61 松戸市根本大道下に雪印種苗の工場があった頃

雪印種苗昔日の松戸
国土地理院の空中写真より、1975年

雪印種苗のあった根本

北部幼稚園と富永商店の間の道を南西に少し進んだ場所に雪印種苗の工場があった。松戸市根本一五三。この付近を歩くと家畜用飼料の何とも言えない臭いが辺り一面に漂っていた。松戸商工会議所工業部会の資料によれば……受注加工に応じる設備として配合飼料月産三千トン、種子年間二千トンとなっている。資本金は四億三二〇〇万円で、これは雪印種苗社全体なのか良く分からない。取引銀行が今は無き北海道拓殖銀行というところが雪印らしいと思う。従業員数三三名と書かれており、これは殆ど機械化された工場だったのだろう。

下は牧草と園芸という冊子に書かれた松戸飼料工場に関するニュースのような記事

雪印種苗松戸飼料工場昭和40年12月1日

雪印種苗松戸飼料工場 牧草と園芸第十三巻第十一号昭和40年12月1日発行より

牧草と園芸 第13巻,第12号
昭和28年5月15日第三種郵便物認可 昭和40年12月1日(毎月1回1日発行 定価30円 送料6円
松戸新飼料工場 稼動開始
新しい理論に基づいて常に新鮮な原料 を使用し衛生的な工場で特に1万分の1以上の精度で各種微量物質が均一に配合されているので雪印の配合飼料は安心してご使用いたたけます。このため可消化養分からみた価格が安く非常に経済的です

駐車場はちょっとした休憩場所だった

道を挟んで対岸には空き地又は駐車場のような空き地があった。多分あの空き地も雪印種苗の土地だったと思う。雪印種苗が立ち退く寸前だったと思うが、江戸川花火大会の日に友達数人と車数台で出かけた事がある。江戸川付近には駐車する適当な場所が無いので、この雪印種苗の対岸の空き地に駐車し、そこからみんなで花火を見た記憶がある。

昭和三〇年代の頃は畦道があり、昆虫、メダカ、フナを捕まえるポイントもあちこちにあった。延々と続く北部小の北側の田畑にはコサギもやって来ていた。それが昭和四十年代前半から、付近一帯は造成されてかなり住宅等が建っていたが、北部幼稚園、グリーンコーポ、北部小学校の付近にはところどころ田畑が残っていた。自然環境といった意味では現在は見る影も無い。

24年間ほどあの工場があった事になる。


雪印種苗は1956(昭和三一)年、この根本の地に操業開始したが、ほぼ1980年代前半に移転。暫くの間、飛島建設の作業場になっていた。そして1986(昭和六一)年三月この跡地に東レ建設による開発、建設によるマンション「シャルマンコーポ松戸」が竣工した。飛島もジョイントしていたのかどうかは分からない。鉄筋コンクリート造地上七階建て、総戸数五十八戸、部屋サイズ57.03m2~74.52m2、分譲タイプ。

昭和三十一年の都市計画図にはあの一帯は準工業地域に指定されていた。大規模な川光物産があったためそういう指定があったのかもしれない。興洋、金沢縫製などの縫製関係の工場、東京精機製作所などの比較的小さな工場が付近にあった場所だ。ところがこの一帯の工場は思ったほど成長せず、気がつくと殆どが住宅に取って代わった。そして、いつの間にか都市計画上の用途も書き換えられ第一種住居地域になっている。

大道公園近く

このマンションには知人が二組住んでいる。彼らは昭和三十年代の大道下のほのぼのとした景観については知るよしも無いと思う。道を挟んであった空き地には現在大道公園が出来ている。左正面奥の大木がクスノキ、手前道路側にはハナミズキが何本か植えられ、公園右奥には比較的大きなコブシが二本ほどあり、公園奥の隣地境界線沿いはキンモクセイらしきが植えられている。

この界隈の字名は松戸市根本字大道下でそこから名付けられたのであろう。又、何故大道下と言う字名があったのかは調べる必要がある。ただ地形的に見ると下総台地に立った場合、この土地は水戸街道よりも江戸川方向に下っていて標高も低い。洪水などで悩ましい時代もあった。そんな処から来ているのかもしれない。今あの場所に行っても花火が見られるかどうかは未明。

現在の周辺状況

ページトップの空中写真は国土地理院による空中写真(1975年)中央に見えるのが雪印種苗、これは現在はシャルマンコーポ松戸に変わっている。その雪印種苗の左上が空き地のような、駐車場の様な場所だが、現在は大道公園になっている。現況はGoogle でご覧ください。

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