平潟松戸市平潟、昭和の頃の家並み 松戸駅最寄りで、旧水戸街道から少し外れにあった平潟歓楽街。戦後、昭和30年頃から司法試験、受験勉強の施設となった。バブル崩壊の頃までは歓楽街の印象が残っている家並みが残っていた。当時の風景をラーメン77さんが撮影していたので、公開したい。2023.05.07平潟松戸の残像
平潟松戸市平潟に司法会計研究所のあった頃のお話 松戸市平潟は終戦直後までは有名な歓楽街。ところが、昭和29年以降は、司法試験の勉強をする学生さんの寮になって、多くの人がここで学んでいた。しかも、歓楽街の頃の建物を少し、寮に改造しただけ、そんな平潟の寮に通っていた知人の話を聞取り書いてみた2023.03.092023.11.05平潟松戸の残像
松戸の残像根本英数塾:松戸駅東口 昭和30-40年代は子供が多かった。小学校を増やしていく時代だった。同時にある人は受験の為、ある人は落ちこぼれない為、塾に通った。私が通ったのは、松戸駅東口から扇屋のあった道を北に歩いた所にあった根本英数塾だった。一中の生徒が多かった。2023.02.112023.09.16昔日の松戸松戸の残像
表の家の周辺学童集団疎開と母 母がまだ国民学校に通っていた頃、山形県鶴岡市湯田川温泉にあったたみや旅館に学童集団疎開で行ったそうだ。当時、学童集団疎開の行き先はマチマチで、お寺であったりいろいろでそれぞれに苦労があったらしいが、たみや旅館では大変お世話になったそうだ。2022.10.292022.10.30表の家の周辺
つれづれなお話私版”私の履歴書” 建築設計(学生の頃) 四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。お世話になった建築設計へ愛をこめて2022.08.272023.09.11つれづれなお話
つれづれなお話私版”私の履歴書” 建築設計(就職後) 四十数年間働いていた某設計事務所を定年退職した。思えば長い間お世話になったものだった。日本経済新聞に私の履歴書というコーナーがあるが、私も自分の半生の一部であった建築設計という業務について、書いていきたい。お世話になった建築設計へ愛をこめて2022.08.272022.12.25つれづれなお話
松戸のお宝千葉県松戸町鳥瞰図 松井天山図 松井天山の描いた松戸町鳥瞰図には昭和五年と昭和十二年の二種類がある。所有しているのは昭和十二年版であり、これは常磐線の上野-松戸間の電化を記念して作られたものである。今回はこの昭和十二年版について、少々説明を加えながら当時の松戸の姿を考える2022.03.202022.12.25千葉県のお宝松戸のお宝
昭和の松戸を歩く拓銀松戸支店のちらし 1971(昭和46)年頃配られた北海道拓殖銀行松戸支店の出店案内の広告を自宅で見つけました。この広告を読み込んでいくとその当時の松戸の町が見えてきます。懐かしいお店もあります。これを2022年3月現在の視点から当時の広告をみていきたいと思う2022.03.17昔日の松戸昭和の松戸を歩く松戸行脚
園芸学校古絵葉書:祝千葉高等園芸学校移管祝賀会 現在の千葉大学園芸学部が、昭和四年に文部省に移管された時を記念している絵葉書。管轄が県から国に変わった事を記念した祝賀会で配った記念絵葉書。主催は校友会、戸定会、松戸協賛会となっている。園芸学部(元園芸学校)は松戸にとって掛け替えの無い学校2022.03.01園芸学校松戸のお宝松戸の古絵葉書
松戸のお宝松戸の商店のお寸志 松戸市の主に根本を中心とした商店からいただいたお寸志のコレクションがあります。根本商栄会はとても活気のある商店街でしたその商店からいただいたタオルなどのお寸志について、若干の説明と共に投稿します。何故か北部小学校の五十周年記念の手ぬぐいも2022.01.282022.01.30昔日の松戸松戸のお宝