始めに
ゲームセンターに近づかなくなって、果たして20年?30年?経つだろうか?2年前だったか、ダイエー松戸西口店のダイソーで買い物した帰りに娘と下階のゲームコーナーに立ち寄りUFOキャッチャーをした。何故かお菓子をゲットした。
店内を見渡すと客寄せの筈のキャッチャーものばかりで、そもそも客が少なく、魅力が乏しい機械ばかりが並んでいる。これはキテミテマツドでも同じ感想だった。ファミコンから始まった、家庭用ゲーム機の台頭でゲームセンターに人が集まらなくなった事が原因と言われる。それは一つの事実だと思う。
だからといって客寄せばかりの機械ばかりにしたら、つまらない場所になる事を考えなかったのか?新しい魅力ある遊技機を作る事で勝負出来なかったのか、肩を落とす思いだ。思えば、シグマ社の故真鍋勝紀社長の思い入れのあるゲーム機の一つ一つはとても魅力的で、思わず散財してしまったものだ。
そんな時代を考えながら、1988年の住宅地図を眺めつつ、ゲームセンターに活気のあった頃のプロットをしていきたいと思う。まずは松戸駅周辺がメインだが、情報が集まり次第拡充していきます。松戸市内のゲームセンター情報大歓迎です。
松戸のゲームセンターのプロット図
松戸駅西口周辺
ゲームセンターインベーダー
千葉県松戸市本町1-12
松戸駅西口出てすぐ左に日発ビルがある。そのビルの一階は昭和の頃、マクドナルドだった。エレベータホールから階段を二階にあがるとそのお店はあった。この為、ハンバーグを食べながらゲームをするお客さんの姿をよく見かけた。又、店内であったか飲み物の自動販売機があって、MAXコーヒーを買って良く飲んだ。店に入ると正面に受付カウンターがあり、店を取り仕切っていたTさんが居た。
Tさんは細身でメガネをかけていて、丸襟のシャツが好きな人だった。そして、いつもこのカウンター横で単行本を読んでいた。店内はゲームの音でかなりの騒音なのに、よく本が読めるものだと感心したものだった。
風営法でゲームセンターが対象になる前は営業時間の制約が無かった。この店は開店時間は忘れたが、閉店時間は午前2時だった。何故、午前2時かというと、常磐線の上野0:50発松戸行きの終電があり、この終電を利用する人が多く、タクシー乗り場に行列が出来ていた。その時間帯に松戸駅に着くと白タクのおじさんが、「三郷、吉川・・・」と言いながら客引きをしていたのを思い出す。
そういう状況・背景があり、長い間タクシーを待つならば、ゲームでもやって時間を潰し、人が引くのを待とうという客が来店したからだった。実際午前1:00頃入店しても、客が十数人以上いる事も珍しくなかった。景気が良い時代だったからか、バイトの青年も来ていた。髪の毛の長い男で、名前は忘れたが、後に東口のポップコーンに行って働いていた。
本人はよく「ミュージシャンになりたい」と言っていた。何故か店の閉店の時間までいると、責任者のTさんとこのバイトの青年と一緒に帰る事もあった。三人で市民会館近くの香欄?だったか、中華料理屋に行って夜食を食べたことがあったっけ・・・
あの青年はどうしているだろうか?このビルは平面的に二つの四角が角々で結ばれているようになっていて、途中にくびれがあるので、少々見通しが悪かった。
東光ゲームセンター(高砂通り)

昭和36年頃の高砂通り
(松戸市商店街診断報告書昭和37年3月発行 松戸商工会議所より)
ここはマップで載せた中で(私の知る限り)もっとも松戸駅周辺では古いゲームセンターになると思う。まだ松戸駅西口が区画整理される前の高砂通りにぽつんとあった。当時の高砂通りは道路幅がもっと狭く、若干蛇行していた。そして、色々な商店が軒を並べて楽しそうな通りだった。店名が東光なので、店主像が何となく思い浮かぶのだが、はっきりとした事は分からない。
初めてこの店に入ったのは昭和42年頃で、小学生だった。そろばん塾の帰りだった。同級生のT君とM女史と三人で恐る恐る入った。何故なら、この頃は、この手の店に入る事自体許されていなかったからだ。東光ゲームセンターは間口の狭いお店で、中に入ると壁際に二、三台アナログな感じのフリッパーゲームがあり、その奥にドライビングゲームがあった。
このドライビングゲームは盤面の中に蛇行する軌跡が印刷され、その中央に突起物があり、盤面の中の車が突起物を踏んで超えて行けばポイントになる。

みのや
2023年4月3日のJUNKさんによる情報によれば
