昭和の頃の松戸駅西口中通り商店街の風景
上の航空写真は、国土地理院の空中写真の1961年~1969年における松戸駅西口の中通りの状況です。松戸駅前通りを境に北側に高砂通り、南側の千葉銀のある通りをふれあい通りと言うが、ふれあい通りを以前中通りと称した(2021年現在Google Mapを見ますと本町中通りと書かれています。名称変ったかな?)。
我が尊敬する松戸観光大使のI様の言葉を借りると「高砂通りは平潟から近いためか歓楽街的色彩が強く、中通りは役所通りから端を発する為、庶民の商店街的なイメージが強い」。確かに中通りは遊びのお店は少なく、実質的な商店、食堂が多く会ったように思います。そういった比べ方も見る上で面白いと思います。
昭和30-40年代の松戸駅西口中通り商店街マップ
下の図はUmapによるOpen Street Mapの所謂マイマップを作成したものです。ベースの地図は現在ですが、道路の位置やお店は昭和30-40年代のお店です。赤い道路が中通りです。
もう少し大きい画面で地図を見たい方はフルスクリーン表示をクリックをお願い致します。
松戸中通りの店舗リスト(昭和37~45年)
中通り西側(駅前通りから旧市役所通りまで)
駅前通り
- 小間物オリエンタル
- 辰光刃物
- 古市洋品
- 中山電気
- 上峠靴
- 秋本製綿所
- 浅野豆腐
- みのや玩具
- 相模屋飾菓子
- 洋品三河屋
- 天ぷら大栄
- ブリキ屋銅昇
- 長田
- 鈴川食堂
- 天ぷら
- 八百屋稲葉商店
旧こんぴら通り
- 相模屋豆腐店
- 丸井商店
- ミドリヤ食品店
- 質流品伊勢屋
- 伊藤薬局
道
- 山本ブリキ店
- 三松家
- 二軒長屋
- 染谷建具店
- 太公望
- 荒川電気商会
- 八百七
道
- モンダ書店
- ミウラ運動具店
- 菓子パン小松屋
- 襖新井
- 目黒写真館
- 中部堂文具
- 鶴岡弓場
- 蒲焼き鶴岡
- 蝶屋シャツ工場
旧市役所通り
中通り東側(駅前通りから旧市役所通りまで)
駅前通り
- 磯貝商店
- 開進
- 岡田靴店
- 松戸映画劇場
- 松の湯
- 松文堂
- 柴野医院
- 戸張印刷
- 町山花店
- 石出商店
- 岡田屋呉服店
旧こんぴら通り
- 白金樹脂工業
- 松戸クリーニング
- 峰月菓子店
道
- 永野洋裁店
- 栗原医院
- イマイカメラ
- 伊藤楽器
- 安藤豆腐店
道
- 中部小学校/中部幼稚園
- ヒカリ文庫
- そば田中屋
旧市役所通り
松戸中通り西側のそれぞれのお店について
松戸駅西口中通り商店街西側のお店説明
松戸駅前通りを境に北側に高砂通り、南側の千葉銀のある通りをふれあい通りと言うが、ふれあい通りを以前中通りと称した(2021年現在Google Mapを見ますと本町中通りと書かれています。名称変ったかな?)。中通りには焼き鳥の開進、松竹館(映画)、おせんべいのわたてつ、峰月、荒川電機、カメラのイマイなどがありさらに歩くと太公望があった。さらにその先には伊藤楽器、安藤豆腐店。
吉野靴店→小間物オリエンタル、
ここは元々吉野靴店だったが、後に小間物オリエンタルになった。
辰光刃物、古市洋品、中山電気、上峠靴
これらについては分からず、なにか情報をお持ちの方はアドバイスいただけますとありがたいです。2021年現在は無い。
秋本製綿所
旧水戸街道と松戸駅前通りの交差点に秋本糸店があり、その工場がこれ。秋本糸店自体は現在無く、貸しビルとなっており、この製綿所も現存しない。
浅野豆腐
この通りにはこの浅野豆腐、相模屋豆腐、題目屋安藤豆腐店の三つがあったことになる。同じ業種が三つもあったというのはそれだけ需要もあったという事だと思う。ただし、この三つの内浅野豆腐だけは現存しない。
みのや玩具
おもちゃ屋と言えば、東府屋か、わらそうか、このみのやだったと思う。残念ながらどのおもちゃ屋も現存しない。みのやは現在のふれあい通り(本町中通り)のカフェ・ベローチェ 松戸店の所にあった。松戸のおもちゃ屋については、松戸駅付近のおもちゃ屋さんについてで少し述べている。
(補足:カフェ・ベローチェさんの事なんですが、株式会社シャノアールと珈琲館株式会社が、2021年4月に合併し、新たにC-United株式会社としてスタートされたようです)
相模屋飾菓子
中通りには2つ和菓子屋さんがあるが、その一つがこの相模屋さんです。ここは昭和2年(1927年)創業。夏になるとかき氷も売っています。まちレポ!松戸【相模屋菓子店】~栗むし羊かんは全国区!昭和2年創業の老舗店~で紹介されています。和菓子の種類も多いです。
洋品三河屋、天ぷら大栄、ブリキ屋銅昇、長田、鈴川食堂、天ぷら、八百屋稲葉商店
これらについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
旧こんぴら通り
相模屋豆腐店
中通りというよりは旧こんぴら通りに面しているが、リストに入れた。創業80年と書かれているが、何年に創業なのかはお店の方に聞かないと分からない。風情のある建物で買ってみたく成るいい雰囲気を醸し出す店。隣にはすくもづか稲荷があり、がんもといなり寿司が美味しいらしい。ねこにゃんさんのブログに無添加豆腐・生揚げ・いなりが美味しい~松戸 相模屋豆腐店という記事がある。
ロカスポさんも、相模屋豆腐店さんのご紹介をしています。
丸井商店
丸井商店について情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
松廼家み登利→ミドリヤ食品店→みどり亭→サロン・ド・テ・美登利
大正時代に発行された松戸町案内には松廼家み登利と書かれていて、料亭が始まりの様である。神戸に松廼家という有名な料亭があるがそこの暖簾分けであろうか?大正時代に創業の様なので、2021年で創業100年くらいにはなるのであろう。歴史あるお店である。最近はみどり亭の一階をテナントで貸し、二階でそば粉のガレットなどを出すレストランを運営している。
この大正時代は相模屋豆腐店さんの所に松戸税務署があったようだ。少々驚きである。また、正面に軍次屋さんの名前が見られ、古ヶ崎出身で松戸駅近くに出店したと記憶していたが、元々はここにお店を出したのだろうか!?
伊勢屋質店
この広告は松戸市役所が発行している広報まつどの広告で1959年頃のものです。質屋さんで貸衣装もやっていたんだなあ・・・と感心しました。もちろん質流れ品も売っていたんですね!このお店はすでにありません。
伊藤薬局
これについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
道
山本ブリキ店、三松家
これらについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします
二軒長屋(松戸将棋クラブ)
太公望の裏付近に二軒長屋が点線で表示していますが、その付近に松戸将棋クラブがありました。我が同級生によれば、ここは神田鎮雄六段夫妻で運営されていたそうです。神田鎮雄さんは兵庫県西宮出身で、灘蓮照九段門下の棋士です。松戸にちなむ棋士がいた事になります。
父親は神田辰之助七段で、いわゆる”神田事件“の渦中にあった方(”神田事件“とは、実力名人戦を開始した1935年(
神田鎮雄七段は灘蓮照九段門下と書きましたが、灘蓮照九段は神田辰之助門下です。つまり、お父さんが間接的な師匠だった事になります。棋士系統図をご参照下さい。
https://www.shogi.or.jp/player/images/diagram202011.pdf
神田鎮雄棋士はその後、大分の温泉地で住んでいたが、1997年に他界されました。今の棋士の待遇は分かりませんが、当時の棋士は将棋の他に本業か副業が無いと生活も大変だった様です。
染谷建具店
太公望
上のマップのピンク色の家作が太公望。太公望は最初は今川焼のお店から始まったらしく、その後、鯉釣り専門の室内釣り堀となったようです(ご意見箱に書かれた情報によります)。後に金魚を売るようになり、ペットショップも始めた。房総白浜出身で近所に住んでいたF氏が釣り好きで、度々私を太公望に連れて行ってくれた。
店内に入ると中央に腰高の縁を回した堀がある。この堀の周りに暇そうな大人が釣り糸を垂れる。堀を見ると濃紺の水が張ってあり少々薬臭い。水中は殆ど見えない。店で長さ六十センチ程度の専用の簡易竹竿を借りる。然し、私はそもそも飽きっぽい性格でこの地味な遊びを楽しむことが出来なかった。
この堀には金魚も入っていた。鯉が本当にいるのかどうか疑わしいと思った事もあるが勿論大きな鯉を釣り上げる人もいた。江戸川や坂川も近いので、川に釣りに行けば良いと思いがちだが、近所で手軽に三十分間釣りが出来るという便利さは捨てがたいかもしれない。
坂川や江戸川に釣りに行くと半日から一日がかりになってしまう。釣り堀だったら重い荷物も要らないし、それが釣り堀の魅力であろう。今と違って娯楽の少なかった時代だ。この太公望は後に金魚屋さんやペットショップを経て駐車場に変わり、現在は再開発マンションがたち太公望は今は無き店となった。
太公望の二代目の方
2007年頃だったか”ルンルン”で、太公望の二代目の方(確か中村さん?いや山本さん?)とお話しする機会があった。お話の中心はやはり釣堀り太公望だ。鯉は何匹くらい放流していたのか、水の色の事など色々な疑問をぶつけてみた。二代目は「魚は一応放流していたが、えさをたんまり与えているからそう簡単には釣れないしくみになっていたのだよ」
