昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-竹ヶ花西町編

tanaka-zaimokuten 昭和の松戸を歩く
田中材木店の現在 2021年7月31日撮影
スポンサーリンク
スポンサーリンク

竹の根商店街(竹ヶ花西町)

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-根本編” において根本地区の商店について調べてみた。今回は竹の根商店街の内、竹ヶ花西町編としてまとめたい。商店・飲食店として対象にするのは下記の通り

  • 竹ヶ花地区
  • 栄町地区

区画整理後の地区の状況:地理院地図で1974年-1978年の間の空中写真

これは花郷区画整理事業後の状態です。国土地理院の地理院地図、1974年-1978年の間の空中写真に花郷土地区画整理事業のエリアを重ねた図です。川の西側の北側は工場地帯で、ヤマザキパンの工場が見えます。南側は住宅地が広がります。左下に見える建物が北部小学校。この花郷土地区画整理事業は根本、竹ヶ花、南花島、上本郷の一部を含む上図のエリアで、昭和40年7月3日知事の許可がおり、約四年間の区画整理を行い昭和44年9月22日に換地処分が行われた。

竹ヶ花西町地区

竹ヶ花西町2021年現在訪れると小規模な建物が密集するゾーンであるが、私が小学校の低学年の頃は田畑と肥溜めがあるだけのありふれた田園地帯だった。北部小学校の校歌は♪しらさぎの~、しらさぎの~♪の出だしだが、校舎の窓から北側を見るとこの田園が見え、しらさぎが餌を啄む風景が見られた。当時は競輪場の方向を見ると田園地帯が続いていたが徐々に工場ができ始めた。

スポンサーリンク

山崎パンや竹ケ花、南花島、根本、古ヶ崎に関して

過去の投稿から、下記のページを補稿し復活させました。よろしければ御覧ください。
スポンサーリンク

昭和45年以降の竹の根商店街の様子

竹の根商店会の案内看板(2021年現在は無し)

takenone-shotenkai

2006年頃の竹の根商店会の案内看板

takenone

2006年頃の竹の根商店会の案内マップ @北部小のフェンス

竹の根商店街の範囲と竹ヶ花西町地区の商店について

昭和40年代以降の竹の根商店街の竹ヶ花西町地区についてuMap(OpenStreetMap)に落とし込んでみた。このマイマップはクリックすれば拡大縮小出来ます。薄青で塗ったのが花郷区画整理事業地区で、薄い赤色に塗ったのが、竹の根商店会商店街のゾーンだと考えています。

画面いっぱいでごらんになりたい方はフルスクリーン表示をクリックすれば見られます。

竹ヶ花西町地区商店リスト(抜けがあるかと思いますが、その場合教えていただけますとありがたい)

  • 千菓進
  • 魚福
  • 中村八百屋(八百政)
  • 安藤八百屋
  • 長寿庵
  • グリルフレンド
  • タイム
  • 藤屋(中華)
  • おもちゃ
  • 松戸書房
  • 田中材木店
  • 平林産婦人科
  • スナックやま
  • 焼肉名門
  • デイリーヤマザキ
  • 中華丸長

栄町地区商店リスト(竹の根商店街に入るのかは未明です)

  • わらや商店
  • 味の園(中華)

 

 

竹ヶ花西町地区商店の補足

タイム、千菓進、魚福、中村八百屋

 

time, chikashin

タイム、千菓進、魚屋、中村八百屋 2006年8月16日撮影

私にとっての竹の根商店街で印象的だったのはやはり母が良く通っていた中村八百屋(屋号は確か八百政)写真は一番手前からタイム、千菓進、魚福、中村八百屋となっている。このうち千菓進は2021年現在営業しているが、魚屋と中村八百屋は住宅になってしまったようだ。千菓進は簡単な食事を取ることが出来る。タイムは2017年現在建て替えられ一般住宅となっている。

長寿庵

長寿庵は名前の通り長寿のお店で、頑張っている。作るのは女将さんで、出前で運ぶのは旦那さんらしい。我が家も時々出前を頼んでいる。小学生の課外学習で父兄と子どもたちでの訪問を受け入れたり、とても協力的なお店の様だ。ここの”こがしチーズカレー南蛮”はちょっとエキゾチックで美味しい。

グリルフレンド(2006(平成18)年)閉店

グリルフレンド

グリルフレンド
2004年5月撮影

Grill Friend

グリルフレンド跡 2006年8月16日撮影

地元ではハンバーグで有名。地元のケーブルテレビ局「コアラテレビ」でも紹介された事がありました。赤い庇の看板が印象的だった。2006年に閉店してしまった。シャッターが閉まったままになってしまった。私は一度だけ入ったことがありました。もっと行っておけばよかった。大量の玉葱を刻んでいたのが印象的だった。一度、松戸駅東口のマザーグースにご主人が飲みに来た事があった。