「松戸市本町5–9、おもちゃ屋さんのマップには載っていましたが、「みのや」という名前のおもちゃ屋さんがあり、店内に小さいMVS筐体が2~3台おいてありました。駄菓子も売っていてよく友達と一緒に食べながらプレイしていました」との事でした。
みのや自体があったのは覚えていたんですが、私自身は中には入ったことが無く、この様な情報は非常に貴重です。情報ありがとうございます。
アメリカンゲームセンター(旧水戸街道沿い)
旧水戸街道と高砂通りとの間の並行して走る道がある。この道と旧水戸街道の両方からアクセスして突き抜ける事が出来る店だった。旧水戸街道側は少しセットバックがあって、自動販売機などが並んでいて死角があり、何となく薄暗く、怖い雰囲気があった。裏側には、お稲荷さんだったと思うが、小さなお社があった。

ゼンリン住宅地図1993年版より
上の地図は1993年の住宅地図で、森本興業と書かれている場所が松戸常盤館で、すでに1993年には廃業した後である為、森本興業と書かれているのだろう。その森本興業の少し北にアメリカンゲームセンターがあった。この地図にはゲームステーションも掲載されている。
中に入ると裏通り側には松戸では珍しいビンゴゲーム(フリッパーゲームのような感じの筐体で、スマートボールの様に盤面の穴に入れるゲーム)があり、夢中になった。旧水戸街道側は所謂テレビゲームがこれでもか・・・というくらい置かれていて、全部一回10円だった記憶がある。その為、100円を10円に両替する機械が置いて在った。
ただ、その交換機から出る10円玉は湿気っていて、両替する時にザラッ・バシャ!って感じでお金が出てきた。その後、九州風白湯スープのラーメン屋が出来て、その後しばらく営業していたが、開発されてしまい、跡形もない。
ダイエー松戸西口店
入れ替わり立ち替わり店が変わるが、かつて、ナムコの営業だった時期もある様だ。
ナリトロ様のコメント(2023年7月17日)によると「ダイエーは屋上では無く 4-5F あたりにゲームコーナーがあり、1984年頃は 50 円でプレイできるムービング筐体のアウトランがありもっぱらここでハイスコアアタックをしていました」との事、ありがとうございます。
ウイン
2023年4月3日のJUNKさんによる情報によれば
「松戸市根本3-18, 1990年頃このあたりに”ウイン”というゲームショップがあり、店内にMVS筐体が2台置いてありました。その他、100円入れると電源が10分つくスーファミの試遊台が4台くらいおいてありました」との事です。
私はウインで中古のソフトを何回か買ったことがありました。安くて良い店だった。でもゲーム機があったのは気が付かなかった。情報ありがとうございます。
ナリトロ様のコメント(2023年7月17日)によると「ウインは中古ゲームなどを扱う前はウォークマンなどの小物家電などを扱うディスカウントストアのようなお店でしたね(ダイエー側)。向かいには中古レコードを扱う2号店があったような覚えがあります」との事。あらたな情報ありがとうございます。
ルンルン(ダイエー松戸駅西口店の前)
過去、ルンルンについては下のリンクに書きましたので、ご参照ください。この店は伝説的なお店で、その前身は青空八百屋さんだった。新松戸駅界隈と松戸駅界隈の二か所で野菜を売っていた。店主によれば、新松戸の店はかなり売れたそうで、その売り上げを松戸駅界隈に持ってきて、ダイエー松戸西口店の前で大廉売したそうだ。
店主本人も「あの当時は若かったから、中内さんを向こうに良く売った」と懐かしんでいた。青空八百屋の後、ゲームブームに乗ってルンルンというゲームセンターを始めた。この当時によく通っていた人も多いのではないか?その後、ゲーム機を置けば儲かる時代が去ろうとしていた為、店主は高砂通りの元シャラントがあった場所に飲食の出来るお店を始めた。
今でもあの店の前に行くと古い看板が残っている。
チャラお様からもコメントがありました「ルンルンとアメリカンゲームコーナーでは1988年頃良く遊びに行ってました」

サーカスタウン
2023年4月3日のJUNKさんによる情報によれば
「松戸市松戸1281-12 , このあたりに小さな公園があり、その隣に「サーカスタウン」というゲームセンターがありました。私が通っていた頃(1992年あたり)は入口近くにレースゲームやキャプテンフラッグがおいてあり、奥の方に格闘ゲームなどの対戦台がおいてありました。