なんて冗談まじりで気さくに話してくれた。
市川に通じる旧道の太公望
陣ヶ前から市川に通じる旧道に太公望という室内釣り堀があったが、あれは系列店だろうか?それとも中通りから移転したお店だろうか?だぁなさんの”だぁなりずむ”さんのブログの下記の記事で2010年6月6日に閉店したそうだ。
千葉県松戸市にある老舗の釣り堀「室内つり堀太公望」さんが2010年6月6日をもって閉店しました
荒川電気商会
上の広告は日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
荒川電気さんは中通りのこの場所にお店があった。大正時代の松戸町案内では荒川青物とあり、どうやら青果店だったようだ。その後荒川電気商会を始めたらしい。西口の都市区画整理の際に松戸駅前通りに移って、50年近く営業していた。お店は中二階、中地下階にはいるような感じでステップフロアになっていて、ありとあらゆる、たくさんの商品がおいてあり、秋葉原の電気部品街に行った感じになった。
したがって、電気関係で困ったことがあれば、荒川電気商会にいけばなんとかなる・・・と言った感じの個性的なお店であった。新しい店が松戸に出来ると面倒を見てあげたり、実に親切なお店であったが、残念ながら2021年現在建物を解体して更地のままである。この後どうなるのだろうか?
八百七
八百七さんは、何回か動きがあったようで、現在は元モンダ書店の位置で商売をされている。2021年現在、健在である。
道
モンダ書店
モンダ書店さんは元々菓子本もやっていたそうだ。大正時代の松戸町案内には掲載されていないので、多分、昭和に入ってから開業されたのかもしれない。月刊誌の冒険王が置かれていて、欲しかったのだが買えなかったあの頃を思い出す。
ミウラ運動具店
中学生の当時、六中や一中が必要な運動用具というとミウラ運動具店は御用達の様なお店であった。我が同級生のAさんも陸上部に入った時、尊敬する町山先生にこの店でスパイクを買ってもらったと述懐されていた。当時は運動用具も高くて、やっとだったんだろうなあ・・・
菓子パン小松屋
小学校が近かった為か、この小松屋さん、カツシカ屋さん、波場さんなどパン屋が多い。この広告を見ると美味しそうな気がします。
襖新井
襖新井については情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします
目黒写真館
この写真館は鈴木時計屋さんのお話によると陸軍工兵学校御用達の写真館だったそうだ。その為か、陸軍工兵学校の記念アルバムに目黒写真館の刻印がしてあるのを見たことがあった。現在は、目黒ビルがこの地に建っている。
中部堂文具
数年前だったか、建物が解体された。中部小学校が正面にあった頃の名残の名前なんだろうなあ・・・私も時々買い物したよ。
上の写真はまだ中部堂が二階建てだった頃の写真です。この広告は日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
鶴岡弓場、蒲焼き鶴岡、蝶屋シャツ工場
これらのお店、工場についてなにかご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお待ちします。
松戸中通り東側のそれぞれのお店について
松戸駅西口中通り商店街東側のお店説明
伊勢彦→磯貝商店
伊勢彦の時は酒屋、後にコンビニになった。現存せず。
開進
開進は子供の頃親と一緒に行ったことがあった。焼き鳥ではなく、焼豚(やきとん)のお店で、結構美味しかったね。この店に関しては、以前、書いたことがあったが、いずれ何らかの形で復活させたい。近所の大先輩N氏は隣の松戸映画劇場に行く際、この開進で串焼きを買って食べたと述懐していた。私もそんな感じで食べたことがあったが、意外に子供でも買いやすい雰囲気があったのかもしれない。
開進は2016年9月30日をもって廃業してしまった。現在同地には神鶏という店が出来ている。
岡田靴店
これらのお店、工場についてなにかご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお待ちします。
松戸映画劇場(松竹館)
松戸駅近辺には一般の映画館として、常磐館、輝竜会館、バンビ劇場、この松戸映画劇場とあった。後にアーバンヒル松戸が出来るとそこにサンリオ劇場が出来て、そのサンリオ劇場は西口公園前でサンシャイン劇場となった。いずれもすべて無くなった。松戸市で残っている映画館は三年ほど前に北部市場跡地に出来たテラスモール内のユナイテッド・シネマ テラスモール松戸映画館であろうか?
