ゲーム・レジャー

昔日の松戸

松戸市南花島にかつて存在した東京射撃倶楽部

終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では南花島にあった射撃倶楽部について述べる。
ゲーム

オモロン・ゲームinメクマン 松戸

メダルゲームが大好きで、主に通ったのはSigma社直営のゲームファンタジア。Sigma社のメダル機械は魅力があり、その機械が置いてある店にもよく通った、一つは松戸駅西口のゲームセンターインベーダー、もう一つはオモロン・ゲームinメクマン松戸
松戸のお宝

松戸の泥面子(どろめんこ)

松戸市秋山の畑地から出土した泥面子。泥面子とは江戸時代から流行った子供の遊び道具ですが、どうやら子供の遊び道具というだけの目的だけではなく、違う目的があったのではないかと考えています。畑地で出土した理由、時代背景、意味について考えてみたい。
松戸のお宝

かつて、松戸にあったゴルフ場:武蔵野カンツリー倶楽部

かつて松戸市六実地区に存在したゴルフ場、武蔵野カンツリー倶楽部について、果たしてどんな場所だったんか、どこに存在したのか、いつ頃存在したのか、どんなルートで行ったのか、どんな人が来たのかを手持ちの資料や参考資料を元に調べてみた。現存しない。
ゲーム・レジャー

自然の勉強

葛飾区 郷土と天文の博物館主催する江戸川野遊び道場。これは子どもたちが対象で、江戸川流域の自然の中で、生き物との触れ合い方を学ぶ催しで、自然通信の田中利勝先生が指導。田中先生は自然全般に精通する。トンボとりをする航空力学の東昭教授と被った。
ゲーム・レジャー

水元公園と私

水元公園の広さはWikiでは76.7ha(他の資料だと87.9ha, 86.2haなど様々)で都内五番目の大きさ。松戸の"21世紀の森と広場"約50.5haであり、水元公園は、その約1.5倍の広さを有する。東京都でこんなに大きな公園はすごい
ゲーム・レジャー

東京湾行徳, ゴカイとハゼ釣り

昭和30-40年代、松戸市民のみならず、北総や東京の人達は季節になれば浦安、行徳方面にハゼ釣りに行ったのではないか?釣り糸を垂れれば、餌がなくても釣れると思うくらいにたくさん釣れ、200匹、300匹は当たり前だったと思う。ところが今は・・・
昔日の松戸

ジュークボックスの思い出-微巣登路@北松戸駅前

北松戸駅東口駅前の喫茶店”微巣登路(ビストロ)”。ここにはレトロなジュークボックスがある。今では使えないみたいだけれど・・・音楽を聞くにも便利な時代になった。昭和少年だった私には今でもあのメカニカルな動きから奏でるジュークボックスが大好きだ。
つれづれなお話

昭和の遊び:2B、かんしゃく玉など・・・花火

昭和30-40年代に駄菓子屋で買ったおもちゃの内、火薬を使う玩具は遊びの王者だったように思う。よく使ったのはかんしゃく玉で、後に禁止された2B弾、平玉拳銃や巻玉拳銃、それほど危なくない蛇玉や金魚花火など、子供の頃どんな花火で遊びましたか?
つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった