千葉県松戸町鳥瞰図 松井天山図
松井天山の描いた松戸町鳥瞰図には昭和五年と昭和十二年の二種類がある。私が所有しているのは昭和十二年版であり、これは常磐線の上野-松戸間の電化を記念して作られたものである。この電化記念に関しては松戸駅でもえらく賑やかにお祝いをしたらしく、その時の様子が松戸市立博物館の常設展示の中で動画で公開されている。ご興味ある方は一度ご来館の上、ご覧頂きたい。
松井天山による千葉県松戸町鳥瞰図:昭和十二年版
先述したように松井天山による松戸町鳥瞰図は昭和五年と昭和十二年の二回にわたって発行されたが、鳥瞰図として大きく違う点があって、昭和五年版は鳥瞰図裏に広告が印刷されているが、この昭和十二年版には広告が書かれていない。多分、昭和五年版は各商店他から広告代として集金しつつ作成されたからではないかと思う。
昭和十二年版は松戸ー上野間の電化を記念して作られたらしく、多分依頼主が松戸町だったのではないだろうか?この昭和十二年版松戸町鳥瞰図はは淡緑色で仕上げられ実物は美しい。又、鳥瞰図の右下には下の様に書かれている。
六月写生
記念六十九翁 松井天山
松戸駅西口駅前通り
松戸薬局、吉葉商店(その後の松戸金物,現在は松戸駅西口正面のセブンイレブンのある建物)、倉田運送店(以前はここに倉田ビルがあり、辰正堂書店が入っていました)、小倉医院(マンションになりました)、関宿屋、遠州屋果物などが見える。現在でも存在するお店がたくさんありました。
松戸駅西口現キテミテマツド付近
この界隈は所謂元官庁街で、松戸町役場、税務署、中部小学校、高砂旅館、植田歯医者、春雨橋などが見える。
松戸駅東口付近
駅前に蓮池があるがあまり商店街としては多くないように見える。向山下には金比羅神社の鳥居も見える。また、現市役所下の神明神社の鳥居も見える。
金毘羅様は 航海の神、船の神として漁業や航海に関わる人々に信じられていた。松戸の納屋川岸(なやがし)には船頭さんとか船を扱う人が多く集まる場所であった為、船頭さんを始め関連者達が納屋川岸→(旧河岸道)→(旧こんぴら道)→金比羅神社というルートでお参りをしていたらしい。常磐線の無い江戸時代は納屋川岸から金毘羅様までほぼ一直線で行けた。
ルートは下記に示します。江戸時代の頃なので、常磐線も無く、ほぼ直線で行けた事になります。
旧水戸街道から旧こんぴら通りに入る所に八嶋提灯屋さんがあります。八嶋さんは提灯を始め、際物も多く扱っているお店です。この場所に八嶋提灯屋さんがあったというのは、お参りをする人たちにとってとても便利な場所にあった事になります。人通りとしては御嶽大権現(現在の松戸神社)への参道よりもこんぴら通りは活気があったようです。
平潟界隈
平潟界隈に沿って排水掘(現在の樋古根川)が見える。排水橋も見えます。この場所は陸の孤島的な場所です。
根本橋附近
根本橋も水堰橋もあり、川光物産が見えます。松の木橋も見えますね。それにしても坂川よりも手前の江戸川よりは一様に田畑になっているようです。
金山神社附近
金山神社の頂上には眺望台が描かれ、吉祥寺の左には私が通った根本保育園がみえます。川友自転車が根本の交差点にあり、天満宮も見えます。
裁判所附近
ここで云う裁判所とは現在の位置の裁判所ではなくて、現在の松戸市民会館の所が旧裁判所でした。その右手の山が戸定ヶ丘で、徳川子爵邸という文字が見えますね。ここは大河ドラマ”晴天を衝け”でも登場した徳川昭武公が建てて住んでいた場所です。
松戸鳥瞰図の入っていた袋
実用番地入
千葉縣松戸町鳥瞰圖
大日本市街鳥瞰図発行所
最後に
2008年頃にこの松戸町鳥瞰図を偶然古書店で見つけ、表の家で発表していた。
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