なんとも寂しい。この松戸映画劇場はベンチのような椅子で、座布団があったと聞いたことがあるが本当だろうか?上の写真は2007年1月17日関宿屋の八朗様から寄贈された写真。甘い生活という張り紙がある。これはイタリア映画でフェデリコ・フェリーニ監督による作品で、日本での公開は 1960(昭和35)年9月20日となので、昭和35-36年頃の写真であろう。
松の湯
この銭湯に関しては昭和の頃にたくさんあった松戸の銭湯を記録するで若干書いた。ここは大正時代の地図にも載っていた古くからある銭湯だったが、現存しない。ほぼ同地にスポーツクラブのNASがある。
松文堂
随分古くからこの文房具屋はあった10数年前に廃業した。
柴野医院→甲陽堂小林印房→不動産業?
柴野医院の時代はあまり良くわからないが、暫く小林印房が営業していた。その後、旅券事務所が近いので証明写真を撮影するお店になり、現在は不動産業らしきオフィスが出来て今に至る。小林印房さんは元々、高砂通りでお店を出していたかたで、多分松戸駅西口都市区画整理が行われた後に、中通りに移られたのではないだろうか?
戸張印刷
戸張印刷さんは大正時代の松戸町案内のマップに掲載されていて、古くからある印刷屋さん。
町山花店→傘のクサカ→ポニークリーニング
傘のクサカさんの時代の印象が強い。クサカさんは確か、洋服のベニヤさんと同系列で元々松戸駅前通りにお店があったと思う。傘の修理も出来る店だった。ただ、中国産などの特殊な傘は修理できないらしく、張り紙でそんな説明を書かれていたのを思い出す。古くからあったお店がなくなるのは寂しい。
石出商店
これらについては情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
岡田屋呉服店
大正13年から続いているお店で、元々高塚新田から出てきた岡田さんが起こした店だったようだ。女将さんも粋な江戸っ子の女性的魅力のある方で、いつも良くしていただく。このお店では作務衣と下駄を新調した。お店に入ると印伝の財布があったり、久留米絣の生地があったり、見飽きない品揃えだ。元々は呉服を扱う店だったが、需要から和の小物をメインに扱うお店になった。
松戸の研究をしようと本町の色々なお店に通っていた頃、ここの岡田屋呉服店のムネさんとお会いし、色々な事を教わりました。店先の植物にも気を使っていらっしゃった方で、ひよしで落語をしていた柳家千寿さんには非常に厳しい方だったが、同時に愛情のある方であることはすぐに分かった。ただ、このムネさんは十年前くらいに他界された。惜しいなあ・・・会いたいなあ・・・
旧こんぴら通り
白金樹脂工業
白金樹脂工業さんは昭和6年創業の会社だが、松戸のこの地に工場を作ったのは昭和29年で、主な取扱品は 化粧品容器 医療容器などの成形品である。白金樹脂工業のホームページをみるととても美しい容器の写真があり、つい見とれてしまう。かなりのシェアを掴んでいるのでは?と考えている。
大正時代の松戸町案内には軍次屋と書かれていた。軍次屋は元々古ヶ崎の方だったが、松戸に出店したと聞いた。現在は松戸駅前通りに飲食店をされているが、大正時代はどうやら中通りにお店を出していたらしい。
松戸クリーニング
現存しない。現在同地は駐車場になっている。大正時代の松戸町案内には「たんごや」という店名が書かれているが、どんなお店だったのかは不明。
峰月菓子店
上の広告は日本商工業別明細図(松戸市)昭和32年より
昭和25年の創業で、和菓子を扱っているお店、生クリームいちご大福を時々食べる。暑い時は葛アイスバーを食べる。関宿屋の八朗さんを通して、峰月のご主人とお近づきになる事が出来た。ほぼ15-6年前からであろうか?とてもにこやかな方で、現在は松戸市観光協会会長の重職を担われている。峰月さんのホームページもある。
小道
永野洋裁店
この洋裁店については情報がありません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
栗原医院
東口の市役所近くに栗原医院がありますが、中通りから東口に移られたのかどうかは、分かりません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
イマイカメラ
