- 松戸市立第六中学校の今昔
- 過去の空中写真と現在に近い空中写真でその違いを感じる
- 1974-78年の空中写真と現在の空中写真は何処が違うか
- 1: JR東日本(国鉄)の社宅は当時も今も変わらない(六中の左方向にある四つの細長い団地)。
- 2: 六中ーJR社宅間を結ぶラインの北側は住宅がかなり増えている。その南側は依然として畑として残っている様子
- 3: 六中の南側の住宅は昭和45年当時、すでに密集していた
- 4: 松戸いずみ幼稚園の街区の緑地と風早神社付近の森は現在の方が樹木が多い
- 5: JR東日本社宅北側の南花島公園の周囲の住宅は現在かなり増えている。
- 6: 新京成電鉄の線路両側は現在の方が住宅が密集している。
- 7: 昭和45年には六中校舎が南西方向に三つ旧校舎が並び、新校舎が加わっているが、現在は元あった新校舎の一つは残して、基本的に北西部で直線に並んでいる。
- 校舎の歴史
- 現在の周辺状況
- 私が六中に通っていた当時の運動会風景
- あとがき
松戸市立第六中学校の今昔
松戸市立第六中学校がまだ、上本郷駅近くにあった頃を記録して、現在の松戸市立上本郷第二小学校に至るまでの色々を考えてみたい。
過去の空中写真と現在に近い空中写真でその違いを感じる
時系列的に我々が学んでいた頃に近い校舎の空中写真と現在の空中写真を比べます。
松戸市立第六中学校が新京成上本郷駅近くにあった1974-1978年ころの六中を中心にした空中写真(国土地理院)
現在の松戸市立上本郷第二小学校(元松戸市立第六中学校)を中心にした空中写真 Google Mapより
1974-78年の空中写真と現在の空中写真は何処が違うか
松戸市立第六中学校は私が通っていた昭和45年前後には、現在の松戸市立上本郷第二小学校の場所にありました。2004年頃にそっと現在の松戸市立上本郷第二小学校に行ってみたが、随分と様子が違っていた。これを国土地理院の航空写真と比較してみた。
1: JR東日本(国鉄)の社宅は当時も今も変わらない(六中の左方向にある四つの細長い団地)。
この国鉄の社宅に住んでいた同級生もいました。栄松寺のすぐ裏手です。木造家屋に住んでいた私には憧れがありました。
2: 六中ーJR社宅間を結ぶラインの北側は住宅がかなり増えている。その南側は依然として畑として残っている様子
東葛地域の総代社であった風早神社の斜面地から湧き出ている湧水池湧き出してくる宮ノ下湧水のある街区とさじきはら乳業 松戸中央宅配センターがある住宅街区は密度が埋まっている。
3: 六中の南側の住宅は昭和45年当時、すでに密集していた
この一帯は1950年に松戸市立農商高等学校の跡地を再開発し、住宅にした部分と思われる。この為、この地域の中でももっとも早く開発住宅化された場所という事であろう。後に農商高等学校の農業科は東葛高校に吸収、商業科は松戸市立松戸高校に吸収された。
4: 松戸いずみ幼稚園の街区の緑地と風早神社付近の森は現在の方が樹木が多い
昭和40年代は開発の時代だったのだろうか?むしろ、今より山の地肌が見えているように感じる。松戸いずみ幼稚園の街区の上には松戸レジャーランドが開発されていたので、緑地が少なくなっていたのかもしれない。
5: JR東日本社宅北側の南花島公園の周囲の住宅は現在かなり増えている。
南花島公園の周辺はスカスカ。我が同級生でプロレス大好き少年のYT君が住んでいたっけ・・・その後この近くにはスーパー”おっ母さん”や割烹料理屋さんもあった。それだけ需要があったのであろう。2021年現在はその両方とも無い。
6: 新京成電鉄の線路両側は現在の方が住宅が密集している。
新京成電鉄の走るエリアの両側は昭和40年代当時はスカスカだが、現在はかなり建設されている。
7: 昭和45年には六中校舎が南西方向に三つ旧校舎が並び、新校舎が加わっているが、現在は元あった新校舎の一つは残して、基本的に北西部で直線に並んでいる。
部分的には畑のままの所はあるが、全体としては住宅が密集してきた様に感じる。校舎の配置が変わり、旧校舎が配置されていた高台は削られ、校庭側の土地と同じ高さまで掘削されていた。この事から多分校庭は直線距離を確保できるように計画された。同時に校庭が細長くなったのではないだろうか?
校舎の歴史
我々が学んだ松戸市立第六中学校の校舎が建てられたのはいつか?
これは我々が上本郷駅近くの松戸市立第六中学校で学んだ頃の六中の校舎が新築された時の記事です。

