- 2026年3月改訂版:昭和の頃の松戸駅西口中通り商店街の風景
- 更新状況
- 松戸中通りの店舗リスト(昭和37~45年)
- 松戸中通り西側のそれぞれのお店について
- 松戸駅西口中通り商店街西側のお店説明
- 吉野靴店→小間物オリエンタル、
- 嘉屋(よしみや)
- 辰光刃物店
- 洋品フルイチ→イセヤ時計店
- 中山電気商会
- 上峠靴、上沢靴
- 秋本繊維工業所(秋本製綿所)
- 浅野豆腐
- みのや玩具
- 相模屋飾菓子
- 洋品三河屋、天ぷら大栄、ブリキ屋銅昇、長田、鈴川食堂、天ぷら、八百屋稲葉商店
- すべらん→国島屋クリーニング→(丸井商店)、ブレーブ・イーグル事務所→松戸屋
- 相模屋豆腐店
- 松廼家み登利→ミドリヤ食品店→みどり亭→サロン・ド・テ・美登利→Creperie BRETON(クレープリーブルトン)松戸店
- 伊勢屋質店
- 伊藤薬局
- 山本ブリキ店、三松家
- 富士見園
- 染谷建具店
- 太公望
- 荒川電気商会
- 八百七
- モンダ書店
- ミウラ運動具店
- 菓子パン小松屋
- 新井表具店
- 目黒写真館
- 松戸将棋クラブ
- 中部堂文具
- 松戸幼稚園
- 鶴岡弓場、蒲焼き鶴岡
- 松戸中通り東側のそれぞれのお店について
- 関連ページ
- 最後に
2026年3月改訂版:昭和の頃の松戸駅西口中通り商店街の風景
2021年のコロナ禍の頃、どうしても松戸駅西口周辺の記録をしっかりと残したくて、”昭和の頃の松戸駅西口中通商店街の風景”を発表した。その5年後、プロット図を見やすくしたり、新たな情報を盛り込んだことで、2026年3月版として、再投稿する事にしました。
何か、間違えている箇所やアップデートできていない箇所などありましたら、教えてくださいね!
上の航空写真は、国土地理院の空中写真(1961年~1969年)タイルを利用し、松戸駅西口の中通りの位置に合わせ、uMapに落としこんだ状況です。松戸駅前通りを境に北側に高砂通り、南側の千葉銀のある通りをふれあい通りと言いますが、ふれあい通りを以前中通りと称した(2021年現在Google Mapを見ますと本町中通りと書かれています。名称変ったかな?)。
我が尊敬する松戸観光大使のI様の言葉を借りると
「高砂通りは平潟から近いためか歓楽街的色彩が強く、中通りは役所通りから端を発する為、庶民の商店街的なイメージが強い」
確かに中通りは遊びのお店は少なく、実質的な商店、食堂が多く在ったように思います。そういった比べ方も見る上で面白いと思います。
改訂版:昭和30-40年代の松戸駅西口中通り商店街マップ
この改訂版に伴ない、松戸市役所が昭和39年に作成した松戸市地形図を使用し、UmapによるOpen Street Mapの所謂マイマップを2025年11月に作成したものです。店舗・飲食・その他の施設は昭和30-40年代の情報を元に幅広く書いていますので、それぞれの施設で時系列の齟齬があるかもしれません。
更新状況
2026年3月31日
- 嘉屋(よしみや)の広告を掲載
- 小間物オリエンタルの広告を掲載
- 伊勢屋質店情報
- 三浦運動具店の外観写真
松戸中通りの店舗リスト(昭和37~45年)
中通り西側(駅前通りから旧市役所通りまで)
駅前通り
<—–秋本製綿所への入口
<—–旧こんぴら通り—–>
<—–道—–>
<—–道—–>
松戸将棋クラブ<—–細道入る
<—–旧市役所通り—–>
中通り東側(駅前通りから旧市役所通りまで)
<—–駅前通り—–>
<—–旧こんぴら通り—–>
<—–道—–>
<—–道—–>
<—–旧市役所通り—–>
松戸中通り西側のそれぞれのお店について

昭和36年頃の中通り
(松戸市商店街診断報告書昭和37年3月発行 松戸商工会議所より)
松戸駅西口中通り商店街西側のお店説明
松戸駅前通りを境に北側に高砂通り、南側の千葉銀のある通りをふれあい通りと言うが、ふれあい通りを以前中通りと称した(2021年現在Google Mapを見ますと本町中通りと書かれています。名称変ったかな?)。
中通りには焼き鳥の開進、松竹館(映画)、おせんべいのわたてつ、峰月、荒川電機、カメラのイマイなどがありさらに歩くと太公望があった。さらにその先には伊藤楽器、安藤豆腐店。
吉野靴店→小間物オリエンタル、

