竹の根商店街は何処にあるのか
竹の根商店街は大きくは北部小の北側の竹ヶ花西町と北部小の西側の根本を一括にした商店街だと思うが、実際に商圏の事を考えると栄町と古ヶ崎の一部が入るのではないか?と考えている。
- 根本地区
- 竹ヶ花地区
- 栄町地区
- 古ヶ崎地区
地理院地図で1961年-1969年の間の空中写真
国土地理院の地理院地図、1961年-1969年の間の空中写真に花郷土地区画整理事業のエリアを重ねた図である。左下に見える建物が北部小学校である。この花郷土地区画整理事業は根本、竹ヶ花、南花島、上本郷の一部を含む上図のエリアで、昭和40年7月3日知事の許可がおり、約四年間の区画整理を行い昭和44年9月22日に換地処分が行われた。
根本地区
北部小の西側にあたる根本地区もやはり同様に田園地帯だった事がわかる。さらに西側に行くと坂川が流れており、その坂川の周辺は昭和30年前半までは水郷と呼ぶに相応しい場所であったと聞いた。
竹ヶ花西町地区
竹ヶ花西町2021年現在訪れると小規模な建物が密集するゾーンであるが、私が小学校の低学年の頃は田畑と肥溜めがあるだけのありふれた田園地帯だった。北部小学校の校歌は♪しらさぎの~、しらさぎの~♪の出だしだが、校舎の窓から北側を見るとこの田園が見え、しらさぎが餌を啄む風景が見られた。当時は競輪場の方向を見ると田園地帯が続いていたが徐々に工場ができ始めた。
南花島地区
確か昭和40年代前半だと思うが、ヤマザキパンの工場が出来、校舎から北側の風景がよく見えなくなった。昭和41-42年頃の竹ヶ花西町は埋め立てたばかりで、なんとも殺風景な場所であった。それが昭和42-43年頃から徐々に建物が建ち始めたと記憶している。我が同級生のAYさんは、竹ヶ花西町の記憶がないと言っていた。換地処分が昭和44年9月なので、まだ造成工事途中だったからだと思う。
昭和45年以降の竹の根商店街の様子
竹の根商店会の案内看板(2021年現在は無し)
竹の根商店街の範囲と根本地区の商店について
昭和45年以降の竹の根商店街の根本地区についてuMap(OpenStreetMapをベースのマイマップ)に落とし込んでみた。このマップはクリックすれば拡大縮小出来ます。薄青で塗ったのが花郷区画整理事業地区で、薄い赤色に塗ったのが、竹の根商店会商店街のゾーンだと考えています。
画面いっぱいでマップをご覧になりたい方はフルスクリーン表示をクリックしてください。
根本地区商店リスト(抜けがある場合連絡いただけましたらありがたい)
- 三宝薬局
- ゆたか堂文具店
- サカイ理容
- 大津酒店
- ミエ美容院
- 露崎商店
- うろこ寿司
- 小沢商店
- 富永商店
- 桃々園
- お茶漬けぼたん
- 雪印種苗工場
- 亀屋
- 東京理容
- 平塚商店
- 宝屋酒店
- 寿司久
- カレン
- 田中精肉店
- パーマひさご
- クリーニング東洋
- ラーメンふじ
- 寿司
- 堀江商店
- 吉岡文具店
- ポニークリーニング
- 北部堂文具
- 東幸園
栄町地区商店リスト(竹の根商店街に入るのかは未明です)
- わらや商店
- 味の園(中華)
北部小学校のあれこれ
下記は北部小学校の色々について、その他その周辺の地域について2008年の投稿を元に復活させております。ご参照お願いします。
根本地区商店の補足
三宝薬局
元々は竹ヶ花西町地区にあった薬局。中華の藤屋の裏辺りだったと思う。後に北部小学校の裏のゆたか堂隣の区画に店を構えた。
ゆたか堂文具店
私が小学生の頃は無かったお店。多分昭和45年頃からあったお店ではないか?駄菓子なども売っていて、子どもたちの集まるお店だったと思う。
サカイ理容
サカイ理容さんは我が同級生も通っていた。後に、岩瀬陸橋付近の塩谷ビル一階に移ったあとも我が同級生は通ったらしい。下の写真は塩谷ビルに移った頃の写真です。
大津酒店、ミエ美容院、露崎クリーニング
大津酒店
大津酒店に関してミスターTによるコメントは「北部幼稚園通り、とくに寄ったことはないけれど 酒屋といえば小さめの日めくりカレンダー(女優がとっくりを持ってお酌しニッコリ笑っているもの)。毎日めくる事なんか出来なかった。まとめて30枚めくることがほとんど」
又、大津酒店は知人によれば「かなり昔の事になるが、根本の大津酒店は栄町まで御用聞きに来ていた。そして、息子さんはとても優しい人で、車に乗せてくれたりした。開成高校を出たらしくとても優秀な人だったらしい」との事で当時はものすごく頑張っていた店であった事が分かります。
野崎商店?