当時の広告は懐かしいです。抽選券なども発行していたんですね!シネとはシネマカメラ(動画用のカメラ)の事かな?現在は貸しビルでジャズのコルコバードが入っています。
俳優山崎努さんのお住まい
表の家のご意見箱に書いてくださった方の情報によれば、イマイカメラと題目屋安藤豆腐店との間辺りに入ったところに、俳優の山崎努さんが幼少の頃に住んでいたらしい。ウィキペディアでも”千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身”と書かれている。ただ、小学生及び中学生の頃、柏に疎開していたそうだ。,この為、小学校、中学校は柏で卒業したらしい。
下記に少し掘り下げて書いてみました。
伊藤楽器
20歳の頃ピアノを習いにいった事があります。今はキテミテマツド内に教室があり健在。中通の店舗は貸しビルの様です。伊藤楽器さんは松戸まつりの時には中通りや他でエレクトーンのデモ演奏を行いますね。
題目屋安藤豆腐店
中部小学校が伊勢丹に代わる際に広い通りになったので、伊勢丹側に面して店舗を作りました。ご健在です。安藤豆腐店さんの豆腐は美味しくて、我が母も私もファンです。ロカスポ松戸市版で安藤豆腐店のご紹介をされています。明治25年創業だそうです。先日も娘の自由研究で色々とお話を伺いました。ありがとうございます。
道
中部小学校・中部小学校付属幼稚園
松戸駅西口都市区画整理でこの地には後に伊勢丹が建設された。そして、中部小学校と中部小学校付属幼稚園は坂川向こうの現在の中央図書館付近に移転した。さらに時代を下り、現在はキテミテマツドになっています。
ヒカリ文庫
ヒカリ文庫は元々貸本屋だったのだが、後にスロットカーレース場になっていた時期がある。このヒカリ文庫に関しては”スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事”で書いています。ご参照下さい。
そば田中屋
この田中屋さんは新京成電鉄のCiaOCiaOというWebがあるが、その中に”100年続くおそば屋さん”という2016年の記事がある。そこには100年近く続いているという事だ。2016年の100年前は1916(大正5)年という事になるが、大正時代に作られた松戸町案内には記述がないので、多分、大正10-15年くらいの間ではなかろうか?歴史ありますね。
田中屋さんのお蕎麦は好きなお蕎麦です。そばの香りが漂ってきて美味しい蕎麦です。しかも手頃な庶民価格のお店ですね。現在はキテミテマツドの前の旧水戸街道に繋がる道に移られて久しいですが、いい店です。
関連ページ
この投稿は、昭和の松戸を歩くシリーズの関連投稿です。ご参考の為下記も御覧ください。
最後に
今まで昔日の松戸で一軒一軒の店の事を書いてましたが、もう少しマクロな見方が出来ないか考え、今回の形にしました。まだ、中通りのお店が全部網羅されていません。当初相模屋豆腐店さんから旧中部小学校・幼稚園までの記述でしたが、2021年8月21日松戸駅前通りから旧市役所通りまでに拡張しました。
昭和50年頃の中通りの写真を見たい方には
また当時の中通りの風景をご覧になりたい方は 新太郎の写真作品展を御覧ください。このページの”記録としての写真のページ”というページがありますので、そちらを御覧ください。懐かしい水戸街道の写真もありますよ。これはサン理容室の先代の新太郎さんが撮影された写真だそうです。
コメント
先日2回目ワクチン接種の為 キテミテマツドに向かった 接種会場は8階でエレベーターに乗り8階に着きドアが開いて周りを見渡して驚いた コンクリート打ちっぱなしで建設途中の様だった ここはかつて伊勢丹で8階は 本屋とおもちゃ売り場があった あの当時の華やかさを知るものとしては寂しさいっぱいだ キテミテマツドもなかなかテナントもうまらないし 8階もあのような緊急に使用する会場になってしまうのではないかと思う でももしテナントが入り8階もきれいな状態になる前にコンクリート打ちっぱなし状態を見れたことは当時の原風景を見たような感じで貴重な体験だった
キテミテマツドになってから、10階のフードコートは何度も行きましたが、8階は行ったことが無かった。打ち放しの状態でしたっけ・・・
伊勢丹の頃は娘を連れて行ったっけ・・・
キテミテマツドは段々テナントが埋まっていく感じですね・・・今後どうなっていくんだろう!?
ロピアは食材豊富なので、よく行きます。