昭和の松戸を歩く

1981年頃の松戸駅東口商店街について-旧金ケ作陣屋道

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1981年頃の松戸駅東口側商店・飲食店について

昭和の頃の松戸の商店を調べるシリーズです。今回の対象は松戸市役所の南側の岩瀬跨線橋の周りです。西口側からは旧金ケ作陣屋道として、岩瀬方面につながる道です。

1981年の東口側、岩瀬跨線橋付近の商店、飲食店、他をプロット

uMap(OpenStreetMapのマイマップ機能)に1981年頃の商店、飲食店、他についてのプロットしたものが下記です。もし昭和の頃の施設でこれを忘れているという場所がありましたらアドバイスお願いします。

画面いっぱいにご覧になりたい方フルスクリーン表示をクリックお願いします。

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根本東口側商店リスト 旧金ケ作陣屋道

根本東口側リスト 旧金ケ作陣屋道

  • 松戸大宝
  • 大橋屋
  • 飲食店の雑居建物
  • ひまわり
  • ジョニー洋服店
  • 養老乃瀧
  • 阿らヰ寿司
  • 焼肉福寿院
  • 戸張屋
  • たくぼ
  • マンマ
  • パパ
  • 中華きみ松
  • 旅館京葉荘
  • イマイカメラ・レコード
  • 小料理京
  • 鮒忠松戸東口店
  • コーヒードン
  • ラーメン富士
  • 山六商店
  • コーヒーK
  • 太閤
  • ヤマダ花店
  • 高崎魚店
  • 角田肉店
  • 石川薬局
  • 森谷米穀
  • 山田自転車
  • 銀寿し
  • クラブレイ
  • 栄久そば
  • 住吉書店
  • 新栄電気
  • 金太楼寿司
  • 栗原酒販店

この頃の商業施設で足りないものがありましたら、アドバイスお願いします。出来ましたらそれらの施設についてのエピソードもあれば非常にありがたいです。

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根本東口側商店リストの覚書

我が表の家の性格上、みなさんよくご存知の”T”については地図にはプロットしたが説明は書かない.

おおはし屋

以前ミスターTさんが松戸神社ベスト100の中で駄菓子屋として取り上げていたことがあった。ご意見箱に書いていただいた時は、私は知らない店だと思っていた。その後、ここの店主は私、と言うよりも私の父と接触のある人だった事が分かった。元々おおはし屋さんは青果業を営んでいた。息子さんは家業を引き継いでいくために、模索していたそうだ。

そこで、我が父が勤務していた日本橋八重洲にある会社”S”に入社したそうだ。松戸に住んでいたこともあり、その会社でどのような動き方をしていたのか、何故か我が母も知っていた。その後、息子さんは退社され、地図の位置におおはし屋を開業していた。そのおおはし屋が青果業だったのか、或いは駄菓子屋だったのか、それは詳しくは聞いていなかった。後日チャンスが有れば聞いてみたい。

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味彩 2021年7月1日撮影

その後、時間は経過する。1996年頃、おおはし屋の家作に味彩(あじさい)という飲食店が出来た。ここはおおはし屋さんの店主が始めたお店だった。話は少し逸れるが、表の家を通して、松戸市民劇団の方々と交流を持つようになった。松戸市民劇団の講演会が八柱の劇舎で行われたので、見に行ったことがあった。ここにおおはし屋の店主夫妻が観劇に来て、知り合った。

どうやら、松戸市民劇団員のTさんが、近所の某企業に務める人で、良く昼ごはんを食べに来ていたそうだ。そんな話があり、それでは味彩に行ってみようかな・・・という事になった。あれは2010年前後だったと思う。そこで店主と話をしたら、前述の(父が勤務する会社に務めていた)話を聞き非常に驚いた訳だ。その後、何回か味彩に通った。

ただ、2013-2015年の間シンガポール勤務があり、味彩には行けなくなったが帰国後何度か通った。昨年2020年非常事態宣言が発令され、外食しない生活が続いた。同年9月頃、味彩の前を通ると店主に会った。「近いうちにやめます」という。普通の状況であれば、私もお店の廃業日まで通うのだが、流石にあの頃は(2021年7月現在も変わらないが)お店に通えなかった事が悔やまれる。味彩は2020年9月25日をもって閉店しました。

飲食店の雑居建物

fuji

富士(昭和45年4月15日小倉様撮影)

