スロットカーの流行した時代
「スロットカー」が流行った
1960年代後半「スロットカー」という遊びが流行した。当時子供だった私は「スロットカー」という正式名称は知らず、単純にレーシングカーと呼んでいた。これはミニチュアカーをスロット(溝)のついた軌道上を走らせて遊ぶもの。軌道の台は黒いプラスティック製で中央にスロット(溝)があり、電気が通じている。ミニチュアカーの前面下部に通電端子があり、これをスロット(溝)合わせ通電し走る仕組み。
この軌道は直線、曲線タイプ、宙返りなど様々なパーツで構成されミニチュアながら多彩で本物さながらのサーキット場を実現した。遊び方はミニチュアカーを軌道にセットし、アクセルだけの簡単なコントローラーを右手で握り、コントローラーの押し加減でスピードを調整する。予想以上にスピードが出てコントロールは簡単ではない。カーブが難しく、コースアウトしやすい。コースアウトしたら自分でミニチュアカーを軌道に戻す。
北部小裏にそのお店はあった
この遊びはかなりはまる。当時、根本の松戸市立北部小学校裏(プールの近く)の交差点角にレーシングカー屋があった。店内を見ると軌道が室内いっぱいにこれでもかと敷き込まれ、魅力的で印象的なサーキット場だった。軌道は決して平面的ではなく立体的に工夫され変化の多いコースになっていた。確か「亀屋」という店名だったと思うが覚えていない。
お客の大半は中学生以上なのに、皆一様に無我夢中になってゲームに昂じている。その滑稽と言ってもよい客の顔を眺めるのも又面白い。しかし観戦しているだけでは物足りなくなる。自分でもやってみたくなるのは当然だ。
親に一台買ってもらった
親にねだって一台買ってもらった。車はプラモデルであり、自分で組み立てる訳だが、結局白浜出身の近所のF氏に手伝ってもらった。お試しでレンタルミニチュアカーもあったと思う。家庭用の規模の小さい製品としてバンダイからレーシングカーセットという軌道付きセットも販売されていたがそれまでは買ってもらえなかった。いつしかあの遊びも廃れ、店も無くなってしまった。現在のあの場所には「新鮮野菜・くだもの 長瀬青果店」という看板が出ている。
後にこのページを読んで下さった根本のレーシングカー屋さんの御子息からメールを頂いた。このご子息によれば自分が物心ついた時にはすでに廃業した後でかつてレーシングカー屋さんを自営していた事は何も知らなかったらしい。ただ家に非常に多くのミニチュアカーが存在した事に不審を感じ、親に確かめ初めて知ったというユニークなエピソードを聞かせていただいた。ありがとうございます。
松戸駅周辺にあったスロットカーレース場の事
アマチュア映画監督Kさんに再会
先日、夕飯の場で、8年ぶりくらいだろうかアマチュア映画監督Kさんにお会いした。監督Kさんと撮影地の事など色々とお話した後、監督Kさんがスロットカー・レーシング場(レーシングカー屋さん)の事について語り始めた。
スロットカーのお店は駅近くにもあった
私はてっきり根本の北部小学校裏の事かと思ったら、元中部小学校付近にあったという。そういえば、Kさんの家は松戸市立中央図書館の近くなので、元中部小学校エリア(つまり現在のキテミテマツド)付近の情報は詳しいはずだ。話を聞いてそれはモンダ書店の二階で何かあったのかなあ・・・程度に考えていた。一応念の為、現在松戸本町に住むミチヨちゃんのご主人、Iさん(松戸の重鎮の一人)教えていただく事にした。
話を聞いていくうちに、Iさんは曖昧な記憶をクリアにする為、中部小学校近くのレーシングカー屋さんの隣にあった、蕎麦屋さん”田中家”さんが後輩なので聞いてみるとおっしゃった。本当にありがたいです。後日、Iさん曰く
中部堂文具店の斜め前に古い木造の建物があって、最初は貸本屋(漫画)でしたが、途中で商売替えして、スロットカーのレーシング場になりました。”ひかり文庫”という名前で、親子で運営、その後、伊勢丹が建設されるまではそこにあったと思います
との事でした。その情報を元に昔の商店街マップを調べてみました。
昭和37年当時の元中部小付近の商店街状況
昭和37年当時あった松戸市立中部小学校(現在は同地にキテミテマツド)付近の商店街の状況の絵です。ヒカリ文庫が田中家と中部幼稚園の間にあります。中部小学校・中部幼稚園とありますが、これは現在NTT松戸前、図書館付近に移動、現在この地にはキテミテマツドが建設されている。なお、ミウラ運動具店は現在はない。そば田中家は場所が移っている。
昭和38年 松戸市の事業所名鑑によれば、光文庫(松戸1311)となっている。
昭和41年の空中写真で見てみます
国土地理院の地理院地図vectorより空中写真(1961-69年頃)を参照し、そこに主要な施設、道路名を入れています。上の地図とは向きが違いますが、位置の確認が出来ると思います。スマホやパッドをお使いの方は画像を指でグリグリしてみてください。PCの方はポインターを当てて、グリグリしてください。画像が動きます。
この空中写真は上が北を指しています。赤の四角のところがヒカリ文庫の位置です。このヒカリ文庫の前の道が中通りで、さらに北方面に向かうと高砂通りに繋がる道です。この当時の周辺の建物は殆どが小さな家で密集している状態がわかります。現在のこの周辺はビルばかりですね。
わらそうにもスロットカーレーシング場があった
又、陣太鼓のマスターとその話をすると
そういえば今の市民劇場の隣のわらそうでレーシングカーのコースがあって、随分流行っていたなあ・・・
との事でした。私の友人が度々中通りの将棋センターに行っていたので知らないか聞いた所
中部堂の前あたりでプラモデルを売っている木造で暗いお店があった
との事。もしかしたら松戸にはあちこちにあったのかもしれませんね。もし、何か情報のある方がありましたら、ご一報いただけましたらありがたいです。
ミニ四駆の時代
ただ、現在はタミヤプラモデルファクトリー新橋店の様な場所もあり、スロットではなくミニ四駆の時代になっていますので、ミニ四駆を購入して、お店の2階のミニ四駆コースで走らせるというのもあるんでしょうね!ミニ四駆のレース場は全国にあるようですので、懐かしいなあ・・・見てみたいなあ・・・と思われる方は、一度覗きに行くと良いかもしれません。
コメント
ご無沙汰しておりますKです。
スロットカーの件、さすがの情報網と感嘆しております。
確かに店の名前はひかり文庫で、プラモデルもそこで購入した思い出があります(タミヤの25分の1ビックスケールシリーズ?のビッグショットという商品名)。
お店は半分(駅側)がスロットカースペースで松戸神社側がプラモデルが平置きで置かれていたと思います。
こちらに関しては、ネット全盛のこのご時世においてもどこにも記されて無く、半ば諦めかけていた遠い昔の記憶のモヤモヤがスッキリいたしました。
ありがとうございました。
アマチュア映画監督K様
コメント有難うございます。そして大変ご無沙汰しております。
伊呂波でお会いしたのが最後だと思いますので、五年前くらいかな?
表の家も今年の夏くらいから、復活中です。
小さな画面でも見やすい形に変え、昔の記事をベースにしながらも、かなり大手術をし、内容の充実化を図っていますので、その他の記事も見てくださいね!
K様の作ったあの映画も題材としていずれ復活させますのでよろしくお願いします?