昭和35年10月15日号 広報まつど 六中新築工事の記事より
松戸市役所の発行した広報まつど1960(昭和35)年10月15日号の記事にはこのように書かれている。写真は殆ど見えません。
仮校舎に専修高校を
新築中の第六中学校
第六中学校の校舎新築工事は九月から始まりました。来年の三月末には木造二階建、十八教室が新しく誕生することとなっています。
工事期間中は上本郷の専修大学松戸高校の一部施設を借りうけ、授業をしております。
八月中に行われた植木やその他の学校施設の移転には、三日間にわたる三百名ものPTAの奉仕があり、学校当局から感謝されています。
現在旧校舎は全部とり除かれ、その下の北方約四千坪が、新築される場所です。校舎の新築工事は二千三百万円、敷地工事は七百六十万円で、京成建設で工事します。
(写真は新校舎)
つまり、
- 1960(昭和35)年9月:六中校舎の新築工事開始
- 1961(昭和36)年3月末:竣工予定
という事になります。京成建設は京成電鉄グループで健在。
六中新校舎落成

六中新校舎落成
昭和36年5月15日号 広報まつど
松戸市役所の発行した広報まつど1960(昭和36)年5月15日号の記事にはこのように書かれている。
昨年九月から工事中であった、第六中学校(生徒数五七○名)の新築工事が、完成しました。落成式は今月下旬行われる予定です。これは今まで台上にあった校地を北側におろし、三棟、七百七十坪を新築したものです。普通教室十三、特別教室五、講堂(102坪)、諸施設も完備しています。屋根はスレート葺き、木造二階建です。(写真は六中新校舎)
1962(昭和37)年3月20日当時の六中旧正門付近

1962(昭和37)年3月20日撮影、旧正門前から
写真はうしとら様提供です。お父様が当時撮影したそうです。
この写真は、表の家にたくさんのコメントをいただいているうしとら様から提供された1962(昭和37)年3月20日撮影の旧正門方向から見た校舎写真です。お父様が撮影したものだそうです。ありがとうございます。使わせていただきます。
校舎の背景に見える山林は風早神社方面で斜面林になっているところです。旧正門の中央から右斜方向に舗装していない道が見えるがこれが現在ある道。この道の左手前の空き地に文房具の”ナオミ”さんが後に建てられます。そのナオミさんの土地の後ろにフェンスが見えますが、このフェンスの先は擁壁があって、崖になっている場所です。崖の下には当時は畑が広がっていた場所です。
さらに正門の右側の空き地は現在住宅が建設されています。
1972(昭和47)年当時の六中旧正門付近

昭和47年の旧正門方向から見た校舎
卒業アルバムから
この写真は、私が卒業する時の卒業アルバムの写真です。1972(昭和47)年の旧正門側から見た校舎の写真です。掲示板が設置されたり、二階のストーブ煙突がちょっと曲がっている所くらいの違いで、昭和37年の状態と殆ど変わりません。落成した時の新聞記事を見ると屋根はスレート葺と説明されています。
でも、この写真を見ても、実際の私の記憶でもあの屋根は、あれはセメント瓦(平型タイプ)だったんじゃないか?と思っています。ちなみにセメント瓦の平瓦の掲載されているページがありますので、ご参考まで!

