油条(ユウティァオ)とは
油条とは中国式の細長い揚げパンである。日本の揚げパンは砂糖をまぶしてあるが、中国式の油条は甘くない。そして粥、豆乳、豆腐花などと一緒に食べる事が多い様に思う。飲茶などに行くとこの油条が見つけられる。油条をもっとも多く食べたのは台湾常駐時だ。毎朝のようにこの油条を食べた。甘くなくてひつこくないので、食べやすい。
重慶の油条屋さん
いくらくらいだったか忘れましたが、ほのぼのした感じで良かった!
神楽坂の言論科学研究所(言研)でバイト
ただ、生まれて初めて食べたのは飯田橋駅近くのお店だった。まだ学生だった1978-79年頃、六中時代の同級生Iくんが、神楽坂の江木武彦先生が主宰する言論科学研究所(言研)という所謂話し方教室に勤めていた。I君から「雑用のアルバイトがあるので良かったら来ないか?」と言われ、通った時期があった。
この言研の事務室で仕事をしていると同じ部屋の中にヨナイさん、越谷に住んでいたエッチャンが正社員で優しい人達だった。また、同じ時期にアルバイトで来ていた女優志願の青森県出身の女性が居た。劇団丸所属で、一度、ある劇に出演するという事で、みんなで見に行った事があった。その女性は何故か老婆役で、中々の演技だったのを覚えている。今頃、どうされているか?
五十番の肉まん
この神楽坂は風景、歩く人々、その何もかも興味深い街で飲食店や料亭がたくさんあった。学生の私が行けるような店の一つに五十番があった。五十番の中華まんはよく食べた。小さい中華まんは松戸の自宅付近のお店でも食べられたが、五十番の中華まんは大きく立派で具も豊富同じ中華まんとはとても思えなかった。
私が学生の頃は中華料理屋さんだったと思うが、神楽坂に住む同僚によれば、五十番は現在、肉まん販売店になっているらしい。
バラスタ(佳作座裏)
飯田橋駅方面に坂を下りると佳作座という映画館があって(いまはもう無いかもしれない)そのすぐ近くに廃墟のような、にわか造りのような建物があった。そこを通称`バラスタ`と呼んでいた。実際の名前は覚えていない。言研の女性事務員M子さんに連れられて行った。彼女曰く「バラエティスタンド飲食街、略してバラスタ」なんだとか・・・
このバラスタの中には色々な店があったと思うが詳しくは覚えていない。ただ、一軒中華粥を出す店があって、この店ばかり行った。ここのお粥は生まれて初めての味だったからだ。私にとってのお粥とは白粥や七草粥で基本的には具はあまり入らず、せいぜい塩味や梅干しで食べた。
”てくてく牛込神楽坂”というページに一部バラエティスタンドについて記述がある。
中華粥専門店「大仙」、鄧小平氏も絶賛の油条
”てくてく牛込神楽坂”というページでこの中華粥について質問してみた。どうやら私が食べに行ったのはバラスタではなくて、大仙ビルの2階で、中華粥専門店大仙だったらしい。鄧小平氏は油条が大好きで、来日時(1978年10月22日~29日)この大仙の油条を買いに来たのだとか・・・新聞でも話題になったそうだ。
そして鄧小平氏曰く「こんな美味い油条は中国にも売ってない」と言わしめたらしい。ここの中華粥は独特の味付けで美味しく、塩以外の味付けお粥は全く初めての経験で、カルチャーショックに陥り一時夢中になった。そのお店で店主が説明をして出してくれたのが油条(ユウティァオ)だった。油条をお粥と合わせて食べるとぴったりと来る。
ただ、残念なのが大仙は2021年現在は無いそうだ。神楽坂界隈も近代化が進みかわりつつ有るようだ。
台湾常駐の頃
就職後忙しく、殆どこの神楽坂には近づかなくなり、故に油条とも疎遠となった。それから十年後台湾台北に常駐になった。台北の朝、街を歩くと実に多くのお粥や麺のお店がある事に気がついた。そうしたらあの油条を作っているではないか・・・!ああ、あんな風に作るんだなあと感心して見ていた。
油条作り方実演(Youtube)
小麦粉を練り長さ20センチくらい、直径7ミリくらいのひも状にする。真ん中で折り、螺旋状にくるくるとねじり油の中にそっと落とす。そうするとみるみる大きくなりあの油条が完成する。下のYoutubeはその作り方と少し違うが、ご参考まで!
ホテルの朝食で
現在香港中国に出張するとホテルの朝食ビュッフェ(バイキング)の際お粥を食べる。大抵あの油条はあり、細かく刻んだ油条をつかみにくいピンセットみたいなものでお粥に入れる。
でも、私は思う。これは我が儘かもしれないが、揚げたての大きく熱い油条を大胆にちぎり、手を油だらけにしながらお粥の中に一つずつ落とし喰らわないとお粥としては物足りない気がする。いかがでしょうか?
松戸駅東口にあった台湾料理屋さん(閉業)
1994-1995年頃だったと思うが、松戸駅東口の現在のピアザビルの中に台湾料理のお店が出来たことがあった。そこでは懐かしい大根餅、イカ団子、担仔麺、お粥などを提供していた。二回ほど行ったことがあったが、1996年2月に香港常駐をする事になり行けなくなってしまった。帰国した時はすでに無かった。残念である。
六本木、水道橋にあった台南担仔麺
これらも1994年頃だったと思うが、よく通ったものだ。触れ込みは台湾出身の留学生を支援するために始めた食堂で、一般にも解放したというような店だったと思う。小菜中心で、2-300円/皿で色々な料理をたくさん注文する事が出来た。ただ、再び調べてみたら、新宿にある台南担仔麺と水道橋の台南担仔麺は違うグループになっているのか、別の扱いになっている。
どうしたんだろうね?
水道橋の台南担仔麺
新宿の台南担仔麺
こぼれ話
油条の怖すぎる話
最後に
私は初めて神楽坂の中華粥専門店大仙で油条を食べた時期と鄧小平氏が「こんな美味い油条は中国にも売ってない」と絶賛し来店し食べた時期がほぼ一致している。考えてみればすごい店に行っていたのだなぁ・・・と思った。
この投稿”油条(ユウティァオ)の事”はかつて2007(平成19)年7月14日(土曜日)につれづれなるままに2007にて投稿したものだ。2021年現在に合わせて、訂正、大幅に内容をかえて復活させる事にした。
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