平潟神社を探検しよう!平潟神社案内マップ

平潟神社マップ松戸行脚
平潟神社マップ

松戸市における平潟、樋野口の標高と位置

平潟と樋野口の標高

江戸川に近く、松戸市の最西部に位置する神社の一つである。平潟集落の近くにある。この平潟の集落は樋野口側や松戸駅側の土地よりも若干微高地の自然砂丘にあるとされている。樋古根川を挟んでが樋の口のガソリンスタンド前から江戸川にかけての標高は3-4m,平潟公園が標高3.3m、中部小学校校庭は標高3.8mだが、この平潟集落は標高4.8mほどで、若干高い。また平潟神社は周囲より若干高い地盤上に建てられていて、標高4.5m,来迎寺も同様に標高4.5mの若干高い地盤に建っている。

江戸川近くにあって、水害を逃れ現在まで社殿が残っているという事はこの地盤の高さにも関係有るのではないだろうか?参考として、樋野口を歩くと旧家の敷地が高い事を目にすると思われる。道路は標高3.2m前後なのに旧家敷地内は標高4.5m前後で同様に高い。女体神社の前面道路は3.7mと低いが女体神社や大乗院は標高4.5m程度の高さに建てられている。

平潟神社の位置と周辺(国土地理院の地理院地図Vectorを加工)

この地図は国土地理院の地理院地図Vectorを元に平潟神社の位置とその周辺について、情報を加えた地図です。平潟神社は、松戸駅西口の駅前通りを真っすぐ江戸川方向に歩いた所にあります。坂川と樋古根川の間のエリアに位置し、来迎寺の隣、江戸川河川敷に近い。近くには市立中央図書館とその奥に市立中部小学校が見えます。

平潟神社案内マップ

平潟神社内にある樹木&石造建造物について

今までに何度かご紹介したこの平潟神社。今回はその魅力をより知っていただくために境内にある樹木と石造建築物を掲載した平潟神社案内マップを作成しました。平成二十五年七月六日に一部マップを訂正しました。ただ、其の後神社の倉庫を立て直したり住宅が南側に新築していますので、マップをいずれ刷新しなければいけませんが、その点はご容赦ください。

平潟神社案内マップ

平潟神社マップ

平潟神社マップ

松戸の平潟神社に興味を持った方の為、平潟神社案内マップを作成した。上の画像を右クリックして「対象をファイルに保存」。或いは下記のリンクをクリックしてもダウンロード出来る。

ダウンロード

このマップは平潟神社の見学目的でしたら、自由にプリントして頂いても構いません。
ただ、それ以外の用途、他のサイトへの引用、転用、商用などの目的の場合は道草亭ペンペン草までご連絡お願いします。
(著作権は放棄してませんのでよろしくお願い致します)
又、植物が違うぞ……等、石造建築物の年代や書き込みが違うぞなどのアドバイスやご意見は大歓迎です。再調査させていただきます。遠慮無くお知らせください。
*1 まつど観光大使、石上瑠美子氏よりアドバイスいただき、平成25年7月6日神使の寄進者を鶴宝来の山田文蔵と訂正しVer.2.0として再掲載した。

 

その後かなり変化があるようですので、折を見て訂正をしていきたいと思います。

内容説明

石造建築物の説明

(年代)平潟神社境内に存在する石造建築物の中でもっとも年代として古い存在は秋葉神社の前にある切断された石鳥居で、寛政四年(西暦1792年)である事が分かる。
その他の大半は西暦1800年代で江戸時代のもの西暦1900年代の大正時代の建造物であり、明治時代に作られたものは見つからない。
(寺社分離の頃)庚申塔の類は来迎寺にいくつか探し出すことが出来る。
明治時代の寺社分離令、廃仏毀釈の際に来迎寺と水神社は分離させられたのだろうが、その際に古い石造建築物は処理されてしまったのではないだろうか?
(大正期の繁栄)青木源内氏の「平潟今昔」によれば平潟貸座敷業が盛んになったのは関東大震災(1923年大正十二)契機との事。
神使が(1917年大正六)に奉納と若干前倒しだが、周囲の石垣が(1924年大正十三)、一対の天水桶が(1925年大正十四)に九十九楼が奉納、水神社修繕・秋葉神社改築記念碑が(1925年大正十四)、と関東大震災以降、矢継ぎ早に奉納された事もそれを裏付けていると考える。

神使(獅子)  神使(狛犬)

 

神殿から見て右側(正面から見れば左側)に口を閉じた狛犬像がある。
大正期に奉納され、表面を梨地に仕上げられ風格がある。神殿から見て左側(正面から見れば右側)に口を開いた獅子像がある。平安時代までは獅子と狛犬ははっきり分けて考えられていたそうだ。獅子は飛鳥時代に唐獅子として中国から伝わり、狛犬は朝鮮半島の高麗からと別々に伝来している。これがその後違いが曖昧になり、両方とも狛犬というようになったとの事だ。このページではそのオリジナルを守り、口を閉じた方を狛犬、口を開いた方を獅子と表現する。