広さはアメリカンくらいだったと思います。何年か営業した後、ドラッグストアになってしまいました」との事です。その後JUNKさんとやり取りをしていく中で、隣に出来た秀英ビルに入っていたという事が分かりました。
- ゼンリン1993年住宅地図より
- ゼンリン1993年住宅地図より
1980年代から追っていきますと、この秀英ビルは1987年に竣工し、その後サーカスタウンのテナントの文字が見えたのは1993年だという事が分かりました。地図の作成発行の時期を考えると想像ですが1992年の後半以降にこのサーカスタウンが出来たのでしょう。現在もこの秀英ビルは存在していて、主に料飲の店舗が多い印象ですね。
1987年竣工というのはプラザ合意後の金余り現象、土地神話を背景に不動産投資・開発が活発化していた頃ですね。私自身はこの秀英ビルが出来た頃は、台湾プロジェクトで台北に行っていた頃です。台湾に行くと一般の人たちが皆こぞって、投資をしていた頃でした。その後、バブルは崩壊しました。
サーカスタウン1992-3年頃開業という事はゲームセンターとしては、かなり後発組だったと思います。ただ、ゲーム業界はまだまだ熱かった頃で、大きな筐体のゲームがたくさん出来ていた頃じゃないかな?
さて、1994年以降までは追っていませんが、時間のある時にでも調べたいと思います。JUNKさん、ありがとうございます。
長崎屋のゲームコーナー
長崎屋のゲームコーナーで遊んだかどうかははっきり記憶が無い。どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてほしい。
ナリトロ様のコメント(2023年7月17日)によると「長崎屋は小学生の頃に閉店してしまいましたが屋上にゲームコーナー(TVゲームというよりは駄菓子屋にあるような10円アップライトのガムが排出されるようなもの)はありました。当時はお隣の伊勢丹と同様に、屋上で戦隊ヒーローのショーなどがありましたので覚えています」との事なので、小規模ながらいくつか置いて在った感じだったんですね!ありがとう。
又、5chにもこんな発言がありました。
「2016/11/01(火) 10:42:51.10ID:459UNDA8
松戸の長崎屋のゲームコーナーで遊んだなあ http://wildcats.pupui.jp/images/2015_0310_3.jpg
タイム80、ワイルドウエスタンがあった。他にいっぱい並んでたラインナップ、もう思い出せなくて寂しい
ゲームステーション
現在の宝島の裏道に同じく宝島のスロットのお店があるが、そこは1997年頃から2000年初めころまではゲームセンターがあった。さらにそれ以前はナイトクラブ(2階はカラオケNo.1、1階は1980年代はクラブエトワール、1980年代後半からは国際クラブ柳屋)があった場所だった。私には分不相応な店で高級過ぎて、近寄れなかった場所である。
その場所がある日、ゲームセンターになってしまった。1,2階ともである。中に入るとハンチング帽の様な帽子を被った腰の悪そうなおじいさんが、客の要望に合わせ、アッチコッチ動いていたのを思い出す。比較的気の良いおじいさんだった。ご意見をいただいた人の話しだと、北松戸の福岡書店付近のゲームイン・パートナーに居た人ではないか?との事でした。情報ありがとうございます。
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「松戸西口にかつてあったゲームステーションは1階がメダルゲーム
情報ありがとうございます。
ハイテクランド松戸 (DO-FACTORY)
ここはかなり後期に出来た場所だと思う。場所は東進ビル、つまりトキワホールのビルの二階三階だった。セガの機械が置いて在るお店で、当時はセガ自体のゲームにあまりそそられなかったためか、数えるほどしか行っていない。
松戸駅東口付近
東京ガリバー→バンダイミュージアム→ナムコ
ここは所謂ポンテのあったビル。東京ガリバーのあった頃だったか、夏の催しかおばけ屋敷があり、行った事があった。後にバンダイミュージアム(ガンダムミュージアム)になり、バンダイの子会社のバンプレストによって経営されていた。3年後に閉館することになり、当時の川井市長はなんとか残したいと奔走されていたようだが、残念ながら無くなってしまった。
