松戸市平潟にあった平潟神社について
平潟神社境内のマップの説明に入る前に、平潟神社の概要をお知らせします。
平潟神社の祭神
水波之女命
水波之女命とは、Wikipediaによれば、
『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。
『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。『日本書紀』の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(カグツチ)の間に稚産霊(ワクムスビ)が生まれたとしている。
平潟神社の創建
隣りにある来迎寺が1609(慶長14)年に創建され、その際この平潟神社(水神社)が作られたとの事
平潟神社への行き方(Open Street Mapにより)
下の地図はUmap(Open Street Mapをベースにマイマップを作る)によって、松戸駅から平潟神社までの歩き方を表したものです。松戸駅西口から松戸駅前通りを歩き、坂川を亘り、江戸川の手前で右に曲がりますと平潟神社があります。
大きくご覧になりたい方はフルスクリーン表示をクリックお願いします。
平潟神社の空中写真(グーグル・マップより)
グーグル・マップより、平潟神社を上空から見てみます。2021年の状況ですが、かなり植物が少なくなっているようです。
松戸・平潟神社案内マップ 樹木&石造建造物
この「平潟神社案内マップ」は境内にある樹木と石造建築物に関して、2008年7月から調査を開始して、2009年1月に完成し、発表したマップです。その後、2013年7月6日に一部マップを改訂しました。この改訂後、2021年にこの平潟神社を訪れると、神社裏に社務所或いは倉庫が建設されており、実はこのマップからかなり変化がある事が分かります。
いずれ、今後再調査を行い、アップデートするつもりですので、宜しくおねがいします(令和3年7月17日)
平潟神社案内マップ(2013年7月6日現在の状況のマップです)ダウンロード方法
松戸の平潟神社に興味を持った方の為、平潟神社案内マップを作成しました。下記のリンクをクリックしダウンロード出来ます。このマップは平潟神社の見学目的でしたら、自由にプリントして頂いても構いません。ただ、それ以外の用途、他のサイトへの引用、転用、商用などの目的の場合は道草亭ペンペン草までご連絡お願いします(著作権は放棄してませんのでよろしくお願い致します)。
又、植物が違うぞ……等、石造建築物の年代や書き込みが違うぞなどのアドバイスやご意見は大歓迎です。再調査させていただきます。遠慮無くお知らせください。
*1 まつど観光大使、石上瑠美子氏よりアドバイスいただき、平成25年7月6日神使の寄進者を鶴宝来の山田文蔵と訂正しVer.2.0として再掲載した。
松戸平潟神社・石造建築物の説明
石造建築物の年代
平潟神社境内に存在する石造建築物の中でもっとも年代として古い存在は秋葉神社の前にある切断された石鳥居で、寛政四年(西暦1792年)である事が分かる。その他の大半は西暦1800年代で江戸時代のもの西暦1900年代の大正時代の建造物であり、明治時代に作られたものは見つからない。
寺社分離の頃
庚申塔の類は来迎寺にいくつか探し出すことが出来る。明治時代の寺社分離令、廃仏毀釈の際に来迎寺と水神社は分離させられたのだろうが、その際に古い石造建築物は処理されてしまったのではないだろうか?
大正期の繁栄
青木源内氏の「平潟今昔」によれば平潟の街?の商売が盛んになったのは関東大震災(1923年大正十二)契機との事。神使が(1917年大正六)に奉納と若干前倒しだが、
- (1924年大正十三)周囲の石垣
- (1925年大正十四)九十九楼が一対の天水桶を奉納、
- (1925年大正十四)水神社修繕・秋葉神社改築記念碑
と関東大震災以降、矢継ぎ早に奉納された事もそれを裏付けていると考える。
松戸平潟神社の狛犬と獅子
松戸・平潟神社の狛犬と獅子
神使(狛犬):左側写真 神殿から見て右側(正面から見れば左側)に口を閉じた狛犬像がある。大正期に奉納され、表面を梨地に仕上げられ風格がある。
神使(獅子):右側写真 神殿から見て左側(正面から見れば右側)に 口を開いた獅子像がある。
獅子と狛犬は違う?
