松戸にあったケーキ屋さん
私にとっての最初のケーキは近所のパン屋さんでクリスマスのシーズンに予約注文した所謂バタークリームのデコレーションケーキだった。それでも当時は満足していた。いつだったか松戸駅近くにケーキ屋さんが出来て、ショートケーキというものを始めて食べた時の感激は忘れられない。生クリームのふわっとした舌ざわりと苺の組み合わせが何とも言えなかった。
松戸にあったケーキ屋さんで記憶に残っているのは上本郷駅近くのペリカン、松戸駅近くのシャンテリ、モンクトンだった。今回は主にペリカンについて述べていきたいと思う。
ペリカン:上本郷駅近く
もう一つ、新京成上本郷駅前の下り坂を下りて、カジ坂に突き当たった辺りにペリカンというケーキ屋さんがあった。外観が白い雰囲気で、ガラスが多い建物だったような記憶があるが定かではない。一度入ったことがあったと思うのだが良く覚えていない。人に聞くとチョコレートケーキやミルフィーユが美味しかったと聞くが果たしてどうだったのか?覚えている人は居ないだろうか?
このペリカンロゴは、渡辺睦さん著二見書房出版の”パンのペリカンのはなし”より使わせていただいています。もし問題がありましたら、外します。
昭和63年発行小冊子「あきら」より
うしとらさんがペリカンの写真を見つけて下さいました。昭和63年発行小冊子「あきら」に掲載されていた昭和62年当時のペリカン外観です。写真左端の建物ですね。
うしとらさん曰く
“この「あきら」という小冊子は、松戸市立上本郷第二小学校の創立十周年の記念事業に行った写真展の写真集めをした人たちが、記念に作成した冊子のようです”
との事です。うしとらさん、ありがとうございます。
私が初めてペリカンを知った頃は何となく全体に真っ白い建物で、ガラスの部分が多い開放的な建物という印象がありました。建物上部の庇にあたる部分が、かなり張り出している様子が、第一印象と異なっていましたが、なるほど・・・という感じがします。とても懐かしいです。
ペリカン広告・月刊まつどNowの広告より
これは1975年頃の月刊まつどNowという地域情報誌に掲載されていた広告です。可愛らしい店員さんがいたんですね!
ペリカンのケーキ職人さん・ハッピー独身!(松戸ライフ1975年冬号より)
下記は松戸ライフに書かれていた記事です。この方が阿部常夫さんで、浅草のペリカン二代目渡辺多夫さん義弟で、優しいケーキ職人さんです。
ソフトな人柄、ケーキ屋さん。阿部常夫さん。
ソフトなムードで、女性客に評判のよい喫茶店”ペリカン”上本郷のチーフ。二十三歳で若いチーフになってから仕事一筋にかけてきて、ハット思ったら三十歳。そろそろお嫁さんを・・・と本人もやっとその気になってきた。阿部常夫さんは、パンと洋菓子づくりの職人さん。浅草三河屋で修行、(昭和)四十年義兄と一緒に松戸へ越してきたが、この道十五年間培った技量は、ケーキ好みのお客さんに高い評価を得ている。
一見、物腰が柔らかそうで、ソフトな人物という印象を与える。甘いケーキづくりのせいか、あるいは七人兄弟の中で、六人目の次男という女系家族で育ったせいかやさしく、おとなしい男性という感じ。ところが、彼の周囲の評価を総合すると、仕事にかける情熱と責任感は人一倍強く、チーフのキャリアの長さを手伝って、新の強さと頑固さは相当のものらしい。
夢であった<独立>が5年後に実現する。お嫁さんには<古風な女性で、心の広いひと>がお望みだという。印象とは逆に、意外と”亭主関白”がお望みかもしれない。水上(群馬県)で生まれ、育った。スキー場が家の近くだったため、スキーは超一流の腕前。お酒はあまりいけないほう。むしろ甘党。休みはレコードを聴くのが楽しみという模範的独身男性だ。南花島のアパートに住む。
身長165センチ、体重54キロ。
果たしてこの阿部さんは今はどこでお店をしているのだろうか?気になった。
ペリカン続報2022年1月
ミナツさんという方からお便りがあって、
「私は、チョコレートケーキよりも、とにかくミルフィーユが好きで
どうやら、ミナツさんによれば、浅草にパンのペリカンという有名なお店があって、その経営者の親戚の方が松戸の店を経営していた・・・と教えていただきました。浅草のお店にミルフィーユがあるのかと思ったらどうやら無いらしい。フルーツサンドはあるとのこと。
パンのペリカン 渡辺睦著を読んでみた
ミナツさん”パンのペリカン”という本が存在する事を教えていただき、早速入手し本をざっと読んでみました。その本を読んでみて分かったことなのが下記の事でした。
- 浅草で有名なパン屋がペリカンである事