現在はビル名がピアザ松戸という名前に変わり、ナムコのゲームセンターがある。
ナリトロ様のコメント(2023年7月17日)によると「東京ガリバーはビルであるピアザ松戸が現在のフロア構成になる前にスパジオというパチンコホールが 08-12 年あたりまで、その前はバンダイミュージアムと併設、というかたちでしたが東京ガリバーになる前、86-92 位に別のゲームセンターが入っていました。
まるっと 3F を使っており、ギャラクシーフォース3をはじめとした体感大型筐体が多数設置されていて、オープン当初に当時の SNK スタッフが「家庭でゲームセンターのゲームがそのまま遊べるとしたら価格はいくらくらいなら検討しますか?」といったその後のネオジオにつながるアンケートなどをしたりと当時の駅前最大店舗としてメーカーからも手厚くされていた印象がありました」
との事です。ナリトロ様、コメントありがとうございます。
また、B1Fと1Fにガシャポンのデパート松戸店があり、かなり賑わっている。
ゲームインメクマン

小根本の元貝塚家具センター跡に入居したゲームセンターで、小岩のタヤ商事が経営していた直営店。1階はメダルゲーム、UFOキャッチャー、その他比較的大き目な筐体のゲームがあり、二階はレトロなテレビゲームが満載で、マニアからは聖地扱いされていた非常に有名なゲームセンターだった。ただ、311(東日本大震災)によって、建物に甚大な被害を受けた。
貴重なゲーム機の一部はみのり台に運び、新店舗で営業していたが、数年後閉業してしまった。残念である。
レインボー@イトーヨーカ堂松戸店屋上
チャラお様からコメントいただきました。
「イトーヨーカドー屋上にもゲームコーナーがあり、1985年頃アウトランやスペースハリアーといった大型筐体のゲームをやった思い出」
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「ヨーカドーの屋上にあったゲームセンターの名前は「レインボー」
この屋上のレインボーは98年秋のヨーカドー専門店街改装工事の
(この改装で現在もある専門店街プラーレがオープン)」
ホッピー様の情報で、ここの店名がレインボーであった事が分かりました。ありがとうございます。それにしてもシグマ社のエキサイティング・ダービーがヨーカ堂の上にあったのは驚いた。あの機械は確か1987年頃シグマ社から発表された競馬ゲームで、まだまだ、シグマ社が存在していた頃だなあ・・・
あのシグマ社の真鍋勝紀社長も今は亡き人で、あのアミューズメントマシーンの開発をしていたシグマ社も無くなってしまった。当時の技術者もバラバラに散ってしまったようだけれどね。
ジャスコ、扇屋?
ジャスコ、扇屋の屋上にもゲームコーナーがあった記憶があるがなんとも言えない。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてほしい。
ポップコーン
松戸駅東口のバスターミナル付近にあった。ここはゲームセンターインベーダーでアルバイトをしていた青年が一時働いていた。一度、青年に会いに行った事があったっけ・・・その後、このポップコーンは”しちりん”という焼き肉屋に変わり長い事営業していたっけ・・・
ナリトロ様のコメント(2023年7月17日)によると「ポップコーンは日曜日の朝にいくつかの筐体にクレジットがいくつか投入されている所謂モーニングサービスがあり、それ目当てで早朝から訪れる小中学生もそこそこいましたね」との事。とても興味深いです。
ソニックビーム松戸
千葉県松戸市松戸1172-1 20年くらい前に友人のご長男(3-4歳?)を連れてここに入ったことがあったが何もゲームはしないまま出てきた。ただ、競馬ゲームだったか、メダルゲームに高じている良い歳のおじさんがプレイしていたっけ・・・とは言え、実はこの店は殆ど入ったことがなかった。
朝出勤時にこの店の前を通ると色々なゲーム機のBGMの合奏(雑音に近い)が聞こえてきて、こんな時間にも営業しているのかと驚いた事があった。ただ、現在すでに更地になっており、14階建ての店舗付き共同住宅計画があるようだ。

ソニックビーム二号店
〒271-0073 千葉県松戸市小根本20−47