オリエンタル広告 日本商工業別明細図 千葉県松戸市より
ここは元々吉野靴店だったが、後に小間物オリエンタルになった。
1957(昭和32)年発行の日本商工業別明細図(松戸市)の広告によれば
広告によると紳士服調製とアクセサリーのお店と書かれているので、紳士服を誂えるまではやらなくて、既製の紳士服の寸法合わせなどをして差し上げるお店だったのではないだろうか?
その他のアクセサリー(例えばカフス、ネクタイピン、或いはネクタイも売っていたかもしれない)
嘉屋(よしみや)

嘉屋の広告
日本商工業別明細図 千葉県松戸市より
当初、何のお店であるか分からなかったが、1957(昭和32)年発行の日本商工業別明細図(松戸市)に掲載されていた広告で判明した。
嘉屋(よしみや)は所謂紺屋であり、染物・洗張りのお店

https://www.city.kodaira.lg.jp/kurashi/005/005860.html
着物、洗い張り (小平市の昔話)より
我が竹ヶ花の実家の隣には紺屋さんがあった。そのため、子供の頃から紺屋さんが洗い張りをしているのを見たものだ。昭和の時代は生活スタイルの変化があったのだろうと思う。
現在は、技術的な向上もあって着物を洗い張りして着るよりも丸洗いの時代なのだそうだ。上のイラストは小平市のページから拝借したイラストです。昔の洗い張りの様子が書かれています。
辰光刃物店
松戸一丁目1268
全国金物名鑑1970によれば、ここは大工道具を販売するお店だったようだ。
洋品フルイチ→イセヤ時計店
松戸一丁目1268
洋品フルイチさんは1964年に刊行された繊維小売年鑑 1965(繊維小売新聞社著) に掲載されているので、多分洋服生地などを売っていた店ではなかろうか?その後、店名がイセヤ時計店になったが、詳細分からず。
中山電気商会

日本商工業別明細図 千葉県松戸市より
松戸1218→松戸1975
上の広告は昭和32年の日本商工業別明細図 千葉県松戸市に掲載されていた広告である。これによれば、住所は松戸1218。電気工事専門と書かれている。
昭和10年に日本放送協会から刊行された全国ラヂオ商工人名録によれば、中山松五郎さん、中山景弘さんが経営していたお店で、本業で電気機具機械類を売っていたお店で、副業としてラジオも売っていたらしい。1964年(昭和39年)頃には中山智之さんが経営されていて、建築の電気工事をしていたようだ。従業員数4~7名。
その後店舗名が中山電気店に変り、1975年住宅地図を見ると元の店舗に近いが、中通りではなく、すぐ近くの旧こんぴら通り沿いになっている。又、全国商業通覧1982年版東日本によれば、松戸市本町5-11で現在で言えば中通りの岡田屋さんのお店の対面、駐車場付近にあたる。ただ、その情報以降の記録は見当たらない。
上峠靴、上沢靴
1962年商店マップでは上峠靴だが、1969年住宅地図では何故か上沢靴になっている。区画整理後の1973年の住宅地図以降では見つけられなかった。なにか情報をお持ちの方はアドバイスいただけますとありがたいです。
秋本繊維工業所(秋本製綿所)
松戸1218

秋本繊維工業所の広告
日本商工業別明細図 千葉県松戸市より
上は日本商工業別明細図 千葉県松戸市に掲載されていた工業所の広告。福徳わた製造元と書かれている。これは広島県福山市にある「福徳産業株式会社」が販売する日本製の綿100%の綿手袋を指しているらしい。秋本ではこの福徳綿の製造所として指定され製造していたと思われる。
広島県福山市にある「福徳産業株式会社」が販売する日本製の綿100%の綿手袋を指しているらしい。秋本ではこの福徳綿の製造所として指定され製造していたと思われる。
https://fukutoku-sangyo.co.jp/
反毛とは綿のリサイクル作業を指す。古着や裁断くずなどの不要な繊維製品を反毛機で、細かくほぐし、一度繊維状(元々の綿の状態)に戻して、他の製品として再利用する謂わばリサイクル技術。大正時代から行われていた技術で、いわゆる綿の打ち直しとは異なる。
昭和24-25年頃の会社代表は秋本金助さんだった。

アキモト糸店広告
昭和36年松戸商店街マップより
旧水戸街道と松戸駅前通りの交差点に秋本糸店がある。秋本糸店自体は現在無く、貸しビルとなっており、多分関連会社だと考えている。
浅野豆腐
この通りにはこの浅野豆腐、相模屋豆腐、題目屋安藤豆腐店の三つがあったことになる。同じ業種が三つもあったというのはそれだけ需要もあったという事だと思う。ただし、この三つの内浅野豆腐だけは現存しない。
みのや玩具
松戸駅付近のおもちゃ屋と言えば、東府屋、わらそう、或いはこのみのやだったと思う。残念ながらどのおもちゃ屋も現存しない。みのやは現在のふれあい通り(本町中通り)のカフェ・ベローチェ 松戸店の所にあった。松戸のおもちゃ屋については、松戸駅付近のおもちゃ屋さんについてで少し述べている。

