昭和時代に流行したボウリング
小学生の頃、ボーリングがとんでもなく流行した。テレビ中継番組が始まり、何度もプロの投球を見、華麗なフォームに憧れ、自分もプロの道を・・・と考えた人も少なくないと思う。
中山律子選手、須田開代子選手、並木惠美子選手などの女性選手がボウリングブームに火をつけたのは確かだが、五月みどりさんの弟の西城正明選手、矢島純一選手の切れの良いボウル捌きに魅了された人も多かったのではないか?
さわやか、律子さん♪
松戸にあったボウリング場
上のマップはすでに存在しない或いは現存しているボウリング場を表したものです。
現存する松戸のボウリング場
ときわ平ボウリングセンター
松戸で私が通ったボウリング場は、自宅からの距離として松戸ボウル或いはサニーランドのボウリング場だった。ただ、後年、ここにも何度か行ったことがある。知り合いで、ここで開催される大会に継続的に出場している方もいる。松戸で残された大切なボウリング場の一つなので、末永く続いてほしい。
- ときわ平ボウリングセンター
- 住所:松戸市常盤平2-8-2
- 運営母体:石川興業(株)
- レーン数:28レーン
- ピンセッター:Brunswick
- 開業:1973年5月5日
北小金ボウル
松戸方面から国道六号線で、柏方面に向かうと途中で大きなピンが見える。ああ、北小金ボウルだなと存在感を感じる場所。ただ、私には遠くて、来たことが無い。また、ある時期から入り口周りにもう一本のピンが横たわっているのが見えるのだが、あれは何だろうか?
ここは1971年開業なので、松戸市において現在営業しているボウリング場の中では最古という事になる。元々は山安という鴨川市や松戸市でガソリンスタンドチェーンを広げ大きくなった会社で、鴨川には鴨川サーフサイドという分譲マンションの販売をしていた事があった。現在は社名が異なるようだ。
- 北小金ボウル
- 住所:松戸市根木内249-7
- 運営母体:(有)クリエイティブワールド
- レーン数:30レーン
- ピンセッター等:AMF(American Machine and Foundry)
- オートスコアリングシステム(AS):AMF(American Machine and Foundry)
- 開業:1971(昭和46)年4月10日
https://www.facebook.com/北小金ボウル-453894304678291/
ボウリングブームと衰退
1973年発行の「ゴルフ・ボウリング場(業種別会計実務)」出版社:第一法規出版によれば、
昭和40年代前半に爆発的なブームとなったボウリングも、昭和46年に入ると過当競争の兆しが見え始め、昭和47年になると立地条件の悪いところ、経営基盤の弱いボウリング場は、来場者数の激減により収入が減少し、経営的にかなり苦しくなりはじめてきた。昭和47年8月には、ボウリング場として、初めて、倒産があり、47年後半より、ゲーム量を値下げするボウリング場が数多くでてきた。
さらに48年になって、大手企業のボウリング部門の収益悪化による、ボウリング場の売却ないし転用、あるいは、建設中のボウリング場の建築ストップ等が行われるようになってきた。
つまり昭和過当競争が激しくなってきた1971(昭和46)年以降に出来たボウリング場は、ボウリング流行の恩恵を受ける事無く廃業していったところも少なくないと思われる。後述するサニーランドを経営していた大和物産に関する記述を参照すると1974(昭和49)年時点で「今日ではレジャー産業を中心とした経営にかわった」とある。
かつて存在した松戸のボウリング場
松戸ボウル 松戸市根本
大和物産株式会社の子会社(不動産部門)が松戸開発株式会社
千葉県会社要覧1974年版によると、大和物産株式会社の不動産部門を松戸開発株式会社として1964(昭和39)年に発足させ、その松戸開発株式会社が1966(昭和41)年に開業したのが根本にあった松戸ボウル。
その後、1969(昭和44)年に同社が開発したのが、サニーランドであり、サニーランド内にあった第二松戸ボウルだ。この要覧の文章を読むと、この1974年頃は 「今日ではレジャー産業を中心とした経営にかわった」とあるので、よほど、このレジャー産業が会社に収益に貢献していた時期なのだと思う。
下の写真は松戸ボウルの広告で(産経会社年鑑 第6版 1966年)
