根本の商店街 アーバンヒル松戸周辺
上は国土地理院による1984~1986年頃の空中写真で、アーバンヒル松戸と周辺の商店を撮影したもの。アーバンヒル松戸が出来た頃は、私はまだピカピカの新入社員の頃だった。通勤路は東口側で金山神社の横、線路沿いの道を歩いて駅に向かっていたので、このアーバンヒルが完成する姿を毎日眺めることが出来た。当時はすでにダイエーやイトーヨーカ堂などの大型店も出来ていたが、一般店舗も飲食店も概ね元気だった。
この1980年代(1970年代も含む)のアーバンヒル松戸周りの商店について記録を残したい。
アーバンヒル松戸周辺の商店マップ
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このマップはuMap(OpenStreetMapのマイマップを作る機能)に1980年代にあった商店他のプロットをしたものです。一部もう少し古い店舗もあるかもしれませんんが、ご容赦下さい。
アーバンヒル松戸周辺の商店リスト
アーバンヒル側
- 中銀松戸
- Tビル
- アーバンヒル松戸
- 松戸サンリオ劇場
- 埼玉屋ビル
旧水戸街道ブロック
- 千葉興業銀行
- マルタ屋
- 陣太鼓
- 斎藤商店
- 根本畳店
- 美幸寿司
旧水戸街道から二番目のブロック
- 美知美容室
- アカトリヰ額縁
- じゅん
- 珈琲人
- 塩谷刃物店
旧水戸街道から三番目のブロック
- むさしや靴店
- 加藤ふとん店
- ホテルまつ
- 伊織表具店、
- 榎本ビル(駄菓子屋など)
- 南風
- えちぜん
- 香龍
アーバンヒル松戸周辺の商店・飲食店補足
中銀ビル
元々この場所は川友自転車があった所で、昭和39年前後だったと思うが、権利関係が変わり東葛信用組合他が入った東信ビルになった(松戸駅東口のメガネ屋さんが入っている三角ビルも確か東信ビルだった)。その後、東葛信用組合は合併などにより、後に東京ベイ信用金庫になる。その途中の過程で、不動産の中銀(なかぎん)が、分譲マンションとして、中銀松戸マンシオンを1984年8月に竣工した。
この中銀ビルの一階はアーケードになっていて、店舗が入れるようになっている。これらの店舗については把握しきれない事もあり、網羅できないが、長く続いていたのが、岩間風呂店だったが、3-4年前だったか残念ながら廃業された。その店舗スペースには現在、中村床屋さん(根本薬局近くから移動)が営業されている。
串揚げ”味”
その他分かるところでは吉祥寺に近い店舗スペースで、串揚げ”味”→ラムセス→サハリン→松戸香房(現在)と変遷している。串揚げのお店”味”は元々アーバンヒル松戸に入っていたお店で、何度か行ったことがあったが、十数年前に金沢に移動し、息子さんが串揚げの店を始めたとの事だった。一度金沢に行ったのだが、タイミングが合わず残念ながらいけなかった。串揚げ”味”金沢
ラムセス→サハリン
その後出来たラムセスはエジプト料理の店で、週末にベリーダンスを披露する店だったが、当時は入ったことが無かった。暫く、ラムセス像が店の前に置いてあったが、サハリンになって運営者が変わると、そのラムセス像は裏に撤去されていた。お店はロシアの人達が運営していたが、調理人のマルクさんだったか、良く金松堂横の飯島さんの中華のお店によく来ていた。その関係でサハリンでは食べた。ひよこ豆のパテのようなものを食べた記憶がある。
松戸香房→居酒屋せいじ
松戸香房は担々麺を出すお店で、確か福州出身のご夫妻で運営している。お二人共愛想が良い。
中国物産店→てんつぼ→独一家熟食坊
その隣の店舗スペースは最初どんな店舗だったかよく知らないのだが、後に中国物産店みたいなお店が出来て、後にてんつぼという刺し身を頑張っている店が出来た。非常に人気店である。