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「プリクラの機械しか置いてなか
このホッピー様のコメントによるとここにはプリクラの機械しか無かったようです。この場所は聖徳大学から降りてくる古い階段があり、女学生の流れを考えてマーケティングしたのかもしれません。また、ここからさらに歩くとメクマンもありましたので、何か特化するゲームを置く必要があったのかもしれません。
又、 令和7年3月24日のホッピー様からコメントがあり「ソニックビーム2号店跡地の向かいに現在もある
確かにこの辺りから送迎バスが出てましたね。懐かしいなあ・・・
七畝割付近
サニーランド

サニーランド外観
アミューズメント産業1987年7月号より
松戸駅からは少し離れるが、松戸界隈で有名なレジャーセンターの一つだった。私は主にボーリング場に行った。ただサニーランドの貸しボールは管理が行き届いてなくて、一度プレイをすると手が真黒くなった。ゲームセンターは新天地の横の新館にあった記憶がある。
そういえば、すでに取り壊し後だった時期だと思うが、2010年11月に松戸中央公園で催しがあった際に、サニーランドの模擬店が出ていた。ミスコン募集もしていた。

2010年11月6日撮影@松戸中央公園
サニーランドは下記のページで少し触れている。



令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「2002年頃まであったサニーランドのゲームセンターは1
ホッピー様、懐かしい情報ありがとうございます。
北松戸駅周辺
ゲームインパートナー
千葉県松戸市上本郷908-3 コスモシティビル 1F
令和6年10月23日にチャラお様からコメントがありました。「ゲームインパートナー 千葉県松戸市上本郷908-3 1階 1987年頃出来たゲームセンター。ニッコウの方がお店として古い」
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「ゲームインパートナーはゲーセンが潰れた後は中古本や中古ゲーム
ありがとうございます。
ゲームランドニッコウ
千葉県松戸市上本郷905
北松戸駅東口派出所前、サンエトワール(パン屋)の二階にあった。詳しい情報求む。
令和6年10月23日にチャラお様からコメントがありました。「ゲームランド・ニッコウ 正確には現在の中華餃子屋・王記の2階にありました。建物はパン
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「俺が生まれて初めて行ったゲーセンでもありました。ニッコウはゲーセンでありながら店の奥にビリヤード台が置いてあって、時間貸ししておりました」又、ホッピーさんのおばあちゃんも店員をしていたらしい。
ありがとうございます。 なるほどという感じがします。
ビニビニ・ゲームスタジオ(北松戸ビルのゲームセンター)
ビニビニゲームスタジオのあった富士物産(株)北松戸ビルについて:
元々、このビルは富士物産(株)北松戸ビルといい、市川市に拠点を置く不動産関連の会社だったが、徐々に事業を縮小していたが、2024年3月にヤマイチ・ユニハイム・エステート株式会社に吸収され連結子会社化された模様。そのため、現在は単に北松戸ビルというらしい。
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。ゲームインパートナーの2軒隣、今の満天酒場の場所にも短期間(確か1994年頃)ながらゲーセ
このホッピー様、ありがとうございます。
ゴールドプラザ・ファンファン(北松戸駅西口ゲームセンター)
千葉県松戸市上本郷858-1
情報提供者によれば、1階がメタルゲーム、2階が中古のテレビゲームで1ゲーム50円だった。1988年頃はディスカウントコトブキという中古を安売りする店だったが、後年にゲームセンターになったらしい。現在はスロット屋さんだそうだ。
令和7年3月24日にホッピー様からコメントがありました。「北松戸は西口にも1996〜1997年頃にゲーセンがあって(今
馬橋駅周辺
ゲームスポットカトレア(馬橋駅西口)
千葉県松戸市西馬橋蔵元町8番
馬橋駅前通りのモスバーガーの横の地元密着型のゲーセン。
ドラマ「ROOKIES」 第9話 (2008年7月5日放送) において、上坂 (遠藤要) たちがいたゲームセンター、その後ホットモットの弁当屋になったりした場所の様だ。
