つれづれなお話

続:BBSについて

BBS つれづれなお話
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香港赴任とBBS

香港

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プロバイダ選び

続:コンピュータとの出会い-インターネット編で、Jetonの小飼弾さんと共にUnixシェルのコマンドについて少しだけ触れました。”悪名高きUnix・・・”という言葉を読みビビッとなってしまった訳でした。

続:コンピューターとの出会い-インターネット編
コンピュータは素晴らしい進化を遂げてきた。とても追いつけるものとは思わないが、気がつくとドンドン変化、進化している。特に通信面では恐ろしいくらいの変化を遂げている。この回ではコンピュータ通信、インターネットについての経験や思ったことについて

と言ってもコンソール画面でいくつかのコマンドを実行した程度でしたが・・・。さて、香港に赴任した事で、ダイヤルアップで繋いでいた小飼弾さんのJETONは解約する事になりました。そして、香港のプロバイダーの何処かと契約する必要がありました。今は知らないが、当時は香港国内同士での電話代金は無料だった。

このためダイヤルアップ時の電話代はかからず、プロバイダへの接続料だけが請求される。しかし、それもそんなに高価ではなく、日本で繋いでいた時に比べたら格安だった。

NTTDataに決めた

二ノ宮金次郎

いらすとや
https://www.irasutoya.com/

当時、NTTデータが香港に進出していて、インターネット接続について説明会をしていた事もあり、トラブルの際に日本語で相談出来るかも・・・と思い、申し込んだ。このNTTデータ香港の窓口だった人がなんと二ノ宮尊徳さんというすごい名前の人だった。電話での物腰も低く親切だったので、この人がいれば安心と思い加入しようと思った。

ところが、香港赴任直後だったこともあり、思ったようにインターネット接続の申し込みをする時間が無かった。

いざ、NTTDATAへ

忙しい

いらすとや
https://www.irasutoya.com/

慌ただしいままに時は流れ、さて明日から中国出張だという或る日、何故か数時間、時間的余裕が出来た。そこで、NTTDataに電話したら、Raymond Chenという人が対応した。わからないこともあったので、湾仔にあるNTTDataのオフィスまで行く事にした。オフィスに到着するとRaymond Chenはその場でアカウントを作ってくれた。

もらったのはアクセスポイントの電話番号、ID、仮PWだけだった。当時は、モデムの設定を間違えると繋がらない事もあったので、プライマリーサーバーとかセカンダリーサーバーなどの設定項目を一つ一つ聞きたかったし、そのほかの情報も必要なんじゃないか?と思っていた。そんな私の心配をよそに、Raymondから「もう帰るよ・・・」という感じで追い出されてしまった。

設定どうしようか・・・

悩む

いらすとや
https://www.irasutoya.com/

私は頭の中が?の二乗という感じになっていて、不安なまま帰宅する事にした。あの当時は、MAC TCPやMAC PPPを開くと設定する部分がたくさんあって、あれはどうする、これはどうする・・・と聞かないと分からない事が多かった。今はネットで調べればいいじゃないか?と言われそうですが、そのネット自体に繋げることに苦労していたわけです。

Macの設定は簡単そうで難しい

この当時はつなげるという事自体が一つのイベントに近い印象があって、ちょっと間違えるとインターネットに繋がらない事もあったので、必死だったわけです。悩んでも仕方ないので、帰宅してから、とにかくやってみようとかと思ったわけです。

MacTCP

MacTCP

MacTCPのドメインネームサーバーは書かずに、Modem InitはオーソドックスなATZ, ConfigのFlow ControlはCTS&RTS(DTR)にして、とりあえずアクセスポイントに繋いだ。するとモニターにコンソール画面が現れた。ああ、NiftyServeと同じかな?と思い、IDとPWを入力したら、ホストとのコミュニケーションが終わり、そのままインターネットに繋がった。

意外になんて事はなかった。よし、つなぎ方は分かった。しかしながら、一々コンソール場面を経る必要が面倒で不満だった。これ、何とかならないのか?と思い、二ノ宮さんに、聞いたことがあった。二ノ宮さんの答えは「あれでチャットできるし面白いよ,将棋もできる」と言って、ちっとも取り合っていただけなかった。参ったな・・・という感じだった。