ただ、令和6年の2月頃だと思ったが、独一家熟食坊というテイクアウトの中華調理肉類のお店になった。お店に入ると八角の香りがただよい、BBQポーク、BBQビーフ、BBQ鴨、BBQ鶏、煮卵などが冷蔵ケースの中で陳列されている。何となく香港に住んでいた事を思い出し、二度ほど買ったことがある。
その他
その他、この中銀マンションには一兆やからあげの店やクマゲラなどがあったが、それはいずれおいおい書いていきたい。乞うご期待。
Tビル
Tビルは2階までが店舗スペースで、その上は住居用マンションになっているビル。ビルオーナーのTさんとは食事もした事があるが、とても親切な方である。Tさんの父親だったか祖父の代ではあられ屋をやっていたそうだ。あられについて聞くと色々と教えてくださった。このTビルの一階は、青山○○とかいう洋物の小物のお店があった。その後、ローソンが出来て、現在は美容院になっている。
ビルは隣のアーバンヒル松戸が建った時に建てたようで、建設会社も同じ間組だったと思う。
アーバンヒル松戸
上の空中写真(1988年~1990年)は国土地理院がアーバンヒル松戸を中心に撮影したもの。
1980年頃松戸市根本の現在のパークスカイタワー(マンション)の場所にアーバンヒル松戸というショッピング施設が出来た。設計はあの有名な黒川紀章氏。当時私は建築学科を卒業して間もない頃で、建築設計を目指す人間として革新的なこの建物を歓迎、非常に興味深く見ていた。ところが、一般市民からは概ね後ろ向きの感想を聞いた。
- 松戸駅からのアクセスが分かりにくい
- 分かりやすい線路沿いの道はあるが途中にボックスヒルの搬出入口があり、ゴミが出たり入ったりしている。
- アーバンヒルのショップは空調された廊下がなく隣の店に行くのに雨の日は傘を差さないといけない。
それでも建物が出来た当初は賑やかだった。同級生のA氏を連れ立っていってみると、実に活気があり毎週週末にはチアリーダーやバンドで大賑わいだった。有名無名のミュージシャンも来ていた。The Alfeeが1981(昭和五十六)年八月二十九日、ルースターズが1981(昭和五十六)年三月一日にコンサートした記録が残っている。
浜田省吾も来ていたらしいが私は記憶がない。私と同年代のメンバーで構成されていた、松戸出身のバンド『ウシャコダ』もコンサートしていた筈だ。キュウリとトマトをジャケットにした『ウシャコダ』の「パワフルサラダ」というアルバムを買ったのもアーバンヒルが出来た頃だったと思う。
ターゲット
アーバンヒル松戸の中にモデルガンのお店があった。アーバンヒルが廃墟のようになって以降もターゲットはあったが、後に根本橋付近に引っ越した。
松戸ボウル
アーバンヒルが出来る前には実は松戸ボウルがあった。広告はプロボウラー井上正男さんの華麗なるフォームの写真。私が初めてボウリングをしたのはこの松戸ボウル。貸しボウルだったけど、手が真っ黒くたったっけ・・・笑
松戸工具株式会社
実は松戸ボウルの前は松戸工具という金物の工場があった(1960年代)。詳しくは分からないが、塩谷刃物店はこの松戸工具の所にあった店舗なので、多分関連があったんだろうなあ・・・
さて、うしとらさんの調査によると、下記のページがあるようです。えらく詳しい。
松戸サンリオ劇場
アーバンヒルに併設される形で向かって右側に出来た映画館。私も何回か見に行ったことがあった。同級生のAさんと行ったこともあって、その時は柄本明が出演したATGで、ヒポクラテスたちという医学生の映画だった。柄本明も若かったなあ・・・
埼玉屋ビル
ここの左には恩田文具店、右側が写真のアビーロードがあった。期限が過ぎるとCDの割引をしたり、私は良くこのアビーロードに通ったものだ。ここ二年前くらいだったか、この建物も建て替えられて、全階住居専用のマンションになってしまった。とても寂しい。ミスターT(お姉さんも含めて)がこのアビーロードを大事にしていたようですね!