元々は、遊技場、富士或いは千松という店名だった。床は土間で、椅子がないお店だった。一回程度しか行かなかったが、後に廃業し、建物はそのままに飲食店がたくさん入った雑居建物になった。写真の左の方に富士という文字が見えるだろうか?この建物がその建物である。また、背景に見える赤い看板の塔の様なものは扇屋である。

ひまわり

入ったことは無い。どんなお店なのかも分からない。ただ、気がついた時は建設会社の現場事務所の様になっていたりした。

ジョニー洋品店

suits

suit いらすとやさんのイラスト

元々現在の商工会議所の横道を入った先にジョニー洋服店があった。水戸街道沿いにも店舗があったらしいが覚えていない。このジョニー洋服店は既製品背広(吊るし)がメインだった。松戸にまだ大型店舗が無い時代とはいうものの、いわゆる個人商店を超えた薄利多売の商売だったと思う。規模は中型以下で格安販売をモットーとし自社工場で生産をして販売をしていたらしい。西口時代、奥は工場だった。

商売上手ではなかったのか?

近所のお兄さんでFさんという人がいた。このFさんは短気で怖いところがあったが、気持ちは優しく本当によく可愛がってもらった。私の切手収集を突然豊かにしてくれたのもこのFさん。ある日、このFさんがジョニー洋服店から帰ってくるとプンプン憤慨している。相当失礼な事を言われたらしい。何を言われたのはここでは書かないが西口にあった頃のジョニーの販売員は商売上手ではなかったのかもしれない。或いは職人気質の人が多かったのかもしれない。

すでにこのジョニー洋服店は西口の上記の場所にはない。奥の工場はオンワードの縫製工場になったが、今は縫製工場は無い。後に、松戸市役所の坂を駅方面に下り、高架道路を越えたところにジョニービルがあり、一階がジョニー洋服店になった。私は就職する時ここで背広を買った。私の思い込みと違って比較的親切な店員だった。2012-13年頃ジョニービルは解体されて現在は存在していない。

養老乃瀧

草分け的なチェーン系だった。一度入ったことがあった。記憶があまり無い。

阿ら井寿司

1981年頃は、地図の位置だったが、後に篠崎ビルの中に移った。夜0時くらいから暖簾を出す寿司屋さんだった。その為、中々入る機会が無いままに閉店してしまった。その後、2006年に千葉大園芸学部の戸定祭に行った。目的はボランティアさんと園芸学部の学生さんとの交流会だった。そのボランティアさんの中にこの阿ら井寿司の店主が居た。意気投合した。

改めてこの人を見るとロックンローラーの様なサングラスをして背が高くカッコいい。服装も含め一般のおじさんの風体ではない。レイ・チャールズを彷彿とさせる雰囲気がある。かなり個性的な面白い人だったが良くしゃべる人だった。電話番号も聞いたがそれっきりになった。

焼肉福寿院、戸張屋、たくぼ、マンマ、パパ、中華きみ松、旅館京葉荘

これらについては全く分からない。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、情報お願いします。

イマイカメラ・レコード

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イマイレコードの跡地に出来たビル 2021年7月27日撮影

駅からは離れているが、度々通ったレコード屋さん。ここは後に建て替え、店名も変わり、レンタルビデオ屋さんになったと思うが、今は全く別の職種のお店。

小料理京、鮒忠松戸東口店、コーヒードン、ラーメン富士

この中で唯一鮒忠が著名なチェーン系なので、聞いたことがあるが、その他はよくわからない。なにか情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非アドバイスお願いします。

山六商店(2021年7月現在はヨシダ商店)

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山六ビル よしだ 2021年7月27日撮影

ここは正面の高崎魚店、角田肉店と共に小根本・岩瀬界隈の食材販売の一躍を担っていた店。山六さんは入ったことが無いが、基本的には八百屋だったと思う。

コーヒーK

Coffee K

コーヒーK 2021年7月27日撮影

ここは一度も入ったことが無い。市役所の坂を松戸駅側に降りきったあたりにある。木造2階建てで、隣が行政書士川島純子事務所で、右側がこのコーヒーKだった。うしとら様の情報によると、どうやら、川島先生の娘さんが運営していたらしい。そして、美人だったそうだ。一度行ってみたかった。

当時は、東口のマザーグースに行ってお酒を飲むことばかりの毎日だったので、喫茶店は行かなかった。喫茶店は廃業し扉がしまったままの状態が続いた。そして川島先生の事務所も廃業してしまったそうです。2021年7月27日現在見ると写真のように雑草がのびのびと生えてしまっていますね。