美っちゃん
千葉県松戸市中和倉161付近。
正確な場所は分からないが、中和倉の三木園というお茶屋さんの前にあったゲームセンターらしい。それが、富久田というとんかつのお店であるのか、その隣の飲み屋などが入っていた雑居建物の方であったのかは分からない。
おもちゃの日の出屋の店頭のインベーダーゲーム
松戸市中和倉147-2
現在グレイスコートという住居ビルの場所にあったおもちゃの日の出屋の店頭に置かれていた。カテゴリーとしては、おもちゃ屋なのだが、子供の集まる場所としてのゲームであれば、記録としては入れておく事をお許し願いたい。元々この通りは中和倉銀座商店街と呼ばれ、商店街として活気のあった場所であろう。
続く
ゲームセンターはやはり自分のテリトリーについては記憶の記載が出来るが、離れた場所ではなかなか難しい。とは言え、情報ありましたら、掲載していきますので、かつて松戸市内に存在したゲームセンターについて、情報募集します。
ゲーム関連ページ





コメント
偶然こちらのページを見つけて懐かしんでおりました。生まれてこの方50余年松戸在住で、駅前については西口のハイテクランドセガの前、1984-90 年ごろに別のゲームセンターが入っており頻繁に通っておりました。
また、ポップコーンは日曜日の朝にいくつかの筐体にクレジットがいくつか投入されている所謂モーニングサービスがあり、それ目当てで早朝から訪れる小中学生もそこそこいましたね。1995年位までは入店した覚えがありましたが、その後確かにしちりんになってしまいましたね。
長崎屋は小学生の頃に閉店してしまいましたが屋上にゲームコーナー(TVゲームというよりは駄菓子屋にあるような10円アップライトのガムが排出されるようなもの)はありました。当時はお隣の伊勢丹と同様に、屋上で戦隊ヒーローのショーなどがありましたので覚えています。
また、ウインは中古ゲームなどを扱う前はウォークマンなどの小物家電などを扱うディスカウントストアのようなお店でしたね(ダイエー側)。向かいには中古レコードを扱う2号店があったような覚えがあります。
ダイエーは屋上では無く 4-5F あたりにゲームコーナーがあり、1984年頃は 50 円でプレイできるムービング筐体のアウトランがありもっぱらここでハイスコアアタックをしていました。
東京ガリバーはビルであるピアザ松戸が現在のフロア構成になる前にスパジオというパチンコホールが 08-12 年あたりまで、その前はバンダイミュージアムと併設、というかたちでしたが東京ガリバーになる前、86-92 位に別のゲームセンターが入っていました。まるっと 3F を使っており、ギャラクシーフォース3をはじめとした体感大型筐体が多数設置されていて、オープン当初に当時の SNK スタッフが「家庭でゲームセンターのゲームがそのまま遊べるとしたら価格はいくらくらいなら検討しますか?」といったその後のネオジオにつながるアンケートなどをしたりと当時の駅前最大店舗としてメーカーからも手厚くされていた印象がありました。
ナリトロ様、
コメントありがとうございます。
私が頻繁にゲームセンターに通っていたのが30-40年前ですので、記憶があいまいになっていて、ナリトロさんの書き込みは当時を思い出し、調べなおすとても良いきっかけになります。部分的に本文に記述追加させていただきますね。よろしくお願いいたします。
ハイテクランド・セガは手元にある1988年の住宅地図では、名前は同じでしたので、もう少し遡り調べてみるつもりです。
ポップコーンはモーニングサービスがあったとは知りませんでした。西口マクドナルド(現在は1Fファミマ2Fさくら水産)の2Fにあった”ゲームセンターインベーダー”でバイトをしていた青年が、後にポップコーンで働いていた事がありました。彼は将来ミュージシャンになるんだと言ってましたが、どうなったかな・・・
長崎屋とイセタンの屋上はやはりそんなショーがあったんですね!私はオーディオ機器、レコードというと長崎屋に行ってました。
> 向かいには中古レコードを扱う2号店
1988年の住宅地図にウイン2という店がありますが、これかな?
ピアザ松戸の変遷も参考になります。あそこはポンテだった頃から色々と変遷していますね。
細かく調べるとそういった変化があったんだなあ・・・!
