アーバンヒル松戸跡地
このページは、あくまで私個人の妄想に過ぎません。今から30年前に遡り、アーバンヒル松戸跡地にホテルを作ったとしたら、何を考えたか、考えるべきか?というテーマをスタディしたものです。ですから、今跡地のマンションに住んで居る方々はご心配いりません。あくまで私がタイムマシーンで過去に戻ってこう考えた・・・という妄想ですから・・・

アーバンヒル松戸
月刊まつどNowの広告より
アーバンヒル松戸の盛衰
1980年10月8日にアーバンヒル松戸が誕生、オープンしました。これは、松戸駅東口に建設されたイトーヨーカドー松戸店と同日にオープンしたようです。イトーヨーカドーは日本の何処にでもあるヨーカドーそのものの箱もの建築でありましたが、アーバンヒル松戸は、松戸にはそぐわないくらい先進的な建物でした。
傘をささないと隣の店舗にいけない、松戸駅から直接のアクセスとなる線路際の道はボックスヒル(現在のアトレ)の搬入口やゴミの集積所で、視覚的に良いアクセスとは言えない等、批判も多くありました。ただ、建築設計を生業にしている私にとっては、非常に興味深い建物でした。
設計は、黒川紀章先生で、施工は間組さん(現安藤ハザマ)、出勤途中で金山神社側の線路際を歩いて松戸駅東口に向かっていた私は、途中から見えてくるアーバンヒルの現場にわくわくしていました。youtubeに活気があった頃のアーバンヒル松戸のプロモーションビデオらしきがあったので、ご紹介します。
1981年に鳴り物入りのオープンを迎え、チアガールや ブラスバンドによる演奏、コンサートも開かれましたし、新しい松戸の方向を感じていました。ただ、その後思ったように売り上げが伸びなかったのか、三越エレガンスのサインボードの下で野菜の朝市を始めたり、分譲販売だった店舗スペースが賃貸になったりしました。
その内、テナントが一つ、又一つ消え、最後の方まで残っていたモデルガンのターゲットさんやカネコ花屋さんも撤退しました。その後、アーバンヒル跡地はしばらくの間、廃墟の様な場所でした。
黒川紀章「道の建築:中間領域へ」より
うしとらさんから、教えていただいた資料、黒川紀章「道の建築:中間領域へ」には、黒川先生の世界観、こうしようというストーリーが進められていない現状への嘆きが聞こえてきます。以下参照。
とめどなく均質に広がる都市空間に、ある種の周縁部をつくり出し、「かいわい」を形成するというねらいは必ずしも十分に成功したとは言えない。オープン・モールのもつ冬期間の回遊性の問題も指摘されている。月に何度か青空市を開催し、何度か祭りを行うという構想もまだ十分軌道に乗っていない。アーバンヒル松戸の計画と呼応して実施されるはずの市の駅周辺の歩道網整備(街道筋の計画)も、未だに手がつけられていない。このようなさまざまな不利な条件の下ではあるが、この小さな「村づくり」の高層が、より大きく広がってもらいたいと願っている(1981年)
その他の動画
また、1989(平成元)年8月13日の映像ですが、45:41~45:59の所で片鱗を見ることができます。
下の動画は、1989年8月の動画で、松戸駅から出発する場面ですので、左側に見えます。9:08~10:05の間です。
アーバンヒル松戸跡地の過去の計画
1990年代後半だったか詳しくは忘れたが、アーバンヒル松戸跡地が廃墟状態になっていて、その再開発を巡り、某著名ホテルオペレーターの開発責任者を案内した事があった。当時は確かリリー松戸やその隣のミヤザワビルも建っていなかった記憶がある。その付近に香蘭という中華料理屋があった(現在はすい星薬局になっている場所である)。
開発責任者に「ここの香蘭のやきそばは美味しいですよ」と知らせたら、「そういう情報はとても大事なんです」とメモをしていた。流石飲食業界の人だと思う。その後、ホテル開発のFS(フィージビリティ・スタディ:実現可能性調査)を始めた。頭を悩ませたいくつかの問題があった。
計画上の問題点
跡地前の大きな眺望障害
ここを計画地として考えた時に視線上の障害と考えられるのは、大きな岩瀬こ線橋の存在かもしれない。
一方通行一車線の前面道路の狭さ
同時に、この跡地の接道はこ線橋下の一方通行の狭い側道しかない。これは根本交差点からのアクセスだけを許し、松戸駅方面からの自動車によるダイレクトアクセスが無い。同時に、2025年現在で言えば、ながらスマホの自転車のお兄さん、お姉さん、平気で逆走自転車のおばさんなど、危ない道である。
タクシーウエイティングの問題

いらすとや
https://www.irasutoya.com/
