労働

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つれづれなお話

私版”私の履歴書” 建築設計(いざ浜松へ)

四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。この話は、就職して浜松に常駐する頃
つれづれなお話

私版”私の履歴書” 建築設計(学生の頃)

四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。お世話になった建築設計へ愛をこめて
つれづれなお話

私版”私の履歴書” 建築設計(就職後)

四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。お世話になった建築設計へ愛をこめて
松戸のお宝

松戸の泥面子(どろめんこ)

松戸市秋山の畑地から出土した泥面子。泥面子とは江戸時代から流行った子供の遊び道具ですが、どうやら子供の遊び道具というだけの目的だけではなく、違う目的があったのではないかと考えています。畑地で出土した理由、時代背景、意味について考えてみたい。
昔日の松戸

松戸市根本に雪印種苗工場があった頃

子供の頃遊んだ、根本の大道下付近に北部幼稚園と富永商店がある。その間の道を南西に少し進んだ場所に雪印種苗の工場があった。この付近を歩くと家畜用飼料のなんとも言えない香りが辺り一面に漂っていた。その後、同地はシャルマンコーポに替わった。
つれづれなお話

ボーナス:私どもの努力が足りませんでした

ボーナスは昨今銀行振込が普通になりましたが、バブルの頃までは現金支給でしたね。あの封筒を持つと、えらく気が大きくなったものです。ボーナス支給後飲み会があった年は、近所で勤務する妹に託し持ち帰ってもらう、そんな現金支給だった頃の牧歌的なお話。
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