(補足:カフェ・ベローチェさんの事なんですが、株式会社シャノアールと珈琲館株式会社が、2021年4月に合併し、新たにC-United株式会社としてスタートされたようです)

相模屋飾菓子
中通りには2つ和菓子屋さんがあるが、その一つがこの相模屋さんです。ここは昭和2年(1927年)創業。夏になるとかき氷も売っています。まちレポ!松戸【相模屋菓子店】~栗むし羊かんは全国区!昭和2年創業の老舗店~で紹介されています。和菓子の種類も多いです。

洋品三河屋、天ぷら大栄、ブリキ屋銅昇、長田、鈴川食堂、天ぷら、八百屋稲葉商店
これらについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
すべらん→国島屋クリーニング→(丸井商店)、ブレーブ・イーグル事務所→松戸屋
大正期の松戸案内では”すべらん”、昭和35年は”国島屋クリーニング”、昭和37年は丸井商店或いはブレーブ・イーグル事務所、昭和45年は”松戸屋”その後、区画整理が行われたらしい。
”すべらん”とは何か?さっぱり分からない。フランス語のsouverainは君主、主権者の意味なので、何かカフェの店名だったのだろうか?
”国島屋クリーニング”は松戸市立図書館本館前に国島屋クリーニングさんがある。この店と同一だったのではないだろうか?多分、中通りのこの場所が松戸における創業地で、平潟道が出来た後、(中通りより広い敷地が得られるという事で)現在店舗の土地を購入し移転したのではないだろうか?
丸井商店は分からない。
ブレーブ・イーグル事務所:これは何だろうか?富吉が戦後阪急ブレーブスの定宿になっていた事から何らかの野球関係のオフィスが出来たのか、或いは昭和30,31年頃にアメリカで流行った西部劇「ブレーブ・イーグルに関連する事務所なのか、さっぱり分からない。
旧こんぴら通り
相模屋豆腐店

相模屋豆腐店 2021年8月6日撮影
中通りというよりは旧こんぴら通りに面しているが、リストに入れた。創業80年と書かれているが、何年に創業なのかはお店の方に聞かないと分からない。風情のある建物で購入意欲を駆り立てる、とても良い雰囲気を醸し出す店。
隣にはすくもづか稲荷があり、がんもといなり寿司が美味しいらしい。ねこにゃんさんのブログに無添加豆腐・生揚げ・いなりが美味しい~松戸 相模屋豆腐店という記事がある。

ロカスポさんも、相模屋豆腐店さんのご紹介をしています。

松廼家み登利→ミドリヤ食品店→みどり亭→サロン・ド・テ・美登利→Creperie BRETON(クレープリーブルトン)松戸店

松廼家美登利 大正時代発行の松戸町案内より
大正時代に発行された松戸町案内には松廼家み登利と書かれていて、料亭が始まりの様である。神戸に松廼家という有名な料亭があるがそこの暖簾分けであろうか?大正時代に創業の様なので、2021年で創業100年くらいにはなるのであろう。
歴史あるお店である。最近はみどり亭の一階をテナントで貸し、二階でそば粉のガレットなどを出すレストランを運営している。現在は、やはりガレットを出すお店ではあるが、店名はCreperie BRETON(クレープリーブルトン)松戸店になっている。
同族の方が運営されていらっしゃるという事なのか、良く分からないが、看板からは魅力のありそうな雰囲気が漂う。
この大正時代は相模屋豆腐店さんの所に松戸税務署があったようだ。少々驚きである。また、正面に軍次屋さんの名前が見られ、古ヶ崎出身で松戸駅近くに出店したと記憶していたが、元々はここにお店を出したのだろうか!?
伊勢屋質店

伊勢屋質店
広報まつどの広告 1959年頃
この広告は松戸市役所が発行している広報まつどの広告で1959年頃のものです。質屋さんで貸衣装もやっていたんだなあ・・・と感心しました。もちろん質流れ品も売っていたんですね!このお店はすでにありません。
ただ、伊勢屋さんは実は1丁目にももう一軒ありました。ちょうど割烹料理ときわさんの裏辺りです。それぞれの役割は良く分かりませんが、二丁目は質流れ品を売ったりしていたのかもしれません。

伊勢屋一丁目 昭和37年商店街マップ

伊勢屋一丁目map 昭和37年商店街マップ
伊藤薬局
これについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
道
山本ブリキ店、三松家
これらについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします
富士見園