うしとらさんから提供、ありがとうございます。どんな建築であったか、この写真で分るかもしれませんね。
この松戸ボウルのあった場所は、私が小学生低学年までは鋏工場の様な場所だった。また、その敷地に沿って塩谷金物店もあった。そこが、ボウリングブームの時期に松戸ボウルになり、次にボウリングの流行が去ると次にはアーバンヒル松戸が出来た場所である。さらにその後にはパークスカイタワー松戸というマンションが出来て今に至る。
マンションが建つ直前には実は日本のホテル御三家の一つのホテルオペレーターが敷地を見に来た事があった。実は私が案内した。ただ、その後、車動線などのスタディを始めたら、国道六号線(バイパス)から当該敷地へのアクセスが非常に難しい事が分かり、ホテル計画は断念した過去がある場所だ。
それはともかく、ここは駅から最寄りの場所だったので、私どもが歩いて行けるボウリング場で、非常に便利だった。私が生まれて初めてボウリングをプレイしたのは実はこの松戸ボウルである。小6の頃だったか、中一の頃であったかは忘れた。
松戸サニーランド(第二松戸ボウル)
サニーランドの開発は松戸開発(大和物産の関連会社)
先述した松戸ボウルでも述べているが、千葉県会社要覧1974年版によれば、「昭和44年綜合レジャーセンターサニーランドを開店し今日ではレジャー産業を中心とした経営にかわった」とあり、この1974年頃は余程、この松戸開発株式会社(大和物産株式会社の関連会社)が、会社の経営の中核に置いていた事が分かる。
しかしながら、この1974(昭和49)年頃というのは、前項で先述したように、一般的にボウリング場経営が難しくなり、ボウリング場の売却ないし転用、あるいは、建設中のボウリング場の建築ストップが行われている最中に、大和物産はレジャー産業にどっぷりつかったという事になり、さぞ、大変だったのではないだろうか?
1982(昭和57)年サニーランドの経営は、サニーレジャーシステムという会社が担う
アミューズメント産業1987年7月号には”昭和57年に創立したサニーレジャーシステム(株)が経営”という内容で書かれている。又、サニーレジャーシステム(株)は船井電機のグループ子会社である。つまり、この1982(昭和57)年以前に松戸開発株式会社から船井電機グループに対し、何らかのM&Aがあったのであろうと思う。
ただ、この1987年当時サニーレジャーシステムは唯一の営業店として「松戸サニーランド」を経営とある。M&Aが実行された(?)1982年からこの記事が書かれた1987年に至るまで、唯一の営業店が松戸サニーランドであるとしたら、どのくらい本気でこのレジャー産業を育てていこうと考えていたのか疑問点が多い。
又、1982年以降の大和物産株式会社と松戸開発株式会社のその後の資料が集まらないが、集まり次第継続して掲載していこうと思う。
施工中のサニーランドの写真
この写真はまだサニーランド建設前の工事中の写真で1969年5月31日の状態です。写真は八ヶ崎の「8ヶ崎フォトスタジオ」様の著作物で、許可を得て掲載させていただいています。ありがとうございます。
さて、中央に完成予想図がありますが、注目したのは中央の完成予想図と記述です。この当時は、ボーリング場の屋上がプールになっているらしき絵であり、又、スカイプールと書かれている。大きなプールの下にはボーリング場がある事が想像される。
これは上記の写真の看板だけを拡大した写真で、八ヶ崎の「8ヶ崎フォトスタジオ」様の著作物で、許可を得て掲載させていただいています。
建築設計の視点でこのパースから感じる事として、小学生が入れるプールでも500kg/m2くらいの積載荷重がかかるので、下階がボーリング場だと相性が良くない印象がある。しかしながら、ボーリング場は見通しが悪くなっては困るので、ボーリング場は柱を少なくする設計が求められ、通常であるとかなりの大スパンで設計する事が想像される。
この絵の頃はどうやって設計していたのか非常に興味がある。ただし、私が知るサニーランドのプールは円柱型の棟の右側にあったプールで、かまぼこ型の屋根だった(上の写真では黄色く見える大屋根の所がプール)。一期工事、二期工事と分かれていたのかその点は分からない。ただ、過去の航空写真を見ていくと残念ながら屋上にスカイプールがあった写真に巡り合えない。
という事は結局、屋上プールは途中で設計変更になり、敷地右側に建てられたという事なのだろうか?
