松戸のお宝

常磐線電化祝賀会招待状-松戸駅

常磐線電化開通 松戸のお宝
常磐線電化開通 松戸市立博物館動画より
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常磐線電化祝賀式並びに祝宴式後の食事御招待状

招待状

神谷彌平さんへの招待状
道草亭ペンペン草所蔵

松戸町長 小林善作さんから埼玉県の神谷彌平さんに昭和11年12月11日に開催された常磐線の電化の祝賀会、祝宴式及びお食事への招待状です。

略啓
本日は公私共御多端の折柄にも拘はらず御来臨の榮を辱うし関係者一同感佩仕候 就いては祝賀式並祝宴終了後富吉楼に於て御高説拝聴旁々粗餐差上度候間 御迷惑とは存候へ共御繰合はせ御来駕相賜度御案内申上候  敬白
昭和十一年十二月十一日
常磐線電化促進期成同盟會長
祝賀會協賛會長
松戸町長 小林善作
神谷弥平殿

少し分かりやすくするために送り仮名を入れました

言い回しが若干難しいと思われますので、送り仮名を入れて、書きます。もし、間違いが在りましたらご指摘ください。

略啓
本日は公私共御多端(ごたたん)の折柄(おりがら)にも拘はらず御来臨の榮(えい)を辱(かたじけの)うし関係者一同感佩(かんぱい)仕候(つかまつりそうろう) 就いては祝賀式並祝宴終了後富吉楼に於て御高説拝聴旁々(ごこうせつ、はいちょう、かたがた)粗餐差上度候間(さしあげたくそうろうあいだ)御迷惑とは存候へ(ぞんじそうらへ)共御繰合はせ御来駕(ごらいが)相賜度(あいたまわりたく)御案内申上候  敬白

それでも分からない方の為に

読んだとおりの内容ですが、候文が使われていてわからない方もいるかもしれませんので、わかりやすく書きます。これは常磐線電化の祝賀式にご招待したお客様にお渡しした祝賀会後の食事のご招待状です。御多端という言葉が出てきますが、これは年末に使われる言葉で、「年末でお忙しい時節にも拘わらず・・・」という始まりになってます。

これは所謂常磐線電化を祝い昭和十一年十二月十一日に祝賀会が行われ、その後の食事は富吉で用意されてあったという事になります。とても丁寧に書かれていますね。

料亭 富吉
100年以上伝統の味を守り続ける老舗料亭
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小林善作町長の就任とその後の歴史

小林善作松戸町長

小林善作松戸町長
広報まつど「松戸市誕生(7) 小林善作 松戸町と明村の合併」より、

(松戸市史年表より)

  • 1924(大正13)年9月2日ー1925(大正14)7月 小林善作氏松戸町名誉町長就任
  • 1932(昭和7)年10月23日-1933(昭和8)3月31日 小林善作氏松戸町名誉町長就任
  • 1933(昭和8)年6月20日-1937(昭和12)6月19日 小林善作氏松戸町町長就任
  • 1936(昭和11)年12月11日 常磐線上野-松戸間電車開通(電化)
  • 1937(昭和12)10月 電化記念として松井天山図を作成
  • 1937(昭和12)6月-1943(昭和18)3月31日 門六郎氏が松戸町町長に就任
  • 1943(昭和18)4月1日松戸市となり、 門六郎氏が松戸市初代市長に就任

とあり、昭和十二年の松井天山松戸鳥瞰図は電化を記念して作成されたものと書かれてます。

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昭和十二年の松井天山松戸鳥瞰図

この常磐線電化を記念して発行された松井天山の松戸鳥瞰図(昭和12年版)を参考のため掲載します。これは私が実際に所有している鳥瞰図で、淡緑色で綺麗な鳥瞰図です。

松井天山 松戸鳥瞰図

松井天山
松戸鳥瞰図
昭和12年版

松戸駅を拡大

松井天山 松戸鳥瞰図

松井天山
松戸鳥瞰図
昭和12年発行

この松井天山図で描かれている常磐線には架線があり、汽車ではなく、電車に見えます。そして松戸駅と書かれた左側をご覧下さい。電車乗場と書かれています。電化記念で作られたのだから当然と言えば当然なのでしょうが、非常に興味深いです。