- パンのペリカン(浅草)の二代目店主の渡辺多夫(かずお)さんの奥様竹子さんの弟が阿部常夫さんで、この阿部常夫さんが松戸のペリカンを営業していた
- 阿部常夫さんは「松戸には昭和40年に義兄と一緒に引っ越した」と書かれていたので、多分松戸のケーキ屋さんを立ち上げの時には二代目の渡辺多夫さんも一緒にやっておられ、その三年後に店をオープンしたのであろう。
- 渡辺多夫(かずお)さんは阿部さんの事をつね坊と呼んでいたらしい
- 松戸のペリカンは阿部さんが最高の材料で最高のケーキを作っていたので採算の面では難があった。
- 松戸のペリカンは1968(昭和43)年から30年間営業していた
- 松戸には上本郷店、北松戸店、松戸店の三軒のケーキのペリカンがあった。
- 阿部さんは、浅草のオレンジ通りにあった三河屋で修行→自由が丘のモンブランで修行→松戸
- 四代目の渡辺睦さんにもペリカンの思想が伝わっている事が読んでいて分かった。
その他、本を読んでいくといかにペリカンがパン作りにこだわっていたのか、しかも長い間二種類のパンで通していた事。職人の名木広行さんのパンと会話しながら作る・・・など、ただものじゃないパン屋だという事がわかりました。私も一度浅草のペリカンに行ってみたくなりました。
シャンテリとモンクトン
シャンテリ
何十年前の事だが、松戸駅東口にシャンテリとモンクトンの二つがあった。どちらのお店のだったか忘れたが、私はそこのサラバンというケーキが好きだった。ラム酒がかかってペチャペチャとしているんだが、それが何とも言えない。どちらかというとラム酒がしたたっている位の方が美味しいと思った。
シャンテリ上本郷駅店
松戸っ子さんからのお便りで、上本郷駅の処にあったケーキ屋さんに同級生の方がバイトをしていた・・・というお話からお店の名前を調べてみました。1987年のゼンリン住宅地図を見てみましたら、シャンテリと書かれていました。シャンテリは上本郷駅にもあったんですね!ここで松戸っ子さんの同級生の方も働いていたのでしょうか?
ちなみにこの地図にもペリカンが描かれていますね!同級生の方はすぐ近くだったんですね!もし、年代が異なっていれば、再度調べてみます。大体の年代でよければ、教えてくださいね。時間のある時に調べてみます。
上の写真はうしとらさんが探し出してくれた、小冊子”あきら”に掲載されていたシャンテリ上本郷駅店です。駅の入り口の右手がそれですね。駅も旧舎の頃の様です。情報ありがとうございます。
2009年のグーグルストリートビューですが、建物としてはシャンテリの文字が書いてあるテントがあったみたい。ただ、この当時はすでに閉店していたようです。
モンクトン
この2店とも松戸駅近くには存在していないが、モンクトンのお嬢様には松戸市観光協会の催しでお会いした。結婚されご家族もある。同時に若い頃の夢だった”唄を歌う”つまりシンガーになって、主に松戸で開催される催しに積極的に登場されている。舞台映えするとても素敵な方だ。
ご参考
今回は、お便りをいただいたミナツ様からのメールでペリカンについて多くのことを知り、思い出した。ミナツ様、ありがとうございます。
コメント
はじめまして。
上本郷のペリカン のミルフィーユが大好きだったものです!
また食べたいな〜と思いつつ、検索しておりました。
こちらの記事で、浅草のペリカン と関係があったこと初めて知りました!
上本郷のペリカン のミルフィーユは、内側にサクサクのパイとカスタードが何層も重ねられ、外側に茶色いスポンジケーキが巻かれたものでした。
松戸市小金原にあるミカワヤというケーキやさんのミルフィーユがかなり近い感じです。
でも上本郷のペリカン の方がおいしかったです。
今では幻の味。誰か再現してくれないかなー?と思う次第です笑
詳しい記事をありがとうございました。
コイソ様、
コメントありがとうございます。
記事投稿の励みになります。
ペリカンは採算度外視で、とにかく良い物を提供したいというお店だった様で、松戸のお店が無くなってしまったのは残念です。
小金原に訪れた際は、ミヤカワに行ってみたいです。
新たな情報ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
『上本郷 ペリカン』で検索していてこちらに辿り着きました
大変懐かしく、コメントしています
私、高校生の頃ペリカンでバイトしていました!(約40年前ですね、汗)
学校帰りの夕方5時頃から閉店時間8時頃まででしょうか
休日は朝からバイトで、喫茶コーナーは陽当たりが良く明るく気持ちの良いお店でした
朝、ポットいっぱいに淹れたコーヒーを注文ごとに小鍋で沸かし直して提供していましたよ(今では考えられないですね!)
