ソフトウエアの話
最近気になっていることがある。あれだけ世話になったシェアウエアを見かけない。その代わりサブスクソフトウエアが台頭している。でもお金が嵩んで困る。今までの書き込みと重なる部分がありますが、ご了承を!
私にとっての1980年代
1980年代の私は自分の設計の仕事を覚える事が第一義ではあったものの、もっぱらどうして夜遊ぶか?という事に気を取られていた節がある。恥ずかしいがそうだった。ゲームセンター・インベーダー(日発ビルの二階)も通った。分不相応に松戸駅近くの夜の会議所”リド”(阪田ビルの上)や高砂通りにあったバー”シャラント”(今の”楽”の場所などに出入りをしていた。
その他ここで書けないことも含め色々である。さんざん散財したものだが、あれから40年以上経った今、当時の松戸を語るうえで大切な経験をしていたのだと思うことにする。勿論、当時の私は松戸の歴史には興味をもっていなかった。ただ、1980年代の松戸に身を置いていたというだけだ。今思えば、もっと人間関係を広げた方が良かったのかもしれないが、後の祭りである。
マイコンの頃
さて、そんな私が浜松の建設現場に常駐したのは1983年だったろうか?建設現場に常駐するというのは自分を磨く為必須であこがれの場でもあった。もっとも、気持ちはそうなのだが、一緒に常駐した先輩Sさんにはご迷惑をおかけしっぱなしで、いまだに申し訳ないと思っている。現場に少し慣れた頃だったが、オーナー事務所のIさんが富士通のFM8を個人で持っていた事を知った。
夕方現場が終わり、事務所での残業途中で、ふらりとIさんの所に行きFM8をいじらせてもらった。目的はゲームをする為で『ギャラクシアン』だったと思う。この『ギャラクシアン』は市販ソフトでカセットテープに記録され売られていた。これでゲームセンターに行かなくても済むと短絡的に考えてものだった。
考えてみれば、カセットテープが媒体だったという事はFM8のメモリに読み込ませるだけで時間がかかった。あれから十年後、うじきつよしの”カルトQ”のコンピューターゲームの回で、あのカセットテープを普通のラジカセで再生した時の音で、何のソフトであるか答えるという問題があった。あの回の動画が無いか探してみたが見つからなかった。ただ、こんなページがあった。
ベーマガ(ベーシックマガジン)
加えてベーシックマガジンには、一般の人がプログラミングしたソフトウエアのプログラム自体が掲載されていて、それを一生懸命FM8に打ち込んでゲームをすることに奔走していたのが昨日のことの様な気がする。全部打ち込んだと思って起動してみると先ず確実にSyntax Errorが出てしまう。
Syntax Errorとは構文ミスがあるという意味で、どこかに余計なスペースが入っていたり、スペルが違っているわけだ。これが出ると最初から全部見直す。2023年現在では、多分エラーを自動的に探してくれるような機能があるかもしれないが、当時は全部目視でプログラムを追ってみていった。大変だったなあ・・・
当時はコンピュータを持っている人=プログラムする人というイメージが強かった。
1990年代
時代が下り、1990年代、私が初めてパソコン(マック)を購入した頃はまだまだ、ニフティサーブ等のパソコン通信が優勢で、多くのフリーウエア、シェアウエアが紹介され、ダウンロード出来た。フリーウエアやシェアウエアを納め,解説するCDROMも販売されていたし、もっともパソコン雑誌の付録CDROMにも多くのフリーウエア、シェアウエアがあった。
この頃になると、私にとっては、もはやプログラミングは別世界の事になっていた。プログラミングは専門家がやってくれるとして、どんなソフトがあって、どういうソフトが自分の用途に向いていて、どうやって使いこなすか?という事だけを考えればよくなった。
私が使っていたフリーウエア、シェアウエア
自分でパソコンを購入したのがMacintoshからだったので、Macのソフトばかりですいません
Eudora
これはイリノイ大学のSteve Dorner氏によって開発されたEmailソフトで、当初マッキントッシュ用のフリーウエアとして発表され、多くのマックユーザーが使っていたのではないかと思う。後に、クアルコムが買収し、マック版だけでなくWin版も発売された。私は途中でWindowsに乗り換えたが、その際もWin版Eudoraを使っていた。詳しくは:
Fetch for Mac
