はじめに
十数年前だったか、”広報 明るいまつど”を運営していたラーメン77さんから、平潟地区の1987-1990年頃の写真を寄贈いただいた。この写真を表の家でも掲載させていただいていた。2021年頃、表の家Web サイトのプラットフォームを全てWordpressに作り変える作業を行った為、Webサイトが安定するまで、これら、平潟の家並み写真掲載を保留していた。
2023年になり、私自身がwordpressでのサイト運営に若干慣れてきた事から、これらの写真を復活させようと思った。
写真のキープラン
このキープランでは写真1-7までしか無いが、実際は写真12まである。そこで分る範囲で当時と現在でどうなのかを解説していきたいと思う。
写真-1
これは日本大学歯学部松戸校舎の道路を挟んで正面にあたる場所で、写真右端の電信柱の近くの二階建てのベージュの建物は2023年現在もある。その手前の赤い車の左横の建物が元”第二鶴蓬莱”じゃないかと思う。ただ、2003-4年頃この界隈を見に行った時は赤い車の横の家もその先の古風な建物も無く、更地になっていた記憶がある。
2023年5月現在はここに一戸建てらしき建物が二軒建っている。
上写真は2011年頃の同アングルを撮影したグーグルストリートビューです。
写真-2
この写真は、平潟神社の参道入口から、コスモス松戸リバーサイド横の道を上がってきた所の写真で、手前の青い家はその道沿いの角の家、立派な門構えがある場所が、後の総連の鉄筋コンクリートの建物になるが、1987年当時は総連の平和荘。昭和9年頃は手前の青い建物の場所が、元”恩田玉突屋”、その立派な門構えが元”第一鶴蓬莱”であった事になる。
上の写真は、2022年現在同じアングルに近い場所から同場所を見たグーグルストリートビューです。総連の建物は現在は違う家主になっているようです。
写真-3
多分、手前右側が元”叶家”で、現在のテニスコート付近か、写真奥の煙突の様なものが立っている、二階建て陸屋根に見えるのが元”鈴金楼”で、現在のポルタ・ビアンカ付近であると思う。
写真-4
江戸川の大門を背に根本の入り口方面を見ている。右側の和風の二階建ての建物が元”叶家”で、現在のテニスコート付近、左の白っぽく見える建物やいくつかの小さい建物は一般の住宅だと思うが、その先の樹木で覆われた感じの場所が、元”福田屋”で現在のポルタ・オーレア付近。
上の写真はグーグルストリートの2011年頃の同アングルです。
写真-5
この洋風の建物が、元”福田屋”で現在のポルタ・オーレア付近。シュロらしき木が並木の如く生えている。このシュロは何となく南国風のイメージを醸し出すが、一方管理されていない庭木、寂れた場所のイメージも醸し出す。上の写真の電柱の位置を見て、下のグーグルストリートビューをご覧ください。
上の写真は2011年頃のポルタ・オーレアの外観界隈を見たグーグルストリートビューです。アパマンショップの幟が括りつけられた電柱がありますが、これが目印の電柱です。
写真-6
元”福田屋”の近景です。全体に洋風の建物なのに、丸窓や窓の桟に小洒落た何か別の雰囲気を感じませんか?
写真-7
離れてみた元”福田屋”。この距離から見ると何らかの学校の様にも見える。
写真-8
これは現在の平潟公園に降りていく道の途中から、つまりかなり引いた位置から、元”福田屋”で現在のポルタ・オーレア付近を見ている写真。
写真-9
これは写真-8よりもさらに後退した場所から見た、元”福田屋”で現在のポルタ・オーレア付近を見ている写真。最上部の屋根の一部が見えると思う。
写真-10
これは、元”鈴金楼”で、現在のポルタ・ビアンカにあたる。根本を背に江戸川出口方面を見ている写真。
これは現在のポルタ・ビアンカを写真-10と同じアングルから見ている写真。
写真-11
この写真は、写真10と同じ元”鈴金楼”を見ているが、建物角の飾りを見ている写真。何となくアールデコ調の雰囲気を醸し出している飾りがある。
写真-12
これは確証が無いが、二階の窓際の手摺から、元”三井家(九十九楼)”ではないかと考えている。もし間違いでしたらどなたかご指摘いただきたい。ここは現在のポルタ・キアラを江戸川を背に根本方向を見ている写真であると思う。
最後に
写真を提供いただいたラーメン77さんに改めて御礼申し上げます。場所の特定が間違えていないか再度ラーメン77さんに伺ってみますね。
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