個人的には私にとって、もっとも多くボウリングをした場所であり、他のレジャーを楽しんだ場所。ただ、ここでの貸しボウルは管理・維持が今一で、ゲームが終わると手が真黒くなる。この為、同フロアのトイレで手を洗うが、恐ろしくなるほど真黒い泡立ちになった。もう少し、綺麗に出来なかったのだろうか?
ボウリングレーンが減り30レーンになった頃、一階の元ボーリングレーンの場所に行くと、そこはジェーソンになっていた。買い物をしつつ、足元を見ると何故かbowling alleyのspatが見えた。あの三ーランドが徐々にみすぼらしくなる一抹の寂しさはあった。
また、ボウリング場は建てるにも解体するにもお金がかかる話を聞いた。
1973年発行の「ゴルフ・ボウリング場(業種別会計実務)」出版社:第一法規出版によれば、
1973年頃のボウリング場建設コスト(土地を除く)は1レーン当たり10百万~15百万円程度かかると書かれている。つまり50レーンあるボウリング場を作ると5億円~7.5億円の建設コストがかかる事になる。
- 松戸サニーランド(第二松戸ボウル)
- 住所:松戸市松戸2289
- 運営母体:1969年の開業以降は松戸開発株式会社(大和物産の関連会社)→1982年以降はサニーレジャーシステム(株)
- 開発会社:松戸開発株式会社
- 設計・施工:株式会社中野組
- レーン数:オープン当時は1,2階で50レーン、その後3階に30レーンを増床し80レーンになったが、末期は3階の30レーンだけ残った。
- ピンセッター等:Brunswick
- オートスコアリングシステム(AS):シャープ
- 開業:1969(昭和44)年7月3日
- 閉業:2006(平成18)年9月24日
松戸グランドボウル 二ツ木
国道六号線沿いのトイザらス・ベビーザらス 松戸店があるプチモール二ツ木の場所。
- 松戸グランドボウル
- 住所:松戸市二ツ木1782
- 開業:1977(昭和52)年12月1日
- 運営母体:富士幸産業(株)
- レーン数:30レーン
- ピンセッター等:Brunswick
昭和ボウル 上本郷
国道六号線沿いで、北松戸駅近くのJAオフィスの少し南側にあった。規模などは不明。知人のお父様が、何度か行ったという情報のみ。もし何かご存じの方がいらっしゃいましたら、アドバイスお願いいたします。
京葉ボウル@松戸レジャーセンター 上本郷
松戸市立上本郷第二小学校の北側方面の高台にあった。本福寺から比較的近い。現在同地は、上本郷第一京葉マンション、第二京葉マンション、第三京葉マンション、川崎近海汽船アパートなどがあるエリア。この場所は現在に同地に行っても、自動車の動線が貧弱で、よく客を呼び込めたなあ・・・と感心する。
千葉年鑑1971年の情報によれば、14レーンなので、やはりそれほど大きくなかったのが分かる。
第二上野スターレーン 小金きよし丘(存在確認コメント受領しました)
昭和46年の電話帳に記載されていた名称。住所は松戸市小金きよし丘3-6であり、又、下記千葉年鑑1971年版では、小金きよし丘3-6-1となっている。現存しない。
コメントのあった”とすお様”の示す位置としては、星乃珈琲松戸きよしヶ丘店のある場所(国道六号線沿いで元松戸グランドボウルと小金ボウルの中間辺り)でしたので、国土地理院の航空写真をを使い、1974-78年頃の航空写真と2019年の航空写真を比べてみたのが上の写真二枚です。赤いエリアは1974-78年頃にボーリング場の敷地であろうと考えられるエリアを表してみました。
この二つを比較してみますと、元々ボーリング場のあったエリアの一部は現在住宅が開発されて建っているのが分かります。この航空写真を見るまでは、星乃珈琲のエリアだけではボーリング場が出来る広さがあるのだろうか?と考えていましたが、なんとなく納得できた思いです。
昭和46年の電話帳で、住所が記載されています。電話番号も書いてありましたが、一応見えないようにしました。
補足:令和6年1月27日、近所に住んでいらした”とすお様”よりコメントがあり、
「松戸市小金きよし丘3-6の第二上野スターレーンですが、私が育った場所の近所だったので両親に聞いてみたらボウリング場は存在したとのことで、両親は行ったこともあると話していました。場所は現在の星乃珈琲があるあたりで、ボウリング場が潰れた後に京樽ができたとのこと。私自身、ボウリング場の存在はしませんでしたが京樽が出来たときは覚えています」との事です。