私の小さい頃この界隈は完璧な田畑でした。

藤屋(中華)

hujiya

藤屋 2006年8月16日撮撮影

このお食事処&中華の藤屋は一度も入ったことはありませんね。2017年現在、看板も無くなり、一般住宅として使われている。

安藤八百屋

区画整理後にあった八百屋さん、上記藤屋の近くにあったようだが、詳しく分からず。

おもちゃ

後に歯医者になった場所のようだが、昭和40年代におもちゃ屋があったのは住宅地図を見て初めてしった。

松戸書房

matsudoshobo

松戸書房 2006年8月16日撮影

現在はそのまま住宅になっているようです。青いシャッターボックスに微かに松戸書房らしき文字が見えました。本棚がそのまま残っているようでした。松戸書房は松戸ベスト100のミスターTによれば「田中材木店の隣、この材木店は坂川沿い。その右側に橋があるがそこを渡って、陸橋の下はかつて私の遊び場だった。またその橋を渡って登校橋方面へまっすぐ歩けばと自分の家に帰ることが出来た。だが、土手がいつのまにか削られてしまいそれも出来なくなった」

田中材木店

tabaja-zaimoku

田中材木店
2021年7月31日撮影

田中材木店さんは営業している様子ではないのですが、今はどうなっていらっしゃるのか?

平林産婦人科

平林産婦人科

ありし日の平林産婦人科
2004年撮影

スナックやま、焼肉名門、デイリーヤマザキ

Daily Yamazaki

デイリーヤマザキ 2006年8月16日撮影

“やま”や”焼肉名門”はあまり良く分からない。ただ、2006年まで存在していた、デイリーヤマザキは実は根本の大和屋さんの御長男の方がここでお店を開いていた。次男の方はその昔根本の大和屋で洋食レストランを営業してましたね。ミスターTさんも松戸ベスト100の中で少し触れてましたが、ちょっと寂しい。
ミスターTによればこの場所は「松戸のお弁当屋さん その松戸書房から歩いて200メートル、ガソリンスタンドの横にあった。その近辺は配送会社が多くあり 主なお客はトラックの運転手だったような!その後、お弁当屋さん→サンエブリ→ヤマザキストアと店は変っていった」

栄町地区商店の補足

わらや、味の園、

ajino-sono

わらや、味の園の跡
2015年12月6日撮影

栄町地区の商店は一丁目なのですが、わらやはすでに無く、現在同地はえつこ美容室、味の園もすでに廃業、理容すみれも廃業し、2021年8月1日現在、味の園とすみれの跡はペピカ古ヶ崎店というペットのお手入れやグッズなどのお店に替わっています。この地域はペット関連の需要がある為か、もう少し工業団地よりに行くと、ペットサロン M DOGというお店もあります。

ペットショップ ペピカ−動物病院、美容室・ペットホテル併設した総合ペットショップ
ペピカでは、犬猫などの入店情報やペット飼育のアドバイスなど、ペット関連情報を提供しております。ペットショップ 所在地:古ヶ崎店,松戸店,大宮宮原店(ステラタウン),市川八幡店,葛飾水元店,市川行徳店・どうぶつ病院も併設しています。
Pet Salon M DOG(エムドッグ)|ワンちゃんのために飼い主様のために
千葉県松戸市栄町のPet Salon M DOG(エムドッグ)では、トリミングを中心に爪切りや耳掃除などのオプションも行っております。お年寄り・介護が必要なワンちゃんのための訪問介護も実施しており、ワンちゃんとの豊かな暮らしの実現のため日々...

コメント

  1. fuqoui より:

    うわーーー!
    うちの家族が、ここのペットショップ屋さんだったところで、事業の事務所兼、オモチャ屋を経営してました。
    お隣の味の園のご家族、元気かなー!家族ぐるみで仲良くしてました。

    竹の根商店街の「藤屋」の看板って昔、銀色の鱗状にフリルなっている看板で、風に揺らぐとネオンサインみたいになるド派手な看板でひときわ目立っていた記憶が…笑

    • fuqouiさん、
      ご意見ありがとうございます。
      暫く仕事に夢中になっていて、表の家へのご意見を見ておりませんでした。申し訳ございません。
      さて、あの場所は向かって左から、エツコ美容院→味の園→理容すみれだったと思いますが、理容すみれが出来る前の事ですか?
      えらく前ですね。味の園さんは廃業されて5年くらいは経つでしょうか?
      藤屋の看板は印象的でしたね。今は普通のマンションの様になっていますね。

    • 昔の住宅地図を見ました。ご家族で事業の事務所兼、おもちゃ屋をしていた頃の事ですが、弁天橋横の現在の美容院の所にわら屋さんがあった頃ではないですか?私は子供の頃このわら屋さんの倉庫に四手網を置かせていただいて、よくここを起点に活動していましたっけ・・・

  2. うしとら より:

    今は跡形がないですが、昭和50年代、竹ヶ花西町303-2の角地に北部小のクラスメイトT君の家があり、ご両親が中華料理屋を営んでいました。1階がお店で2階が自宅でした。中学は別々になってしまったので、その後いつ引っ越してしまったのか不明です。屋号が喉まで出かかっているのに、どうしても思い出せないのですが、冬になると毎年何用なのか大量の大根を軒下の干していたのが印象的でした。

    • 1975年の住宅地図を見ますとその場所に「中華丸長」という文字が見えました。これかな?私はこの当時は大学一年生だった頃で、西町で歩くという事はしていなかったのか、どんな店だったかさっぱり覚えていませんね!
      近くに郵政宿舎若松寮があるので、ヤマザキパンの従業員や学校の先生も含め、需要はあったんじゃないかなあ・・・

タイトルとURLをコピーしました