ナリトロ様の書き込みは本文に追記させていただきました。今後色々と調べるきっかけになります。
ありがとうございます。
再び失礼します
北松戸駅東口
ゲームランド・ニッコウ
正確には現在の中華餃子屋・王記の2階にありました。建物はパン屋と同じなのですが階段が中華餃子屋とパン屋の中央にある造りでパーテーションされてる感じですね。
北松戸駅東口
ゲームインパートナー
千葉県松戸市上本郷908-3 1階
1987年頃出来たゲームセンター。
ニッコウの方がお店として古い。
松戸駅
イトーヨーカドー屋上にもゲームコーナーがあり、1985年頃アウトランやスペースハリアーといった大型筐体のゲームをやった思い出。
ルンルンとアメリカンゲームコーナーでは1988年頃良く遊びに行ってました。
チャラお様、コメントありがとうございます。コメント内容はページに早速反映いたしました。とても助かります。もしかするとアメリカンゲームセンターで、お会いしていた可能性もありますね!笑
初めまして。
ガキの頃からずっと松戸市に住んでいる(今は転勤中で北海道にいますが住民票は松戸市民のままです)、
松戸市民歴40年の者ですm(_ _)m
ここに掲載されているゲームセンターのほとんどに行った事がありまして、
懐かしみながら記事を見ておりました。
中でも北松戸駅前のニッコウは俺の婆ちゃんが店員さんをやっていた事もあって、
俺が生まれて初めて行ったゲーセンでもありました。
ニッコウはゲーセンでありながら店の奥にビリヤード台が置いてあって、
時間貸ししておりました。
ゲームインパートナーはゲーセンが潰れた後は中古本や中古ゲームソフトを売る店に変わったんですよね。
(確か1996〜1997年)
このゲームインパートナーの2件隣、
今の満天酒場の場所にも短期間(確か1994年頃)ながらゲーセンがあって、
そこでアーケードのセガ版テトリスをやったのを今でも覚えてます。
北松戸は西口にも1996〜1997年頃にゲーセンがあって(今のパチンコゴールド2号店、2店並んでるパチ屋の駅ホームから見て左側の店)、
1階はクレーンゲームで2階に格闘ゲームなどの対戦ゲームが置いてありました。
学校帰りに遊びに行った覚えがあります。
ヨーカドーの屋上にあったゲームセンターの名前は「レインボー」という名前で、
イートインコーナーでポテトとか食べれるスペースがあったすぐ横にシグマの「エキサイティングダービー」の筐体があり、
その横にパチンコ台2台(フィーバーパワフルと花鳥風月)があって、さらにその横にシグマのメカスロ4台(この4台は今でも台の名前と並びを鮮明に覚えてます)、
メカスロの向かい側にキッズメダル数台とペニーフォールズ、
あとはセガのドリームキャッチャー(円形筐体で浅香唯のセシルなどが流れるクレーンゲーム)があったり、
対戦格闘ゲームや弾幕系シューティングの筐体がありました。
この屋上のレインボーは98年秋のヨーカドー専門店街改装工事の際に無くなってしまいました。
(この改装で現在もある専門店街プラーレがオープン)
あとは2002年頃まであったサニーランドのゲームセンターは1階国道側入り口にマクドナルドがあったり、
メダルゲームコーナーは半地下の場所にあってパチンコ台が16台もあったりしましたし、
松戸西口にかつてあったゲームステーションは1階がメダルゲームコーナーで2階がアーケードコーナー、
メダルゲームコーナーの半分はビデオポーカーで入り口目の前にパチンコ台(確か西陣のアンタはエライEX)があって、
奥にシグマのメカスロ台(確かホットライン)という配置でした。
他にも松戸東口バス停すぐ隣にあったポップコーンにも行ったことありますし、
今も営業してるソニックビームにはプリクラの機械しか置いてなかった2号店が離れた場所(バス通り沿いにあるドミノピザの隣、今は1階が受注製作専門のTシャツ屋がある)の狭いビルの1階にあり、
1996〜1998年頃の短い営業期間で今もこの建物にシールプリントコーナーの看板が残ってたりとソニックビーム2号店の面影が残ってたりします。
(余談ですがこのソニックビーム2号店跡地の向かいに現在もあるお地蔵さんのとこは昔、サニーランドへの無料送迎バス乗り場だった)
まだまだ松戸市内のゲームセンターの話は八柱のヨーカドーのゲーセン(店の真向かいの駐車場の1階にゲームコーナーが昔あった)とかの話もあるんですが、
かなり長くなると思うんで、今度近いうちにサイト見にきた際にまた書かせてもらいますm(_ _)m
長文失礼致しましたm(_ _)m
ポッピー様、
コメント有難うございます。
実体験に基づいたお詳しい書き込みの一つ一つにホッピーさんの実生活の片鱗を感じます。
今通勤電車の中ですので、後日ページへの反映をしていきたいと思います。
先ずは御礼まで