跡地前の前面道路は跡地へのメインのアクセスとなるが、車一台だけの一方通行の道で、これがボトルネックかもしれない。モータリゼーションの時代においては、商業施設の前面道路はどうしても交通が激しくなるので、片側二車線以上は欲しい所だ。それに加え、敷地付近にタクシーが待機している場所が必要になる。
このため、前面道路からセットバックをして、敷地内道路を充実させなければ、困ることになる。ただ、敷地の間口を考えた場合、そう何台も待機出来ないと思われるし、狭い敷地で敷地内通路を作ると容積の有効利用が難しいので、コンシェルジェやポーターが駅付近のタクシーを呼び、配車してもらうシステムになるかもしれない。
直近の跡地への出入りの問題
跡地前の前面道路が一方通行である以上、現在の交通条件の元では、アクセスする為には、根本の交差点付近から入っていかないとならない。あの交差点がUターン禁止であるかどうか、調べないといけないが、もし禁止された場合、一度根本橋前まで進み、右折し、裏側の道を通って、旧水戸街道に再び出て、右折し根本の交差点を左折し件の側道を通るというルートだが、王道とは思えない。
徒歩ルートの問題
徒歩ルートー1の場合:どうしてもボックスヒル(現アトレ)の搬入搬出口、ゴミ置き場の前を通らないといけなくなる。
加えて、岩瀬こ線橋付近で、舗道があったり、なくなったり、歩いていて危ない感じがする。
徒歩ルートー2の場合:途中どうしてもラブホの前を歩く動線になる事になるが、それよりも岩瀬こ線橋の下を潜り抜けなければ、いけないところが、喜ばしいホテルへのルートとはなり得ない。ここは自転車、バイク置き場がある。
つまり、徒歩でアプローチすると共通する障害は岩瀬こ線橋の巨大な構造物の存在であろう。
主要道路からのアクセス
この跡地への自動車でのアクセスを考えた場合、2000年の頃は国道六号線からのアクセスだった。しかし、もし2025年現在に再び検討するとすれば、埼玉県三郷市鷹野にある外環自動車道の三郷南インターも含める必要がある。この三郷南は所謂ハーフインターチェンジで、三郷・川口方面への出入り口だけであるが、これに乗れば、首都高、関越などに繋がっていくので十分だ。
問題解決の糸口
これらアクセス上の問題点を解決するには大きくは下記の二つが考えられる。
- 岩瀬こ線橋を地下にする
- 自動車のアクセス入口の位置を変える方法
車でアクセスをしても徒歩でアクセスしても、大きな障害となるのは、岩瀬こ線橋だと思われる。今回はとりあえず、こ線橋を地下埋設する案について考えてみたい。
岩瀬こ線橋を地下埋設道路にする
この岩瀬こ線橋(小根本字山中)は松戸市によって管理されている市道であり、主要幹線1級市道30号線と呼ばれ、構造は鋼溶接橋である。1981年に建設され、2025年現在、44年目であるので、高齢化の目安とされる建設後50年を越える橋梁ではないものの、残る6年で高齢化を迎え、さらに20年後には作り変えなどの何らかの処置が必要な個所だと思われる。
松戸市では、特に1980年代以降に多くのこ線橋が出来た事から、これらの管理を今後どうしていくのかという課題は、避けることが出来ず、今後のロードマップに書き加える問題だと思う。
地下埋設道路にする利点
現在の岩瀬こ線橋は、支える梁も含めるとこ線橋上の路面高さが周囲の道路の標高から見て、橋の高さは10mを軽く超えている。そのため、こ線橋のスタートからエンドまでの橋長が400m超えになっている。宮前ガードの場合は京成松戸線が無い事もあるが、200m程度。ここまでは短くできなくても、岩瀬こ線橋を地下に通す考えもあった。
(線路敷は、道路面より若干高めなので)道路標高から見て6M深さまで掘れば良いのではないだろうか?その場合、線路敷縁から80m付近で地上への出口になるので、これは元塩谷金物店さんの入っていたセザール松戸付近にあたるので、根本の交差点に達する前に敷地にアプローチする可能性も出てくる。
松戸市役所現地建替えとリンクさせる
そこで、地下埋設道路を可能であれば全4車線にする。無理であれば、全3車線にして、根本交差点側の入口と小根本側の入口は一車線ずつにして、両出口だけ二車線にしてはどうか、つまり、小根本側の出口は二か所にして、一つは市役所通りの交差点の先で、もう一つは地下を伸ばし市役所の本館ロータリー地下まで結ぶ、そこには市役所(現在地)の地下駐車場を作る。
これは市役所の現地建て替えをベースにした考えであるが、アーバンヒル跡地にはすでにマンションが建設されているので、岩瀬こ線橋の寿命に合わせて、解体地下埋設化を行ない、根本の市役所との連携をする。
合言葉は”小さな行政”

UnsplashのGabriella Clare Marinoが撮影した写真