富士見園広告 日本紳士録 昭和32年より
上の画像は日本紳士録昭和32年版に掲載されていた広告。
富士見園はゴルフ場、運動場、庭園などの芝を生産販売していた会社で、ここは松戸の支店。他の資料も含めてみていくと、この会社は本社が新宿にあって、創業が昭和25年、組織替え後の設立が昭和32年5月17日。工場は松戸市五香31となっている。つまり五香で芝を生産していたらしい。
実績として江戸川の河川敷にある松戸ゴルフクラブの開場が昭和37年で、コースの施工は富士見園、宮島造園だったようだ。あそこのコース設計はお馴染みの林由郎さんだった。私の同級生の父親も松戸ゴルフクラブの会員だった。
又県外に営業所がいくつかあり、市内では松戸市高柳1601となっている2025年現在松戸市には高柳新田はあるが、高柳は柏側であるが、高柳そのものがもっと広かった可能性があり、調べていきたい。高柳に営業所があったという事は、比較的近い藤ヶ谷カントリークラブの芝工事、管理をしていたのか?
それとも、これから仕事を取ろうとしていたのか?興味のあるところである。
染谷建具店
太公望

Image by Capri23auto from Pixabay
松戸二丁目1280
太公望は最初は今川焼のお店から始まったらしく、その後、鯉釣り専門の室内釣り堀となったようです(ご意見箱に書かれた情報によります)。後に金魚を売るようになり、ペットショップ太公望になった。房総白浜出身で近所に住んでいたF氏が釣り好きで、度々私を太公望に連れて行ってくれた。
店内に入ると中央に腰高の縁を回した堀がある。この堀の周りに暇そうな大人が釣り糸を垂れる。堀を見ると濃紺の水が張ってあり少々薬臭い。水中は殆ど見えない。店で長さ六十センチ程度の専用の簡易竹竿を借りる。然し、私はそもそも飽きっぽい性格でこの地味な遊びを楽しむことが出来なかった。
この堀には金魚も入っていた。鯉が本当にいるのかどうか疑わしいと思った事もあるが勿論大きな鯉を釣り上げる人もいた。江戸川や坂川も近いので、川に釣りに行けば良いと思いがちだが、近所で手軽に三十分間釣りが出来るという便利さは捨てがたいかもしれない。
坂川や江戸川に釣りに行くと半日から一日がかりになってしまう。釣り堀だったら重い荷物も要らないし、それが釣り堀の魅力であろう。今と違って娯楽の少なかった時代だ。この太公望は後に金魚屋さんやペットショップを経て駐車場に変わり、現在は再開発マンションがたち太公望は今は無き店となった。
太公望の二代目の方
2007年頃だったか”ルンルン”で、太公望の二代目の方(確か中村さん?いや山本さん?)とお話しする機会があった。お話の中心はやはり釣堀り太公望だ。鯉は何匹くらい放流していたのか、水の色の事など色々な疑問をぶつけてみた。二代目は「魚は一応放流していたが、えさをたんまり与えているからそう簡単には釣れないしくみになっていたのだよ」
なんて冗談まじりで気さくに話してくれた。
市川に通じる旧道の太公望

太公望 2009年3月21日撮影
陣ヶ前から市川に通じる旧道に太公望という室内釣り堀があったが、あれは系列店だろうか?それとも中通りから移転したお店だろうか?だぁなさんの”だぁなりずむ”さんのブログの下記の記事で2010年6月6日に閉店したそうだ。
千葉県松戸市にある老舗の釣り堀「室内つり堀太公望」さんが2010年6月6日をもって閉店しました

荒川電気商会
松戸二丁目1853

荒川電機さんの広告
日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
上の広告は日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
荒川電気さんは中通りのこの場所にお店があった。大正時代の松戸町案内では荒川青物とあり、どうやら青果店だったようだ。その後荒川電気商会を始めたらしい。西口の都市区画整理の際に松戸駅前通りに移って、50年近く営業していた。お店は中二階、中地下階にはいるような感じでステップフロアになっていて、ありとあらゆる、たくさんの商品がおいてあり、秋葉原の電気部品街に行った感じになった。
したがって、電気関係で困ったことがあれば、荒川電気商会にいけばなんとかなる・・・と言った感じの個性的なお店であった。新しい店が松戸に出来ると面倒を見てあげたり、実に親切なお店であったが、残念ながら2021年現在建物を解体して更地のままである。この後どうなるのだろうか?
荒川電機商事さんは全国電気工事業者名簿(1973年出版)では松戸三丁目1786となっていて、水戸街道沿いで春雨橋を渡りしばらく行くと元木屋文具店が右側にあるが、そのもう少し先の関根輪業さんの手前くらいの位置だ。
ところが、1975年の住宅地図を見ると、その松戸三丁目1786に荒川電機さんがあり、さらに駅前通りにも荒川電機さんがある。という事は同じ血筋でのれん分けした店舗があったという事だろうか?
ただ、全国商業通覧 第3回(1985年版) 東日本 1を確認すると荒川電機さんは本町4-6だけしか表現されていない。
八百七

