縫製内職
縫製の内職`まとめ`と根本地区
根本から平潟までを歩くと中小含めて嘗ていくつかの工場があった事を記憶している方は居られるだろうか?茄子のよいち漬け、川光物産(現在もある)、雪印種苗、興洋、金沢縫製、日本スイフト(は違うかな?)、その他現在の北部幼稚園の近くにもいくつか中小の工場がある。
昭和三十一年の松戸市都市計画図
上図は昭和三十一年の松戸市都市計画図である。根本を中心にスキャンしてみた。図のうち右上に青線でハッチングしている部分は北松戸の準工業地域として指定されている。画面中央の青線ハッチングに注目。この青線ハッチングは坂川と新坂川に挟まれ、北は北部小学校、南は平潟の松の木通り付近(茄子のよいち漬けの工場付近)までの準工業地域だ。
このこの準工業地域だった場所は現在第一種中高層住居地域、商業地域、近隣商業地域に取って代わっているが、つい最近までは中小併せ工場がこの地域には多かった。それが理由なのかもしれない。又、松戸市のホームページに過去の松戸市都市計画図や現在の都市計画図一覧があるので、興味のある方は参照されたい。
過去の松戸市都市計画図
直リンクが出来ないため、下記から松戸市の都市計画図のページに進んで下さい。昭和三十年代からありますよ。根本・北松戸方面だけみても、随分と変遷を感じます。
内職のまとめとは何か?
さて、これらの工場の内、松戸にあった縫製工場「興洋」の内職、「縫製のまとめ」について聞き取り調査し記録と残す事にした。昭和30年代の内職に「まとめ」と呼ばれた縫製の仕事があった。まとめとは高級男性用背広の最も繊細な場所について手縫いで最終的に仕上げる技術職。そでぐり、ほし入れ、あまぶた、カラクロース等々を次々に仕上げていく。
穴かがり
ボタンの穴回りを縫う「穴かがり」という作業もあるが、これは手縫いでは手間がかかり難しい作業のため、後に専門職として分離したり、機械縫いになった。
「興洋」や「金沢縫製」のあった根本
松戸市根本の雪印種苗付近に「興洋」という縫製工場があった。この縫製工場はオンワードやイマイ等大手の仕事を請負い、高級背広の縫製を行っていた。「興洋」の仕事の多くは例えば高級デパートなどで注文した高級オーダー物が多く、一部手縫いで後は機械縫いという様な仕事が大半になる。デパート→オンワード→興洋という様な経路で入り一着の洋服となってお客さんの手元にわたる。
これに比べ、竹ヶ花にあった「テーラーキワ」等の小規模なテーラーにおいては作業の殆どが手縫いによって仕上がられる。後に「興洋」のすぐ近くに「金沢縫製」という同様の縫製会社が出来た。「興洋」と「金沢縫製」とは高級品と普及品など扱う製品でうまく住み分けをしていたと聞いた。
ただ、現在「興洋」の痕跡はなく、「金沢縫製」跡地場所には金沢マンションが建ち、金沢マンションの対面には茶色の三階建て鉄骨造のビルがあり「金沢縫製」らしき建物は今でもある。
台風が来ても大雪になっても締め切りに合わせなければならない
「興洋」には既製服もオーダー服も両方入ってきたそうだ。「まとめ」を内職としている人は、縫製工場で仕事をもらうが、一日で終えられる自分の能力に見合った量だけを請け負う。品物が高級品だからかもしれないが、いつまでもその服を家に置きっぱなしには出来なかったそうだ。例えば今日分の仕事として受け取った「まとめ」は、必ず明日には仕上げて届けないといけない。
だから自分の仕上げ可能な枚数だけを持ち帰る。雨が降ろうが雪が降ろうが、台風が来ようが明日までに仕上げないといけないからだ。松戸に台風が来て新坂川の根本西側地区が水害にあい「興洋」付近に徒歩でいけなくなった時があった。新坂川の東側(常磐線の線路側)は比較的標高が高く、西側よりも水害に遭いにくかった為登校橋やさかね橋までは行く事が出来た。
そこで上図の様な早波船(さっぱせん)或いは揚げ船が橋の処まで迎えに来て届けることが出来た。
まとめ内職の当時の報酬
一着のまとめの報酬は昭和31,32年当時で30円/着。オプションとして襟裏カラクロース入りであれば+5円、ホシイレがあれば+20円となり合計55円になる。「まとめ」以外の当時の内職が銭単位だったのに比べ相当高額報酬が得られる内職だったそうだ。慣れれば一時間で一着出来るけれど、家事や子供の世話がクロスオーバーするとせいぜい一日二着が精一杯だったらしい。
服のサイズについて
ご存知のようにA体、B体、AB体とあり、A体は基本的に縦にどれだけ長いかという目安のサイズになり、B体は横にどのくらい広がっているかというサイズであり、AB体は縦横両方にどれだけ大きいかという事がポイントになる。当時A3が一番小さかったのでA3の背広を受け取ると喜び、A7の背広が来ると料金は同じで苦労は倍ということになったそうだ。
既製服と注文服、どちらが難しいかご存知ですか?
さて、この「まとめ」の仕事において既製服と注文服が来た時、果たしてどちらに気を使うかご存知でしょうか?注文服と思いがちだが、正解は既製服だそうだ。何故なら、注文服は着る人が決まっているが、既製服は誰が着るのかわからない。したがって「興洋」から仕事をもらうときは「既製服だから気をつけて」と念を押されたそうだ。
ジャックセラーと若秩父の背広も手掛けた
私がこのまとめについてインタビューした方は現在でも松戸でご健在だ。この方は雪村いずみと結婚したジャックセラーの背広を仕立てたことがあるとの事だった(女優の朝比奈マリアはジャックセラーと雪村いずみとの間の娘)。即席博物館さんのブログにジャックセラーが写っています。下記です。
また、若秩父(当時お相撲さん/後に親方)の背広の時はとても大きくて苦労したそうだ。若秩父の背広の報酬は200円/着もらったそうだが、割が合わないとの事だった。
若秩父さんの写真:
又、少年サンデーWeb版のサンデー名作ミュージアムに”展示ナンバー2少年サンデー創刊号(1954年4月5日号)”があり、その記事の中の上から三番目に若秩父さんの写真があります。
最後に
この「縫製の内職`まとめ`」は2006年に記録作成したページを、2009年4月及び2022年1月1日再編集し内容を増やし再開させた。
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