そういえば東京ガリバーって以前はバンプレストの本社も同じ建物にあって、
バンプレストのプラモやゲームソフトにも「バンプレスト 本社:千葉県松戸市〜(ガリバーの建物の住所)」が記載されてたんですよね。
あと2000〜2002年頃には東京ガリバーの地下にバンプレスト直営のプラモ店があったり、
プラモ初心者の為のプラモ塾(MAX渡辺のプラモ道場と言う名前の塾)があったり、
キラキラメロディ学園という東京ガリバー(というかバンプレスト)のお抱えのアイドルの卵のグループがいて、
このアイドル達が喋るちょっとしたラジオ放送風の店内放送がガリバー店内で流れていたり、
CDデビュー後に曲が松戸駅東口で大音量で流れてたりしてましたね。
この曲はyoutubeに今でも音源があります。
あと2006〜2010年頃までクレーンゲームの全国大会が大々的に開催されていて、
このクレーンゲームの全国大会の千葉県予選が毎回必ず東京ガリバーでの開催でした。
この大会で東京ガリバーのクレーンゲームコーナー常連客の女性が全国優勝し、
TVチャンピオンにも出場して優勝するなど有名人になったと比例して東京ガリバーのクレーンゲームコーナーは凄いぞと話題になり、
わざわざ関西からクレーンゲームをプレイしに東京ガリバーまで遠征してきた客がいたりしました。
バンプレスト直営店の東京ガリバー自体は神奈川県横浜市の戸塚にもあったりと他地区でも営業してましたが、
松戸のガリバーが東京ガリバーの中では知名度も人気もダントツでしたね。
ちなみにガリバーの中にあったスパジオというパチンコ屋の会員カード的なカードは今でも実家にあります。
ホッピー様、
コメントありがとうございます。これについては、ホッピー様の書き込みでいろいろと深く考えてしまいました。
私は根本英数塾に通っていたので、東口のここも思い出が深い場所です。
東口の現在のピアザ松戸ビルは昭和45-6年頃じゃないかなと思いますが、当初はポンテというビル名だったと思います。西口のボックスヒルに東口のポンテという感じで駅ビルとして張り合っていた感じがありました。ただ、ボックスヒルは改札から雨に濡れず店内に入れましたが、ポンテは一度外に出ないと入れなかった為、駅ビルの客入りとしては、ボックスヒルに比べ劣っていた様に思います。
又、ポンテは多分複雑な権利関係があったんだと思いますが、二つのビルの合体で新築されました。向かって左手前がニュートーキョーセブンビル、右側がポンテ(後のピアザ松戸)でしたので、ニュートーキョーセブンビルの施設にはアクセスしずらいものがありました。当初はイタリアントマトとか入っていたんですが、今は吉野家ですね。
いつからビルの名前が変わったのかは分かりません。ただ、1988年の住宅地図を見るとナガタニビルという名前でした。
1988年は2階が株式会社ナガタニ、3階がビリアードステーション倶楽部、それより上階は無記載、一階はやきとりの立花、
喫茶店川名、大助酔巴里、富川、維新號、大建ホーム(株)などで、その他1階の大半のエリアは無記載でした。
ナガタニビルからピアザ松戸になったのはいつなのかいずれ調べますが、多分、バブル崩壊をきっかけに買収されたのかもしれません。
バンダイとナムコはそれぞれ別の業態で発展しましたが、バンダイはバブル景気をきっかけに事業変換が必要な時期だったのかもしれません。しかしながら、ナムコは1970年代のゲームソフトの開発から、その後総合アミューズメント施設の運営を始めてましたから、時代の動きを捉えていたのかもしれません。しかし、ゲームセンターの時代も終わり、今やオンラインが主流になってしまっていますので、これも又厳しい世界なのかもしれません。
ビルの話に戻りますが、
東京ガリバー松戸店が閉店したのが2017年6月30日でした。この時のメッセージは「1992年の開店より25年間にわたり・・・後略・・・」となっていました。私は、バンダイミュージアム→東京ガリバー松戸店と名称が変わったという記憶があったので、ちょっと、あれ?と思ってました。しかしながら、この当時はバンダイ・ナムコホールディング時代の施設だったので、それが故に25年と書いたのかな?と思っていました。
バンプレストがいつからあのビルに入っていたのかはまだ分かりません。それが上述した1992年だったのか、それとももっと後だったのか分かりません。ただ、バンプレストが入っていた事で、ビルの用途が2003年以降、バンダイミュージアムとなって、後に東京ガリバー松戸店に変わっていった事を考えると、バンプレストが入居した時が、もしかすると1992年で、その年が権利関係が変わった年で、ピアザ松戸になり、その後のアミューズメントビルになっていったのかもしれません。前後関係は、いずれ調べてみます。そう考えると、ビジネスも一筋縄ではいかないのかなあ・・・と感じます。