神谷彌平さんについて

神谷弥平 - Wikipedia

折角ですので、神谷彌平さんの事も書きます。実は名前だけでは特定出来ませんが、この時代にあって、常磐線電化の祝宴に招待される大物という視点で探してみると隣の埼玉の谷口村(谷口村→彦成村→三郷村→三郷市)で村長、県議会議員などをして、1920(大正9)年と1924(大正13)年の衆議院議員に当選した憲政会の神谷弥平ではないだろうか?と推測しています。

明治八年生まれ。1928(昭和3)年の衆議院議員選挙では神谷弥平が落選し、千葉県の川島正次郎(立憲政友会)が初当選してます。それから7年後の常磐線電化記念祝賀式ですので、これは想像ですが川島正次郎の繋がりで神谷弥平をお誘いしたのではないか?と見ています。新たな事が分かり次第、更新訂正の予定。

この資料の入手先(クレヨンしんちゃんと藤の街である埼玉県春日部市の古物業者さん、斎藤さん)から伺った内容によれば、どうやらこの資料は上記の神谷弥平ご自身で間違いないらしい。

ヤフオク! - mankai8882002さんの出品リスト

神谷彌平さんのその他

また、このようなニュースがある(2015年平成27年更新)。

大阪朝日新聞 1924.7.4(大正13)によれば
衆院特別委員
一 震災地地租免除案 石川安次郎小島征作、平沼亮三、神谷弥平(以上憲政会)本多真次郎、上原好雄(以上政友本党)磯辺尚、石井謹吾(以上政友会)湯浅凡平(革新倶楽部)

関東大震災は1923年(大正12年)9月1日なので、およそ一年後に地租免税案について提案した衆議院特別委員の中に神谷弥平さんが加わっている。

三郷市の政治家、その後

三郷市 - Wikipedia

また、当時三郷市から衆議院議員に選出された人はこの神谷弥平さんと高木利平さん。それから暫くはこの谷口村、後の三郷市から暫くの間は衆議院議員は選出されていなかったが、2012年の第46回衆議院議員選挙において、三郷市出身の鈴木義弘氏が維新の会、比例で当選。三郷市は戦後初の衆議院議員選出、そして神谷弥平さんから数えれば86年ぶりの選出という事になる。

又、2014年の第47回衆議院議員選挙においても再選されている。元々鈴木義弘氏は自民党だったが、選挙対策上の問題からか2012年の選挙では何故か日本維新の会に所属しての当選。

関連ページ

このページは下記常磐線電化の絵葉書と関連したページです。よろしければ御覧ください。

常磐線上野・松戸間電化と電車開通記念の古絵葉書
昭和11年12月11日に常磐線の上野駅ー松戸駅間の電化が行われ、絵葉書が発行された。その記念絵葉書についてご紹介したい。また、松戸市立博物館の常設展示に行くと、常磐線の上野駅ー松戸駅間の電化の祝賀が行われている様子がビデオで公開されている。
千葉県松戸町鳥瞰図 松井天山図
松井天山の描いた松戸町鳥瞰図には昭和五年と昭和十二年の二種類がある。所有しているのは昭和十二年版であり、これは常磐線の上野-松戸間の電化を記念して作られたものである。今回はこの昭和十二年版について、少々説明を加えながら当時の松戸の姿を考える
古書:常磐線松戸取手間の電化について
"常磐線松戸ー取手間の電化について"とは昭和23年11月1日発行による交通技術第28号の記事で、記事の著者は伊藤伊好さん、財団法人交通協力会発行、同協力会の石原巖さんが発行した。現在殆どの列車は電化されているが、当時はまだまだ発展途上だった

 

最後に

このページは2015(平成27)年に投稿し、2022年現在アップデート、内容をさらに補足したものです。この食事のご招待資料を手にして、この神谷弥平という方は非常に几帳面で物を大切にする人だったのではないか?と感じた。私のような無精な人間は何らかの祝賀会に出席しても、とてもお食事の招待状まで封書に入れてとっておくものではない。

せめて、自分の結婚式の時の式次第程度が関の山ではないか・・・多分、地元でも尊敬に値する人だったのではないか?と思っている。今回は非常に素晴らしい資料を手にしたと思う。

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