82 カキ氷の時代が終わり、缶ジュースの時代へ、竹ヶ花”やきそばや○む○”は我が家

かき氷昔日の松戸
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「かき氷は缶ジュースの出現ではなく、冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した」

家電

いらすとやさんのイラスト

今現在、松戸を歩いていて喉が渇けば、どんな場所でも缶ジュースの自動販売機が一つや二つ必ずある。或いはコンビニだってある。好きな時に好きなように飲み物を手に入れて喉を潤す事が出来る。これは現在日常の当たり前の風景になっている。

缶ジュースの自動販売機は見かけなかった時代

昭和四十年代前半までは缶ジュースは存在したが、自動販売機はまず見かけなかった。缶ジュースとして明治製菓のオレンジジュースを覚えている(瓶ジュースでバヤリース、プラッシー、ミリンダなどもあった)。

現在のような便利なステイオンタブ式ではなく、付属の缶切り付きで売られていた。缶切りで二箇所穴を開けて飲む。片方が飲む穴、片方が空気が入り込む穴だ。しかも硬めのブリキ缶の様な感じであった。当時の商店には必ずしも冷蔵庫があったわけではないので、缶ジュースにしても瓶ジュースにしても、常温の状態で棚に並べられている事も珍しくなかった。

缶ジュースは自動販売機と出会い、冷やされ売られる事によって初めて普及したのではないかと思う。缶ジュースがまだまだマイナーだった時代、夏の清涼を取るためには軽食堂やそば屋のような場所に行くのが一般的。

我が実家は軽食堂(甘味処?)だった

父と私

父と私(お店の前で)

表の家は“やきそば○○○○”という店名で(ジュースは勿論のこと)冬はおでん、夏はかき氷他色々な甘味、あんみつ等を売り繁盛していた。当時は電気冷蔵庫自体がまだまだ高価で、表の家の“やきそば○○○○”は電気ではなく氷で冷やすタイプの冷蔵庫を使用していた。映画「三丁目の夕日」に登場したあの氷式冷蔵庫だ。木製で上下二つの扉があり、上の扉に氷を一貫目を入れて下の扉の食品を冷やす。

かき氷が売れるときは次から次へと売れるので、かき氷用の氷も保存する冷蔵庫が必要になる。そこで父がカキ氷用の氷保冷庫を自宅庭地面下に作った。土は自然の断熱材であることを利用した簡単なもの。

冷たい飲み物は一般的に商店にはなかった

現在は冷たい飲み物を飲むという事は当然の事になっているが、当時冷たい飲み物を飲むという事はお金も掛かるし簡単ではなかった。

又、松戸駅の付近には松戸製氷そして小根本の交差点付近(モリヤ米店付近)には折原氷店があった(ある時期この店は栄久氷店と言われていた時期もあった)。夏休みの間なので、自転車で店から近い折原氷店に度々買いに行かされた。

氷を買うときの単位は貫目。当時一貫目は二十五円。確か一貫目で14~5杯くらいはとれた。これを一杯二十五円で売る。

「五十円を持って銭湯に行けば帰りにはおつりでかき氷が食べられる」

かきごおり

いらすとやさんのイラスト

歩いて数十秒の所に竹の湯があり、大人料金が二十五円だった。「五十円を持って銭湯に行けば帰りにはおつりでかき氷が食べられる」という便利さから重宝されたようだ。ただ、当時は缶ジュース時代の到来は近いと見られていて、保健所から営業許可をとる際、担当官から「カキ氷はあと数年の命だよ」とアドバイスされた。

あれから数十年、すっかりかき氷は廃れ缶ジュース、缶コーヒーの時代になった。現在フラッペと称しかき氷が提供される店はある。然し、かき氷という食べ物は団扇や扇風機で涼を取り、汗かきながら食べるものであって、冷房のきっちり効いた店舗内で果たしてかき氷を食べたくなるだろうか……

冒頭に「かき氷は缶ジュースの出現ではなく、冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した」と書いた。私はかき氷は缶ジュースにその座を取られたのではなく、クーラーという冷房設備と冷蔵庫にその存在価値を奪われたのではないか?と思っているからだ。

新橋駅近くの製氷屋さんで

氷

いらすとやさんのイラスト

10年前に東京新橋付近で製氷屋を見つけた。店外に作られた作業台で氷詰め作業をしていた。どうにも懐かしくなって話しかけてしまった。

「今、一貫目いくらぐらいですか?」
「六百円だよ」
「私の子供の頃は二十五円でした」
「あんた、いつの時代のこと言っているの?」

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