こういういい感じの店がなくなってしまうのは惜しい。
旧水戸街道ブロック
マルタ屋
茄子のよいち漬けや落花生など千葉県松戸特産の食材、贈答品を売っていたお店。残念ながら、10数年前に廃業されてしまった。
陣太鼓
宮崎出身のマスターが夜遅くまで頑張って営業している。噂によると女性のお客さんには安く美味しいものが出てきたりするらしい。以前、メイちゃんが居たが、2019年頃だったか他界したっけ・・・寂しい。この店は1980年頃から40年くらい営業しているのではないか?建物の一階は店舗がよく変わるが、二階の陣太鼓は変わらない。頑張っている店!
斎藤商店
斎藤商店は元々ガラスなどを扱う建具屋さん。ここも戦後くらいからある店ではないだろうか?
根本畳店
元々は、旧水戸街道沿いにあった。多分、根本の区画整理の頃に現在の場所に移ったのだろう。実は、2023年6月に店主の方に聞き取り調査をご承諾いただき、お話をした。いずれ、詳しいリポートを発表したいと思う。
美幸寿司
ここは実は入ったことが無かった残念である。食事場所でよく会う九州出身の背の高い”T”さんが「この美幸鮨美味しいよ」と言っていた。当時行けばよかった。今はすでに廃業しているらしく、お店を開ける姿は無いんだな・・・残念。
旧水戸街道から二番目のブロック
美知美容室
美知先生の美容室は少なくとも根本のこのエリアが区画整理される前の昭和45年頃にはあった。もしかすると昭和40年代前半にはあったかもしれない。区画整理後この地で長い間営業されていましたが、2021年の春頃だったか、建物が解体されていた。2021年8月25日現在は更地になっている。
アカトリヰ額縁
このアカトリヰというお店、能登歯科付近で何度も見かけたような気がするのだが、どうもはっきりとした記憶が無い。平安堂額縁さんと一緒のイメージになってしまっているのかもしれない。また、福島県に本社をおいていた物販関係の会社でアカトリヰという会社があった(後にマイカルグループに合併)。その関係が良くわからない。ご存知の方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。
じゅん、珈琲人
じゅんはよく分からずです。珈琲人は塩谷ビル(セザールビル)に入っていたようですが、当時この喫茶店には入っていません。珈琲人廃業後はさかい理容さんが入り、2021年現在は何らかの事務所が入っているようだ。
塩谷刃物店
先述したが、この塩谷刃物店は松戸ボウルがあった頃(アーバンヒル松戸が建設される前)は、松戸ボウル付近にあった。松戸ボウルが出来る前には松戸工具という金物工場があったが、その当時も塩谷さんはあった。多分、取引上の関係にあったのかもしれない。かなり古くからあったのだ。
現在のセザールビルになってからは、東進の予備校講師、今井宏さんのブログ「風吹かば倒るの記」を読むと、今井先生が北松戸に住んでいた頃の話しや、このセザールのマンションに住んでいた頃の面白い逸話が書かれていた。
旧水戸街道から三番目のブロック
むさしや靴店、加藤ふとん店、ホテルまつ
この三つに関して分かる方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いします。ただ、ホテルまつは大人向けのホテルで、正面の専用駐車場があった事だけは覚えている。
伊織表具店
少なくとも昭和40年代にはあったと思う。詳しくは今後調べてみるが、現在中矢切に伊織表具店さんがあり、装飾業,内装工事としてお店を構えているようだ。中矢切に移られたという事だろうか?
榎本ビル(駄菓子屋など)
これは松戸の駄菓子屋でも取り上げたが、西口公園付近にあった駄菓子屋さんで、文化教室とも書かれているので、何らかの(家事関係だろうか?)習い事の教室があったのだろう。その後、シュウマイのお店が出来ていたが、2021年現在同地は美容院のAtoBになったようだ。
南風
大人の遊技場で、寺田さんと言ったかな?忘れた。ここの店主とも、ある場所で何回かお会いした事があるが、詳細は伏せてておく。
えちぜん
実はここは入ったことが無かった。ただ、月刊まつどNowの広告によれば、パイ類も出していたようですし、お客さんも若い方が多かった様ですね!
