昔日の松戸

松戸市栄町商店街、昭和40-50年代は歩くのに苦労するほど賑わっていた

栄ストアー昔日の松戸
2020年5月の栄ストアー
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松戸市栄町のかつての状況

小中学校での同級生のKさんと栄町商店街の衰退について憂慮し、どうしてこうなったのか?どうしたらいいのか?色々と議論を重ねている。Kさんは非常に熱心に街の事を考え、何とかならないだろうか知恵を絞っている。こんな話をし始めてから早7年は経つだろうか?最初は栄町の街を歩きながら、在りし日の姿をイメージしながら聞いた。

当時、Kさんは”栄町の商店街が非常に混雑していて、まっすぐ歩けなかった”といった。テレビの朝番組でも放送されたらしい。その話を聞いてから、どこかにそんな資料が無いか随分探し、昔の住宅地図も調べた。昔の住宅地図を見ると栄町商店街にはたくさんのお店が所狭しと集まっていたのには驚いた。

活気のある商店街は魚屋八百屋が軒を並べていても商売になる。むしろ競争し、お客さんも増えるらしい。朝市の始まる合図に花火も上がったという話も聞いたことがある。そういえば母もわざわざ栄町に買いに行ったことがあるといっていた。

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過去の新聞、松戸の情報誌等から

花火を合図に始まる朝市 朝日新聞1991年7月31日地方版より

朝日新聞地方版1991年7月31日、第26面に心温まる記事が載っていたので、転載させていただきます。(朝日新聞社様へ、もし著作権上の問題がありましたら、削除致しますので、ご連絡よろしくお願い申し上げます)

朝日新聞1991年7月31日

全ちば商店街通信
花火を合図に始まる朝市
栄町中央通り商栄会
朝日新聞1991年7月31日地方版より

全ちば商店街通信「花火を合図に始まる朝市」栄町中央通り商栄会
朝日新聞1991年7月31日地方版より

「JR北松戸駅から北松戸工業団地を越えると、住宅密集地が広がっている。その奥へと進む道路に、栄町中央通り商栄会の看板が見えてくる。十数年前から始めた朝市は、この商店街の看板。八月はお盆と重なるため第一日曜日に開くが、いつもは第二日曜日の朝七時の花火を合図に約二時間、各商店が「朝市」の看板を立てて店を開く。

いつもより安く売っているが、二時間で通常の三倍近い売り上げがあるという。この商店街も各地の商店街と同じで大型店対策が悩み。昭和四十年代は客も多くスリも出るなど「栄町のアメ横」といわれた時代もあった。が、五十年代に入って近くに大型店が進出してから客足は減った。

高橋和久会長は「うちの商店街二十七店舗が団結して心を一つにすれば大型店と同じだ。商売は客の心をつかむこと。それを忘れなければまだまだ大丈夫だ」と話す。決して大きな商店街ではないが、野菜を売る威勢のよい”おっちゃん”、 店頭で買い物客と大きな声で井戸端会議に花を咲かせている”おばちゃん”たちの姿に活気あふれる「街の商店街」の姿が感じられる。

写真:地域の人達の楽しみになっている栄町中央通り商栄会のイベント

  • 朝市の開催日:第二日曜日の朝七時から2時間
  • 栄町朝市が始まったのは:昭和40年代後半?

テレビでも取り上げられ、それは活気があったそうだ。

買い物は小売専門店が中心:松戸ライフ1974年冬号より

この記事は当時の地域情報誌”松戸ライフ”の1974年冬号より転載させていただいてます(出版社の方へ、もし著作権上の問題がありましたら、削除致しますので、ご連絡よろしくお願い申し上げます)

1970(昭和45)年頃に金町から栄町八丁目に引っ越し、1974(昭和49)年頃の状況までを振り返る松戸市栄町八丁目 主婦MSさんのお話:

「東京葛飾の金町から、松戸市栄町に移った頃は、交通も不便、おつかいも不便、物価にしても金町よりは1-2割高く、暮らしにくいところという感じが強いところでした。なにしろ、何をするにしても、何にもない不便、不便ということを真っ先に思いました。その頃は、今の松戸駅西口-日大歯科大学のバス路線もなくて、国鉄北松戸駅まで歩いて行かなければならなかったほどです。