1972(昭和47)年当時の六中状況

松戸市役所の市制施行40周年記念事業実行委員会が1984年に発行した「松戸市の歩み写真集」より転載
この写真は当時の六中校舎の写真で松戸市役所の市制施行40周年記念事業実行委員会が1984年に発行した「松戸市の歩み写真集」より転載させていただいた。写真の様に六中の頃は木造の校舎が高さ5メートルほどの高台に三棟並んでいた。一番奥に講堂があり、犬走りで卓球部が素振りをしている姿が見られた。手前と二番目に教室があり、パンの売店は真ん中の校舎だった。
校長室や職員室は一番左の建物の一階正門側、体育準備室は同建物の校庭に近い方にあった。高台に下にバレーボールのコートがあり、表の家近所の松戸商事のお嬢さんが華麗に練習していた。又、生徒会長になった松尾君はこの校庭で選挙演説の時に「ベストよりベター」という名文句を残した。
校舎後方かなり先の方にあるビルは多分、阪田工務店の阪田マンションだと思う。上本郷第二小学校に変わった後、この当時の木造の三棟校舎のあった高台は全部切り取られ、校庭と同じ地盤面の平地になってしまい、当時の面影は殆ど無い。辛うじて変わってなかったのは校庭向かいの斜面林。
1978(昭和53)年松戸市千駄堀に新校舎及び付随施設を建設し、移転
現在の千駄堀の六中校舎はこの年以降であるという事になります。
現在の周辺状況
2021年の上本郷第二小学校(元第六中学校)の様子

上本郷第二小学校校舎 2021年5月8日撮影
松戸市上本郷の旧松戸市立第六中学校校庭に行った。現在ここは上本郷第二小学校になっている。正面に見えるフェンスの先には旧校舎が三棟並んでいた。その旧校舎の地盤が写真のように低くなってしまった、校庭の一部になっている。この斜面林はかつての六中と変わらないように思う。
正門と正門前の文房具屋さん”ナオミ”跡地

正門2021年5月8日撮影
正門は一番左の校舎の妻面にあり、正門の外に「ナオミ」という文房具屋さんがあった。「ナオミ」では数枚単位で塩せんべいが買えた。紙の袋に入っていて枚数によって値段が違う。必要な分だけを手持ちのお金の範囲で買うことが出来た。買い物をすると「ナオミ」のサービス券をくれた。このサービス券は金券となり次の買い物で使うことが出来た。
その他同級生のA君の家で営業していた「安藤文具店」もすぐ近くにあった。A君は北部小学校5年生の頃転校してきた友人だ。小学生当時は同じクラスで、同じ六中に入学した。A君はとても優秀な人物だった。安藤文具店はその後廃業して、運営者が誰かは不明だが飲食店になっている。
本福寺方面に登る階段

うさぎ跳びにこの階段を使った 2021年5月8日撮影
中学生の頃、陸上部に所属しており、訓練の一環でこの階段を上り下りしながら、ウサギ跳びをやらされた(2021年5月8日撮影)。
これは本福寺方面に登る階段。昭和45年頃、松戸レジャーセンターと云うボーリング場がこの上にあった。現在松戸レジャーセンターは無い。探してみたのだがよく分からなかった。

高台からの長め 2021年5月8日撮影
階段上の高台からの眺めは今も昔も見通せる。
宮ノ下湧水2021年5月8日撮影

宮ノ下湧水看板 2021年5月8日撮影

宮ノ下湧水のベンチ 2021年5月8日撮影

湧水池 2021年5月8日撮影
ここは現在の上本郷第二小学校の校庭から風早神社の山裾沿いに歩いていくと見つけられる。校庭からは基本的にフェンス外の場所ではある。山裾は自然の湧き水が池のようになっている。写真宮ノ下湧水と書かれた看板の付近は何となく水を人工的に流している様に見えた。
現在の南花島公園 2021年5月8日

南花島公園 2021年5月8日撮影
南花島公園は私が中学生だった頃は土の地面ばかりが目立つ公園だったが、現在は写真のように緑でこんもりしていて涼しげだった。
私が六中に通っていた当時の運動会風景
六中の運動会風景1971年撮影

正面は風早神社方面の森と高台。 正面に運動具を置いてあった倉庫が、その左はバスケットボールのコートが見える。 走り方が中々綺麗でよろしい。1971年撮影

正面の山は本福寺方面 1971年撮影

フォークダンスにはドキドキした。右の方に私が撮っている。fork dance 1971撮影

中央男性は私。向かって私の右側はKY君、左側はJI君 1971年撮影
あとがき
2021年5月3日、この”松戸市立第六中学校の今昔”と内容がダブるところを無くすため、”昔日の松戸”の投稿記事である”89 松戸市立第六中学校校舎跡地-上本郷”を削除、この記事と合体、さらに写真を動的なデータに替えた。
2021年12月10日、うしとら様より寄贈された昭和37年の旧正門前の写真を掲載しました。また、参考の為にその十年後の昭和47年の旧正門方向から見た校舎の写真を加えました。
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