太閤、ヤマダ花店

これらの店について、なにか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非アドバイスお願いします。

高崎魚店, 角田肉店

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高崎と角田
2008年7月20日撮影

すでに廃業後だと思うが、2008年7月20日に撮影した写真。二軒長屋になっていて、左が高崎魚店、右が角田肉店。我が母は、良く高崎魚点に買い物に来ていたらしい。もう、両店舗とも無い。現在ここは新しいマンションが建設されこの建物は現存しない。

石川薬局

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石川薬局
2008年7月20日撮影

廃業されたか、どうかギリギリの頃だったと思う。一階は薬局だったが、二回はいしかわ美容室だった。同じ石川なので、経営者が一緒だったのだろうか?現在ここは新しいマンションが建設されこの建物は現存しない。

森谷米穀

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森谷米穀
2008年7月20日に撮影

子供の頃は森谷ストアーと呼んでいた記憶がある。米だけでなく、その他の食材も売っていたスーパー的なお店だったと思うが、記憶が曖昧。現在ここは新しいマンションが建設されこの建物は現存しない。

山田自転車

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山田自転車
2008年7月20日撮影

左側のシャッターが山田自転車で、右側のシャッターが葵、或いはニュー葵のあった店舗。左側の山田自転車は私の自転車第一号を買ったお店。中古だったが、母が探してくれた記念すべきお店だった。当時どうやら、山田自転車の息子さんの自転車を息子さんに無断で我が母に売ってしまったらしく、息子さんがかなり文句を言っていたというエピソードを聞いたことが会った。

写真は2008年7月20日だが、山田自転車の跡にHopeという飲食店が出来ていた。トマトのおでんが自慢だったらしく、勧められ食べた。美味しかった。当時Hopeは根本交差点の中銀ビルの中にも出来ていた。看板のロゴが同じだったので姉妹店だったと思う。

銀寿し

子供の頃、出前というと銀寿しさんだった。非常に恰幅の良い人が出前で運んでいた。お店の中には入ったことが無いので、お店自体の記憶は無い。

クラブレイ

子供ながら謎の多い店舗だった。成人した頃には無かったお店だったと思う。後日、吉泉のご主人に伺ったら、着席すると5万円のお店だったと言われ、仰天した。すごいね!確か、私が小学生低学年の頃は折原氷業という氷屋さんだった場所だと思う。我が実家が出していたかき氷の氷はここの折原さんで買っていた。

栄久そば

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栄久ビル
2008年7月20日撮影

中華と日本蕎麦の両方出しているそば屋さんだった。確か松戸市観光協会も入っていたと思う。その関係だったか、おかめそばというメニューがあった記憶がある。我が尊敬する松戸観光大使のI女史の同級生が店主だった。栄久さんは2018年頃だったか、廃業されてしまって、今は栄久ビルではなくて、アセットビルという名前のビルになっている。残念である。

住吉書店

当時は書店は駅前ではなくて、少し離れたところにもよく見かけた。松北堂もそうだが、ここもその1つだと思う。ここは新書本を扱っていたが、昭和40年代前半くらいまでこの住吉書店の裏付近に住吉文庫という貸本屋があった。竹ケ花の我が実家からわざわざ住吉文庫に借りに行ったことがあった。住吉文庫の近くには埼玉屋豆腐店があり、店では買わなかったが、埼玉屋さんは豆腐売りとして自転車で竹ケ花まで来ていたので、良く買いに行かされた。確か、住吉文庫の店主は渡辺静子さんではなかろうか?

新栄電機

Kaden

Hannah EdgmanによるPixabayからの画像

新栄電機は1959年に葛飾区亀有で創業した家電量販店で、東京下町や松戸の常盤平にもあった。第一家庭電器と競って店舗展開をしていたイメージが強い。

金太楼寿司

金太楼さんは今でも健在である。我が実家の法事の時はよく使ったし、出前も取っていた。店に行くと若い店員さんの元気な「いらっしゃいませ」が印象的。季節になると上海蟹がカウンターに出てくるので、あれもいいよね・・・

10年くらい前に言っていた頃はAさんという人が責任者で居た。なんでも、東口店のここと、上本郷店、守谷店を見ていると言っていたっけ・・・また、沖縄出身の若い人が多くて、沖縄の事を話すのも好きですね!