とすお様、情報誠にありがとうございます。さらに、当時の住宅地図の有無を再度調査してみます。また、下記は現在星乃珈琲店松戸きよしヶ丘店の場所です。
保証ボウル
酪農事情 32 1972年4月号
●保証乳業のボーリング場・・・千葉県松戸市の保証乳業では本社工場前に保証ボウルとしてボーリング場を新設、2月16日落成式、敷地9548平方m,建坪6426平方m,ワンフロア50レーン、工費地代共9億円、中島晟作氏がボーリング事業部長として運営、年商4億円を目標。
松戸市松飛台の保証牛乳付近にあった保証ボウル。場所は、現在のアサヒ飲料の工場地、松戸市松飛台市民センターの西となりという位置。東松戸付近にお住いのY様に教えていただきました。又、下記の写真も高塚新田付近にお住いのY様より掲載許可いただきました。ありがとうございます。
場所は保証牛乳の工場近くだったようだ。保証牛乳というと私が小学生の頃は配達の牛乳が保証牛乳で良く飲んだものだった。
- 保証ボウル
- 住所:松戸市松飛台
- 開業:1972年2月16日
- 閉業:1974年5月20日
- レーン数:50レーン
-
ピンセッター:兼松BOWL-MOR製:BOWL-MOR Z-Ⅱ
常磐ボウリングセンター
松戸市松飛台に存在した常磐ボウリングセンター。位置として松戸市立松飛台第二小学校や松飛台郵便局の北西の位置にあたる。高塚新田付近にお住いのY様に教えていただきました。ありがとうございます。
このボウリング場は常磐重機の2階にあったらしい。常磐重機というと私にとっては、松戸二丁目にあった頃をイメージする。当時は、小根本の奈良屋が入る前、ショッピングセンター常盤が入っていたが、それは常磐重機が運営母体だったらしい。という事はこの常盤ボウリングセンターも常磐重機の経営だった可能性が高い。
- 常磐ボウリングセンター
- 住所:松戸市松飛台
- 開業:1972年
- 閉業:1974年
- レーン数:24レーン
- ピンセッター等:Brunswick
おすすめページ
松戸に限りませんが、ボウリング関連で興味深いホームページです。
昭和レトロなアナログゲーム大図鑑
ここは昭和レトロなゲームに魅了された方が作っているページで、上のページではエポック社が販売したパーフェクトボウリングというゲームについて述べている。松戸のきよしヶ丘にあった第二上野スターレーンについて調べていたら、この管理人の方が書いていた鶯谷駅近くにあった上野スターレーンについて記述したページを見つけました。
この管理人様のお父様が連れて行ってくれたのが鶯谷駅近くにあった上野スターレーンで、ボウリングのエキサイティングな雰囲気に飲み込まれたが、ボウリングそのものよりもボウリング場に興奮したと書かれていて、えらく臨場感のある感想だなあ・・・と感心しました。ブログもお持ちなようで、こちらにもたくさんのスポーツ系のゲームが記述されています。是非!
コメント
学生時代、施工管理の授業で「現場打ちプレストトレスコンクリートの技術は、ボウリングブームと共に極まり、ボウリングブームと共に廃れた。」という名言を吐いた先生が居ました。
コンクリート造で30mを超えるスパンを飛ばして、無柱空間を作った昭和の遺産が残存しているボウリング場かもしれません。
うしとら様、コメントありがとうございます。そういえば、プレストレスコンクリートはあまり採用したことがありませんでした。一度だけ、台北の現場の時に使った程度かな・・・ボウリング場の設計にプレストレスコンクリートをつかったのは非常に興味深いです。勉強になります。
松戸市小金きよし丘3-6の第二上野スターレーンですが、私が育った場所の近所だったので両親に聞いてみたらボウリング場は存在したとのことで、両親は行ったこともあると話していました。
場所は現在の星乃珈琲があるあたりで、ボウリング場が潰れた後に京樽ができたとのこと。
私自身、ボウリング場の存在はしませんでしたが京樽が出来たときは覚えています。
とすお様、
コメントありがとうございます。
存在確認が出来て、とてもありがたいです。もしかして、単なる準備室だけで終わった場所なのかも?と思っていましたが、とすお様のご両親の証言があって良かった。取り合えず修正させていただきました。その部分について追記いたしますね。