香龍
現在ここは薬局になっているが、以前は中華料理の店で、亡き父が「ここの焼きそばはうまい」と言っていたっけ・・・
関連ページ
この投稿は、昭和の松戸を歩くシリーズの関連投稿です。ご参考の為下記も御覧ください。
コメント
アーバンヒルが完成したとき、私は小学生でした。
吉祥寺に通じる小道側に「ターゲット」という名のモデルガンショップがあり、
当時出はじめたBB弾を使用したエアガンやガスガンを売っていました。
このお店はアーバンヒルが閉鎖してからも、
平根橋の近くのいま八百屋さんになっている場所でしばらく営業されていました。
有料橋の上葛飾橋が開通したのが同じ頃だったような気がしますが、覚えていますか?
当時、夏休みにサンケイグループの花火大会なるものが上葛飾橋のあたりで行われており、芸能人を見るために友達と見に行った思い出があります。
ぺんぺん草さんも建築の先輩でもあったのですね。
私も建築学科を出ていまして、いちおう建築士として働いて居ります。
子供のころ遊んでいたアーバンヒルが巨匠黒川紀章の設計だったと知り、
わずか数年で閉鎖され荒廃していた姿を見ていたので、大そう驚きました。
学生時代に黒川氏の著述で読んだことがあるのですが、
アーバンヒルはポストモダンの実験的建築で、松戸市がペデストリアンデッキを駅前からアーバンヒルまで伸ばすことを前提に引き受けたのに、途中で計画が変更になったために失敗したと述べていました。合掌。
うしとら様、
コメントありがとうございます。
ターゲットがアーバンヒルにあった頃、そして根本橋の現在”やすいよやすいよ青果店”になっているところに移ったのも知っています。ただ、私は店内には入ったことがありませんでした。一応、根本橋の頃のファサード写真がありますので、アーバンヒル松戸の下の方に貼っておきますね!
松戸三郷有料道路が出来た頃、懐かしいですね。でも花火やイベントは私は残念ながら覚えていません。アーバンヒル松戸は、松久総合開発が開発したものでした。当時、神谷社長は相当の勢いでいらっしゃった様ですが、いつからかお名前を聞かなくなってしまいましたね。そういえば、今の勤務先は御成門ですが、隣の敷地に以前松久がありました。
松戸ベスト100 15位のアビーロードを語らない訳にはいけません きっかけは自分の姉が雑誌にアビーロードがいかに素晴らしかを雑誌に投稿しそれを店主が見て(~さんありがとう)と雑誌に写真付きで投稿仕返したやり取りがあったことを知っていたので アビーロードに好感があった 自分がアビーロードで初めて買ったレコードは ドラえもんのLPで シングルレコードは ザぼんちの「恋のぼんちシート」と あのねのねの「みかんのこころぼし」アビーロードで購入するとアビーロード独自の青いビニールのレコードカバーを付けてくれた 透明のカバーより青いカバーのほうがワンランク上がった感じがした また¥500円購入するとアビーロードメンバーズカードにスタンプを一個押してもらえ それを何個かためると レコードを購入するときにそのスタンプの分だけ割り引いてもらえた 後に松戸から引っ越してしまうがアビーロードのスタンプを使い切るまで松戸まで通っていた 近年アナログレコードが売れているらしい 想定外だ レコードはCDよりも高音が出るということは知ってはいたが 手軽さのCDよりも売り上げがあるとは 最近ダウンロードも古いらしい 昔 趣味はレコード鑑賞とよく言ったが CDだとちょっと違う感じがしたので アナログになれば趣味はレコード鑑賞と言いやすい
ミスターTさん、
それはそれはアビーロードにいい思い出があるんですね!私はアビーロードに時々行っていました。あそこは半年だったか、一年経つとモデル落ちみたいな感じで割引していましたね。お姉さんが投稿した雑誌といういのは、まつどNowの様な地域誌でしょうか、そういう触れ合いがあるというのが古き良き時代という感じがしますね!それにしても、ミスターTさんも引っ越した後まで、わざわざ松戸のアビーロードまで通っていたとは、義理堅い方なんですね!
アナログレコードが売れているというのは初めて知りました。でも新盤をアナログで出しているとは思えないので、中古の売上が伸びているという事かな?それでもCDよりも売上が伸びたというのも面白い。
レコード針というとナガオカでしたが、ある時高くなったという話を聞き、その内そもそもレコード針自体を目にしなくなりました。随分前になりますが、御茶ノ水駅前のディスクユニオンに輸入盤のレコードをよく見に行ったっけ・・・