栗原酒販店

岩瀬の酒屋さん、ここの社長さんは元気いっぱい。松戸観光協会の副会長で、しかも松戸美食倶楽部の会員でもあり、松戸の古い歴史のお話をよくご存知です。まつどまつりでも出店されていますね。

関連ページ

この投稿は、昭和の松戸を歩くシリーズの関連投稿です。ご参考の為下記も御覧ください。

松戸駅西口、昭和の頃の中通り商店街の風景
松戸駅西口に中通り商店街があり、これは現在のふれあい通りに当たるが、昭和の頃都市区画整理で幅員拡張され、道路位置もかなり調整された。中通りには様々な種類の商店が集まっていた。焼鳥の開進、映画館の松竹館、カメラのイマイ、室内釣堀の太公望、モンダ書店
昭和30-40年代の松戸駅西口商店街、高砂通りは活気があった
現在の松戸駅付近はありふれた駅前風景でしかない。大手のスーパー、銀行、コンビニ、空虚なぺデストリアンデッキがあるだけ、ところが西口都市区画整理前の松戸駅西口商店街は全くイメージが異なっていた。細くくねった道、物陰のある道、界隈性のある場所な
1988年、松戸駅東口の商店街、飲食店の思い出-東口線路沿い
アジアの様々な国への海外赴任を繰り返す前、私にとっての定番の通勤路は金山神社を通過する松戸駅東口ルートだった。1988年頃の住宅地図を参考に、松戸駅東口商店街の色々なお店について、当時の状況を振り返り思い出しながら、ページとして残したい。
松戸市竹ヶ花&根本の商店街(竹ケ花踏切以西、金山神社参道まで)を歩く
旧水戸街道を松戸駅方面から、竹ケ花方面に向かうと途中に国鉄常磐線の踏切があった。これは一般には竹ケ花の踏切と言っていたが、正式な名称としては陸前浜街道第二踏切と言ったそうだ。この陸前浜街道第二踏切の西側にあった松戸市根本、竹ケ花商店街を記録
かつて竹ケ花踏切以東にあった松戸市竹ケ花商店街(旧水戸街道)
常磐線複々線化によって閉鎖された竹ケ花の踏切以東には松戸市竹ケ花商店街があった。そのお店を一つ一つ思い出していきたい。我が実家はかき氷販売から始まった。かき氷は缶ジュースの出現で衰退したという人が居たが冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した
松戸市道の商店・飲食店・会社
昭和30年代前半に、市役所が根本に本館を建てた事で、竹ケ花には松戸市道が開通する事になった。旧水戸街道から胡録台まで。この松戸市道が出来たことで、市役所に行くことや竹ケ花のお墓にいくことが便利になりましたし、小規模ですが、飲食店や商店が出来た
根本の商店街 アーバンヒル松戸周辺
アーバンヒル松戸が出来た1980年前後の頃、松戸駅に近いこともあって、根本のアーバンヒル松戸の周りの商店・飲食店のいくつかに通った。記憶が消える前に記録していきたい。商店としては、思い出すようだったら、1970年代の商店も書いていく。
松戸旧市役所通りについて
松戸市役所は元々は松戸三丁目にあった。現在のキテミテマツドの駐車場。母が松戸にお嫁に来た頃は三丁目のキテミテマツド用の駐車場ビルの場所に市役所があった。松戸税務署もあり、所謂官庁街だった。昭和の松戸の元官庁街にあった建物について調べてみた。
昭和の頃の松戸根本商店街(金山神社参道から根本交差点まで)を歩く
昭和40年代に松戸の商店街は激変した。そこで今回は昭和37年以降の旧水戸街道沿い、金山神社参道付近から根本の交差点付近までの、たくさん軒を並べていた時代根本の商店街を、調べ調査してみた。まだ、調べたり無い部分もあり、それは今後調査していく。

コメント

  1. うしとら より:

    市役所の下にあった「行政書士川島順子事務所」、祖母が川島先生と親しかったので、子供のころ祖母に連れられて何度か一緒に行ったことがあります。幼稚園くらいの記憶です。廃業されて30年以上経ってます。「コーヒーK」は川島先生の娘さんが営んでいた喫茶店です。たしかカウンターだけの小さな店だったと思います。川島先生の娘さんは美人で、私と同じくらいの年のかわいい娘さんが居ました。喫茶店の方が川島事務所よりも早く廃業されていたと思います。
    川島先生は竹の湯の隣か二軒隣りにおひとりで住んでいました。川島先生もお洒落な方でした。

    • うしとら様、
      うしとら様の人脈は広いですね!驚きました。
      コーヒーKの存在を知ったのは、スリランカの常駐の後だと思いますので、1987年頃だったと思います。もしかすると1985年頃にも気がついていたかもしれません。中に女性が居たのは覚えていました。でもどんな店主だったのかは知らずに終わってしまいまいました。差し障りのない程度で、上の文章を書き直しておきますね!

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