将棋には興味が無いので、その仲間には加わらなかったが、ある意味、これもBBSの延長の様な部分でもあったので、今となってはいい思い出である。

ねもと健さんの旅行じゃわからぬ香港生活

二ノ宮さんの同僚で”ねもと健“さんという方がいて、結局この方もお会いしなかったが、旅行じゃわからぬ香港生活という本を出版している。この本が香港生活の”あるある”を色々書いていて滞在経験者としては、本棚に置いておきたい本である。私は二ノ宮さんから送ってもらって、読んだ。

本の中に有落唔該(やおろうむごい)という言葉が出てくる。これは、ミニバスに乗っていて、運転手に「降ろしてください」という時に使う言葉。香港に住んでいる人は、これが出来ないと好きな場所でバスを降車できないので、最初の頃に覚える大切な広東語のフレーズなのだ。

後日談だが二ノ宮さんはその後デビットカードの開発に関わった人で、私が悩んだり、分からないことがあると、二ノ宮さんに電話したりメールをしていた。とても親切な人で助かった。今はどうされているかな?

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BBSその後

香港のBBS

Hong Kong

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香港でNTTData経由のインターネットを楽しむことになったが、ネットサーフィンをしていると色々な事が分かってきた。BBSについてではあるが、香港の草の根BBSがあるのかないのか、オーナー事務所で仲の良かったWilliam Chan氏に聞いたことがあった。William氏によれば、あるにはあるが、メジャーじゃないらしく、詳しくは教えてくれなかった。

当時、日本の草の根BBSは徐々に衰退していた。でも、興味はあった。ただ、自分が香港に居る以上、アクセスポイントが日本国内のBBSはどうしても縁遠くなるし、まさか国際電話を使って繋ぐ訳にはいかない。ただ、中にはTelnet経由で繋げられる草の根BBSもあったと思う。

その他のプラットフォーム

https://it-trend.jp/file_transfer/article/104-0004#:~:text=FTP%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8CFile%20Transfer,%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

インターネットの住人の中には色々なことを試そうとする人たちが現れていた。それはFTPを利用したサーバーを立ち上げた人たちだった。私の知る人は実はアメリカに留学中の学生で、大学のコンピュータにFTPサーバーをインストールして、あるポートを開けて、アクセスできるようにしていた。それが許されていた事だったのかどうかは分からない。

私もFTPとBBSは用途が異なるが、何らかのサーバーを立てたいなあ・・・と思ったものだ。ただ、当時はモデムでダイアルアップ接続だったので、ダイアルアップのままサーバーを立ち上げる事も出来るには出来るのだが、接続を切る度に、IPアドレスが変わるので、現実的には難しかった。

ただ、それを自分で始めるには常時接続のインターネットであるべきで、それをやるにはしかるべきお金を支払う必要があった。調べていくとIPアドレスとある固定ドメインをリンクさせる方法もあったが、そこまではやらなかった。

お城でのChat

The Palace

The Palace AboutBBSのPalace Chat AboutBBSより拝借、Juiceさん、すいません

そうこうしている内に、World ChatやPalace Chatが流行り始めた。これは言ってみれば、コンピュータ通信で遊んでいた掲示板を進化させたもので、背景のある仮想空間でアバターを使い、世界中の人と話をするものだった。これには嵌った。このChatはタイピングのスピードがものをいうので、タイピング自体も上達させる。

Blind Touchが出来ないと、話にならない感じになる。だから一生懸命訓練する事になる。毎日のようにお城と呼ばれたPalace Chatに訪れ会話をしているとそのサーバーを立ち上げた人と仲良くなる事が出来た。Juiceさんというハンドルネームで「BBSやっているから来ない?」と言われ、是非!という感じで、ID,PWをいただいた。

AboutBBSとの出会い

About BBS

About BBSのページよりダウンロードしました。Juiceさん、すいません。

Juiceさんが使っていたのはFirstClassというBBSだった。あの頃は随分お世話になったし、毎日の様にアクセスをしては発言をしていたっけ・・・Juiceさんは少なくとも二度香港にいらっしゃった。一回目は小室ファミリーの香港コンサートの際、二回目は家族連れで来た。一回目も二回目もレストランにお誘いしたっけ・・・