いわゆるマック用のFTPソフト(フリーウエア)。ファイルをダウンロードする時に犬のアニメがファイルをくわえてくるようなダイアグラムが出現する楽しいソフト。
https://macsoft.jp/fetch/
Finger for Mac
これは個人情報保護法も関係していると思うが、現在はあまり使われなくなった。1995年頃はFinger Serverがあったらしく、Emailアドレスを入れてreturnを押すとそのEmail Addressの持ち主の名前が出てくる。
Gopher
wwww以前のテキスト検索システムで、マック用のフリーウエアが配布されていた。多分、以前は大学等の学術論文の検索が中心だったので、こういうタイプの検索が必要だったのかもしれない。Gopherを使って大学のサーバーに入ると何だか自分がハッカーになったような錯覚をしたものだ。
MACTCPとInternet Connect PPP→PPP Utility→FreePPP
初めて買ったマックでインターネットをする際つまづいたプロトコル。インターネット接続の為に必要不可欠なプロトコル。これの設定を間違えるとインターネットにまったく繋がらない。MacTCPにはDNSサーバーのIPアドレス,Internet Connect PPPにはモデムの設定、アクセスポイントのID,PW,やら色々と入れて、非常にハードルが高かった。
ちなみに私はInternet Connect PPPでは、繋がらず、仕方ないのでNiftyServeのフォーラムで色々なコメントをみて、結局アメリカのCompuServeにアクセスして、PPP Utilityをダウンロードしてそれで何とかつながるようになった。本当に大変だった。これの顛末は下のページに書いてあります。
その後、FreePPPを使った。
Archie
インターネット上のアノニマスFTPサーバーにあるファイルのリストを検索し、ダウンロードするためのソフトウエア
Anarchie
Peter Lewis作のシェアウェアで、所謂FTPクライアントソフト。インターネット上のArchieサーバーでファイルを検索し、FTPサーバーからのファイルのダウンロードを自動的に行なえる。
NCSA Telnet-J
これは遠隔操作をしてホストコンピュータを操作する為のソフトウエアでフリーウエアだった。マックを使っていた頃のソフトで、吉田氏が日本語化したのかな?何のために使っていたかというと、香港に常駐後、インターネット上の情報だけでは不足していて、やはりどうしてもニフティサーブでの情報収集が必要だった。
香港にもニフティにアクセスする為のアクセスポイントはあったのだが、それだと非常にコストが嵩む。そこで、インターネット経由でアクセスする事にした訳だ。確か当時20円/分だったと思う。ただ、このNCSA Telnet-Jの欠点として、テキストデータは読めるのだが、バイナリーデータになると途中でフリーズしてしまった。
どうやら開発はこれ以上進まないと思い、違うソフトを選ぶ事にした。それはJterm3.0だったが、後述する
Stuffit Expander
所謂、ソフトの解凍ソフト。
香港のシャムスイポ等で売っている所謂50inOneの様なCDROMを見ると中に入っているが、このStuffit Expanderが感染している場合があって、気を付けないと大変な事になる
ComNifty
ComNiftyはNiftyServeを効率よく巡回しオフラインで自分の好きなフォーラムの更新も見られるようにした非常に優秀なソフトで香港に常駐するまでは、これを使っていました。
Jterm3+Black Night Telnet tool
Jtermは株式会社まつもとが開発した市販ソフトで、いわゆるコンピュータ通信用のソフトである。これにBlackNight社のBloack Night Telnet toolというシェアウエアを購入し、Jterm3.0のプラグインとして使用すると香港に居ながらニフティサーブへのアクセス、必要なファイルのダウンロードが出来た。
ほくほくと思っている内に、ニフティサーブのユーザーが減り始め存続が危ぶまれるようになった。2006年にNiftyがコンピュータ通信をやめた。直ぐだったか、少し後だったか忘れたが、フォーラムなどのコンテンツもアクセス出来なくなった。
マック用ピンボールソフト
確かアメリカの学生が作ったシェアウエアで、何らかの方法で送金し1990年代に暫く使っていた。ソフトの名前は忘れた。
波乗り野郎