自然が溢れ、空気もきれいだった1970-1974年頃の栄町

ただ、不便さをがまんすれば、自然環境は良いところでした。カエルは鳴いていましたし、子供達の遊び場も、家の周り全部がそうであったといえるほどです。空気も金町にくらべればきれいでしたし、なにしろノンビリすることができた、という事が金町にはなかった魅力ですね。

栄町に来て今年で四年目になりますが、買い物に不便ということでは相変わらずですが、安い買い物をするということで、閉店まぎわに行く、という方法があるんですが、商店街が遠いということでどうしても早めに買い物に行くことになってしまい、なかなか思いどおりの買い物が出来ないでいます。

マーケットよりは小売専門店の方が買い物しやすかった

それは市で行っている、魚の日、肉の日、野菜の日といった安売りデーなどもなかなか十分に活用出来ないということです。安く良い物の買い物、ということでは、マーケットを利用するより、小売専門店を利用しています。というのは、マーケットの場合、肉や野菜がパックに入っていて、見た目はきれいに包装されてますけれど、実際に手にとって品物を見ることが出来ませんし、分量も必要以上に買わなければならなくなくなってしまうことが、多いからです。

また、パックの中は解らないので、チョット傷んでいても買ってしまい、安く見えていても、結果的には高くついてしまうことになるようです。また、鮮度も、小売店の方が良いし、保ちも良いようです。それは、小売専門店の場合お得意さんになると、顔も名前も知ることになるから、無責任におかしなものが売れなくなるのでしょう。

結果的には小売店での購入の方が安く良い品が手に入る事になります。最近は、バスの便も増え、商店数も増えてきましたし、また自然環境も良いし、ノンビリ出来ますし、松戸市もだんだんと暮らしやすくなってきたのではないでしょうか」

生きの良さを売る。栄町で早春の朝市:まつど広報1983(昭和58)年3月5日号

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S58年3月5日号広報まつどより

はだ寒い空気に、人々の吐く息が白い。
きらりと光る陽光は、春のきざしを感じさせる。
住民に浸透した日曜朝市には、活気がみなぎり、自然に人が集まってくる。
威勢のよい声がとびかう中、朝食のおかずにと、買い物をする人たち・・・
(栄町三丁目で撮影)

(まつど広報様へ、もし著作権上の問題がありましたら、削除致しますので、ご連絡よろしくお願い申し上げます)

上の写真はまつど広報1983(昭和58)年3月5日号の記事だ。売っているおじさんが栄町三丁目と書かれた半天を来ている。同級生Kさんに聞くと、この写真の場所は、三丁目の掘割り通りにぶつかる所にあった栄ストアーの写真らしい。3月だけに寒そうだ。確かに写真を見ると人でごった返していて、これではまっすぐ歩いていけないわな・・・

現在の栄ストアーの場所

栄ストアー

2020年5月撮影、栄ストアー

多分、あのおじさんがこのテントの付近で売っていたのではないだろうか?

根本、竹ヶ花、竹の根商店街は寂れてしまって久しいが、旧水戸街道沿いは現在マンションが林立し、嘗て商店街があった事を忘れそうになる。こんな写真を見て思う。何とか商店街が復活するきっかけはないのだろうか?・・・と今でもそう思う。

Kマート栄町店:”商業界”発刊”食品商業1974年9月号”より

商業会の発刊した”食品商業”という雑誌1974年9月号に”目で見る日本のコンビニエンス・ストア”という特集があり、その中に「北松戸に進出するKマート栄町店、●近くの小売り店に一台衝撃与える」という記事が見つけられる。それぞれ写真の寸評が面白く感じたので転載させていただきたい。
(出版社の方へ、もし著作権上の問題がありましたら、削除致しますので、ご連絡よろしくお願い申し上げます)

Kマート栄町店写真1

Kmart

商業会発刊した”食品商業”という雑誌1974年9月号 ”目で見る日本のコンビニエンス・ストア”より

記事内寸評 ”青果商出身のCVS(コンビニエンス・ストアの事)はすぐ分かる。なんといっても店頭のバラ売りは改められない(Kマート)”

Kマート栄町店写真2

K-mart

商業会発刊した”食品商業”という雑誌1974年9月号
”目で見る日本のコンビニエンス・ストア”より

記事内寸評 ”店頭のバラ売りは基本的に廃止すべきだが、ローカルCVSの場合は当分はやむを得ない(Kマート)”