FirstClass BBS

さて、FirstClassについて英語のページではあるが、下記にサーバーを立ち上げている人がいるので、ご紹介しておく。ただ、2024年2月26日現在、FirstClass BBS Clientがダウンロード出来なかった。

又、サーバーに別方法でアクセスしてみたが、返事がなかった。一時的に休んでいるのか、やめてしまって、Web Siteだけが残っているのか、それは分からない

First Class BBS for Obsolyte!
A website about the old workstations, focusing on unix systems. The only known archive of material.

その後のBBS

所謂オリジナルに近いBBSと言えるのはインターネットでいえばNewsGroupだったと思う。これについてはすでに前回に書いた。

BBSについて
パソコン通信から徐々にインターネットを始めた頃、もっとも足りないなあ・・・と思ったのはコミュニケーションだった。その一つがBBSで形を変え、News Groupであったり、その後に繋がるSNSだと思うが、今回はNews Groupまで述べる

ただ、BBSの進化の途上にあったのが、とは言っても殆どBBSなのだが、それはひろゆきによる2CHだったと思う。ただ、2CHは匿名性が高くて、BBS特有のコミュニティ感が乖離していた様に感じる。殆ど匿名なのでどうしても荒れやすい欠点があったと思う。そういった意味では、紹介制にして匿名性を極力無くしたのがmixiだったと思う。

mixi(ミクシィ)
mixi(ミクシィ)は、友人・知人とのコミュニケーションをさらに便利に楽しくするSNSというサービスです。

MixiはFacebookに取って代わったのかと思っていたが、さにあらず、案外根強いファンがいて、最近見直されてきている様だ。

ゆびとま

同窓会支援サイト「ゆびとま!」
同窓会支援サイト ゆびとま! 懐かしい母校を訪ねてみませんか?

変わり種が、同窓会用のBBSサイト「この指とまれ!」で、私も登録して松戸市立北部小学校の同級生探しをしていた事があった。ただ、組織自体に色々とあったらしく、2009年5月に運用がとまり、途中色々あったみたいだが、現在は株式会社 ケイ・プランニングに運営が引き継がれ運営されている。

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BBSからSNSの時代

SNS

芳純 松嶋によるPixabayからの画像

現在はあまりBBSという言葉を聞かなくなった。BBSに近い存在としてSNSがあるからだと思う。SNSという言葉が出てきたのはいつくらいだろうか?何となくFacebookがはやり始めた頃の様な気がする。ただ、BBSの頃と違うのは全体的に商業ベースに乗ってきて、金儲けの一部になってきた印象がある。一つには広告代であろうし、一つにはユーザーによる収益化であろうか?

BBSの頃には無かった発想だと思うし、BBSの頃はSNSほどバズるという現象も無かったと思う。このバズる事によって、ユーザーの収益が増え、コンテンツを収益化できる体質に変え、さらに人が視聴する。なかなかうまくできたシステムだと思う。

関連ページ

BBSについて
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コンピューターとの出会い
コンピュータは素晴らしい進化を遂げてきた。とても追いつけるものとは思わないが、気がつくとドンドン変化、進化している。子供の頃はコンピュータとは電子計算機だと思っていたが、用途が広がり、色々な分野で使われる。スマホ、自動車、家電、その他・・・
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ソフトウエアの話
初めてマイコンやパソコンに触れてから、フリーウエアやシェアウエアに支えられて色々な事を覚えてきた。勿論、シェアウエアにはしっかりと支払い作者とのコミュニケーションがあった。ところが、ある頃からこれらが無くなり、サブスクソフトウエアが台頭した
スマホの時代とパソコン通信(ニフティサーブ)の時代
現在の普及したネット環境を見ると、繋ぐという意識なしにネットに繋がり、SNSやWebなどの情報、メールを読むことが出来る。私が、インターネットを始めた1995年頃は繋ぐという事自体の難しさがあり、通信代が高額だったと思う。そんな頃の思い出。

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