松戸市もご多分に漏れず、経済が右肩上がりで発展していた頃は盛んに箱モノを作っていた。しかし、バブル崩壊後その考え方は変えざるを得なくなり、現在は小さな政府、小さな行政を考える事が、身の丈にあった考えとなってきた。デカい立派な建物を作ればいい時代は終わったのだ。同時に、ではどのくらいのサイズで良いのかと問われると、回答が難しい一面もある。
同時に現在の行政の職員数は、将来的にはAIの採用、併用などで、人員削減するにしても、そのシステムが完成していない以上、しばらくの間は今働いている人員は抱えないとならない。将来的には人員を減らしていくべきだが暫くの間は無理であろう。
工区を四つに分ける
そこで、現地建替えの工区を四つに分けて、現在の松戸市の予算に見合った、増築を繰り返していくことが現実的である。
そこで、現地市役所の建て替えをするにしても、一気に行うと多額の予算が短期間に必要になってしまう。また、建て替え、作り変えが必要なのは市役所だけではなく、例えば松戸市管理のこ線橋、歩道橋などの橋梁は市内に331か所あり、これらの建設のし直しや、修繕、補強などにも非常にお金のかかる問題である。
その他、建築としても市の施設を始めとして、学校の修繕も必要であろうし、市役所だけに予算を使うのは愚の骨頂である。同時に耐震構造も考えないといけない面もある。そこで、提案であるが工区を四つに分ける。これらの工区を予算に合わせて順繰りに進めていく。上図も参照してください。
- 第一工区:本館の車回し
- 第二工区:本館
- 第三工区:新館
- 第四工区:議会棟
各工区の説明
- 第一工区として本館の車回しに、地下駐車場及び新新館を建設する。完成したら、本館に入っていた部署を新新館に移す。新館の部署も一部新新館に移してもよい。ここの地下駐車場は、岩瀬こ線橋を地下埋設で通した時に繋ぐ構造にしておく。
- 第二工区として本館を解体し、本館跡地に新新館につなぐ新増築棟-1を作る。新増築棟-1が完成したら、新館に残っていた部署を全部新増築棟-1に移す。もし第一工区の地下駐車場の台数が不足していたら、この第二工区の地下にも地下駐車場を作る。出来れば、第一工区と第二工区で、職員の勤務スペースと駐車場は余裕を以て確保出来るように考える。そして、ここまで行った所で、新庁舎建て替えプロジェクトは一区切りである。松戸市の予算を考えながら、新館の解体時期を考え、さらに増築をすべきなのか、すべきでないのかを考慮し、どうしても必要であれば次の新増築-2の建設時期を考える。
- 第三工区、先ずは新館の解体をするが、解体後は、どうしてもスペースが足りない場合のみ、必要な面積の増築棟ー2を作る。ただ、すでに第一工区と第二工区で十分な職員の建物スペースが出来ている筈なので、出来ればこの第三工区は前面の元屋外駐車場と共に緑地空間を作る。
- 第四工区、新耐震以降に建設された議会棟はそのまま残す事で良いだろうが、20年後か30年後か分からないが、将来どうしても、手を付ける必要が出た場合のみ、解体と建て替えについて考えれば良い。
という感じである。
こうすれば身の丈にあった市役所が出来るのではないだろうか?美術館や図書館は相模台に作るという方向で考えることができる。
最後に
話が松戸市役所の現地建替え議論に発展してしまったが、そのくらいこの根本という土地は大切な土地であるという事だと考えている。ここをディベロッパーに売って、相模台だけに無理やり建設するとしたら、それは理論的におかしいし、何か裏にあるんじゃないか?と穿った目で見てしまう。
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コメント
アーバンヒル松戸の動画、超なつかしいです!
松戸市役所(根本)の敷地はかなり広いのに、
なぜ現地での建て替えでないのか・・私も不思議に思っていました。
第一工区と第二工区の敷地だけで、
アーバンヒルの跡地に建つパークタワー松戸くらいの床面積が確保できそうですよね。あれだけあれば、本館と新館くらいの床面積を確保して、駐車場の台数も今よりも増やせそうな気がします。
うしとら様、
コメントありがとうございます。
去年アップロードされていた動画らしく、見つけた時は驚いて、喜んでしまいました。
そうなんです、第一と第二工区だけで多分十分だと思います。
関東ローム層の下にある成田層には海だった頃の貝の化石がたくさんあるので、地下を掘る時は、製鉄の跡などの重要な文化物の調査も必要なので、あまり掘るのはどうかと思っているんですが、相模台よりもこちらの方が可能性が高いのにどうして、相模台にこだわるのか、不思議ですね。