八百七 2021年8月11日撮影
八百七さんは、何回か動きがあったようで、現在は元モンダ書店の位置で商売をされている。2025年現在、閉店されていらっしゃる。歴史ある店であったのに残念。そういえば、ビストロ・アンシャンテに八百七さんにいただいたという守り神の様な置物があったっけ・・・

道
モンダ書店
松戸2-1835

モンダ書店
友人のKさん作成のアマチュア映画マツド・ウオーズより
モンダ書店さんは元々菓子本もやっていたそうだ。大正時代の松戸町案内には掲載されていないので、多分、昭和に入ってから開業されたのかもしれない。月刊誌の冒険王が置かれていて、欲しかったのだが買えなかったあの頃を思い出す。
ミウラ運動具店

ミウラ運動具店
郷土出版社「目で見る松戸の100年」の旧中部小校舎の写真から一部だけ使っています。
中学生の当時、六中や一中が必要な運動用具というとミウラ運動具店は御用達の様なお店であった。我が同級生のAさんも陸上部に入った時、尊敬する町山先生にこの店でスパイクを買ってもらったと述懐されていた。当時は運動用具も高くて、やっとだったんだろうなあ・・・
上の写真は、郷土出版社「目で見る松戸の100年」の中の旧中部小校舎の写真から一部だけ使っています。掲載許可を郷土出版社さんに送ろうかと思ったのですが、2016年に閉業されていらっしゃる。誰にお願いすれば良いのでしょうか?
菓子パン小松屋

小松屋
日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
小学校が近かった為か、この小松屋さん、カツシカ屋さん、波場さんなどパン屋が多い。この広告を見ると美味しそうな気がします。
新井表具店
松戸市根本515、伊織表具店の創業者伊織正治郎さんは昭和8年に新井表具店において、表具経師技術修業し技術を習得し、戦争復員後伊織表具店を立ち上げた。つまり古くからある表具屋さんだった事になる。
襖新井については情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします
目黒写真館
鈴木時計店さんとお話すると、目黒写真館は陸軍工兵学校御用達の写真館だったそうだ。陸軍工兵学校のアルバムを見ると目黒写真館と刻印されたものに出会う。工友会の文章を読むと目黒写真館の館主故竹内清太郎さんは、幹部候補生隊の出張演習にも同行し、廠舎に宿泊して演習のスナップを撮影していた人だったそうだ。
鈴木時計店の鈴木虎男さん(故鈴木孝太郎松戸町長のご子息)と共に工兵学校にとても近かった存在だったようだ。現在は、目黒ビルがこの地に建っている。
←小道
松戸将棋クラブ

松戸将棋クラブ広告 近代将棋1970年3月号より
我が同級生は中学生の頃、この松戸将棋クラブに通っていた。彼も非常に優秀な成績も残している。自転車で行くと中部堂文具と目黒写真館の間に細い道があって、その先にある。自転車は空き地の様な場所に置いたそうだ。
中部堂文具
松戸二丁目1836

中部堂 2008年7月13日撮影
従業員数が8~10人と書かれていた。中部堂は東口にも店舗があったと思う。複数の店舗だったので、8~10人なのだろうと思う。何年前だったか、建物が解体された。中部小学校が正面にあった頃の名残の名前なんだろうなあ・・・私も時々買い物したよ。

中部堂広告
日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
上の写真はまだ中部堂が二階建てだった頃の写真です。この広告は日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より

中部堂広告 広報まつど 昭和33年
松戸幼稚園

松戸幼稚園
松戸町案内図
大正期
大正期の松戸町案内図に登場する幼稚園で、旧中部小学校の西側、中部堂文具店付近にあった幼稚園。
”松戸に根をおろした白馬会の画家 田中寅三”のP93に田中寅三さんの娘である中原千代子さんの文章があり、それによると、
「震災の年、私は松戸神社の近くのキリスト幼稚園、その後中部小学校の前の松戸幼稚園に入りました」とあり、画家田中寅三さんの娘さんがこの幼稚園に通っていた様だ。
鶴岡弓場、蒲焼き鶴岡
これらのお店、工場についてなにかご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお待ちします。
松戸中通り東側のそれぞれのお店について
松戸駅西口中通り商店街東側のお店説明
伊勢彦→磯貝商店
家主が磯貝氏。伊勢彦の時は酒屋だった。磯貝商店は後に磯貝ビルを建てて、一階はコンビニのニューチャーミー・イソガイで、地階にフレンチレストラン・リーヴが入っていた。私はリーヴのエスカルゴを食べて、その美味しさのあまり、再び食べたいと思って再訪したら閉店していた。2002年~2003年頃である。残念である。
その後磯貝ビルは建替えられ、現在は地上11階のMH45ビルとなっている。ヘアーサロンのCIELが入っているビルである。
開進