ミスターTがご意見箱で書いていた駄菓子屋らしい。駄菓子屋を探してみた。この写真の中で大津はもう一軒先の美容院の処だったかもしれない。ツユザキクリーニングは現在もう無いが、その右隣の家が駄菓子屋だったかもしれない。それは分からない。
駄菓子屋のミスターTによるコメントは「クリーニングつゆざきの隣にあったお菓子や(名前は不明)。北部幼稚園の隣にある店。ここでは駄菓子をよく購入した。店の前には、ガチャガチャも有り、ゆたか堂、吉岡文具、こことよく自転車で通った。この店の左側に昔の10円ゲーム(10円ダマをつかい当たりの穴に入れるもの 今では原始的なもの)があってよく利用した」この駄菓子屋さんはマップに従えば野崎商店かもしれない。
うろこ寿司、小沢商店
分からず、ご存知の方情報求む
富永商店
これが2006年時点の富永商店。2021年現在は営業していませんでした。松戸ベスト100のミスターTのコメントによると「北部幼稚園前にある雑貨屋。たばこ、雑誌、パン、菓子、日用品など、コンビニの無い時代の基本的な店」
桃々園、お茶漬けぼたん
ここは分からない。多分雪印種苗工場の工員目当てに商売をしていたのかな?
雪印種苗工場
雪印種苗工場に関しては、別途ページがありますので、下記のページをご参照下さい。
亀屋
私の記憶ではここにはスロットカーのサーキット場がありました。多分昭和41-42年頃の事です。スロットカーに関しては別のページにも書いていますので、そちらもご参照下さい。
東京理容
近所の理容’ヒデ’が引っ越した後はこの東京理容に良く通った。私が通ったのは昭和40年代前半だったろうか?当時はハンサムな旦那さんもお元気で夫婦で快活にお店を切り盛りしていた。理容練習生の人を受け入れていたっけ。インターンの様な感じで実習していた。教育が厳しかったのか、練習生が根性無かったのか数ヶ月と保たなくて、おかみさんがこぼしていたのを覚えている。
現在はおかみさんが頑張っている。さて、理容ヒデは “かつて竹ケ花踏切以東にあった商店・飲食店”でも触れている。もしご興味ある方がいらっしゃれば読んでみて下さい。
平塚商店
平塚商店は宝屋酒店と東京理容の間にあったお店で、東京理容が建て替えするまでお店があった記憶がある。あまり良く覚えていない。
宝屋酒店
この酒屋は後にコンビニのような雰囲気になって、男性が運営していたが、2017年時点で営業をしていなかった。後にここは更地になり住宅が数軒建てられている。
寿司久
この寿司屋さんは一度も入らず分からないまま、廃業されてしまったらしい。詳しいことをご存知の方がいらっしゃったら、教えていただきたい。
カレン
カレンはこの2006年当時はすでに廃業していた。後にここに次男房というお店が出来た。次男房の店主は極真空手が出来る。次男房は後に松戸駅近く本町に店を移し構えている。2021年現在ここには美容院が出来ている。
田中精肉店、パーマひさご、クリーニング東洋、ラーメンふじ、寿司
これらのお店には馴染みがなくて分からない。
堀江商店
堀江商店(堀江食堂)さんについてはすでに ”松戸の新坂川って何?どんな川なの?” で記述しています。もしご興味ありましたら御覧ください。
吉岡文具店と北部堂
松戸市立北部小学校の旧正門前に吉岡文具店があった。店の間口が狭く店内は全体に薄ら暗くて雑然としていたお店だった。勿論文具店なので文房具を売っていたが、くじ引きや駄菓子ばかりが目立つお店で放課後はよく利用した店だ。ここのお婆ちゃんは気丈な人だったがよくおつりを間違えた。吉岡文具店=お婆ちゃんであり、子供にとって釣り銭間違えの評判は良くなかったけれど、暗かったのでお婆ちゃんも目が見えなかったのかもしれない。
隣の北部堂文具店は眼鏡を掛けた背のすらっとしたおばさんがお店を構えていた。お店の入り口は広い間口で木製の引きガラス扉をガラガラっと開けて入る。北西向きなので直射日光は入らないが、店中は端正でお店全体が見渡せ清潔な感じのお店だった。文具の品揃えという視点からは吉岡よりも北部堂の方がきちっとしていたように思うが、駄菓子の品揃えはやはり吉岡にはかなわなかった。
北部堂
北部堂の入り口に入ると左側に子供の背の高さに合わせた台があって、そこにくじ引きや駄菓子などが並んでおり、その奥におばさんが立っている。「このくじは・・・なのよ」とか「シャープペンシルはノック式が流行っているのよ」と世間話のようにと話しかけてくれる優しそうなおばさんで、とても良い印象があった。
十~十五年程前北部小の前を歩くと北部堂は無くすでに民家になっていた。しかし吉岡は細々と営業していた。そこに吉岡のお姉さんが居た。三、四人兄弟のうちの次女。彼女は堀江おでん屋のかっちゃんとも仲良しで、私の生家の飲食店に来て下さった事もあった。文房具はすでに品揃えは乏しく駄菓子も殆ど無かった。
「おばあちゃんのやっていたようなお店だったしね、もうお店たたむのよ」と語っていた。2021年現在、もう営業していない。自分の歴史の一つが無くなったようで、寂しい。
ポニークリーニング、東幸園
高津工務店並びの飲屋街、ラーメン屋跡です。すぐ近くの「みます」の親爺さんは”○X横丁”と称してました。今は跡形もありませんね。多分、新坂川の護岸工事の際に無くなったのではないかと思います。私はお店に入ったことはありませんでしたが、私の同級生はあったようです。残念です。
ここにはラーメンの東幸園というのがありました。
松戸ベスト100のミスターTによれば「東幸園、吉岡文具の通り、高津工務店のとなりのとなり、北部小学校の先生方も寄っていた」
竹の根商店街-竹ヶ花西町編は、下記の記事を参照!
竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-竹ヶ花編
コメント
松戸ベスト100 同率3位の吉岡文具 ゆたか堂を語らない訳にはいけません ともに北部小学校付近の文房具店なのでライバル店 プロレスで言ったら馬場(全日本)猪木(新日本)いや 馬場(全日本)木村(国際)だ それぐらいの差があった 吉岡文具は小学校正門前に在りいつも人がありふれていた 文房具はもちろん レジ横のショーケースの上にあったくじ引き アイス(デリカ)などを購入 プラモデルもあったが何故か棚の一番上にあり手に取って見ることができなかった
思い出すことは店の前にアイスボックスがありその上に駄菓子のふ菓子があって 友人がふ菓子を買ってそれを食べながら「10円でこんな大きいなんてお得じゃね」と言った 自分はなんて貧乏くさい発言だと思いふ菓子は一度も口にしたことはない ポテトチップスも人生で10枚も食べてないのも同上の理由だろう 自分の家は裕福ではないが貧乏くさいのは嫌だ プライドだけは高かった
小学校低学年ぐらいまでは吉岡文具によく行っていたが ある時期から 人混みが嫌になり また 自分の親も吉岡文具を利用していたので店の姉さんと話し込むうちに自分が買った物を親にリークされる恐れがあるので徐々に疎遠になっていってゆたか堂に流れていく 一方のゆたか堂は 人がいないので 店内に入ると店主とサシになる でも声をかけてくるわけではなく 居心地が良かった 自分にとってのゆたか堂は 文具というより プラモデルの在庫がかなりあり 当時人気の超合金がショーケースにありそれがたまらなく良かった 大空魔竜ガイキングの超合金を学校を病気で休んだ時に買ってきてもらった思い出がある 当時はまだ後のガンプラは無く 戦車やサンダーバードのプラモデルを買ってもらった ゆたか堂は文房具というよりおもちゃ屋に近いイメージだった また店で¥500円購入すると50円のサービス券がもらえてそれを10枚集めると店で¥500円分の買い物ができた 小学校当時¥500円はでかい その時は結局どうでもいいものを買ってしまうが それが楽しかった 今は店で購入するとポイントが付くのが当たり前となっているが ゆたか堂はその最先端をきっていたんだと実感 サービス券目的で吉岡文具を通り越してゆたか堂に行っていました 吉岡文具の姉さんごめんなさい 吉岡文具 ゆたか堂 共に現在無くなっている プロレスの馬場 木村もお亡くなりになっている
ミスターTさん、
吉岡文具店、ゆたか堂についての詳しい説明ありがとうございます。実は、私はゆたか堂の営業当時の姿は見て知っていますが、吉岡より後発であった事と、そもそもその存在を知った時はゆたか堂に行くような年齢ではなかったので、入ったことがなかったんです。今思えば、入っておけばよかったと思いますが、ミスターTさんのコメントで、おもちゃ屋色が強かったというのは新鮮な驚きで、しかも500円買うと10%分の50円商品券をくれたというのも、面白いですね。私はミスターTさんの家から歩いて5分程度だったようですが、中学校は6中でした。ミスターTさんは1中かな?6中正門の前にはナオミ文具店というのがあって、そこでもそのゆたか堂と同じようなシステムで、ナオミの券をくれました。ただ10%ではなかったと思います。せいぜい5%程度だったかな?それでも、貯れば大きいので嬉しかったですね。
寿司久、うちの親父がよく通っていて、母親にそろそろ迎えに行きなさいとうまく使われてましたww
お店自体は昔ながらの地元客相手の寿司〜飲み屋と言う感じです。
特筆すべきは同級生だった次男さんが割と若くして他界されたんですよね。
タカラヤ、懐かしすぎます。ここか流山街道の待山酒店でタバコと一升瓶をいつもお使いさせられてましたw
fuqouiさん、
寿司久さんは実は一度も入った事がなかった。
いつも外からお店を眺めていたっけ・・・
廃業されてから10年くらいでしょうか?あの界隈も寂しいです。
古ケ崎五差路の待山酒店さんは去年だったか火事になってしまいましたね。
今は一般住宅になってしまいましたね。
タカラヤも一般住宅が数軒建っています。商店がなくなっていくのは寂しいですね。