手水舎(洗手石) 享和二年九月(1802年)

手水舎

手水舎

お参りの仕方

(参拝と手水舎)作家の外山晴彦氏によれば神社の参道の中央は神様の歩く道なんだそうだ。
従って一般参拝者である我々は中央を避けて左側を右回りに歩く必要があり、となれば手水舎は左側にあるのが理屈となるらしい。
神社に到着したら先ず左にある手水舎で手を洗い拝殿に向かう。調査してみると確かに手水舎は左側に多くあるようだ。ただ、これは絶対的な方式ではなく、
合祀ややむを得ない理由で右側に置く場合もあり、そんな`なんちゃって手水舎`も多く目にする。さて、この平潟神社の手水舎は何故か右側にある。もしかすると元々左にあった手水舎が寺社分離や秋葉神社の合祀の際、移動されてしまったのかもしれない。

鳥居について

水神社明神鳥居 萬延元年(1860年)         三峯神社 木製赤鳥居

石鳥居の明神鳥居と木製の赤鳥居、赤鳥居の方はタイプとしては鹿島鳥居のタイプと言えるかもしれない。現在多くの神社に行っても石、コンクリート或いは金属で出来た鳥居が多い。ただ、鳥居は元々木製が本式なのだそうで、時々氏子の寄進により宮大工によって作り替えていく。以下参照!

鳥居が本来あるべき姿

「設計資料 社寺建築」(廣江文彦著鈴木書店 昭和十一年発行)によれば「匠家必要記に曰く鳥居は神代の神門なり、今宮社に用ゆるは神代の遺風にして木の鳥居を本式とす、当時鳥居を造るならば先ず其宮の古例を尋ね鳥居の風を定むべし、又は御神名に付ても造り様ある事なれば能く吟味して造るべき事なり、又石礎の鳥居は略儀にして石の鳥居、唐金の鳥居は是れ大略儀なり、心あらん人は木にて造り時々造り換ゆるを本式とす、木は檜を用ゆべし云々」

現実的な鳥居の姿

とは言うものの神社を支えていけるような氏子はいよいよ少なくなりつつなり、鳥居どころか神社の維持も難しい昨今、石の鳥居もやむを得ないのであろう。いずれにしても石の鳥居は立派に見えるが本式は木製鳥居であることを覚えておく事は必要だと思う。

植物等の説明

ここに見られる植物は松戸市であれば比較的何処でも見られる種が殆どですので植物マップというほどのものはありませんが、説明の必要そうなものだけあげます。

アカガシとタブノキ

アカガシ(ブナ科)

幹がごつごつして、葉を見ると鋸歯が無い。ドングリのなる木。

タブノキ(クスノキ科)

海洋性の樹木。この木があると元々海の近くだった事を先ず考える。ただ、平潟神社は下総台地から離れ孤立した場所であり、幹廻りからそれほど昔からある樹木ではない。

エノキとノキシノブ

エノキ(ニレ科)

エノキは松戸市の屋敷林によく見られる落葉広葉樹。ケヤキの仲間で葉も幹も似ているがよく見るとディテールが異なり慣れればすぐ見分けられる。

ノキシノブ(シダ科)

エノキの幹に着生している。よく見られる光景。

ナギイカダとモチノキ

ナギイカダ(ユリ科 ナギイカダ属)

地中海沿岸原産の常緑低木で1860年に渡来、ナギの葉に似てハナイカダの様に葉の中央に花が咲くことからこの名前がある。葉の先には鋭いトゲがあり、触るとかなり痛い。トゲのある植物は悪魔除けと考えられた事から、この神聖な場所に植えられたのかもしれない。

モチノキ(モチノキ科)

モチノキはトリモチを作る事の出来る木。この境内には二本あった。近くに寄ってみると枝葉の廻りに虫こぶがたくさん出来ていた。

スダジイとコガタスズメバチの巣

スダジイ(ブナ科)

松戸市を歩いていると神社などの鎮守の森に多く目立つ樹木、所謂シイノミの出来る木。

コガタスズメバチの巣

イチョウの木に営巣されたコガタスズメバチの巣。スズメバチの中では大人しい。

 

江戸川堤防から見た平潟神社の森

江戸川から見た風景

江戸川から見た風景

江戸川堤防から見た平潟神社の森。目立つのはスダジイ、アカガシ、タブノキなど。

参考文献

「設計資料 社寺建築」(廣江文彦著鈴木書店 昭和十一年発行)
「神社のことがよくわかる本」外山晴彦著
「平潟今昔」松戸史談 青木源内著
「鎮守の森樹木調査研究」自然観察社 田中利勝著
「昭和の松戸誌」渡邊幸三郎著

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