開進 2006年11月12日撮影
渡邊幸三郎先生の”昭和の松戸市”によれば「開進堂はミルクホール。今は裏通りで酒蔵。やきとりがうまい。宇田川姓。健在」と書かれている。つまり開進は元々駅前通りに面していて、開進堂というミルクホールだったようだ。ただ、大正期に作られた松戸町案内では、このミルクホールは描かれてない。
渡邊幸三郎先生の”昭和の松戸市”は昭和12年をベースに作られた家並みであった。そして、昭和35年の住宅地図では、中通りに少し入った所に開進酒場という記述が見えるので、戦争を挟んだある時期に酒蔵を始めたのだろうと思う。
開進は子供の頃、昭和42年前後に、親と一緒に行ったことがあった。焼き鳥ではなく、焼豚(やきとん)のお店で、美味しかったね。この店に関しては、以前、書いたことがあったが、いずれ何らかの形で復活させたい。近所の大先輩N氏は隣の松戸映画劇場に行く際、この開進で串焼きを買って食べたと話していらっしゃった。
私は親に連れられて、店内で食べたことがあった。開進は2016年9月30日をもって廃業してしまった。現在同地には神鶏という店が出来ている。


岡田靴店
このお店についてなにかご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお待ちします。
松戸映画劇場(松戸松竹館)、東映館
松戸1264

松竹館
2007年1月17日関宿屋様から寄贈写真
映画配給会社は大映及びセントラル映画社(連合国軍最高司令官総司令部の外郭団体として設立され、主に米国映画を配給)。映画館の構造は木造平屋、使用していた映写機・発声機は大正期から昭和初期における日本の2大映写機メーカーの一つで、ブランド名はローラーを使用。
定員は260席。経営は森本吉太郎氏と森本喜芳氏(映画年鑑 1951年版より)核時代の地図を読み込んでいくと呼び名が変っていて、当初は松戸映画館、松竹館と書かれた記述があるが、1966年は東映館だった。
松戸駅近辺には一般の映画館として、常磐館、輝竜会館、バンビ劇場、この松戸映画劇場とあった。後にアーバンヒル松戸が出来るとそこにサンリオ劇場が出来て、そのサンリオ劇場は西口公園前でサンシャイン劇場となった。いずれもすべて無くなった。松戸市で残っている映画館は三年ほど前に北部市場跡地に出来たテラスモール内のユナイテッド・シネマ テラスモール松戸映画館であろうか?
なんとも寂しい。この松戸映画劇場はベンチのような椅子で、座布団があったと聞いたことがあるが本当だろうか?上の写真は2007年1月17日関宿屋の八朗様から寄贈された写真。甘い生活という張り紙がある。これはイタリア映画でフェデリコ・フェリーニ監督による作品で、日本での公開は 1960(昭和35)年9月20日となので、昭和35-36年頃の写真であろう。
松の湯
この銭湯に関しては昭和の頃にたくさんあった松戸の銭湯を記録するで若干書いた。ここは大正時代の地図にも載っていた古くからある銭湯だったが、現存しない。ほぼ同地にスポーツクラブのNASがある。

松の湯 松戸案内(大正期)

松文堂

2001年11月撮影
松戸一丁目1268(現在:本町3-9)
随分古くからこの文房具屋はあった様だが、10数年前に廃業した。店主は金子辰次郎さん。
柴野医院
松戸1269
日本医籍録 : 附・医学博士録・法規 昭和7年版 医事時論社 編・著 医事時論社出版によれば、”柴野医院の柴野一郎先生は内兒科 明治30年8月5日生まれ。長野県出身大正八年千葉医専卒業。卒業後横浜難波病院広島県能美島大君養生院等勤務。昭和2年現地開業。趣味読書・園芸”と書かれている。
ただ、昭和29年に発行された”日本医籍録 昭和29年版 北海道・東北・関東・東海・信越・北陸”によると 柴野医院の院長が田中恵美氏となっていて、内小科、本県出身、大正11年4月1日生 昭和18年東女専卒 豊島区池袋大浜小児科病院勤務、昭和20年8月にこの松戸で開業となっている。
さらに日本医籍録 第24版(昭和31年)によれば、柴野医院の院長は本県出身の大元和子先生になっている。大元和子先生は結婚され改姓、国井和子先生となっている。
医院は世襲ではなくやはり、異なる医師に引き継いでもらうものなのだろうか?その後、1969年までの間の住宅地図が無く、1969年の住宅地図では同場所に柴野医院は無く、三河屋さん、小林印房さんの名前になっている。どこかに引っ越されたのか、それとも廃業されたのか?
(柴野医院)→甲陽堂小林印房→写真のアリーナ→まつど不動産