バイトに行くと賄い?おやつ?として好きなケーキを1つ食べていい事になっていて毎回とても楽しみにしていました
ココアスポンジで巻かれたミルフィーユ、大人気でしたね
とても美味しかったです、売り切れる事も多かったと記憶しています
個人的にはブルーベリームースみたいなケーキも好きでした
ケーキの箱も今の様な持ち手と一体型では無く、ケーキを白い箱に詰め、箱の上部だけにカバー的に包装紙を乗せ、金色のテープを十字にかけて、最後は上でリボン結びにすると言う包装の仕方でした
金色のテープリボンがお土産感・特別感を演出していましたね
記事にあったケーキ職人の阿部さん、
写真を見て思い出しました
スラリとした物静かで優しい方でした
お店を仕切っていた女性が竹子さんになるのかな、シャキシャキした明るく元気なご婦人でした
ご主人はごくたまにお会いしましたが物腰の柔らかい優しい紳士でした
時々、残った食パンを持ち帰りに
いただく事もありました
もうかなり前にお店もなくなりましたが、跡地には渡辺さんと言うお宅があるようなのでご親族か関係のある方がお住まいなのかなと勝手に思っています
全てが懐かしい思い出です
思い出すままに長々と失礼しました
思い出しついでにひとつ、
上本郷駅踏切スグの『フォルナイオ』と言うパン屋さんが、当時はケーキ屋さんだったのですが名前が思い出せません
こちらのケーキ屋さんでは同級生がバイトしていました!
名前をご存知の方、いらっしゃいませんか??
松戸っ子様、
コメントありがとうございます。
まさか、働いていた方からコメントが入るとは思いませんでした。もしかして、月刊まつどNOWの広告写真の方でしょうか?箱のリボンのかけ方とか工夫されていたのは知りませんでした。流石によく覚えていらっしゃいますね!フォルナイオというパン屋さんは入った事が無いです。そこにケーキ屋があったんだ・・・それも知らなかった。今度調べてみます。
上本郷というとパンの笛という自家製パンを出す喫茶店には何度も行ったなあ・・・あそこのビーフシチューが美味しくて・・・コーヒーも良かった。
今は、チェーン系のケーキ屋さんはあるんだけど、個人店のケーキ屋さんが少なくてね!そういえば、秋山にパティスリー・ハヤトヤマダという店があって、日比谷のペニンシュラ東京のパティシエシェフをしていたらしいんです。どのケーキも美しくて、美味しいんです。でも、ちょっと高めかな?もう少し手ごろなお値段のケーキのお店ないかな・・・と無い物ねだりをしつつ、思っています。
今後ともよろしくお願いします。
ペンペン草さま
返信コメントありがとうございます
月刊まつどNOWの件は存じ上げませんでした、残念ながら?私ではありません!
ペリカンのミルフィーユ、大人になってからも何回か買いに行きました
美味しかったなぁ、また食べたいですねぇ
上本郷踏切横のケーキ屋さんだった店舗…もう40年近く前なので分からないですよね
確か火事というかボヤがあったりして閉店してしまったような記憶です
シャンテリ・モンクトンも懐かしいですね
シャンテリには母の友人がパート勤めしていました
ケーキはもちろん、サンドイッチも美味しかったと記憶しています
懐かしい記事がいっぱいですね
また寄らせていただきます
モンクトンの項に少し加えましたが、松戸出身の歌手、泉珠里さんはモンクトンの娘だった方で、若かりし頃の夢を叶え、子育てが終わってから歌手になった人です。上にリンクを貼っておきました。
https://matsudo-yasashii-labo.jp/new_theme/theme08/6811.html
この文章にはモンクトンの文字は無いんですが、本人から話を聞きました。
松戸っ子様、
同級生の方がバイトしていたお店はどうやらシャンテリの上本郷駅店だったようです。上の記事に1987年の住宅地図と共に加えておきました。いかがでしょうか?
ペンペン草さま
早速の調査・掲載、
ありがとうございます
シャンテリの上本郷店だったのですね
シャンテリだった様な記憶はあったのですが、
松戸のシャンテリとごっちゃになってる様な気もしていてモヤッとしていました
地図まで見つけていただき、ハッキリ・スッキリしました
松戸店では母の友人が
上本郷では同級生が
ペリカンでは私自身が、と何故かケーキ屋繋がりでした
スッキリと同時に懐かしさでいっぱいです
また他の記事も読ませていただきます
ありがとうございました
追伸
地図の通り、上本郷のシャンテリとペリカンは線路を挟んでのご近所同士でした!
ペリカンではミルフィーユ、
シャンテリのケーキではサバランが人気だったと思いますが、お酒の風味が
あの頃の私には大人の味でした
懐かしい思い出話ができて嬉しかったです
重ね重ね、ありがとうございました
松戸っ子さん、
返事遅れました。
明日からゴールデンウイークですね。
サバランは刺激的でした。考えてみれば、あれはシャンテリで買ったものだったんだなあ・・・という感じがします。もっとも買ったのは我が母親だったと思います。
今でも、あのサバランを食べたいと思っています。たまに見かけますが、買わないでおります。何故だろう?やはりシャンテリのサバランを食べたいからかもしれませんね!