Kマート栄町店写真3

Kマート

商業会発刊した”食品商業”という雑誌1974年9月号
”目で見る日本のコンビニエンス・ストア”より

記事内寸評 ”1日来店客1100人、月商2000万円の店は、たそがれ時、3台のレジが大をふく勢いだ(Kマート)”

Kマート栄町店写真4

コンビニ風の棚

商業会発刊した”食品商業”という雑誌1974年9月号
”目で見る日本のコンビニエンス・ストア”より

記事内寸評 ”雑貨部門はなかなか充実している。だが、どうしてセブンイレブンの感じが出ないのであろう(Kマート)”

Kマート栄町店写真5

生鮮類売り場

商業会発刊した”食品商業”という雑誌1974年9月号
”目で見る日本のコンビニエンス・ストア”より

記事内寸評”このチェーンの生鮮はなかなか充実してきた。ランマに美しいサービスサインが出ているのだから、吊りさげ式の売り場案内はやめてもよろしいようだ(Kマート)”

Kマートに関する記事を読んでみて

それぞれの寸評を読むと店頭のバラ売り、吊りさげ広告、雑貨の陳列方法は古くさいと酷評している。もっとセブンイレブンの様な近代的なコンビニエンスストアーにした方が良い・・・という方向性が書かれている。

これを見るとNHK連続ドラマ”おしん”でおしんの生魚店を長男がセルフサービス式のスーパーにしようと言って、おしんはスーパーを新装開店したが、レイアウトや店の運営で長男とおしんがぶつかる場面を思い出した。おしんは店頭のバラ売りを継続して商売しようとしたが、理想主義の長男はそういうのはやめて欲しいとぶつかった。

そういう店だったが、人気は上々、売上げも伸びて近所の既存小売店から苦情も来ていた。このKマートの記事にも”近くの小売り店に一大衝撃与える”とあるが、すでに1974年の頃から小売店に影響を与えるスーパーが栄町に存在していた事になる。とは言うものの、この当時は小売店の自らの努力で何とかしつつ、繁栄の時代を迎えていたように見えた。

2015年現在、松戸駅周辺にあるコンビニエンス・ストアは近代的な店内になっている所ばかりになってきた。むしろ寂しいくらいである。同時に栄町周辺の小売商店は殆ど壊滅的で衰退してしまっているのが寂しい。

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栄町の活気はどうしてなくなったのか?

大手スーパーの進出?

スーパーが次々に出来たから商店街が衰退したという考え方がある。栄町もマルエツまでは良かったが、ベルクスが出来て以降はかなり商店街が寂れたらしい。これも一つの大きな原因であると思う。

世代交代が進まなかった?

昭和59年という事は昭和20年生まれの人は39歳、昭和30年生まれの人は29歳という事になる。多分この栄町商店街で活発に買っていた人達は、昭和10年生まれの49歳から昭和35年生まれの24歳くらいまでの層ではないだろうか?

この写真(昭和59年)から10年後には昭和10年生まれの人は59歳に、20年後には69歳となり、戦前生まれの人から順繰りに徐々に活発な買い物をする人ではなくなっていくだろう。そして次々の新しい人が生まれいく・・・でその人達は果たして商店街で買い物をしたのだろうか?もしかしてスーパーマーケットを買い物のメインにした厚い年齢層が徐々に生まれたのかもしれない。

つまり、昭和30年生まれ或いは昭和40年生まれ以降の人は、商店街での店主とのやりとりよりも、スーパーの方が気楽でいいやという人が増えていったのかもしれない。戦前生まれから昭和30年生まれくらいまでの人が、商店街を支えていたが、その人達が高齢になり買い物の主役でなくなり始めた頃から、商店街が衰退し始めた・・・という一面もあったのではないか?と思うのだが・・・

生活スタイルの変化

もう一つは個人商店の商売の仕方が時代のニーズに合わなくなってしまったのではないか?つまり、若い人ほど対面で買うよりも、何も喋らずに品物を買ってくるスーパーの方が気が楽だった・・・という部分もあると思う。今更ながらだが、売り方のスタイルを変えていかなければいけなかったのかもしれない。

最後に

このページを作るにあたり参考にした資料及び聞き取りをした方は下記のとおりです。

  • 朝日新聞
  • 松戸ライフ
  • まつど広報
  • ”食品商業”(商業界発刊)
  • 同級生Kさん
  • 松戸市立図書館リファレンス係の方

ありがとうございます。

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