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竹ヶ花のコーヒーゲートとゲーム

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UnsplashのJocelyn Moralesが撮影した写真のJocelyn Moralesが撮影したイラスト素材
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1970年代の松戸駅周辺の変化

松戸駅の駅舎が建替えられたのは1971年2月で、中三の頃。当時松戸駅西口の土地区画整理事業の一期はまだ途中段階という感じで、空き地は多いものの1973年頃終わり、私が高校生の頃だったと思う。伊勢丹が出来た元中部小学校跡は所謂市が施工する土地区画整理事業からは外れていたが、同時並行で進んでいた。

私の同級生は当時、伊勢丹、松戸ビルジングの現場でアルバイトをしていたらしい。又、松戸駅西口土地区画整理事業の2期工事である金ケ作陣屋道と連なる松ノ木通りから根本の交差点付近までのエリアはそれから5年後の1978年頃終わり、引き続き松戸ボウルのエリアも工事に入り、後にアーバンヒル松戸も出来た。

本屋の辰正堂さんも工事中は仮店舗で営業していた。記憶では根本と今の本町の境目辺りだった。

それまで、松戸駅周辺は小さな店舗や飲食店がひしめいていたけれど、区画整理され、道路は拡張されてからは、小さなお店は少なくなり、かつての界隈性は消えて、物足りなくなってしまった。松戸の活気を作っていたのは間違いなく小さな商店・飲食店であろうし、小綺麗にはなったが、これで良いのだろうかと不安を感じた。

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1970年代のゲームセンターの状況

松戸駅舎や西口駅前が新しくなっても、あの頃はまだ、スペースインベーダーが流行る前で、ゲームセンターそのものが何処にでもあるという訳でも無かったし、パチンコ屋さんに行った事はあったものの、ゲームセンターには通っていないと思う。そもそも松戸駅周辺に

ただ、大学の4年生になった頃、スペースインベーダーが流行したが、私は当時夢中にならなかった。機械は徐々に色々なお店が置かれたとは思うが、ゲームに群がり殺到する感じが、受け入れられなかったのかもしれない。それに一回100円というのも学生の立場として経済的に難しかったのかもしれない。

ただ、当時駿河台の喫茶店で同級生がオセロゲームに夢中になり、それを横で見ていた事はあった。1980年代はビデオゲームのテーブル筐体を置いている喫茶店は非常に多くて、例えば、マイアムやパリシェのチェーンはそればかりだった記憶がある。松戸駅西口の線路沿いにもマイアムがあった記憶がある。

一度、終電を逃した時間帯にパリシェに逃げ込んだことがあったが、入って飲み物を聞かれ座ると頼んでも居ないサンドイッチが提供され、合計1800円であったか、2000円であったかの支払いをする事になる。要するに簡易宿泊所代金的な感じで徴収されたのを覚えている。

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コーヒゲートについて

今のリバブル松戸のあった場所にはかつて鈴荘材木店があった。この材木店にはSちゃんという私よりも1-2年先輩がいて、根本保育園から、六中まで同じ学校で、非常に懇意にしていただいた。小学生の頃までは度々遊びに行っていた。

ある時、私が中学生の頃だろうか、この材木屋さんは、その頃に流行りの等価交換方式で、マンションを建てる事になったと聞いた。竣工したのは1974年12月(三菱地所設計が設計、大成建設施工、分譲会社が千葉産業)なので、私が大学生になった頃という事になるかな・・・

ゲートに行き始めた頃

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UnsplashのJocelyn Moralesが撮影した写真のJocelyn Moralesが撮影したイラスト素材

ゲートに行き始めたのは多分1984~1985年頃ではないかと思う。というのは、Sちゃんのお母さんが、浜松出身で、ちょうどその頃、私は浜松の仕事でほぼ常駐していて、すっかり浜松大好き人間になっていたからだ。そんな私が上京し帰宅するとゲートに行き、浜松話をすることが常だった。

焼きサンドイッチ

お店はSちゃんの叔母さんが運営していたと思う。この店には焼きサンドのメニューがあり、美味しかったのを覚えている。確か、金型でサンドイッチを挟み込みグリルで焼く道具で作っていたと思うが、下記の辻クッキングさんで、フライパンで作る方法があったので、感心した。

ゲーム機

私がゲートに通っていた1984~85年頃は、所謂ビデオゲームの流行が一段落ついていた頃で、この頃はスペースインベーダー一強の時代ではなく、様々なゲームが出ていた。子多分に漏れずこのゲートでもテーブル型筐体が何台か設置されていて、妹と共によく遊んだのは次の二つである。

ただ、何度か書いたかもしれないが、私はビデオゲームの様な反射神経を酷使するタイプのゲームは長続きせず、疲れてしまう。

サーカス

これはどちらかというと私がハマったゲームで、所謂ブロック崩しの応用版の様なゲームだった。

上空に風船が流れていくが、これをシーソーの動きに合わせて一つ一つ潰していく、潰していくのはシーソーでジャンプをするキャラクターだが、意外に難しく、落ちてきたキャラクターをシーソーで受け止めれば、相手側のキャラクターがその勢いで飛んでいく。

タイミングが合うと、風船と風船の間で連続潰しが始まり、手を休める事が出来る。

ラリーX

これは相手に掴まらないように逃げて逃げて逃げまくるゲームで、その間にチェックポイントを奪う。相手が追いかけてどうしようもない時には排気ガスで目くらましする。それがなんともユニークなゲームだった。今でも遊びたいゲームだね。

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