波乗り野郎は自動的にWebサーフィンしてくれるソフトで、画像をダウンロードしてくれる。情報収集に非常に役立った。当初はキーウエアと呼ばれるシェアウエアで、料金を払い、必要なキーを入れる事で使えた。後にフリーウエアになった。
その他
そのほか面白いソフトがたくさんあって、それは思い出したら増やしていこうと思う。どうも最近記憶がはっきりしなくて、こういうページに書いておかないとどんどん忘れてしまう。困ったものだ。
古いMacOSを楽しめるサイト
InfiniteMacというサイトがあり、各種古いOSを体験できる。
漢字トーク7.5.3を体験
最後に
私はフリーウエアやシェアウエアのおかげで、PCに関する知識を得た。ところが最近はサブスクが流行り始めてから、どのソフトも一回買っても翌年には再び払わなければいけないシステムになっているものが多く、それだけ優れているのなら購入すべきなのだが、正直な話、どうしてもサブスク購入したいソフトが無い。金食い虫だと思っている。
同時にシェアウエアが減って、あまり見かけない。これはどうした事か?ずいぶん前にImpressの記事でこんなものがあったので、リンクを貼っておきます。
コメント
カセットテープのパソコン、なつかしいです。
1980年代、私の家族は誰もパソコンを使うことができなかったですが、
叔父(父の末の弟)が買ったというシャープ製のX1(エックスワン)と言う名のパソコンが父の部屋に置物の様に置いてありました。このパソコンのメディアがカセットテープだったことを覚えています。
叔父はお金にだらしがなかったので、父に借金でもして、パソコンを持って来たのではないかと推測しています。
叔父はパソコンとは無縁に思えましたが、南花島二丁目の高木第一ビルにあった「松戸ハムセンター」という店で購入したという話でした。「松戸ハムセンター」はその名の通り無線機の専門店でしたが、私は子供だったので、なぜハム屋でパソコンが買えるのか謎でした。現在はALSOKの詰め所になっていますが、ハムセンターの隣には「コロラド」という名の喫茶店があり、そちらは友達の親に何度か連れて行ってもらったことがありますが、厚切りトーストやコーヒーシュガー・・・幼い私のとっては異国の地でした。
当初は高級な物だから子供は触るなと言われていましたが、使わないのが一番もったいないのではと思っていました。
そのパソコンは、唯一「倉庫番」という簡単なゲームが出来て、それだけのために使っていましたが、小4の秋に我が家にファミコンが登場しててからは、大人も子供もファミコンでゲームをするようになりました。それ以来、誰もX1には触れなくなりました。当時の父はパソコンを使えませんでしたが、自分の部屋にパソコンがあることがステイタスと思っていたらしく、しばらくの間は置物として使っていました。後年、母に私が処分を命じられて、根本464にあったパソコンショップに持ち込みました。
うしとら様、
コメントありがとうございます。
シャープのX1は1982年11月、私が触っていたのは富士通のFM8は前年の1981年 あの当時は8ビットの時代で、現在は32ビットと64ビットの混在ですが、えらい違いですね。
南花島の日産の斜め前辺りに、無線機器を売っている店があったのは覚えています。ただ、ビルという感じではなかったような気がしますが違いますか?私が香港から暫くの間はあったけど、その頃はビルだったような記憶もあります。どうだったのか、あまり覚えていません。ただ、この無線屋の店内には入った事は無かった。
ここのコロラドは入った事はありませんでしたが、北松戸駅西口の線路沿いに小さなコロラドがあって、大学生の頃はよく行きました。
2004-5年頃だと思いますが、南花島のおっかさんの二階だったか、ホクトの頃?中古のパソコンやソフトを売っていた事があったなあ・・・ソフトと云っても、パソコンのバンドルソフトのばら売りで、あまり価値があるものではなかったけれど、ここで辞書ソフトを買った記憶があります。南花島の旧おっかさん界隈はおっかさんだったか、ホクトだったか、が無くなった後えらく不便になりましたね。
南花島公園の所に記憶だと割烹料理屋があって、一度入ろうと思ったけど、思い立った時は廃業していたっけ・・・
> 根本464にあったパソコンショップ
ファミコンやスーファミのソフトなどを売っていた頃は知っています。その頃はブルートという店名だった。
私が、このブルートに良く通ったのはスト2が流行って、ジョイスティックが売り出された頃ですね。