ松戸」が竣工した。飛島もジョイントしていたのかどうかは分からない。

鉄筋コンクリート造地上七階建て、総戸数五十八戸、部屋サイズ57.03m2~74.52m2、分譲タイプ。昭和三十一年の都市計画図にはあの一帯は準工業地域に指定されていた。大規模な川光物産があったためそういう指定があったのかもしれない。興洋、金沢縫製などの縫製関係の工場、東京精機製作所などの比較的小さな工場が付近にあった場所だ。

ところがこの一帯の工場は思ったほど成長せず、気がつくと殆どが住宅に取って代わった。そして、いつの間にか都市計画上の用途も書き換えられ第一種住居地域になっている。

大道公園

daido park

大道公園 2021年5月26日撮影

このマンションには知人が二組住んでいる。彼らは昭和三十年代の大道下のほのぼのとした景観については知るよしも無いと思う。道を挟んであった空き地には現在大道公園が出来ている。左正面奥の大木がクスノキ、手前道路側にはハナミズキが何本か植えられ、公園右奥には比較的大きなコブシが二本ほどあり、公園奥の隣地境界線沿いはキンモクセイらしきが植えられている。

この界隈の字名は松戸市根本字大道下でそこから名付けられたのであろう。又、何故大道下と言う字名があったのかは調べる必要がある。ただ地形的に見ると下総台地に立った場合、この土地は水戸街道よりも江戸川方向に下っていて標高も低い。洪水などで悩ましい時代もあった。そんな処から来ているのかもしれない。今あの場所に行っても花火が見られるかどうかは未明。

1979年~1983年の同地の状況

上図は国土地理院の地理院地図で、1979年~1983年の空中写真を見ている。赤色で囲った表示部分が、雪印種苗工場、緑色で囲った表示部分が駐車場(後の大道公園)である。

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