つれづれなお話

定期券の話

バスつれづれなお話
S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像
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稔台や松戸新田から北部小に通っていた同級生

松戸市は戦後、東京の衛星都市としての流入人口やベビーブームによって急激に人口が増えていった。同時に松戸市各地で土地区画整理が行われ、田園が次から次へと宅地化された。宅地化され人が住み始めると商店街が必要になり、子供達には身近に通う小中学校が必要になった。当時金ヶ作地区には高木小学校、高木第二小学校があったが稔台地区の児童まで吸収出来なかったのかもしれない。

松戸新田の松が丘小学校、寒風台小学校、上本郷にある上本郷小学校、上本郷第二小学校、稔台の稔台小学校も無かった。私がまだ小学二年生の頃は小学校が不足する時代で、北部小には稔台・上本郷方面に住む児童も通っていた。彼等はバス通学していた。多分、(今は無き)馬橋ー浅草寿町線や八柱-松戸駅線のバスを使っていたと思う。

北部小までみんなバス通学で通っていた

バス通学している児童はランドセルの金具に定期入れをぶら下げてやってくる。北部小学校から歩いて数分の竹ヶ花に住んでいた私は恵まれていたのだと思う。ただ、あの定期券で通学する事に妙に憧れてしまった。どうしてもあの「定期券」というものが欲しくなった。そこで私は何故か北部小学校の正門前にあった吉岡文具店に行って吉岡のおばあちゃんに聞いた。

吉岡文具店のおばあちゃんとの会話

  • 私「定期券ある?」
  • 吉岡おばあちゃん「定期入れだね。あるよ」

と云って、プラスチックの定期入れと皮革風の定期入れを見せてくれた。

  • 私「違うよ、バスの定期券が欲しいんだ」
  • 吉岡おばあちゃん「ああ、定期券はここでは売ってないんだよ。バスのだったら車掌さんに聞いて御覧」

定期券が欲しくてバスの車掌さんに聞いた

当時、根本にあった松戸第一珠算学校でそろばんを習っていた。徒歩で通える距離だったが、バスを使って松戸第一珠算学校に行った事があった。車掌さんに定期券の事を聞いた。車掌さんが色々な事を話してくれたけど、とても子供のお小遣いで買える代物ではなかった事を知った。車掌さんが優しい人で「回数券だったらもっと安いよ」と云って回数券を見せてくれた。

5円の十枚綴りだったか10円の十枚綴りだったか忘れたけど、それさえ買うお金がその時は無かったので一旦諦めた。諦めて時間が経ったらどうしても定期券が欲しかった気持ちが薄れ、いつしか忘れてしまった。小学二年生の私はこんなトンチンカンな少年だった(いまだにトンチンカンなところがあるけれど)。

それだけに高校生になって初めて通学用定期券を持った日は嬉しかった。でもそれは最初だけで、一ヶ月も経つとそれほど感激の無い物だという事を知った。それが今ではIC定期券だものなあ~

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