小林印房さんが高砂通りにあった頃の広告
昭和36年松戸商店街マップより
2011年くらいまでは小林印房(小林一さん)が営業していた。その後、旅券事務所が近いからか、2014年頃~2018年頃までは証明写真を撮影する写真アリーナというお店になり、2019年には退去、2020年頃にはまつど不動産という会社が出来て今に至る。
小林印房さんは元々、高砂通りでお店を出していたかたで、多分松戸駅西口都市区画整理が行われた後に、中通りに移られたのではないだろうか?
>戸張印刷所
松戸1270
戸張印刷さんは大正時代の松戸町案内のマップに掲載されていて、古くからある印刷屋さん。戸張印刷昭和16年は戸張仁助さんが社長。昭和39年頃は戸張誠さんが社長。
町山花店→傘のクサカ→ポニークリーニング
この場所は、色々な店舗が替わって行った。
町山花店さんは松戸駅付近の色々なところにあったイメージがある。一般に花屋さんは店頭小売と冠婚葬祭向けの二種類があるように思うが、町山花店さんはどちらなのかどうか?私も良く分からない。ただ、大正時代の松戸案内を見ると同場所は”花屋”と書かれていて、ああこの当時から町山花店があったのかな?と思わせるが、確証はない。
傘のクサカさんはかなり後年まであったので、その時代の印象は強い。
クサカさんは確か、洋服のベニヤさんと同系列で元々松戸駅前通りにお店があったと思う。傘の修理も出来る店だった。ただ、特殊な傘は修理できないらしく、張り紙で”骨が何本の傘は材料が無くて本当に出来ないんです・・・”というような趣旨の説明を書かれていたのを思い出す。
多分、「骨が16本の傘は、部品が無くて本当に出来ません」と書いてあったような記憶がある。古くからあったお店がなくなるのは寂しい。
石出商店
これらについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
岡田屋呉服店

岡田屋
2001年11月撮影
大正13年から続いているお店で、元々高塚新田から出てきた岡田さんが起こした店だったようだ。女将さんも粋な江戸っ子の女性的魅力のある方で、いつも良くしていただく。このお店では作務衣と下駄を新調した。お店に入ると印伝の財布があったり、久留米絣の生地があったり、見飽きない品揃えだ。
元々は呉服を扱う店だったが、需要から和の小物をメインに扱うお店になった。松戸の研究をしようと本町の色々なお店に通っていた頃、ここの岡田屋呉服店のムネさんとお会いし、色々な事を教わりました。店先の植物にも気を使っていらっしゃった方です。
ムネさんは居酒屋ひよしで”のんべい寄席”の主演をしていた柳家千寿さんには非常に厳しく接し、最初は驚いたが、実は非常に愛情のある方であることはすぐに分かった。ただ、このムネさんは十年前くらいに他界された。惜しいなあ・・・会いたいなあ・・・
旧こんぴら通り
白金樹脂工業
全国工場通覧 昭和29年版によれば「白金樹脂工業(株)松戸工場
松戸市本町2丁目1283 製品は合成樹脂身辺細貨品 (昭和28年当時の)代表は中嶋清三郎さん」となっていた。
白金樹脂工業さんは東京の白金で、昭和6年に創業した会社だが、松戸のこの地に工場を作ったのは昭和29年で、主な取扱品は 化粧品容器 医療容器などの成形品である。白金樹脂工業のホームページをみるととても美しい容器の写真があり、つい見とれてしまう。かなりのシェアを掴んでいるのでは?と考えている。
大正時代の松戸町案内には軍次屋と書かれていた。軍次屋は元々古ヶ崎の方だったが、松戸に出店したと聞いた。現在は松戸駅前通りに飲食店をされているが、大正時代はどうやら中通りにお店を出していたらしい。
松戸クリーニング
現存しない。現在同地は駐車場になっている。大正時代の松戸町案内には「たんごや」という店名が書かれているが、どんなお店だったのかは不明。
峰月菓子店

峰月さんの広告
日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
上の広告は日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
昭和25年の創業で、和菓子を扱っているお店、生クリームいちご大福を時々食べる。暑い時は葛アイスバーを食べる。関宿屋の八朗さんを通して、峰月のご主人とお近づきになる事が出来た。ほぼ15-6年前からであろうか?とてもにこやかな方で、令和7年まで松戸市観光協会会長の重職を担われていた。
峰月さんのホームページもある。
小道
永野洋裁店

日本商工業別明細図 千葉県松戸市より
東京交通社発行、日本商工業別明細図の千葉県松戸市に掲載されていた永野洋裁店の広告。洋裁、服地と下地の店となっている。その他、この洋裁店については情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
栗原医院
松戸1282
明治44年生まれの栗原修二先生が開業した外科、泌尿器科の医院です。栗原修二先生は昭和12年に日大卒業後、母校で外科及び慈恵医大科学教室にて研究をし、昭和23年8月に開業しました。
また同様に栗原俊子先生は内科で、昭和16年に東女専を卒業され、東京市本所区同愛記念病院内科勤務され、その後、修二先生と同様に昭和23年8月に開業。趣味は絵画だったそうです。
中通にはすでに栗原医院はありませんが、東口の栗原医院がどうやら、同系列らしく、さらに調査が必要そうです。
イマイカメラ