平安時代までは獅子と狛犬ははっきり分けて考えられていたそうだ。獅子は飛鳥時代に唐獅子として中国から伝わり、狛犬は朝鮮半島の高麗からと別々に伝来している。これがその後違いが曖昧になり、両方とも狛犬というようになったとの事だ。このページではそのオリジナルを守り、口を閉じた方を狛犬、口を開いた方を獅子と表現する。
手水舎(洗手石)
参拝と手水舎
作家の外山晴彦氏によれば神社の参道の中央は神様の歩く道なんだそうだ。従って一般参拝者である我々は中央を避けて左側を右回りに歩く必要があり、となれば手水舎は左側にあるのが理屈となるらしい。神社に到着したら先ず左にある手水舎で手を洗い清め拝殿に向かう。調査してみると確かに手水舎は左側に多くあるようだ。ただ、これは絶対的な方式ではなく、合祀ややむを得ない理由で右側に置く場合もあり、そんな`なんちゃって手水舎`も多く目にする。
さて、この平潟神社の手水舎は何故か右側にある。もしかすると元々左にあった手水舎が寺社分離や秋葉神社の合祀の際、移動されてしまったのかもしれない。
鳥居について
石鳥居の明神鳥居と木製の赤鳥居、赤鳥居の方はタイプとしては鹿島鳥居のタイプと言えるかもしれない。現在多くの神社に行っても石、コンクリート或いは金属で出来た鳥居が多い。ただ、鳥居は元々木製が本式なのだそうで、時々氏子の寄進により宮大工によって作り替えていく。以下参照!
鳥居の理想
「設計資料 社寺建築」(廣江文彦著鈴木書店 昭和十一年発行)によれば「匠家必要記に曰く鳥居は神代の神門なり、今宮社に用ゆるは神代の遺風にして木の鳥居を本式とす、当時鳥居を造るならば先ず其宮の古例を尋ね鳥居の風を定むべし、又は御神名に付ても造り様ある事なれば能く吟味して造るべき事なり、
又石礎の鳥居は略儀にして石の鳥居、唐金の鳥居は是れ大略儀なり、心あらん人は木にて造り時々造り換ゆるを本式とす、木は檜を用ゆべし云々」
鳥居の現実
とは言うものの神社を支えていけるような氏子はいよいよ少なくなりつつなり、鳥居どころか神社の維持も難しい昨今、石の鳥居もやむを得ないのであろう。いずれにしても石の鳥居は立派に見えるが本式は木製鳥居であることを覚えておく事は必要だと思う。
平潟神社の植物
ここに見られる植物は松戸市であれば比較的何処でも見られる種が殆どですので植物マップというほどのものではありませんが、説明の必要そうなものだけあげます。
アカガシ(ブナ科)
幹がごつごつして、葉を見ると鋸歯が無い。ドングリのなる木。しかし、このドングリは渋くて食べられない。
タブノキ(クスノキ科)
海洋性の樹木。この木があると元々海の近くだった事を先ず考える。ただ、平潟神社は下総台地から離れ孤立した場所であり、幹廻りからそれほど昔からある樹木ではない。
エノキ(ニレ科)
エノキは松戸市の屋敷林によく見られる落葉広葉樹。ケヤキの仲間で葉も幹も似ているがよく見るとディテールが異なる。ケヤキは枝の先端が比較的まっすぐな箒の様な枝先だが、エノキは枝先が何となくクネッとしている。慣れればすぐ見分けられる。度々、昔の一里塚の様な所に目印で植えてある事がある。
大河ドラマの「青天を衝け」で度々血洗島の大きな木を背景としているシーンがあるが、多分あの大木はエノキだと思う。
ノキシノブ(シダ科)
エノキの幹に着生している。一見ビロードシダ(ウラボシ科 ヒトツバ属)にも似ているが、毛が見られないので、ノキシノブだと考えている。よく見られる光景。
モチノキ(モチノキ科)
スダジイ(ブナ科)
松戸市を歩いていると神社などの鎮守の森に多く目立つ樹木、所謂シイノミの出来る木。このしいの実は食べられる。だからと言って、そんなにバクバク食べるほど美味しいとは言えないが、子供の頃は食べたっけ・・・
ナギイカダ(ユリ科 ナギイカダ属)
地中海沿岸原産の常緑低木で1860年に渡来、ナギの葉に似てハナイカダの様に葉の中央に花が咲くことからこの名前がある。葉の先には鋭いトゲがあり、触るとかなり痛い。トゲのある植物は悪魔除けと考えられた事から、この神聖な場所に植えられたのかもしれない。
おまけ:コガタスズメバチの巣
イチョウの木に営巣されたコガタスズメバチの巣。スズメバチの中では大人しい。
江戸川堤防から見た平潟神社の樹木
江戸川堤防から見た平潟神社の森。目立つのはスダジイ、アカガシ、タブノキなど。
参考文献
「設計資料 社寺建築」(廣江文彦著鈴木書店 昭和十一年発行)
「神社のことがよくわかる本」外山晴彦著
「平潟今昔」松戸史談 青木源内著
「鎮守の森樹木調査研究」自然観察社 田中利勝著
「昭和の松戸誌」渡邊幸三郎著
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