76 竹ヶ花の山長さんは蕎麦屋と和菓子屋の合体したお店だった

山長昔日の松戸
山長

山長(和菓子)のおかみさん

最近、山長のおかみさんと松戸駅付近でばったりお会いした。私自身かれこれ三十年は山長には行ってないのに私の事を覚えていてくださっていて、しかも実名で声を掛けられた。気さくな方でニコニコしている。勿論私も会釈する。また、ダイエーでも良くお会いする。とても大きな声で話しかけられる。

おかみさんはいつも人懐っこい

柏餅

パクタソさんのフリー写真素材

商売というのは不思議なもので普段あまりこないお客でもちょっとした言葉使い如何で、そのお客が「たまには行ってみようか」という気持ちになったり、悲しいかな逆に遠ざけてしまうことがある。例えば、久しぶりに訪れた店先で例えば「今、マグロのいいところを入れているんですよ!」というように自然に声を掛けられれば「うん!買ってみようかな」という気持ちにさせられる。反対に「お客さん、最近来ないね」と皮肉を言われると、二度とその店に近づけなくなる。客としてのこの心理変化は微妙だ。

山長はまさに前者で、あの笑顔に引きずられるようにしてたまには行ってみようかという気持ちにさせられる。先日帰宅中、山長が店じまいの最中だったので、ついフラフラフラと立ち寄った。赤飯を食べたくなったからだ。

おはぎのサービスをしてくれた

赤飯

いらすとやさんのイラスト

私が「赤飯ふたつください」というと懐かしむような憂いのある笑顔で「もう今晩は遅いし終わりだから、おはぎをサービスするわヨ」と言って赤飯の横にガリを置き、さらにその横におはぎを置いた。三十年来変わらないこげ茶のロゴの入った包装紙で包んでくれる。現在、赤飯を買ってガリを入れてくれるのが常識なのか私は知らない。ただ、このとき何とも言えない新鮮さと嬉しさでいっぱいになったと記しておきたい。

おはぎ

フリー素材.comさんより

蕎麦屋と和菓子の二軒長屋

左側がそば屋で右側が和菓子+軽飲食を営業していた。両店舗は壁一枚で仕切られているだけで、壁の一部に四十五センチ角程度の小さな小窓があって、品物の受け渡しが出来た。松戸ベスト100のミスターTさんはクリームソーダを山長で飲んだ話を書いていた。私は和菓子の山長のメニュー内容はすっかり忘れた。

左のそば屋に居て、あんみつが食べたければ、店主が自動的に例の小窓から隣の和菓子山長に注文する事が出来た。程なくして小窓からアンミツがサービスされてくる。連係プレイになっていたのだ。

初めて山長に入ったのは

あんみつ

いらすとやさんのイラスト

昭和三十八年、小学校の入学式の帰りだと思うが、母と山長に行くと同級生の斉藤君とばったり会った。彼もやはり母親に連れられて来ていた。それ以来斉藤君は私の事を「山長君」と呼んでいた。何年前だったか隣のそば屋の親父さんは体が弱くなり廃業した。現在はリフォームして住宅の構えになってしまっている。和菓子山長は現在テーブル席がなく販売のみになっている。

ところでこの界隈で蕎麦屋は「美寿可」が健在だ。私の知り合いでわざわざ遠くから来る人がいるらしい。「美寿可」が古い店舗の頃は店先によくタクシーが停まっていて運転手さん御用達の店だったらしいが、何故か建物を建て替えてからはタクシーの姿はほとんど見かけなくなった。(注:2021年現在、「美寿可」さんはすでに廃業され、同地にセブンイレブンが出来ている)

「デレソバ」はどこだったのか?

都鳥という店も山長付近にあった。殆どが出前専門だったようだが、印象に浅い。私が生まれ

蕎麦

パクタソさんのフリー素材です

る前、昭和二十年代だろうか、父によれば山長でもなく、都鳥でもなく、美寿可でもない、まったく別なそば屋があの界隈にあったらしい。店名知らず、通称「デレソバ」と呼ばれていたらしい。どんな蕎麦だったか食べてない私には評論できないのでなぜデレソバと呼ばれたのか父にその理由を聞いたが何も言わなかった。

記事トップの写真は二○○一年当時の山長さん、左側がそば屋、右側が和菓子屋。

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