イマイ広告
日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より

イマイの広告
松戸市役所が発行する広報まつどに掲載されていた広告(1959年頃)
当時の広告は懐かしいです。抽選券なども発行していたんですね!シネとはシネマカメラ(動画用のカメラ)の事かな?現在は貸しビルでジャズのコルコバードが入っています。
俳優山﨑努さんのお住まい


表の家のご意見箱に書いてくださった方の情報によれば、イマイカメラと題目屋安藤豆腐店との間辺りに入ったところに、俳優の山﨑努さんが幼少の頃に住んでいたらしい。ウィキペディアでも”千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身”と書かれている。ただ、小学生及び中学生の頃、柏に疎開していたそうだ。
この為、小学校、中学校は柏で卒業したらしい。下記に少し掘り下げて書いてみました。ご興味のある方はどうぞ!

伊藤楽器
20歳の頃ピアノを習いにいった事があります。今はキテミテマツド内に教室があり健在。中通の店舗は貸しビルの様です。伊藤楽器さんは松戸まつりの時には中通りや他でエレクトーンのデモ演奏を行いますね。

題目屋安藤豆腐店

安藤豆腐店 2021年8月11日撮影
中部小学校が伊勢丹に代わる際に広い通りになったので、伊勢丹側に面して店舗を作りました。ご健在です。安藤豆腐店さんの豆腐は美味しくて、我が母も私もファンです。ロカスポ松戸市版で安藤豆腐店のご紹介をされています。明治25年創業だそうです。先日も娘の自由研究で色々とお話を伺いました。ありがとうございます。

道
中部小学校・中部小学校付属幼稚園

旧中部小校舎
松戸市役所発行
松戸市勢要覧より
松戸駅西口都市区画整理でこの地には後に伊勢丹が建設された。そして、中部小学校と中部小学校付属幼稚園は坂川向こうの現在の中央図書館付近に移転した。さらに時代を下り、現在はキテミテマツドになっています。
ヒカリ文庫
ヒカリ文庫は元々貸本屋だったのだが、後にスロットカーレース場になっていた時期がある。このヒカリ文庫に関しては”スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事”で書いています。ご参照下さい。

そば田中屋
この田中屋さんは新京成電鉄のCiaOCiaOというWebがあるが、その中に”100年続くおそば屋さん”という2016年の記事がある。そこには100年近く続いているという事だ。2016年の100年前は1916(大正5)年という事になるが、大正時代に作られた松戸町案内には記述がないので、多分、大正10-15年くらいの間ではなかろうか?歴史ありますね。
田中屋さんのお蕎麦は好きなお蕎麦です。そばの香りが漂ってきて美味しい蕎麦です。しかも手頃な庶民価格のお店ですね。現在はキテミテマツドの前の旧水戸街道に繋がる道に移られて久しいですが、いい店です。
関連ページ
この投稿は、昭和の松戸を歩くシリーズの関連投稿です。ご参考の為下記も御覧ください。









最後に
今まで昔日の松戸で一軒一軒の店の事を書いてましたが、もう少しマクロな見方が出来ないか考え、今回の形にしました。まだ、中通りのお店が全部網羅されていません。当初相模屋豆腐店さんから旧中部小学校・幼稚園までの記述でしたが、2021年8月21日松戸駅前通りから旧市役所通りまでに拡張しました。
昭和50年頃の中通りの写真を見たい方には
また当時の中通りの風景をご覧になりたい方は 新太郎の写真作品展を御覧ください。このページの”記録としての写真のページ”というページがありますので、そちらを御覧ください。懐かしい水戸街道の写真もありますよ。これはサン理容室の先代の新太郎さんが撮影された写真だそうです。


コメント
先日2回目ワクチン接種の為 キテミテマツドに向かった 接種会場は8階でエレベーターに乗り8階に着きドアが開いて周りを見渡して驚いた コンクリート打ちっぱなしで建設途中の様だった ここはかつて伊勢丹で8階は 本屋とおもちゃ売り場があった あの当時の華やかさを知るものとしては寂しさいっぱいだ キテミテマツドもなかなかテナントもうまらないし 8階もあのような緊急に使用する会場になってしまうのではないかと思う でももしテナントが入り8階もきれいな状態になる前にコンクリート打ちっぱなし状態を見れたことは当時の原風景を見たような感じで貴重な体験だった
キテミテマツドになってから、10階のフードコートは何度も行きましたが、8階は行ったことが無かった。打ち放しの状態でしたっけ・・・
伊勢丹の頃は娘を連れて行ったっけ・・・
キテミテマツドは段々テナントが埋まっていく感じですね・・・今後どうなっていくんだろう!?
ロピアは食材豊富なので、よく行きます。